公開中
四、組織
その男は、その組織の長を名乗った。
「小野、お前の両親を連れて行ったのはわが組織だ。もちろん命は保証してある、反物屋の知識を欲しただけだ。壱、お前も共に来い。いま、わが組織は膨張期を迎えている、人手が足りないんだ」
すらすらと並べたてられた言葉は、立板に水のよう。その剣幕に、一歩あとずさりたくなる。
小野は、彼の話を聞くなり、納得したという顔をしていた。彼がそもそも常連であったことと、両親の無事を伝えてくれた信頼からなのだろうか。
それでも、壱はこの話を不審と感じていた。
「でも、その彼岸花という組織ですけど、私は諜報組織と聞き及んでいます。危ないことには、私も小野も関わりたくない」
「それなら心配は無用。何も君たちは刀を握るわけじゃない」
危ないこと、というところに否定はしない。君たちは、の言葉も気になる。
組織がそういううものであること、それに嘘はつかないらしい。あくまでも事実で、二人を誘おうとしている。
「でも、なんで私たちなのですか」
「君たちの将来を案じたまでだよ」
悪意のない表情に見えた。いつもの常連のそれである。
「私、入ります」
人見知りのある小野の口から、その言葉が紡がれる。壱は素早く小野の顔をのぞいた。決意の目だった。
「そうか。壱は」
「えっと」
小野がこうやって選択をした今、壱には選択肢が残されていないと考える。
それしかないのだ。
「私も、そうします」
ーーー
はじめ、壱と小野は侍女に配置された。洗濯をしたり物を運ぶだけの簡単な仕事である。給料はそこそこで、組織の大きさを改めて理解した。
膨張期だ、という長の言葉を思い出す。確かに拠点の屋敷はどこか慌ただしく、人がひっきりなしに動いていた。
動く人はそれぞれで、二人のような侍女から帯刀した武士姿の男、黒い装束の人間、旅装束の女性と身なりは多種多様。諜報組織であることはもはや間違いなく、それでも長には情報を与えらていないのだから、無用な詮索はしなかった。危ないことには自ら足を踏み入れまいと行動する壱だが、それをよそに控えめながらも興味に足を向けていく小野に、壱はすこしの危なっかしさを持っている。
「ね、出世したらああやって忍びになれるんかな」
「侍女は侍女だよ多分。刀とかさ、使えないじゃん」
壱が実家から持参していた刀は、組織に引き取るという名目で奪われた。内部の反乱の芽を一つ残らず摘んでいるのだろう。
「あー、洗濯て面倒や」
反物屋の娘として育った小野だ。少なくともそこそこに上質な店であったことに間違いはなく、洗濯などの経験はそんなにないはずだ。侍女としての仕事に、早くも飽きを感じているらしい。
「まあ、私たちはそれしかやれることはないよ」
そうやけど、と小野は呟く。彼女は終始、浮かない顔をしていた。
部屋の外が慌ただしい。いや、いつも慌ただしいのだけれど。
「なにかありましたか」
寝泊まりしている部屋の引き戸を滑らせれば、宵闇に行灯の光が行き交っている。
人の動きが忙しい。部屋の前を通った少し上くらいの侍女にそう問えば、律儀にも立ち止まって返してくれた。
「組織が敵襲に遭ったんだよ」
話を聞けば、発端は大名家同士の争いだとのこと。この組織が与力している大名家があるらしい。その大名家と敵対する領地に、彼岸花は侵入し情報収集などをしていた。しかしそれが露呈、夜な夜な組織を襲いに来たという。
「しかしまぁ、ウチの密偵が気付かれるなんて…相手も相当の手練れか、いや、ウチと同類の手の者だろうな」
「同類って」
「まあ、忍びだろうな」
これから物騒になるぞ、と言葉を残して彼女は立ち去っていった。
「壱?」
「小野。起きた?」
「ん」
話し声で起きたらしい。寝ぼけている小野に、壱はさっき聞いた話を説明した。
「ここが襲われてるんやな…」
そのとき。
「裏口からも敵襲が! 逃げろ」
先ほど状況を教えてくれた侍女だった。ガラリと勢いよく引き戸が開く音で、壱と小野以外の侍女も起き出す。
