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病んだ心に溺愛を
+meroa+
生きるのがつらい。いっそのこと死んでしまおうか。でも死ぬのは怖い。
こんなことは、きっと誰もが考えたことがあることで、それでも頑張って生きているんだろうなということぐらいは知っている。天宮音羽はベットでスマホをいじりながらこんなことを考えていた。別にいじめられているわけでも、虐待を受けているわけでもない。ただ人間関係や恋愛が上手にできていないだけ。人前ではついかわい子ぶって、いい子のふりをして。ほかのクラスの人にもかわいいって噂をされる所まで頑張ったのに、好きな人には彼女ができて。世の中っておかしくない?一人でぐるぐる考えていると涙が出てきた。泣いたらなんだか眠くなって、次に目を覚ました時には、朝を伝えるスマホのアラームの音が鳴り響いていた。
(あぁもう、なんで二度寝しちゃったかなぁ)
音羽は髪を大急ぎで整えていた。スマホのアラームで起こされた音羽は、暖かい布団の誘惑に見事に負け、気づけば出発15分前になっていた。普段1時間かけてメイクや髪型をきめている音羽にとっては大寝坊といえる。あきらめることも考えたが、好きな人やクラスメイトにかわいくないところなんか見てほしくない。今日に限っていうことを聞かない前髪を無理矢理整え、家を飛び出した。金木犀の香りがふんわりと漂っていた。
「おはよう、天宮。」
この間まではこの声を聴くと舞い上がっていたのに、今では泣きたくなる。振り返れば、想像していた通り、音羽の思い人が立っていた。彼女と並んで。
「おはよ、叶君。香奈ちゃん。」
顔が引きつらないように気を付けながら挨拶をする。この花見香奈という美女が音羽の数少ない友人の一人であり、叶を奪った女である。胸元まで伸びた亜麻色の髪と美しい笑顔、大きく立派に育った胸部が特徴だ。叶はああいう子がタイプだったらしい。一方音羽は腰まで伸ばした黒髪に、かわいらしい顔、控えめな胸部と臀部。叶の好みではない可能性が高い。朝から悲しい気持ちになりながらも廊下を歩いていると、様々な視線を感じた。耳を澄ましてみれば、かわいいだとか彼女にしたいという男子の声が聞こえた。照れるけれど、これくらいならまだいい。困るのは、ぶりっこだとか裏では性格が悪いらしいだとか女子の妬みを含んだ悪口。音羽の友達が少ない理由はここにある。
まだ朝だというのに、音羽の心はすっかり沈んでいた。更に一限目は音羽の大嫌いな英語だった。
気合で授業をやりきり、放課後。音羽が靴箱を開けると手紙が落ちた。可愛らしいハートのシールで封がされている。戸惑ったがとりあえず中身を見てみると、お世辞にもきれいとは言えない字で、放課後空き教室に来てほしいと書いてあった。
(今日はみたいアニメもあるしもう疲れたんだけどなぁ。でも頑張って書いてくれた人に失礼か)
音羽は取り出そうとしたローファーをしまい、空き教室へ向かった。
空き教室の前まで来ると音羽は何だか緊張してきたが一呼吸おいて扉に手を伸ばす。扉をノックして中に入ると人が立っていた。
「私を呼んだのはあなたですか?」
とりあえず尋ねてみた。
「天宮さん!来てくれたんだね。呼んだのは俺だよ」
音羽は顔をみて考える。見たことのある顔な気がする。
「サッカー部の佐々木さん?でしたっけ。私に何か用でしたか?」
「名前知ってるんだ。うれしいな」
「私の知り合い(叶君)がサッカー部なんですよ。」
「叶?仲良いよね」
「まあ、そうですね。」
仲良しというか片思いだとは誰にも言えない。
「あのさ、天宮さんて彼氏いる?」
「いませんが」
(悲しいことに叶君を数少ない友人にとられたからだけど)
「じゃあ俺と付き合ってよ」
音羽はなんとなく告白だろうと感づいていたので、いい感じの言葉を返す。
「ごめんなさい。今は誰ともお付き合いする気はないんです。」
