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白色
人間って、色みたいだ。
赤や青や黄。色の三原色は、強くて独自性を持つ。だが自我が強すぎると、黒く淀んでしまう。
緑や橙や紫。三原色を混ぜた色は、どこか誰かと似ている。
わたしは、誰かに何かをされると一瞬でそのことに染まってしまう、弱い白だ。
--- * ---
その出来事は、当時のわたしにとって、あまりにも残酷で早すぎた。
母は画家だった。鮮やかな色使いで人々を魅了していた。地元でちょっとした個展を開いていた。一大人気というわけでなくても、一部の人だけにでも認めてもらえるような絵を描いていた。
「みんなに受けるなんてできないから、一部の人にとっても認めてもらえたらいいの」
それが母の口癖だった。いつもにこやかな表情で絵を描いていた。生き生きとした自然の絵、太陽の光が溢れる絵、暗くて儚い深海の絵。わたしは母のそんな絵が大好きだった。
母は絵の具をたくさん持っているわけではなかった。赤、青、黄。母はそれだけしか持っておらず、その3色を白いパレットにたっぷりと出していた。他の色を入れるスペースにも、構わず赤や青や黄を入れていた。
「だって、決まった感じじゃ面白くないでしょ」
「その時々の偶然を大切にしたいの」
「人との出会いと別れだって、決まりきったものじゃないでしょ」
本当にそうだった。
別れは決まりきったものじゃない。
母はいつの間にか消えていた。
最後のキャンバスには、綺麗で鮮やかな、白い花が描かれていた。
そばには、白い便箋に黒い字で書かれていた。
『これはトルコキキョウです』
間違いなく母の字だった。それが遺言代わりだった。
---
母が失踪してから10年だった。
当時のわたしは3歳で、難しいことは理解し難い年齢だった。それでも母の絵は、メッセージ性がわからなくても、綺麗だと思っていた。
父は胃癌で亡くなった。それは2年前、11歳のときだった。小学6年生のときだった。
わたしは叔母のところで暮らしていた。基本的には放任主義。わたしは自分の部屋をもらって、学校から帰ったら絵を描いていた。美術部所属だ。
3歳のときとはいえ、あの絵は鮮やかだった。色使いが綺麗だった。ところどころのむらが綺麗だった。母と同じように、わたしも赤と青と黄の絵の具しか買わなかった。それでも、パレットは鮮やかな色合いで埋まっていた。
「|板野《いたの》さんは絵がうまいなぁ」
「ああ、はい」
臙脂色のリボンを着けた彼女は、美術部の先輩だ。|近藤由舞《こんどうゆま》さんだ。4月に出会ったばかりで、あまり良く知らない。出会って数日の部類だ。
「尊敬するな」
「いえ…」
「やっぱり、お母さん?」
「はい…」
ああ、またなのかな。
母に絵の才能があると、わたしが絵がうまいのも、才能のせいになる。別にそれでいいなぁ、とは思ってしまう。
「そんなことないでしょ」
「え?」
「板野さんには才能じゃなくて、努力があるから。才能も確かにあるけど、才能だけでこんなうまくはいかないよ」
「…そうですか」
「お母さん、絵が本当に好きだったんだろうな。イロエって名前も本当にいいと思う」
イロエ。彩絵。わたしの名前だ。
「ありがとうございます」
くるくると、赤色のリボンを弄った。
この人は、向日葵色だ。
わたしは昔から、人に色をつけていた。なぜかは知らなかった。身近にいつも色があったからかもしれない。
向日葵の花言葉は、まっすぐ。鮮やかな黄色を持つ。才能とかにとらわれず、ただまっすぐにわたしを褒めてくれる。近藤さんにぴったりだ。
「本当すごいなぁ」
わたしの拙い絵を、近藤さんは見惚れていた。妬み嫉妬でもなんでもなく、ただ認めていた。
---
「本当さぁ、有り得ないわ」
そう言っていたのは、友人の|最上恵里菜《もがみえりな》だ。
「聞いてくれない?」
恵里菜の彼氏である|佐伯悠斗《さえきゆうと》は、いかにもな奥手な男子だ。恵里菜は大人しくて、大人っぽくて惚れたと言っていた。
「悠斗が」
悠斗が、あたしに全然来てくれないの。
彼女の色はチェリーピンク。いつもどこかに恋煩いを抱えている。
