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次はあなたの番
静寂は、時に叫声よりも鋭く人の精神を削り取る。
古びた洋館の廊下には、
湿った埃と、長い年月を経て腐敗した木材の匂いが立ち込めていた。
窓の外では、秋の夜の冷たい風が枯れ葉を掃き清め、
時折ガラスを叩くような音を立てている。
しかし、その外の騒音よりも恐ろしいのは、
この屋敷の内部に漂う「不在」の気配であった。
青年・一真は、手に持った懐中電灯の光を頼りに廊下を進んでいた。
彼は亡くなった伯父の遺品整理のためにこの館へ来たが、
最初から感じていた違和感は、歩みを進めるごとに増幅していく。
それは単なる古い建物の不気味さではない。
まるで、壁の向こう側から誰かが自分を凝視しているような、
肌を刺すような感覚であった。
「……誰かいるのか?」
一真の声は、自身の内側で反響するだけで、外には届かない。
その瞬間、背後の廊下の奥から、「カツン」という硬い音が響いた。
それは靴の底が床を叩く音だった。
しかし、そこには誰もいないはずだ。
心臓の鼓動が早まる。
一真は光を後ろに向けたが、
そこにはただ長く伸びる影と、埃を被った肖像画があるだけだった。
だが、その瞬間に彼は気づいた。
先ほどまであったはずの肖像画の人物の視線が変わっていることに。
キャンバスの中の男は、今、一真の背後を正確に捉えていた。
ゾクりとした戦慄が脊髄を駆け抜ける。
逃げ出そうと踵を返した瞬間、廊下の温度が急激に下がった。
吐く息が白く濁るほどに。
そして、耳元で湿った音が聞こえた。
「……見つけた」
それは人間の声ではなかった。
粘り気のある、何かが這いずるような不快な音。
一真は反射的に振り返った。
懐中電灯の光の中に現れたのは、
人の形を模しながらも、関節が異常な方向に曲がった人影であった。
顔の皮膚は薄く引き伸ばされ、
目はただの黒い穴となって虚空を見つめている。
逃げ場はない。
一真は全力で走り出した。
しかし、廊下はまるで生き物のように伸び続け、
出口へ向かう道は永遠に遠ざかっていく。
壁から這い出る影たちが、音もなく彼の周囲を取り囲んでいく。
彼らの動きは滑らかではなく、カクカクとした断続的なものだった。
「やめろ……来るな!」
一真の叫びは、
館の構造によって歪められ、異様な反響となって戻ってくる。
背後から伸びてきた冷たい指先が、彼の肩を掴んだ。
その感触は氷よりも冷たく、同時に焼けるような熱を帯びていた。
物理的な暴力というよりも、精神の核を直接抉り取るような圧迫感。
一真の足元に影が落ちる。
それは彼自身の影ではなかった。
床から這い出した「それ」の手が彼の首筋に触れた瞬間、世界は静止した。
懐中電灯の光が激しく揺れ、やがて消えた。
完全な闇の中、
一真は自分の喉を締め上げる感触と、耳元で響く湿った笑い声を聞いた。
「次は……あなたの番だ」
翌朝、館には静寂だけが残っていた。
廊下には誰もおらず、ただ古い肖像画の男だけが、
新しい獲物を得たかのように満足げな表情を浮かべて立っていた。