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奇病患者が送る一ヶ月 十八日目
「お、来たか。」
晃はいつもと変わらない様子で、医務室に顔を覗かせる。
そんな姿に安堵を持つと共に、何とも表現しがたい気持ちを抱く。
「さて、早速だけどコッチだ。」
俺はそう言って、医務室の部屋から左手にある部屋に彼を招く。
「ここは、訳ありの防音室。
色々あって、絶対音が漏れないように造ってもらってるんだ。」
彼はなるほどと言わんばかりの顔を見せる。
『それで、アキは何したらいいの?🤔』
「あー…、それはな__」
「___お前の声、聞かせてほしい。」
俺が真剣な顔をしてそう言うと、彼は驚いたように目を丸くする。
驚くのも無理はないか…。
『でもでも!そんな事したらセンセーが…。』
「大丈夫!昨日の薬はお前の奇病を治すためのものだったんだからな!」
『え、そうなの?』
「おうよ。ホントはもっと早くに渡したかったんだけど、まだ開発途中でさ…。だからあんな感じで副作用が結構キツかったんだよ。」
彼は納得したのか、感心したように頷く。
しかしまだ不安そうにしているため、俺は革手袋もはめずに両手で彼の髪をワシャワシャと撫でる。
「難しく考えんなっつってんだろ?大丈夫大丈夫!」
俺が元気な声でそう言うと、一瞬彼は何処か迷った顔をしたが、決心したのか恐る恐る防音マイクを取る。
「…やっぱ、その方が似合ってるよ。」
俺が微笑むと彼は、照れたように顔を赤くしはにかむ。
「声は、出るか?」
『(;ŏ﹏ŏ)』
「まぁ、もう何年も声出してねぇもんな…。」
『(。>﹏<。)』
「…恥ずかしいのか?」
『(。˃ ᵕ ˂ *)ウンウン』
「そ、そうか…。」
どうしたものか…。治ったことを確認しておかなければ、危険だ。
…あ、そうだ。
「じゃあ、俺のモルモットのタロウと、この台本を貸す。
台本を全部声に出して読み終わった時、タロウが生きていたら電話を鳴らして俺が出てくるのを待ってくれ。
死んでいたら俺が出た後、すぐに電話を切ってほしい。」
『分かった!』
「じゃあ、俺はいつまでも待ってるから、急がなくていいぞ。
それと、俺が戻るのも遅いだろうから、その間は他の台本もそこに置いてる。リハビリと思ってやっててくれ。」
そう言って、出ようとした時彼はぴょんぴょんと跳ねながら手招きしてきた。
不思議に思いながら彼の目の前まで行き、しゃがむ。
「どうし__」
『センセー、偉い偉い!ずっと頑張って、偉い!』
彼はそう言って、しゃがんでいる俺の頭を撫でてきた。
俺はその言葉と行動に、一瞬思考が停止してしまう。
「…………え…、?」
『ほらっ!帰った帰った!!』
無理やりドアまで追いやられてしまい、俺は呆気なく部屋から出てきてしまった。
…褒められたのなんて…、いつぶりだろうか。
---
ただ行く宛もなく、どこか懐かしい匂いのする方へ黙々と歩く。
徐々に匂いが濃くなり、つい|檸檬《レモン》でも舐めたように顔をしかめてしまう。
すると匂いの元凶がとうとう視野に入る。
そこには黶伊がいた。
「はぁ……。」
彼の首筋に太い血管が浮き出て、弱々しく煙を吐き出す。
「コラ。黶伊、院内の敷地内は禁煙。何回言えばいいんだ?」
俺は彼が吸っていた煙草を取り、リンゴを押し潰すように強く握る。
煙草は俺の強耐熱性革手袋の中でジュウッとなり、火が消えた。
「ありゃ…、取られちゃった。」
「当たり前だろ?煙草は体に悪い。」
「とか言って、君も喫煙者だったりしない?」
「ねぇよ。煙草ほど不味いもんは無い。」
「フーン…。」
彼は不貞腐れたような顔をしたまま退屈そうにため息を吐く。
「それで?なんでお前は拗ねてんの?」
「拗ねてない。」
「嘘付け。この時間に独りで煙草吸ってんだからなんかあったんだろ。
翠と喧嘩でもしたのか?」
俺が考察混じりに問うと、黶伊はさっきよりも大きなため息を吐いた。
「喧嘩…じゃないけど、昨日の事で少しね…。」
「昨日?」
聞き返すと、彼は小さく頷く。
「昨日、僕が君に言った事だよ。謝ってくるまで説教をするって言われてね。」
「へぇ…、翠が…。」
俺は、静かに患者の変化に嬉しくなってしまう。
まさか翠が黶伊に…。黶伊もやるもんだ。
