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ガラスのような貴方 第7話
「福田先生と本間先生、最近よく一緒にいますよね」
一学期の終わりが近づいてきた7月中旬の放課後、職員会議のあと社会の野口先生にそう言われた。
「そうですか?」
「まあ、仲は良いですよね」
福田先生は軽く笑って受け流し、俺は否定はしないけど多くは語らないスタイルを貫く。野口先生はイケメンな顔に不思議そうな表情を浮かべて、とりあえず俺部活の指導行ってきます、と校庭に出て行った。チラリと福田先生の方を見ると、どことなく顔が暗い気がする。
「どうかしましたか?」
「……いえ、何も。私も部活の指導に行かなくてはならないので、失礼します」
「あ、はい。いってらっしゃい」
俺は福田先生にかけられるような言葉が見つからず、少し放心状態で見送った。
「仲良いって言ってましたけど、実は喧嘩とかしてます?」
そんな俺たちの様子を見て、英語の若松先生がそう聞いてくる。
「いや、別に。そもそも、先生同士で喧嘩とかあんましなくないですか?」
「意外とそんなこともないですよ。私も若い頃意見の合わない先生と軽く言い合いする、とかあったし」
「経験の違いがここで表に出ましたね」
若松先生は40代後半の女性教師で、提出物や授業態度に厳しく生徒達にも毅然とした態度で接している。でも授業はわかりやすいと生徒には好評だし、別の先生が作ったテストが難しすぎて平均点が異常に低かった時は次のテストで難易度をしっかり調整していたり、マジでちゃんと仕事ができる先生だ。
「文科省からの基準でこの学習は年何時間で、こんなことをやりなさいっていうのはあるけど、どうやるかは先生の自由みたいなとこありますからね。同じ教科でも、やり方が違えば多少なりとも対立はしますよ」
「俺の場合はありえないやつですね。技術担当なの俺だけだし」
「それはそうかも」
ただ通知表に載る時は「技術家庭科」とまとめられているし、テストも技術50点満点、家庭科50点満点でやるから家庭科の先生との協力は不可欠だ。うちの学校の家庭科の先生は荒川先生という若松先生も年上のベテランな女性の先生で、優しくて授業も面白いので生徒から結構愛されている。
「モヤモヤしてると仕事にも支障出ますし、なんかあったなら早めに解決した方がいいですよ」
「だからなんも無いですって」
「本間先生からしたらそうかもしれないけど、福田先生からしたら大したことだった、ってこともありえなくはないですからね。対話は大事ですよ」
「………はい」
若松先生の言い方はやけに圧があり、言葉にも重みがあった。
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「お疲れ様でーす……」
「こんにちは」
翌日の放課後、俺は自販機で買ったコーヒーを片手に準備室を訪れた。若松先生から言われたことが気にかかったのと、今日は朝の挨拶ぐらいでしか会話してないから話したくて来てみた。福田先生は椅子に座り腕を組んで、何かを考え込んでいる様子だった。
「これ、どうぞ」
「ああ、どうも」
缶のアイスコーヒーを差し出すと、福田先生はその場で蓋を開けて一口だけ飲んだ。
「俺の気のせいだったら別にいいんですけど、なんか今日よそよそしくないですか?」
機嫌が悪そうというか、少し怖い顔をしていたがどうしても気になったので思い切って俺は口を開いた。
「そんなことはないですよ。ただ……」
「ただ?」
俺は少し身を乗り出して聞く。
「ただ……いや、なんでもないです。気のせいですよ」
先生はそう冷たく言うと、黙り込んでしまった。
「いや絶対なんかありますよね」
「いえ、大したことではないんですけど……最近、職員室で色々聞かれるじゃないですか」
しつこく聞くと、福田先生は仕方ねえなといった様子で一度ため息をついてから話し始めた。
「ああ……昨日のことですか。仲良いのは本当ですし、別にいいんじゃないですか?」
「そうかもしれませんが……私は、職場では節度を保って行動したいなと思いまして」
突き放すように言われ、心に少しヒビが入ったような感覚になる。
「…………俺、先生に迷惑かけてましたか?」
平然と言ったつもりだったが、情けないことに声が震える。
「そういう意味ではなくて……」
「じゃあどういう意味ですか?」
はっきり言わない福田先生に少しイライラし、俺は畳み掛けるように聞く。福田先生の口が何かを言おうとして動き、何も言わずに閉じる。
「わかりました。これからは気をつけます」
とにかくこの場にいるのが辛くて、俺はそう言って準備室を出た。
