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幕間七「あなたじゃない」
フィンレーは眩しさに目を細め、天井に手をかざした。
天井は高く、遠い。フィンレーの身長の、優に三倍はあるか。
人はおらず、フィンレーが息をする音だけが聞こえる。
床には赤い絨毯が敷かれており、フィンレーの足音を殺していた。
フィンレーは廊下の奥へ歩みを進め、やがて突き当たりにある部屋の扉の前に立つ。
大きな取っ手がついた重厚な扉が、その先への道を閉ざしていた。
フィンレーはその扉を、容赦なく開け放つ。
扉は音もなく開き、暗い室内へ光を招き入れた。
「……む。勝手に入るのはよくない」
「どういうつもりだ」
部屋の主の女の声を無視して、フィンレーは女に詰め寄った。
「座るといい」
しかし、女には全く効果がなく、椅子を勧められた。
女の手が椅子をぽふぽふと叩く。
「良いから俺の質問に答えろ」
「座らないと答えない」
フィンレーは舌打ちして、椅子にどっかり座った。
「なぜノルを襲わせた? さっきの一件で確信した、ノルは抜け出したんじゃねぇ、さらわれたんだ。挙げ句ルークにぶつけて殺させて。何が狙いだ、セージ」
「質問が多い。一つずつしてくれないと的確な回答ができないかも。それと、今のわたしはアルフィー」
どんどん感情が乗って激しくなっていくフィンレーの声に、セージは淡々と答えた。
フィンレーのことを何とも思っていない様子で、一向に話が進まない。
「どっちでも良い。一つ目の質問だ、なぜノルを襲わせた?」
「ルーがいるから、あなたのところよりわたしのところのほうがいいと思った。でも、強奪してなんて言っていない。あれはアッシュの独断。代わりに謝罪する」
言いながら、セージは執務机の紅茶に口をつけた。
「物扱いかよ。まあルークがいるからっつーのは納得できる。ってか、謝罪するならちゃんと謝れ。それは謝罪じゃねぇ」
「でも、結果的にノルの記憶は消えて、わたしたちの都合のいいように操作する機会を得た。そこまで悪いことじゃない」
「結果論だろうが」
そこでフィンレーは机に手を伸ばし、
「俺の分は?」
「ない」
セージは、また紅茶を一口含んだ。
「急に押しかけた俺が|悪《わり》ぃか……。でも、これみよがしに飲むのはやめてくれねぇ?」
「喉が渇いただけ」
セージは、フィンレーを見て口角を上げた。
「話を戻す。結果論が悪いとは思わないけど……質問はそれでぜんぶ?」
「……二つ目だ。なぜルークにぶつけた? 今のルークにノルを会わせると、ああなることは分かってたはずだ」
「その件について、わたしは一切関与していない。ただ椅子に座って『よきにはからえ』と言っていただけ」
「つまり、また下のやつの独断ってことか。つーか、今の話が事実だとしたらお前が許可を出したって思われてんじゃ」
「可能性は否定しない」
セージは口を湿らせて、
「早く本題に入ることを勧める」
紅茶のカップを置き、手元から遠ざけた。
「ノルがルークとやり合って死んだ。なぜこんなことを許した?」
「知らない。わたしは一切――」
セージの言葉に被せるように、フィンレーが言葉を続ける。
「下のやつが勝手にやったなんて言わせねぇ。お前が一切把握してねぇなんてこと、ありえねぇからな」
セージは自らの白に近い灰の髪をいじりながら数秒考え、
「ノルは、わたしたちが縛っていい存在じゃない。それはあなたもわかっているはず。だからなにもしなかった」
「それだと最初の答えと食い違うが?」
「その時々で最適な答えは変わる。あの時はそうで、今はこうだというだけ。心配しなくても、すべてはうまくいく」
フィンレーの追及をセージはひらりと避けた。
「それは分かってる。俺の勘もそう言ってんだから。――どこまで計算づくだ?」
フィンレーもそれは分かっていると、どこまでが手のひらの上だったのかと問うた。
「あなたはほんとうに不思議。その勘がなければ、優れたものは戦いだけ。それも、彼女には及ばない。でも、その勘だけでわたしに追いすがってくる」
「何が言いたい?」
フィンレーが声を低くして尋ねると、
「少し回りくどかった。その時がくれば、あなたの勘が教えてくれる。どう行動すればいいのか。だから、心配しなくていい」
「答えになってねぇ」
フィンレーが再度答えを求めるも、
「わたしがどこまで手を回しているかなんて、フィンには関係ないこと」
これ以上言葉を重ねるつもりはないようだった。
「質問はこれで終わり?」
「次で最後。何が目的だ?」
分かりきっているはずのことを、尋ねた。
「魔神の打倒。多少の犠牲はしかたない」
フィンレーも同じ考えだった。だから何も言い返せず、
「お前が言う『多少』って?」
と、具体的な数を聞くに留まる。
「国ひとつ分」