悠斗の色は暗緑色。どこまでも暗くて、くすんでいる。
正直、恵里菜と悠斗は合っていないと思う。わたしが直感でつけたチェリーピンクと暗緑色。大雑把にいうとピンクと緑。その2つは反対色で、混ざるとたちまち濁る。
「そうなんだぁ」
でも、悠斗は確かに素敵かもしれない、とぐらりと傾く。
わたしの色は白。いつも誰かに染まってしまい、おまけにその誰かの個性を薄めてしまう。誰にでも馴染めてしまう代わりに、だ。絶対に暗くもならない、くすみもしない。でも、薄くなる。
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放課後、わたしは部室で絵を描いていた。
「また会ったね」
「あ…」
近藤さんがいた。
「え?」
パレットを覗き込まれる。
「赤と青と黄…色の三原色だけ?」
「はい」
「もっと使ったら?」
「いや…」
え、と声を漏らす。
「珍しい、拘りだ」
「実は、母はこうやって描いていたんです。赤と青と黄だけを使って、その時その時でめぐり合わせを考える。その時々の偶然を大切に、決まりきった関係じゃないようにする。むらがあってもそれだよね、と考える。別々になったらもう二度と同じようにはできない。それが色なんだって」
しどろもどろな説明。
「だから、わたしもそう考えるようにしていたんです。人にはそれぞれ色がある。その色どうしで、反応がある…って」
「へぇ、すごいなぁ」
近藤さんが言った。
今描いているのは、夏の日差しを受けた向日葵。青空と入道雲をバックに、若々しい茎を描く。
「たとえば、なんですが」
「たとえば」
近藤さんが復唱した。名前を出していいのかわからなかった。
「わたしの友人に…名前ってどうなんだろう。まあいいや、最上恵里菜っていう子がいます。彼女、恋愛が大好きなんです。そんな恵里菜につけた色は、チェリーピンク。いつも恋煩いを抱えていて、チェリーってさくらんぼじゃないですか。さくらんぼは、恋についての花言葉が多い。だから、チェリーピンク」
そう言って、ちょんちょんと黄色と赤を混ぜたパレットのスペースに筆先をつけた。
「そして、佐伯悠斗って人がいます。はじめて中学で席が近かった男子なんですね。その人につけた色は、暗緑色。なんとなく緑っぽく広大そうで、でも根暗。暗い」
そう言って、筆先をキャンバスにつけた。じんわりと色がにじんでいった。
「最近、恵里菜と悠斗が付き合った。恵里菜曰く、大人っぽい悠斗に惚れたらしいんです。でも、恵里菜は文句ばっかり言う。わかってたんです、わたし。チェリーピンクと暗緑色って、大体ピンクと緑で反対色。つまり混色すると色が濁って、黒に近づく。実際に混ぜてみるとわかると思います」
そう言いながら、わたしは筆をパレットへ帰した。
「人間関係って、そういうものなんだと思います」
「すごいな、本当に。感受性が豊かというか。色に対する思いとかが尋常じゃない。絵がうまいのも納得」
そう言いながら、近藤さんはまじまじと絵を見た。
「きっと6年生でもこんなことわからないよ」
わたしの通う学校は中高一貫で受験をしなきゃいけない。わたしはなんとか滑り込んだ。6年生は、高校3年生だ。
「ちなみに、わたしの色って何色?何色でもいいから言ってよ。なかったらないで」
「近藤さん?」
「うん」
ちょっとだけ迷ったが、言った。
「近藤さんは、向日葵色。わたしは昔から、親の遺伝とかなんとかで、才能があるから絵がうまいって言われていた。でも近藤さんは、努力してやったんでしょう、才能はちょっとあるけど、関係ないぐらいだって言っていた。向日葵の花言葉であるまっすぐな感じとか、鮮やかな黄色とか」
「へぇ」
ちょうど、今描いているのは向日葵だ。
「ちなみに、板野さんは?」
「わたしは」
喉が詰まった。
「し、ろ」
2文字だけだ。
「白、そう白です」
「そうなんだ。いいよね、白。純白って感じで」
「はい…でもわたしの場合違くて。何色にもなれない、依存して染められる。一緒にいれば、相手の個性が薄まる。そんな自分が嫌で、白にしたんです」
「そうなんだ」
近藤さんはさらりと言っていた。
「でも好きだな、白。なんか、どんなことをしても白色になれないって感じ」