「…キツく言ってすまなかったね。」
「いいよ。俺はあれだけ言ってくんねぇと休まねぇ頑固者だからな。あんがとさん。」
「…言われなくても休んでくれ。またああなるのは困る。」
「おうよ。何せ菱沼にしばらくは仕事禁止令が出されちまったんだもん。お前らに甘えて、休ませてもらうよ。」
「それが出されていなくても休んでほしいけどね…。」
黶伊は困ったように頭を抱えるような仕草を見せた。
「さーて、俺はもう行こっかな!あっ、もう煙草吸うなよ!!」
「ハハ、努力させてもらうよ。」
「抱え込むのが辛くなったらいつでも相談しろよ。そんじゃ!」
俺はそれだけ言い残してそそくさと歩いて行った。
「……それは…、…いや、そうだね…。」
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晃、大丈夫かな…。
ちゃんと奇病は取れているだろうか。
俺は墓地の近くのブランコに腰をおろして、彼からの電話を待っていた。
目の前に佇む墓地を横目に、少し考え込む。
残りの患者は10人を超える。
患者…というよりは奇病持ちと言った方が良いか。
もう、俺はどうしたら良いのか。
腹を括ったはずなのに、やっぱり何処かで否定したい。
微かに顔を上げると、渡り廊下から春日居と綝がいるのが見える。
綝は俺に気づいたのか、嬉しそうに大きく手を振ってきた。
俺も軽く手を振り返すと、綝が何か叫んでいる気がした。
残念ながら何を言ってるのかは聞こえないが。
そうだ、と思い白衣のポケットから|端末機器《スマホ》を取り出す。
慣れた手付きで電話をかける。
「もしもし…?」
『はい、恢復荘のは___』
「俺、だけど…。」
『え…?えっとすみません、どなたでしょうか…?』
「あぁー、もう…。ほら俺!灰山士門!」
『な…!ま、本当に士門なのか!?』
「そうだって言ってるじゃんか…。」
『それで、どうしたんだ?』
若干明るいトーンの声が聞こえる。
そんなに俺から電話がかかると嬉しいか…?
「まぁ、ちょっと話したい事があってさ。」
---
[綝視点]
渡り廊下から灰山先生が見えて、飛んでちゃった。
「はぁいやま先生ぇーー!!!」
そう言って灰山先生の胸まで飛び込もうとしたら、先生が電話をしていることに気づく。
先生に嫌われるのは嫌だから、静かに近づく。
すると彼はありがとうと、小さな声で言った。
まぁ、私は気が利くので当たり前です!
「あー、うん、分かった。じゃあまた__え、あぁ…わ、分かったって!」
彼はなんだか適当に、そう締めようとしていた。
でもどうやら電話の相手は、面倒な人か相当長話な人なのか、中々電話を切ろうとしないみたい。
なんだかいつもと違う灰山先生が見れて嬉しい。
誰と電話してるんだろう…。
なんだか懐かしい感じだ。
何が懐かしいのかは自分でも分からないんだけど、この雰囲気懐かしい。
んー…いや、“懐かしい”訳じゃない気がする。
どちらかといえば、“憧れていた”とかの方がしっくりくる。
…いや、もういいや。よく分からない。
今はただこの時間が続いてくれたらそれでいい。
すると、先生は頭を乱暴に搔いて、半ば強引に電話を切った。
「いやー…、ありがとな!気ぃつかってくれて!」
「私は偉いので、当然です!」
私が誇り高く胸を張って言うと、先生はそうだな、なんて言って頭を撫でてくれる。
革手袋の上からでも分かる、先生の温かい大きな手。
つい、エヘヘと声を出して喜んでしまう。
「ここで何してたんですか?」
誰に電話をしていたのか、なんて聞けもせずそんな風に聞いてみる。
「ん?あぁ、いつも通りの事だよ。」
「お墓参りですか?」
「そ、流石分かってるな。」
先生はそう言って、静かに手を合わせた。
手を合わせた先のお墓が、一体誰のものかは知らないけれども、きっと昔の患者さんのなんだろう。
私も先生の真似して手を合わせる。
随分と長い間、先生は手を合わせていた。
「ごめんな、せっかく晃と仲良くなったばっかだってのに。」
ふと先生が優しい声で言う。
「良いんです。患者さんと仲良くなることもお医者さんのお仕事なんだって思えば、張りきれちゃいます!」
「そう言ってくれたら、俺も頑張れちゃうな!」
灰山先生がとっても明るい笑顔を見せてくれる。
やっぱり、笑ってくれる方が良いのです!