「お試しでもいいよ?」
「いえ、では。」
「は?まだ話終わってないじゃん?」
(しつこい。私の中では終わりなんだけど)
朝から散々だった音羽は段々むかついてきた。
「この後予定(アニメ鑑賞)があるんです。なので帰りますね」
「待ってよ。俺結構女子に人気だし?良くない?」
「ひゃっ」
相手が帰ろうとする音羽の手を握る。話したこともない人間に告白して手を握るという行為は、友達の少ない音羽には衝撃だった。大きな声で叫んでやろうかと思った瞬間、横から伸びてきた大きな手によって、音羽の手は解放された。
「この娘、嫌がってんのわからないんすか?」
「は?お前誰だよ」
「1年の成瀬遥翔。それより早くどっか行ってくれません?この娘怖がってますよ」
「それはおまえにだろ!俺は天宮さんと話あるから終わるまで帰らないけど?」
「彼女いるのに告白して、しかも振られて?嫌がってるのに無理矢理触ってるのを話って先輩は言うんすね。」
「お前何で知ってんだよ!?」
「彼女いるんですか!?」
音羽は完全に話に置いて行かれている気がする。
「あ。いや、いないよ?天宮さんの事が好きだよ」
「へっ?」
「この期に及んでまだ告るんです?彼女と先生呼んであげましょうか?」
「はぁ!?もういいよ!」
最低な男は走っていなくなっていった。
「大丈夫?」
「あ、はい!助けてくださりありがとうございます。」
音羽は、助けてくれたお礼に飛び切りの笑顔で感謝した。すると成瀬は一瞬驚いた表情をした気がしたが、すぐ元に戻る。
「そう。なら良かった。ああいう事よくあるんすか?」
「たまに?あそこまでおかしな人は珍しいですけどね。」
「へー。てかなんで敬語?俺のほうが下じゃないすか?センパイちっさいから同じ学年にも見えますけど」
音羽はどちらかといえば小柄な方だった。それを気にして毎日足をマッサージし、苦手な牛乳を飲んでいるのは音羽の秘密のひとつである。それに対して成瀬は180はありそうな上に、ふわふわでセンター分けの茶髪に甘い顔がついている、もてそうな男だった。
「私は敬語のほうが楽で。別に敬語で話していただかなくて平気ですよ。」
「ありがと。俺敬語とか苦手なんだよね。てか名前は?あまみやって呼ばれてたっけ。」
「はい。2年A組の天宮音羽です。」
「Aってことは頭いいんだー!俺馬鹿だから羨ましい」
成瀬と話していると、下校時刻のチャイムがなった。
「もう帰らなきゃですね。今度お礼をさせてほしいので連絡先交換しませんか?」
当たり前のように言ってみせたが、自分から連絡先を聞くなんてことはもちろん初めてで心臓は破裂しそうだった。でもなんだか成瀬と過ごす時間は、暖かい気がしたから。また会いたかった。
「いーよ、はいこれ。」
スマホが差し出され、音羽の少ない友達覧に成瀬遥翔という名前が追加された。
「では、また会いましょう。成瀬君」
「音羽センパイまたねー」
音羽は軽い夕食(どちらかというとスイーツ)とお風呂をすませ、ぬいぐるみを抱きしめながらベットに座り込んでいた。成瀬に何とメッセージを送ろうか考えながら。
(おやすみなさい、は急すぎる。こんばんは、から?でも…)
10分ほど悩んだ結果、「こんばんは」「今日はありがとうございました。」になった。友達と遊ぶことの少ない音羽は、メッセージのやりとりはなかなかしない。緊張しながら送信ボタンを押した。なんだかそわそわしながらスマホを見つめていると、軽快な着信音が響いた。
「センパイやっほー。」可愛らしいスタンプとともに返信が来た。音羽は昔一目ぼれして買っておいたものの、ほとんど使われていない可愛らしい猫のスタンプを送った。
「センパイは何してる?」 「ぼーっとしてました」 「なにそれw」 「成瀬君は?」
「猫と遊んでた」 「猫ちゃん!どんな子ですか?」 「音羽センパイみたいな綺麗な黒猫ー」
(私みたいな猫?)