「…そうですか、ね」
さっきみたいなネガティブなことを言っても、近藤さんは自分の白のイメージを貫く。まっすぐ、きっぱり。
やっぱり向日葵色だ。
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「帰ってきたの」
「うん、ただいま」
叔母との会話はぎこちない。一応名前はある。|能勢綾子《のせあやこ》。母より年を取っていて、年齢の重みが感じられる。
叔母は、わたしの母っぽくなろうとしている。親近感を感じさせようとしている。でも、違う。ちょっと違う。
くすんでいる感じとか、似させている感じが、似紫。昔に高価だった紫じゃなくて、それっぽい紫。
わたしの母、|板野美香《いたのみか》の色は、オペラモーヴ。オペラのようなジャンルは違えど、伝えたいことを全力で伝える。柔らかいピンク色。
わたしの父、|板野有生《いたのゆうせい》の色は、桔梗色。真面目で誠実に、わたしを育ててくれた。桔梗の花言葉は誠実、深い青が混じった紫。
「おかえり」
やっぱりちょっと違う。
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自室にこもって、スマホを弄る。ブラウザ保存している色一覧ページを眺める。いろんな色がずらりと並んでいた。
鮮やかな色、くすんだ色。濃い色、薄い色。明るい色、暗い色。いろんな色が並ぶところ。全部絶妙に違っている。いつかはこんな色の面々に巡り会えるとしったら、途端に嬉しくなる。
他にも色々色をつけてみようか。暇だしな。
今、悠斗のほうじゃない隣の席にいる|髙橋友奈《たかはしともな》は、ライムイエロー。落ち着いた、柔らかで薄めの黄色だ。ライムには、あなたを見守る、という意味もある。優しくていつも見守ってくれている感じの友奈にぴったりだ。
後ろの席の|水村玲音《みずむられおん》は、スチールグレー。鉄みたいに無機質で冷たい。個性はすこしあるのだろうけど、まず冷たくてクールな印象が目につく。すこしだけ紫がかった、灰色。
前の席の|雨宮花蓮《あまみやかれん》は、縹色。しっかり信念を持っている。強い青色。青の理由は、雨という字がついているからかもしれない。
白いわたしには、誰でも別にいいかな、となってしまう。そこが嫌だった。せめて、玲音のように灰色でもいいから個性を持ってみたかった。花蓮のように、名前だけから連想でもよかった。板野彩絵。色要素はないにしろ、絵の要素は感じられる。でも、何色と明確にはわからない。
でもこうしてみると、いろんな色があるんだな、と改めて感じた。
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その日も美術部の部室に行くと、見慣れない子がいた。ゴールデウィーク前最後の部活。
「あ、はじめまして…」
意外と高い声だった。
「わたし、|前林小枝《まえばやしさえ》っていいます」
強い黄色は、梔子色だろうか。そんな色のリボンをつけた彼女は、なんとなく控えめな印象だった。三つ編みにメガネといった出で立ちじゃなくても、なんとなくそんな雰囲気が漂っていた。
「あ、前林さん」
前林さんのリボンは、3年生であることを意味するものだ。近藤さんも知っているらしい。
「は、はじめまして」
口ごもりながら言った。
「えーと」
「板野彩絵、板野さん。1年生」
「そうなんだ。はじめまして、板野さん。わたし、3年生なんだけど、始めて入部したんだ」
「え、はじめて」
「今まで帰宅部だったんだけど、暇で」
控えめで落ち着いた感じの彼女。彼女は、そうだ、鶯色。すこしくすんでいる緑ではあるけれど、春の訪れを告げる鶯みたいなきれいな声。
「前林さんとは知り合いなんですか?」
向日葵の手を止めた。
「うん。なんでかとは言わないけど、けっこう図書館にいたんだ」
「え、図書館」
「前まで文芸部だったからね」
「なんで美術部に?」
「絵、描きたくなって。イラストレーターとかでも、自分の気持ち、表現できるかと思ってさ」
向日葵のバックの青空を書くために、青い絵の具をとった。
「でも全然無理だわ、板野さん、やっぱすごい」