さらりと言われた言葉の大きさに、フィンレーは目を|剥《む》いた。
「馬鹿か⁉ 世界を守るためにそんなに殺したら、本末転倒だろうが!」
「声が大きい」セージは耳をふさいで、先ほどまでと変わらない調子で言った。
「犠牲は少ないほうがいい」
「だから俺も言ってんだ! 国一つ分なんて多すぎるだろう!」
「世界全体と比べれば、ごく少数。大国を滅ぼすとは言っていない。小国ひとつ分」
フィンレーは頭を抱えた。考え方がどこまでも合わない。
「フィンは犠牲を出さずに魔神を倒せると思ってるの?」
セージは諭すように語る。聞き分けのない幼子に接するように。
フィンレーは強く歯を噛み締めた。
分かっている。
自分には力がない。足りないのだ。
自分のわがままを貫く強さも、多くの人を惹きつける強さも。
それらを持っていたのは、ただ一人――。
「それができる可能性を持っていたのは、彼女だけ。あなたじゃない」
セージの瞳はどこまでも遠く、遠くを見つめている。
そこには様々な感情が渦巻き、それらの正体は彼女以外に悟らせない。
もしかしたら、彼女にもその正体はつかめていないのかもしれない。
気を抜けば溢れそうになる感情を、セージは覚悟の光でねじ伏せて、再びフィンレーを見つめた。
「分かってる。でも、最初から諦めるのはちげぇよ」
「わたしは諦めるとは言っていない。なるべく犠牲が少なくなるようにがんばるつもり」
セージは一瞬視線を迷わせて、
「あなたの助力なしでは不可能。死ぬ気で手伝ってくれるなら、もしかしたら」
彼女にしては珍しく、歯切れの悪い物言いだった。
フィンレーはまばたきして、
「絶対に最善を引き寄せてやる。死んでもな」
そう、力強く宣言した。
セージは紅茶を口に含んで、書類に目を落とす。
「予定がある。話はもう終わり?」
言外に「帰れ」と言われ、フィンレーは椅子から立ち上がった。
「お前、もっと素直になった方が絶対良いぞ」
あの日から同じ目標に向かって進み続ける盟友へ、本心からの忠告を。
そこに苛立ちや嫌悪の類は一切なく。
「検討する」
明日覚えているかすら怪しい投げやりな返事に見送られて、フィンレーはセージの――アシュトンやヒューゴら魔法使いの長の執務室を後にした。
執務室を出ると、重厚な扉の外で静かに待つ人間がいた。
誰もいないと思って、つい長話をしてしまった。
だが、セージは曲がりなりにも組織の長なのだ。書類仕事に追われたり、人と会ったり、部下の報告を受けたりと、忙しいはず。
「わりぃな」
待っていた相手も、どうでも良い下っ端ではないだろう。
そんな忙しい存在を待たせてしまったことに罪悪感を覚え、軽く謝った。
あまりしっかり謝ると、相手も戸惑うだろうし、それで更に時間を浪費してしまうから。
相手が会釈したのを確認して、早足で廊下を進み始める。
三回のノックの後、室内から返答の声が届く。
「入れ」
先ほどの淡々とした声とは違い、ぴりっとした低い声。
「低い」声といっても、セージの女性にしては低めの声というわけではない。腹の底に響くような――威圧感のある男性のような声だった。
「案外、ちゃんとやってんだな」
あまりにも失礼な物言いだが、それがフィンレーの素直な感想だった。
先ほどのやり取りで、ちゃんと組織の長としてやっていけているのか心配になったが、その必要はなかったらしい。
フィンレーは角を曲がって誰もいないことを確認した後、静かに転移した。
◆
「失礼します」
そう言って、扉を閉める。
相手は自分たちのトップだ、粗相があってはいけない。
故に、言葉遣いや態度には最大限気を配って――という配慮があったのは、扉を閉めるまで、つまり外界と隔てられるまでである。
「さっきの方、見覚えのない方ですね。お友達ですか? アルフィー様にお友達がいるなんて、思ってもみませんでしたが」
暗に「友人がいないと思っていた」と言う。
非常に無礼な発言であるが、アルフィーがそれを咎めることはない。
「報告か。早くしろ」
尊大な口調で告げる。
「わあ、全部スルー。……ごほん。ノル様ですが、やはり『適合者』のようですね」
「新たな命令を下す。ノルを連れてこい」
考える時間もなく、アルフィーが単なる会話の延長のように命令を下した。
「あれ? ノル様は亡くなられたのでは?」
「阿呆が。あの程度の攻撃で死ぬわけなかろう」
「私は死にますけどねー」
「貴様なら、死ぬ前に逃げ切ることなど簡単であろうが」
「……」
「……」
沈黙で話を区切り、
「ヘラセイナ」
アルフィーは、軽口を叩く女に向かって、その名で呼びかけた。
「なんです?」
「貴様は、非才の身でありながら、これだけの情報を持ち帰った。褒めて遣わす。これからも励むように」
ヘラセイナは目を丸くして、
「言いたいことは山ほどありますが――まずは、お褒めにあずかり、大変光栄、恐悦至極です」