「私?」 「うん、てかセンパイ猫好き?」 「はい、とっても」 「うちの子見に来る?」
「いいんですか?みたいです!」 「近いうちにおいでよ?」 「今週末ひま?」 「行きます」
(あれ、気づいたら成瀬君のおうちにお邪魔することになってる。猫につられた。)
音羽が気づいたころにはもう手遅れで、成瀬と会う約束ができていた。ついでに音羽は気づいていないが、失恋してから初めて叶のことを考えずに眠れた夜だった。
あっという間に1週間は過ぎ、土曜日になっていた。お気に入りのワンピースとカーディガンに、低めの2つ結びにした髪。ばっちり決めたメイク。準備は万端であることを確認する。実は今週はずっと今日の服装を考えていた。デートでもないのに気合を入れすぎた格好をするのも微妙だし、私服がださいと思われるのも駄目。音羽の私服であるゴスロリは男受けが悪いらしいし、秋風の中でも肌寒くなく、猫とも触れ合える服装。この条件に大きな襟がついた膝上の黒色ワンピースと、グレージュのニットのカーディガンはぴったりなはず。このワンピースは大きな襟で小顔効果、カーディガンは袖口にフリルがあしらわれていて女の子らしい印象になる。
(今日のビジュは悪くないかな。結構かわいいかも)
こんなことを考えながらブーツをはく。時計に目をやれば結構ギリギリだったので、慌てて家を出た。
成瀬の家は思っていたより近くだったため、10分程バスに揺られていればついた。指定された場所へ行ってみると、お洒落なカフェだった。
(カフェ?でも場所はあってるはず)
勇気を出して可お洒落な扉に手を伸ばす。扉を開いて中に入ると、珈琲の苦い香りとスイーツの甘い香りが広がっている。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
ふわふわの髪をポニーテールにまとめたきれいな店員さんが音羽に話しかけた。音羽はあたりを見渡して成瀬を探す。すると、見覚えのあるふわふわの茶髪が見えた。
「あの人と待ちあわせ…」
「母さん、これ俺の友達だから」
音羽が言い切らないうちに成瀬が後ろから言った。いつの間にか近くに来ていた。
「あら、そうなの?可愛らしいお友達ねぇ。私の自慢の店だから、ぜひゆっくりしていってね」
「成瀬君のお母さんのお店なんですか?素敵です!」
「本当?私昔からカフェを開くのが夢で、数年前この街に越してきたの。ほら、この街って海も近くて素敵でしょう?」
「いい街ですよね」
「そうそう!他にも…」
「母さん、センパイ、そろそろいい?」
成瀬が間に入った。
「ごめんなさい、つい楽しくなっちゃった。最後にお名前だけ教えてくれる?」
「天宮音羽です」
「名前まで可愛い子ね。じゃあ遥翔と2人でごゆっくり」
「音羽センパイ、こっちついてきて」
成瀬に引っ張られながらお店の奥に入る。
「ごめん、母さんうるさくて」
「話しやすくて素敵な方でしたね。それに凄く綺麗な方でお母さんだとは驚きました。」
音羽は初対面の人と話すのは苦手だが、さっきは楽しく会話ができた。
「いや、うざかったでしょ。ついた。ここが俺の部屋」
「わぁ!おしゃれですね。あ!猫ちゃん!」
黒猫が大きなベットに可愛らしい寝顔で丸くなっているのが見えた。音羽は起こしてしまわないよう小声で話す。
「お名前、なんていうんですか」
「おと。センパイに名前も似てんの。てか、何で声ちっさくなったの?」
「起こしちゃいけないと思って」
「一日中寝てるだけだから、ちょっとくらい起こしてもへーきだよ」
そう言って成瀬はベットに近寄り、猫を撫でながら話しかけた。
「おと。センパイ来てるからちょっとだけ起きて」
すると、閉じていた目が少しずつ開き、大きなあくびをしてから音羽を見つめた。音羽はきれいな蒼の瞳をじっと見つめながら成瀬にたずねる。
「触ってもいいですか?」
「いーよ。頭撫でたげるとよろこぶと思う」
言われた通り頭にそーっと手を伸ばし、優しく丁寧に撫でてみる。すると、おとは気持ちよさそうに目を閉じてすり寄ってきた。
「かわいい」
思わず声をもらす。
「うん。センパイに似てるって言ったじゃん。」
「名前しか似てないです」
「綺麗な黒い毛とー、かわいい顔とー、すぐなつくとこ。似てる」
「私がすぐ懐くってどういう意味ですか」
ちょろい女といわれているのではないかと思い、むっとしながら聞く。
「俺ちょっと助けただけなのに、男の家にすぐ上がってるとことか?」
「なっ!?私は猫に会いに来ただけです!」
少し慌てながら答える。
「でも、もし俺が悪ーい男だったらこうなっちゃうよ?」
音羽の体が浮いた。混乱しつつも頭を回して状況を確認すると、ひょいと持ち上げられ、ベットに押し倒されていた。
「わっ?///」
音羽は全身が心臓になったみたいだった。顔や耳はきっと林檎のように真っ赤だろう。逃げようとするが細い手首は抑えられ、目の前には整った顔がある。
「あはは、センパイ顔真っ赤。かわい」
音羽の頭はパンク寸前。何も考えられない。
(???)