さっきより一段と騒音がする。近づいてきている感じに、体が震えた。
「ど、どうすれば」
ここにいる侍女たちは、みな壱と同じく刀を握ったこともない者ばかりだ。指示がないと、どう動けばよいのかわからない。
そんな様子に、戸に指をかけていたその侍女が言葉を投げる。
「中心の屋敷に向かって。ここは危険だ」
彼女は指を左に向けた。そっちに行け、と促して、それから彼女は右へと足を向ける。
壱は訊いた。
「あなたはどちらに?」
「私?」
その右手には、どこからともなく匕首が握られている。張った糸のような細さの鋒が、鈍く行灯の光で煌めく。
「敵の方に」
大勢の足音が、こちらに迫っていた。
長が上座に現れた。一斉に皆が首を垂れる。
「面をあげよ」
長らしい、ずっしりとした声だった。
彼に直に勧誘された壱と小野だが、長というものは普段、侍女なんかの声の届く場所にはいなかった。そんな距離があってようやく、彼がほんとうに長であることを実感した。
長が語ったのは、敵の情報。
襲撃はどうやら、敵が雇ったこれまた諜報組織ということだ。
敵は、ここ統和国で下剋上を目指す一派らしい。
「俺たちは、萌木家に長年仕えている立場。雇われなんかに滅ぼされることなんて許されないでしょうぞ、なあ長殿よ」
「奇襲してきた組織を、こちらが潰すくらいの気迫で臨まなければなりますまい」
「抱えてくれている萌木家への恩を忘れることはあってはなりません。今こそ、萌木に仇をなす者を滅ぼす時かと!」
組織の幹部らが、それぞれ長に進言をしたり皆に呼びかけたりと声をあげていく。組織の面々は、そうだそうだと応じたり、暑苦しいのが嫌いな部類の者は傍観したりと様々であった。だが、思いは一つである。
「奇襲勢力など我々の足元にも及ぶまい! 萌木家への恩を思い出せ、今こそ敵を蹴散らす時ぞ!」
応、と男たちの声が揃う。その様子は、忍び組織というよりも大名家の軍議のようだ。
屋敷内に集められた侍女らの手も借りねばならぬほどの、大きな争いとなった。水を張った桶を、壱は持ち上げる。
そのとき、縁側のほうから歓声が上がった。敵の頭目の首があげられたという。
「忍びも、こうやって戦うんやね」
桶を運びながら、小野はそういった。
「いや、うちの組織は忍びというには少し変わっていてな」
後ろからひょいと顔を覗かせた男に、二人は揃って振り返る。
長だ。装束はところどころ赤黒く固まっていた。
「驚かせる気はない」
にこりと人のいい笑みを浮かべて、長は続ける。
「諜報組織というのは、つねに主君を変え続ける。でも、うちは萌木家から分裂してできた組織だから、萌木家の一つの家臣のようなものだな」
「萌木家、ですか」
萌木家は、ここ統和国を治める幕府の守護大名だ。
そういわれると、組織の幹部らの「萌木家への恩を返すべきだ」とかいう言葉も、忍びよりかは家臣のようだった。
「今回は若君の初陣となる戦いだからな」
若君というのは、現当主の嫡男・萌木信秋のこと。
長は背を向ける。
「勝つために、一つでも目は摘んでおくべきだ」
ーーー
組織に入って、そろそろ一か月である。
かの夜の争いの後から、侍女らにも刀の指南がされるようになった。護身として身につけるのだ。
「最近は下剋上も多いからな。自分で自分の身を守らねば」
この前の敵襲で、誘導してくれた侍女だった。実は本来侍女であるわけではなく、侍女らを守る役として配置されていた忍びのようで、今回は自ら指南役に買って出たらしい。
「壱、なかなか筋がいい。持ち方がなっている」
「ありがとうございます」
横の小野に目を向ける。
「小野は…」
「どうです?」
侍女忍びと壱は顔を見合わせた。
ついで、木刀振るう小野を見る。
まっすぐな筋立ちは、壱の目の前の空気を真っ二つに切り裂いた。
「うわぁ、手にタコできとる」
彼女は、そういって小指の付け根のタコをさすっている。
小野は、刀において、筋がいい。壱は意外な才能だなと思った。
2025/6/12 作成