「そんな…」
「それ、板野さんの絵?」
「はい」
「すごい。上手」
はにかんだように見せた前林さんは、あっと言った。
「そういえば、板野さんって、もしかして板野美香さんの娘?」
「あ、そうです」
また言われるだろうか。 そっか、遺伝で絵がうまいんだね。納得。
「すごい…すごいな。母の描き方を受け継いでいるんだ」
「え」
「わたしの母、美香さんのファンだったんだ。失踪…っていう言い方はわからないけれど、したんでしょう?母も、作品ちょっとは持ってる」
「そうなんだ」
「うん。言っていたよ、彼女のこと。赤青黄だけであんな色使いで表現できるなんて、本物だ。田舎だからあんまり世界的に有名ではないけれど、都会へ行ったらきっと有名になる。そう言っていた。美術部でこんな子と出会えるなんて、本当に嬉しい」
「…あ、ありがとうございます」
「お母さんはどうなの?」
「3歳のときにいなくなったっきりです。あとを追うように、とは長すぎるけれど、でも父は2年前に胃癌で。今は叔母と暮らしてます」
「そうなんだ。いなくなっても、母はずっと言ってたや。本当にファンだったんだ」
「たぶん、母も喜びます」
そう言いながら、絵の具をキャンバスにのせた。
「そういえば、どんなふうに失踪したの?」
あ、と一瞬だけ息が詰まった。
「確かに、わたしも知らない」
向日葵色の彼女が言う。
「母は」
絵の具をまたつけた。
「母は、3歳の頃いなくなりました。いつの間にか。学校帰りだったと思います。わたし、鍵を持ってたので、おかしいなと思いながら帰りました。もうそのときにはいませんでした。キャンバスには白い花の絵が描かれていて、『これはトルコキキョウです』 そんな便箋が置いてあった、はずです」
「その絵は?」
「その絵も含めて、売っていない母の絵はすべて家に保管してあります。もし画家デビューするとなったら、きっと母の絵もおまけ程度に個展で出されるんでしょうね」
自嘲気味に言う。
トルコキキョウ。花言葉はどうだっただろう。色の名前である花は網羅してあるのに、トルコキキョウは調べていなかった。母がとりわけトルコもキキョウもトルコキキョウにも思い入れがあったとは思えなかった。そういえば、父の色は桔梗色だった。偶然だ。
「そうなんだ。わたし、見たいな。個展。そんなに前林さんの親が絶賛するなら」
自虐ネタにも屈しず、近藤さんは言っていた。
「でも、わたしはトルコキキョウがとりわけ好きでも嫌いでもないです」
「なんで?」
「今まで知らなかった。トルコで育てたキキョウかな、程度だったからです。なんで母がトルコキキョウを選んだのか、今でもわかりません。でも、さいごに選んだのだから、それなりの思い入れとか、そういうのはあるはずなんです」
でも、分かっていないんです。その意味も、母が失踪した意味も。
でも、知らなくていいかもしれない。知ってもいいかもしれないけれど、母のもとへいくときまでには知りたいけれど、なんとなく知りたくないような。そんな気がする。
「…何色?」
「え」
「前林さんは何色だと思う?板野さんの偏見でいいから」
近藤さんが聴いてきた。
「…鶯色」
「うぐいす」
前林さんが復唱した。
「すこしくすんでいる緑なんです。でも、春の訪れを告げる鶯みたいなきれいな声。だから鶯色」
「…鶯色か。声、嬉しいな」
その声も綺麗だった。
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翌日の昼休み、担任の|安野瑛菜《あんのえいな》がたずねてきた。
「|大今《おおいま》中学校の絵コンテストってあるんでしょう」
「あ…はい」
そう言ってみせたけれど、実際はよくわからない。もしも、本当はないのにそんなことを言っていたとしても、頷くはずだ。こういうのが詐欺に騙されやすい。わたしの悪い白だ。
彼女は若緑。薄い緑色だ。どこか一歩引いている。瑛菜の菜という時に引っ張られているのかもしれない。
「あれに応募してみない?」
「…何月なんですか」
「ええと、夏休み前」
4月にそんなことを、もう言うのだろうか。
「夏休み前1週間が締め切りで、発表が9月の上旬。テーマはなんでもいいみたい」