「てか軽すぎ。ちゃんと飯食ってる?」
「?た、食べてマス…ケーキとかサラダとか…?」
小さな声で言う。緊張しすぎてちゃんと喋れない。それに音羽はそれなりに力がある方だと思っていたのに、押さえつける成瀬の手はびくともしなかった。
「ぁ、あの!離してください…こんな近くにいられると恥ずかしいです…」
「照れてるんだ。かわいー」
「もう、からかわないでください」
「別にからかってるわけじゃ…いたっ!?」
急に成瀬の顔面に黒い何かが蹴りを入れた。よく見るとそれは黒猫だった。
「おとさん!助けてくださったんですね」
拘束が緩まったすきに慌てて逃げ出した音羽はベットの端に座りこむ。
「いや、いつもは寝てるだけなのに、急に飼い主蹴るとかおかしーでしょ」
成瀬は赤くはれた頬を抑えながら言う。なんだか不貞腐れたような顔をしている気がした。一方黒猫は誇らしげに音羽を見ながら座っていた。
「おとは飼い主より、会ったばっかのセンパイの味方するんだー。ひどーい」
「ありがとうございます。おとさん。あ!」
音羽は何かを思い出したように鞄を開いた。少しして出てきたのは、黒いフリルのついた首輪。小さな鍵のチャームが揺れている。
「なにそれ」
「おとさんにあげようと思って。先程のお礼です。私が作ったんですよ」
「ほら、私のネックレスとチャームがおんなじでしょう?」
音羽は誇らしげに見せる。
「すご!これ手作りなの!」
「はい。猫ちゃんを飼っているって聞いていいかなって。そんなに褒められると恥ずかしいです」
「おとー。センパイとおそろいだって。いいなー」
成瀬が首に首輪をつけてやると嬉しそうに鳴いた。
「首輪とおそろいとか、センパイやっぱり猫じゃん」
「ならこのパーツ余ってますし、成瀬君にも作りますよ。これで成瀬君も猫ちゃんです」
「いいの?じゃあーこないだ助けたお礼はこの二つってことで」
「えぇ?こんなものでいいんですか?」
「音羽センパイの手作りでお揃いとかサイコーだよ?」
「別にこんなの誰でもできますよ。まぁ成瀬君がこれでいいならこれにしますが。」
音羽がそう言うと、急に着信音が鳴った。スマホの画面を見てみれば母からだった。
「私そろそろ帰らないといけないみたいです。今日はありがとうございました。」
「もう帰っちゃうの?送ってくよ」
「いいんですか?」
「まだ5時とはいえ暗いからね。センパイひとりじゃ危ないよ」
音羽は成瀬の言葉に甘え、近くまで送ってもらうことになった。
夕暮れ時の茜色に染まった道を2人でゆっくり歩く。
「ねえセンパイ?」
「何ですか?」
「もし昔にも俺達会ったことあるって言ったらどーする?」
急なことを言われた音羽は驚いた。成瀬と過ごす時間は暖かいような、懐かしいような気がしていたのは気のせいではなかったのだろうか。
「えぇ!?会ったことあるんですか?」
「もしもの話ー」
「なんだ。そうですねぇ、びっくりすると思います。」
「今みたいに?」
笑いながら聞かれる。
「またからかっているんでしょう?やめてください」
「だってセンパイ、優等生とか言われてるから堅い人なのかと思ったら、表情とかころころ変わってかわいい人なんだもん」
「またそうやってからかって。ひどいです」
「全部ほんとだってー」
「もう知りません。あ、そこのバス停まででいいですよ」
「ごめんごめん、そこまででいーの?」
「結構近くなので。では、また」
「うん、またきてよ。おとも喜ぶしさ」
「いいんですか?なら、また来ますね」
「うん、またね」
音羽は手を振りながらバスに乗る。バスからは茜色の町が見えた。なんだか切ない気持ちになるから夕暮れ時は苦手だったが、今日は嫌いじゃないと思った。
(今日は色々あったなぁ。そういえば叶君以外の男の子とちゃんと遊ぶの初めてかも)
音羽はぼんやりと窓の外を見ながら、そんなことを考えていた。そして今日のことを思い返す。
(成瀬君、距離近かったなぁ。普通の人はあんなもんなのかな?)