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「かんぱ〜い」
「うえ〜い」
その日の夜、俺の二個下の弟である|拓斗《たくと》が俺の家に遊びに来た。と言っても平日なので二人とも飲んでるのはコーラだ。お互い社会人になり離れて暮らしているが、月に1、2回はこうして会っている。前回は俺が飯を作ったので、今回は拓斗が作る、という感じで交互に夕飯を作ってテレビを見ながら食べるのが時々の楽しみなのである。
「兄ちゃん、今日なんか元気ないね。仕事でミスとかした?」
「別に」
「|恋煩《こいわずら》いか?」
「えっ」
拓斗がそんなことを言い、図星を刺されて驚き拓斗の方を見る。
「当たったっぽいね。こないだLINEで、ちょっといい感じの人がいるって言ってたけどその人となんかあったの?」
「まあ、うん。そんな感じ」
俺は自分がゲイであることを家族にしか言っておらず、一番最初に言ったのが拓斗なのだ。「へえ、いいじゃん」と特に深堀するでも否定するでもなく受け入れてくれて、両親にカミングアウトした時も「兄ちゃんが誰を好きになろうが兄ちゃんと勝手だし、父さんも母さんもそこんとこは受け入れてあげようよ」と言って少し重たくなった空気を和らげてくれた。
「同僚?」
「うーん、職場は同じだけど、年上」
「いくつ?」
俺は少し前に福田先生から聞いた年齢を思い出し、口を開く。
「俺の8個上」
「まあまあ上だね。てことは……俺いま27でしょ、んで兄ちゃん俺の2個上だから29でしょ。でその8個上だから、37?」
「うん」
「なんの教科の先生?どんな人?」
拓斗は飯を食べるのもそこそこに、質問攻めにしてくる。
「理科の先生で、年上っていうのもあって大人っぽい人…かな」
「身長は?」
「俺と同じぐらい。ぱっと見は」
「ほうほう」
どんどん拓斗の顔のニヤニヤが深くなり、まだ食べ終わってないのに箸を置いて話を聞く体勢に入っている。
「とりあえずお前飯食えよ」
「気になるんだもん、兄ちゃんの恋愛。そもそも、好きな人できるの何年ぶりよ?」
「大学の時以来だから、6年ぶりとかそのぐらいじゃない?」
改めて思い返してみると、俺全然恋してなかったんだな。教師は恋する暇がない、っていうのもあるけど。
「で、その先生と何があったか聞かせてもらおうじゃないか」
「いいけど、飯食い終わってからな」
「えー。まあ、早く話聞きたいからさっさと食べるか」
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「ほえー」
「リアクションうっすいなお前」
夕飯を食べ終わり、デザートにアイスを食べながら今日の先生とのやりとりを話した。それだけで済めばよかったのだが、なんでそんなことを言われたのかきっかけに心当たりはないかと言われたので一緒に寿司屋に行ったことや準備室で手を繋いだことなどを話してしまった。超恥ずかしい。
「がつがつ行き過ぎたんじゃない?」
「俺はそんなつもりなかったけどな……」
「でも話聞いてる感じだと、その先生も絶対兄ちゃんのこと好きだよね」
「えっ、そう?」
意外だなと思ってそう返すと、拓斗はおい嘘だろと言いたげな顔をして口を開いた。
「だって、中高生ならまだしも社会人の男ってそもそも同性とのボディータッチあんましないでしょ。しかも好きじゃない人と手繋ぐとかありえないよ。その先生がゲイだったら、兄ちゃんのこと好きなのマジで確定だと思う。断言できるよ俺」
「何を根拠に言ってるんだか」
「その先生、いい人そうじゃん。生徒から人気で、ほかの先生からの信頼も厚くて大人で優しい。兄ちゃんのセクシャリティは世の中的に見たら、特に日本国内で考えたらマイナーなものだし、同じような人とはなかなか出会わないでしょ?そんな中で自分が好きでたまらなくて、自分のことを好いてくれてるかもしれない人と出会えてる。これ、本当に幸せなことだと思う。絶対逃がしたらダメだよ」
今まで見たことないくらいの熱量で、拓斗が語りかけてくる。
「そんな些細なことでその人に壁作っちゃうのは、もったいないよ。いつでもいい、ただ1学期が終わる前にはちゃんと話しな」
「………お前、なんか今日かっこいいな。どうした?」
「別に。兄ちゃんに幸せになって欲しいだけだよ」
言いたいことだけ言ってアイスを頬張る拓斗がやけに愛おしくなり、拓斗がスプーンを置いたところで思いっきり脇をくすぐった。
「いや、何急にw くすぐったいって兄ちゃん!」
「感謝の気持ちを込めたこちょこちょだよ。なんか元気出たわ。ありがとう」
「どういたしまして。だからそれやめて!」
明日、絶対福田先生に話しかけよう。俺はそう決めてその日は眠りについた。