自分が知っている言葉を並べ、その感謝を、その喜びを表した。
たとえ並べることで珍妙な字面になろうと、関係ない。
「でも、非才の身というのは納得いきませんね。これでも私、『天才』と呼ばれていたんですよ?」
「ふん。真に天才ならば、あのようなところで落ちぶれてはいまい」
ささやかな抗議は、アルフィーに正面から打ち砕かれた。
「まあ、アルフィー様と比べれば劣りますかね」
ヘラセイナは吐いた息を数秒残し、
――直後、その姿がふっとかき消えた。
「――なんのつもりだ?」
「えへっ、天才を超える超天才っていうのを、知ってみたいと思いまして」
ヘラセイナが懐から引き抜いたダガーナイフは、アルフィーの首に触れる寸前で静止し、アルフィーが魔法でヘラセイナを締め上げていた。
「ふん」
アルフィーは小さく不満を表して、ヘラセイナにかけている魔法を解いた。
「いいんですか? 謀反人を処刑しなくて」
「貴様が本気でやるならば、我の意識の外から奇襲するであろう。それとも、なんだ? 貴様は我に処刑されたいのか?」
ヘラセイナは笑いをこぼし、「いーえー」と首を横に振った。
「やっぱり、アルフィー様はお優しいです」
「意味がわからぬ」
「私はそんなアルフィー様が、大好きですよ」
「……ふん」
自らの言葉を無視して放たれた言葉に、アルフィーが満更でもなさそうだったのは、ヘラセイナの見間違いか。
「先の男についてだが」
アルフィーが話を切り出したので、ヘラセイナは自分の世界から戻ってきて、話を聞く態勢を整えた。
「貴様はここに来てから日が浅い。知らぬのも無理はないが……知っておくべきだと判断した」
「珍しいですね〜。アルフィー様が何かを教えてくれるなんて。初めてでは?」
「必要があるから話すだけだ。我らは世界の脅威に対処するために集まった。だが、我らだけで対処できると思うか?」
ヘラセイナはアルフィーが求めている答えを察し、
「いーえー」
「彼は協力者だ。人間界を統べる、な。友人ではない」
あくまでも、目的を達するための協力者、利害だけでつながる関係であると。
アルフィーは、フィンレーとの関係をそう断じた。
「んふふ、この際どっちでも良いです。アルフィー様と対等な関係の方がいるのなら」
近しい人間にしか伝えていないことを伝えても、なお。
ヘラセイナは、ふざけた態度をとるのをやめない。
「ところで、私からも一つ質問して良いです?」
「構わ――」
ぬ、とアルフィーが言い切ろうとしたところで、ヘラセイナは話し始めた。アルフィーの返事を待つ気などなかったに違いない。
「結局、『適合者』ってなんなんですか?」
その問いに、アルフィーはすぐに答えられなかった。
分かっていること、分かっていないこと。
伝えて良いこと、伝えてはならないこと。
それらを選別して、ようやく口を開く。
「魔力を……魔法を超えた力がある。その力は一握りの者にしか扱えない。扱える者のことを『適合者』と呼ぶ」
伝えても良いと判断した情報を、畳み掛けるように言った。
そして、アルフィーにはヘラセイナが次に何を言おうとしているか予想が付けられる。
「なるほど。じゃあ――」
「貴様は『適合者』たりえない。その資格がないからだ」
故に、ヘラセイナの言葉を遮って、二つ目の質問に先回りして答えた。
ヘラセイナは目を丸くする。それが、アルフィーの行動によるものか、その答えによるものか、彼女以外に分かる者はいない。
アルフィーは口を閉じたヘラセイナにこれ幸いと、
「下がれ。命令は理解しているな」
「ノル様の回収。忘れるわけありませんよ」
「最後に一つ」
そのまま大人しく下がろうとしたヘラセイナを、アルフィーが呼び止めた。
アルフィーが矛盾する言動を取るのは珍しい。
ヘラセイナは真面目に聞く態勢を整え――、
「我は気にせぬが、我以外に『様』を付けて呼ぶのはやめた方が良かろう。アシュトン辺りがうるさいのではないか?」
ヘラセイナの人間関係を心配しての助言だった。
ヘラセイナはその言葉の言わんとするところを正しく理解し、
「やめるつもりはありませんよ。皆さん、私より劣るところは数々ありますが、私より優れたものを持っています。アルフィー様は別ですが」
自分の信条を語る。もちろん、アルフィーへのフォローも忘れずに。
「我は好きにせよとしか言わぬ。だが、ヘラセイナ、貴様は大切な部下だ。いなくなられては困る」
ヘラセイナは顔をほころばせて、
「わあ、嬉しいです」
最後まで軽口を叩くのは変わらず、軽口に本音をほんの少しだけ混ぜて、ヘラセイナは執務室を後にした。
次回予告。
ノルの戦いは、ひとまず終わりを告げる。
これで何が変わったんだ、結局振り出しに戻っただけじゃないかと、言われるかもしれない。
けれど、ノルにとってはそうじゃない。
彼は、自分のこれからについて思いを馳せる。
次回、終 星の祝福