思い出しただけでもどきどきする一日だった。
(心臓うるさいな。)
気を紛らわせるためにスマホを開く。イヤホンをつけて曲を再生すると、甘酸っぱい恋愛ソングが再生された。音羽はなぜか、「一瞬でもときめいたのならそれは恋」という歌詞にどきっとした。今日成瀬に押し倒されたとき、心臓は周りにも聞こえるんじゃないかと思うくらいにうるさかった。
(私が成瀬君を好き…?そんな訳ないよ。叶君とも似てないし)
(でも、成瀬君と一緒にいると温かい。もしかして私、成瀬君のことが…)
考えていると、音羽の家の近所のバス停についていた。
「すみません、おりますっ!」
前に立っている人に通してもらい、慌ててバスを降りた。辺りはすっかり暗くなっている。風が少し冷たかった。
鍵を取り出し家に入る。
「ただいま」
「おかえりなさい、音羽。あら?具合悪いの?」
「悪くないけど、なんで?」
「何だか顔が赤い気がしたの。元気ならいいのだけど」
バスで成瀬のことを考えていたからだろうか。音羽はなんだか恥ずかしくなって自分の部屋に逃げ込んだ。
成瀬遥翔は、中学時代ヤンキーだった。理由は喧嘩がかっこいいと思っていたためである。
今日も公園で他校の生徒と戦っていた。近所では有名なくらいには強かったが、少しよそ見をした瞬間、蹴りを入れられ見事に飛ばされた。意識がはっきりしない中、声が聞こえた。
「おまわりさんっ!こっちです!」
かわいらしい声だった。
「げっ!?成瀬ー!また今度続きな!」
喧嘩の相手は走り去っていった。だが、足音がした。こっちに誰かが近づいてきている。
「けーさつ?ただの喧嘩だからだいじょぶ…」
目を開きながら答える。よく見ると、近寄ってきているのは警察ではなかった。
「大丈夫ですか?」
制服を着ている。近所の高校の女子学生のようだ。
「あれ、けーさつは?」
「あれは喧嘩相手の方を追い払うための噓です。」
「呼んでないの?よかったー」
「そんなことより、大丈夫ですか?頭、血でてますよ」
「まじ?」
頭を触る。すると確かにべっとりとした何かがついている。手を見ると真っ赤に染まっていた。袖でぬぐおうとすると、レースのあしらわれたハンカチが差し出された。
「よかったら使ってください」
「こんな高そうなの悪いよ」
「いいんです。使ってください。制服が血まみれになるのはだめですから」
「ありがと」
血をぬぐうと、ハンカチはあっという間に真っ赤になってしまった。
「ごめん、弁償する」
「大丈夫ですよ、それあげます。あとほっぺは絆創膏貼っちゃいますね」
鞄からポーチを取り出し、その中の絆創膏をみせて言う。
「あ、いや大丈夫…」
「遠慮しないでください。はいっ、はれました」
断ったのはかわいらしい紫色に、うさぎの描かれた絆創膏だったからだったが、はられてしまったものをはがすわけにもいかないのであきらめた。
「あ、私そろそろ塾なので行きますね。帰れますか?」
「帰れる」
「では、お大事に!あと、喧嘩はほどほどになさってくださいね。自分から傷つくなんて悲しいじゃないですか」
女子高生はそう言うと、慌ただしそうにいってしまった。成瀬は名前を聞き忘れたことに気づき後を追おうとしたが、姿は見えなくなっていた上に頭が痛むのでやめた。ふと、手元にあるハンカチに目をやると、「otoha」という刺繡があった。
「おとは…か。また会えるかな。また会ったときに俺が喧嘩してたら怒るかな」
あんなにやさしくされたのは久しぶりだった。その日から成瀬は喧嘩をやめた。
喧嘩をやめてから約半年後、高校の入学式でスピーチをする音羽をみたときは運命だと思った。
その後も気づけば音羽を目で追っていた。しかし、ずっと見ていたからこそ気づいてしまった。音羽の視線の先にいる人のことを。音羽が榎本叶のことを好いているのに気が付いていたのは成瀬だけだった。なぜなら、音羽が可愛くて優秀という噂と、誰かが告白して玉砕している噂はよく耳にするが、思い人がいるという噂は聞いたことがなかったからだ。
だから、夏休み前、榎本叶に彼女ができたと聞いたときは大いに喜んだ。