「あっ!春日居さん置いてきたんでした!!」
途端にその事を思い出し、思わず口に出してしまう。
「おいおい…。何話してたのかはしらねぇけど、アイツ放っておくと面倒くせぇぞ?」
灰山先生は呆れたように笑った。
「そ、それじゃ!またあとで、ですッ!!」
慌ててその場の別れを告げ、思いっきり病院の扉を開き、そのまま春日居さんの元を急いだ。
---
慌ただしく綝が去ったのをしっかりと見て、彼女が開けた扉を閉める。
まったく、アイツは何度言ったら扉を丁寧に扱ってくれんのかね…。
すると、待ちに待った電話のコール音が聞こえる。
画面に晃に渡した端末機器の電話番号が表示されている事を確認してから、電話に出る。
「もしもーし?」
『………。』
晃は切りも喋りもせず、何故か沈黙を貫く。
「…おーい…?どうしたー?」
『………。』
念のため聞き返すが、まだ彼は沈黙を貫く。
もしかして電話が繋がっていない…?
そう思って画面を確認するが、当然繋がっている。
「……晃さーん…?」
『………。』
どうしようもなく、電車電話は切らないまま俺は彼がいる部屋まで向かう。
…あー、なるほど…?
「もしかして…、まだ恥ずかしい?」『………!』
「んー、じゃあ“YES”なら壁を1回叩いて、“NO”なら2回。」
俺がそう言い終えると同時に、すぐに壁を叩く音が1回だけ聞こえる。
「お前は照れ屋だなぁ…。どうだった?声の調子。良かったら1回、あんまりだったら2回な。」
すると、2回壁が叩かれる音がした。
俺は階段を駆け上がる。途中、梓がいたため小さく手を振っておいた。
「まぁ、当然だよな…。お前の昔の事務所にはもう連絡はつけてあるから、それから調子を戻したらいいよ。焦んなくても、お前の実力は確かだ。」
『………!?』
「ハハハッ、気づかなかったろ?」
医務室の左手をすぐに曲がり、声をかける菱沼を無視して防音部屋の扉を開ける。
晃は驚いた様子で振り返った。
「ただーいま。そんでお疲れ。」
俺は、端末機器を握りしめる彼の頭を軽く撫でる。
体力は学生の頃のようにはいかないため、流石に息が上がってしまう。
「…〜…ッ、………!」
彼は怒ったように俺をポカポカと叩いてきた。若干痛い。
あ、そうだ、と思い白衣のポケットから小さな小瓶のキーホルダーのようなものを取り出す。
「これ、お守りだ。」
そう言って彼に渡すと、彼は嬉しそうな顔で明るい笑顔になる。
小瓶の中の白い砂は、部屋の光に当てられて不自然な程綺麗に見える。
「今夜は、お別れ会だな。」
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月は雲に隠れ、夜風が肌寒くなってくる。
今の季節なんて忘れた。
もう、何月なのかすら覚えていない。
医務室のカレンダーは、2年程前のままだった。
いつまでも、そのままでいたい。
変わらない日々を過ごしていたい。
きっと叶わない夢。
今更、どうだってよかったが。
晃は盛大なお別れ会の後、すぐに事務所の方へ帰した。
彼自身、疲れているだろうが、あんまり長くここにいたら出ていくのご名頃惜しくなるかもしれない。
そう思って、すぐに帰した。
いつも通り、ここには帰って来ない事を約束して。
楽しそうな顔が見れて、良かった。
俺は小さく安堵のため息を吐く。
これが、《《最後》》かもな…。
彼の事は、彼がここに来る前から知っていた。
俺自身、これでも劇には興味があったから。
元々彼が入っている事務所自体が、相当名高いこともあり、趣味の範囲で舞台を観に来た際、何度か彼を目にする事があった。
彼の奇病が発症したあのオーディション、
行きたかったけどチケットが取れなくて行けなかった事をよく覚えている。
彼が《《最後》》にならない事を祈り、俺は部屋に戻る。
医務室には誰もいなかった。
全員、患者の付き合いで忙しいようだ。
俺はただ無心で、足を進める。
そして、目的の場所で足を止める。
俺の部屋の隣、物置と称している部屋は、いつになく静かだ。
2つの南京錠を外し、ドアの鍵も外し、重たい扉を半ば強引に開ける。
扉が空いた途端、思わずむせ返るほどの匂いが辺りを包む。
匂いが院内に充満するのを避けるため、中に入ってすぐに扉を閉める。
何も、怪しい場所ではないのだ。
この匂いは、ただの香水の匂い。
扉の鍵は、特に意味はない。
ただ誰かがここの迷い込む事を防ぐためだ。
オシャレなカーテンがかかったベランダの近くにあるダブルベッド。
そのベッドには、まるで誰かがいるように山になっている。
誰かが布団に丸まっているように。
もちろん、《《誰か》》はいるのだ。
「今日は調子どう?」
俺が尋ねるが、その人は何も言わない。
俺は黙って、その人を踏まないようベッドに腰かける。
その人は、ずっと俺達を見てきたのだろう。
「……おやすみ。」
この病院の、一番最初の患者がそこに。
█が██まで、
あと12日。