はい、と紙を渡された。『大今中学校絵コンテスト!』という、流行りとかチラシの広告とかに無知な感じの人が作ったみたいな紙。文字をくねらせたり、影をつけたり、虹色にしたり。
「詳しいことはそれに書いてあるから。もしそれにわからないことがあったら、言って」
「…はい」
帰り際に言われた。すこしだけ気持ちが混色された。
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『大今中学校絵コンテスト!』
改めて眺める。わたしの学校、高校も併設されているのにな。でも対象は1年生から3年生、年齢の差とかで不利になるのを防ぐためらしい。
最優秀賞、優秀賞、秀作、佳作、学校長賞。参加は任意で、毎年十数名が参加するらしい。景品は絵の具。有名で、すこしいいメーカー。
絵の具24色セットをもらっても、わたしはその中の8分の1しか使えない。近藤さんや前林さんとかにあげればいいんだろうけれど、黄土色とか使いづらい色を渡すのはしのびない。
「能勢さん」
能勢さんでよかったかな。叔母さん?綾子さん?2年暮らしているのに、よくわからない。
「このコンテスト」
「絵コンテスト?」
チラシを渡す。
「絵」
「…美香」
ああそうか。叔母は母の姉だ。
「どうしたの」
タメ口で良かったのだろうか。
「…どんな絵を描いてるの」
「今は、向日葵の絵」
「向日葵?トルコキキョウのほうが良かったんじゃない」
そう言われると、良かった気がする。思い入れのあるトルコキキョウが良かったかもしれない。
「もう決まってるから…」
「そっか」
呆れられたのか、見捨てられたのか。
「晩御飯は肉とサツマイモを炒めたやつだから」
「うん」
そう言って、叔母のもとをあとにした。
---
美術部のメンバーは4人だ。わたしと、近藤さんと、前林さんと、もうひとり。
|森井佳恵《もりいかえ》は、1人で黙々と描くタイプの子だ。わたしと同じ赤いリボンを胸にしている。色使いは知らないが、すでに線がうまい。ラフの時点で、うまいとわかる。デジタルとかやらせたらすごいだろうな、と思う。
でもわたしは、きっとデジタルは無理だ。決まりきった色。母も絶対やっていなかっただろう。
すごいといいにくい。近寄り難い。
ちなみに、佳恵はドーンピンクだ。灰色がかった、明るめの紫がかった赤。ドーンの意味は夜明け。これから夜が明けるように、彼女の才能も明けていく。珍しく名前の森に左右されない。
「森井さん」
「何ですか」
隣のクラスなのに、同級生なのに、本当にぎこちない。
「あの絵のコンテストってどうします?」
「絵?ああ、応募します。家の絵です。えっと」
「板野です」
「ああ、そう。すみません。板野さんは何を」
「向日葵です」
「向日葵。夏らしくていいですね」
それきり、会話は途絶えた。
美術部のみんなをイメージした絵を、順番に描いていっていいかもしれない。向日葵を褒めてもらえた。向日葵は偶然、近藤さんの色だ。次は前林さんの鶯、次は森井さんの夜明け。
わたしは。
「近藤さん」
「何?」
「今、向日葵を描いているんです。近藤さんの色を」
そう言って、ふっと息を吐く。大体の色はのせたが、陰影や茎を塗らなきゃ。
「ああ、そうだった」
「次は鶯を描こうと思います」
「前林さんの?」
「はい」
そう言って、筆を置いた。今日はここらで休もう。中途半端だとあとが困る。
「次は夜明けを描こうと思います。森井さん、ドーンピンクだと思ったんです。夜明けを意味するピンク」
「美術部のみんなを描く?いいな」
「でも、わたしってどうしたらいいんだろう」
「白?」
「はい」
みんなは、モチーフがある。でも、わたしにはない。
「白…タブラ・ラサ?それとも、200色?」
「200色って…」
「まあ、めぐり合わせっぽくしたらいいかもね。グラデーションみたいに。黄色、緑、ピンクに染まっていくさま」
それもいいかもしれない。
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休み時間、恵里菜がこちらへ来た。
「聞いてよ!悠斗がさぁ」
悠斗が一緒に帰らないかって言ってきたの、意外でしょ?