だが、失恋しているからと言って自分にチャンスが回ってくるわけではなかった。成瀬は、廊下で他の女子に押し付けられた重い荷物を運んでいる音羽を見かけたとき、勇気を出して声をかけた。覚えてくれていて、笑いかけてくれるんじゃないかと期待もした。しかし音羽から帰ってきたのはうれしいい内容ではなかった。
「ありがとうございます。でも知らない方に迷惑をかけるのも申し訳ないので、大丈夫ですよ」
”知らない方”という言葉は成瀬の心を深くえぐった。音羽は自分のことなど微塵も覚えていなかった。それからはなかなか話しかけることは出来ず、気づけば夏休みも終わっていた。
成瀬に再びチャンスが訪れたのは、とある秋の放課後だった。暇で学校をぶらついていた成瀬は、空き教室に誰かがいるのを見つけた。覗いてみると音羽がいた。なにやら男に絡まれているようだ。(助けたら、俺のこと思い出してくれねーかな)
不純な動機で助けることになった。しかし突然間に入るわけにもいかないし、話し合いの相手の男は女にもてるが女癖や性格が悪いので有名な先輩だ。変に絡まれたり音羽の迷惑になるようなことはしたくない。どうしようかと考えていると、教室から短い悲鳴が聞こえた。成瀬ははじかれたように顔を上げ、様子を見る。音羽の手がつかまれているのを見た瞬間、体が勝手に動いた。そして、初対面の振りをして助けた。きっと音羽にとっては初対面ということになっていると思うから。お礼を言われた時の笑顔には死んでしまいそうなくらいどきどきしたし、連絡先を獲得できたことについては家でも友達欄に乗っている名前を見てははしゃぐくらい嬉しかった。
家に誘ったときは、内心はどきどきで鼓動が音羽にも聞こえているのではないかと思うほどだった。押し倒してしまったときはやりすぎたかと思ったが、音羽のかわいい真っ赤な顔を見て、意識されていることが確認できたからほっとしていた。音羽が帰った後も、飼い猫のおとに音羽のことを語り続けていたりした。しかし、その日から音羽に避けられるようになってしまった。
音羽は自室にこもり、一人で考え込んでいた。
(どうしても意識しちゃって成瀬君を見かけると逃げちゃう…)
(駄目なのはわかってるんだけど、上手に話せる気がしないよ)
大きなため息をつく。成瀬への想いに気づいてしまってからというもの、音羽は成瀬から逃げ続け、もう一週間がたってしまっていた。また一つ大きなため息をつくと、スマホの着信音が響き、画面が輝いた。急いでスマホに手を伸ばし通知を確認すると、成瀬からだった。
「センパイ」「俺のこと嫌いになっちゃった?俺何かしちゃった?」
(私が成瀬君を嫌いなわけないよ)
「そんなことないです!」「じゃあなんで避けんの?」「う」
(好きだからなんて言えない)
「やっぱ、俺のこと嫌になっちゃった?もしそうなら連絡までしてうざいよね」「ごめん」
「そんなことないです!私が成瀬君のことを嫌いなわけありません」
音羽は焦って送ってしまってから後悔した。変な人だと思われてしまっていないか不安になったから。既読はついているのに返信が来ず、余計に不安を搔き立てた。きっとほんの数秒間の間だったはずなのに、何分もたっているように感じた。そんな時、軽快な着信音が響く。音羽の肩と心臓が小さく跳ねた。
「ほんと?」「ほんとですよ」「でも俺のこと避けるじゃん」
(答えられない…言ったら告白だもん。あ、そうだ)
「それはちょっと忙しかったんです」
言い訳をした。だって正直に言ったら告白同然だし、告白なんてする勇気は音羽にない。
「センパイ友達と話してるだけだったじゃん?彼氏?」「そんなわけないじゃないですか!」
「うそだ」「ほんとですよ」
もちろん噓(彼氏は本当にいないが)。忙しくなんてなかったし、もはや暇で暇でしょうがなかった。学校では成瀬から逃げ回り、家ではスマホをいじっていただけ。そのせいで音羽のSNSは今までより投稿頻度が倍になっている。
「じゃあ忙しくてもちょっとくらい暇でしょ」「まあそうですけど…」「じゃあ明日センパイから」