ああそうだね。嬉しそうだ。恵里菜と悠斗、案外お似合いなのかもしれない。
「へぇ、すごいなぁ…もうお付き合い」
「あ、確かに。まだ4月だもんね」
友奈の言う事も最もだ。
4月の下旬。もう桜はすっかり散っている。
「まぁ、あの子とあの子、わたしはお似合いだとは思うよ」
前の席の花蓮が振り向く。
後ろの席の玲音は、怪訝そうな感じを醸し出していた。女子どうしのつまらない恋バナをうるさいと思っているのかもしれないし、自分が場違いだと思っているのかもしれない。
「それに」
それに、悠斗、勉強も教えてくれるんだよ。だからあたしはコーデとか教えよっかなぁ。
ああ、そうですね、お似合いです。
そういえば、反対色じゃなくて、補色という言い方もできる、と今思いだす。お互い足りない赤青黄の要素を補い合う。チェリーピンクと暗緑色。補色とも言える。そう思うと途端、すごくお似合いに見える。ピンクの桜が終わったあとは、緑色の葉桜が木々を彩る。
赤はエネルギッシュで情熱的。青はクールで冷静。黄は優しくて明るい。そんな偏見まみれの色の決めつけでも、意外と辻褄があってたりする。
「ね」
どうしよう。桜も葉桜がいいかもな。でも、今は向日葵を描こう。近藤さんのために。
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「ただいま」
「おかえり」
叔母に言う。
「能勢さん、」
やっぱり向日葵を描きたいんだけど。トルコキキョウのほうがいい?
その言葉を言うだけ。それだけなのに、息が詰まる。器官に蓋をしたような、そんな感覚。
「わたし、やっぱり向日葵を描こうかなって」
「…そう。いいじゃない、向日葵。ポジティブな感じで、明るくて」
「でも、トルコキキョウのほうがいいかな」
「大丈夫だよ。美香、トルコキキョウにとりわけ思い入れがあったわけでもないし」
叔母が言うならそうなのだろうか。
「なんでトルコキキョウを描いたか、わかるの?」
「…わからない。でも、トルコキキョウの花言葉は」
優美、すがすがしい美しさ、希望、永遠の愛、感謝、良い語らい。
その時、美香は極度のスランプだった。個展に足を運ぶ人も少なくなっていて、育児と衰えで限界だった。個展を開こうにも赤字。働くことも苦手だった、人に指図されるのが無理だった。
絵を描くのは上手なのに、視野は狭かった。どうしようもなくなって、自分のものを殆ど売り払って家を出た。それ以来、わたしも知らない。
叔母の口からは、信じられないことばかりが出てきた。
「彼女は絶対に絵に関係するものを売らなかった」
それでも、その言葉は納得がいった。
「きっと、それは画家としてのプライドだった。そして、娘にそれを引き継いでほしいという思いからだと思う。彼女がいま、どこにいるかわからない」
それでも、
「それでも、彼女はきっと、彩絵のことを愛していた。『永遠の愛』それを伝えるために、トルコキキョウを選んだ」
まあ、後半はわたしの妄想だけど、と一言付け加えて終わった。
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「トルコキキョウの花言葉は、永遠の愛、だそうです」
母が大ファンであるという、前林さんに言った。前林さんは呆然と立ち尽くしていた。
「…そうなんだ」
「全然生臭い理由ですよね。人間臭い。ドラマチックじゃない」
「でも、そういうものだと思うよ。…母に言っても」
「大丈夫です。本当に最後までのファンに、本当を知ってほしいと思いますから」
ゴールデウィークでしばらく言えなかった。口の中の栓がすぽっと取れたような。
「…向日葵、綺麗。トルコキキョウじゃなくてよかったの?」
「大丈夫です」
白いトルコキキョウじゃなくてもいい。
目の前には、もう完成しそうな黄色い向日葵。
「絵のコンテスト、これにしようかな。次は鶯を描くつもりです」
「わたしの?」
「はい。次は森井さんのドーンピンク、夜明け。白は、グラデーションでもしようかな」
奥では、森井さんが描いている。
「白」
「はい、白色」
「白って、白骨化した頭蓋骨の形とも聞いたことがあります」
え、という声を引っ込める。
「気を悪くされたらごめんなさい。…でも、お母様はそれを覚悟していたのじゃないかな。自分が死んでも、って。でも、はっきり、明るいに由来しているのかも。始まり、という意味もあります」
「だから、白が悪いというわけではないと思います。わたしの妄想ですけど」
そう言っていた。
「でも」
いつの間にか、向日葵の声。
「白色って、れっきとした色だよ。色じゃないのは、透明」
「透明…」
透明。
その発想はなかった。
「透明な人は、本当に自分の考えがなくて、透明。でも、板野さんはあるでしょう?それに、白色は色の三原色では、絶対に作れない。でも、光をすべて重ねると、白になる。だから、お母さんはいろんな個性の光を浴びてほしかった。だから、白いトルコキキョウを選んだんじゃないかな」
近藤さんがそういった。
白い部室に、彩りが溢れていた。