「私から?」「センパイから話しに来てよ」「え」「嫌なの?」「嫌じゃないです」「約束だから」
「わかりましたよ」
しまった、と思った。きっと話している間は、まともに目も合わせられないだろう。変なことも口走ってしまいそうだ。
(私、ちゃんと話せるかなぁ)
休み時間、音羽は一年生の廊下に来ていた。周りの視線が少し痛い。そんな中音羽ははっとした。
(あ。私成瀬君のクラス知らないや)
悩みながら廊下をうろついていると、背の高い誰かにぶつかってしまった。
「っ!すみません!」
急いで見上げる。そこにはすっかり見慣れた整った顔があった。
「音羽センパイ。来てくれた」
成瀬が軽く微笑んでつぶやく。
「えっと、さ、さようなら!」
鳴り止まない心臓が聞こえてしまうかもしれないと思った音羽は、気づけば走り出していた。
(これ無理だ。)
音羽は廊下を全力で駆け抜ける。どこかへ逃げなければ死んでしまうという一心で、近くにある空き教室かけこんだ。壁に寄りかかって息を整える。
「やっぱり好きだよ、成瀬君」
小さな声で呟いた。すると、扉が開く音がした。
「やっと見つけた」
成瀬が立っていた。なんだか余裕そうな表情をしていたが、息が切れているようにも見える。顔もなんだか赤いように見えるが夕焼けで染まっているのだろうか。
「な、成瀬君…なんで…?」
成瀬は廊下を走っていた。さっきまで音羽を追いかけていたはずなのに、気づけば見失ってしまっていた。
(音羽センパイ、どこ行っちゃったんだよ)
「あ、お前音羽センパイ見なかったか?」
友人を見かけて声を掛ける。
「そこの空き教室に急いで走ってくの見たけど、なんかあった?」
「また後で話す。さんきゅ!」
感謝を告げてまた走り出した。空き教室に近づくと、音羽の小さなつぶやきが聞こえた。
「やっぱり好きだよ、成瀬君」
聞こえた瞬間、成瀬の心臓は何かに撃ち抜かれたかのように大きく鳴った。鼓動がどんどん加速していく。一呼吸おいてから扉を開けた。すると、頬を茜色に染めた音羽が驚いたような、悲しそうな顔
をして立っていた。
「な、成瀬君…なんで…?」
「見ーつけた。」
もう逃げられないように、でも痛くないように優しく音羽の手を握る。そして耳元に近づき、たった一言言い放った。
「好きだ」
音羽の心臓は爆発寸前だった。音羽史上最速ではないだろうかとというほどの速度で動き続けている。
(今、好きって言った!?)
頭が全然回らない。きっと真っ赤な顔で固まっている変な奴になっている。
「もし嫌なら全力で振り払って。」
音羽の体が引き寄せられる。成瀬は音羽を優しく、そっと抱きしめていた。
「逃げないってことは喜んでいいの?俺、調子に乗るよ?」
音羽が小さく口を開いた。
「わ、私も、好き、なので、調子に乗っていい、です」
かすかな声だったが、成瀬の耳にはしっかりと届いた。
「やった。」
抱きしめる力がほんの少し強くなる。成瀬の速い鼓動が音羽に伝わる。きっと音羽の心音も伝わっているのだろう。
成瀬は抱きしめている音羽を愛しそうに見つめる。今は真っ赤な耳しか見えないが、顔も真っ赤にかわいらしく染まっているのだろうと想像しときめく。甘い香りも、背中に触れる手の感覚も、何もかもが愛らしく感じる。
「今日から俺の彼女になってくれますか?」
成瀬が問うと、音羽は顔を上げて微笑んだ。
「はい!」
音羽は人生で初めての彼氏ができた。入浴中も、寝る前も今日の出来事が頭から離れない。失恋で悩んでいたころが噓のようだった。これからは、成瀬と幸せな日々を送っていくのだろう。
「成瀬君はいつから私のことを好きになってくれたんですか?」
初デートの日、音羽はなんとなくこんな質問をした。
「それはね…」
成瀬は鞄から大切そうに、レースのハンカチを取り出して話し始めた。
はじめまして、+meroa+と申します。小説を書いてみたくて書いてみました。はじめてなので色々おかしなところがあると思いますが、読んでくださったのならとても嬉しいです。これからも気が向いた時に書いていこうと思っているので、よろしくお願いいたします。