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金木犀が香る頃【#2】
久しぶりの金木犀シリーズです〜(*≧∀≦*)
今回は、自分の体験をもとに書いてみました。
では、どうぞ!!
「えっと、どなたですか?」
「…っ」
———心臓がドキッと嫌な音を立てた。
同じ人のはずなのに、こんなにも冷たい声に聞こえるのはなぜだろう。
「やだな、おばあちゃん。
私はあなたの孫。美桜だよ、美桜。」
「み、お…」
それでもなお、警戒心が抜けないその瞳に、ああ、と思う。
ああ、やっぱりおばあちゃんは覚えてないんだな。
目の前に座る人の別人のような振る舞いに、私は言い表せないような寂しさに襲われた。
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私の祖母・かをりが「認知症」と診断されたのは、今年の春、桜が香る心地よい日だった。
12歳、中学1年生の私は、認知症というものに対する不安は全くと言っていいほどなかった。
「どうせ、おばあちゃんは何も変わってないだろう。」そう思っていた。
———問題なのは、その後だった。
「認知症なんて…」と思いながら、いつも通り祖母の家に遊びにきた私は、玄関の引き戸を開けた。
その瞬間、祖母の弱々しい声が聞こえたのだ。
「ねえ、あなた、修二さん、修二さんはどこ?
もう何日も帰ってきてないのよ!」
———-びっくりした。
それもそのはず、祖母の夫、つまり私の祖父・修二は、5年前に肺癌で亡くなっているのだ。
それ以上に、私は、祖母が私のことを「あなた」と呼んだことにショックを受けた。
いつも優しい声で、「美桜ちゃん」と呼んでくれていたのに。
家に帰っても、そのことが頭から離れなかった。
そのくらい、ショックだったのだ。
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「おばあちゃん、今日はいい天気だよ。」
「おばあちゃん、今日はとっても暑いよ。」
「今日ね、八百屋のおじちゃんから夏みかんをもらったんだよ。」
毎日行っても、祖母は私のことを覚えていなかった。
ある日の夕方、祖母の家からの帰り道で、私はもう限界だった。
「うっ…おばあちゃんっ…なんでっ…!」
拭っても拭っても溢れてくる涙に、私は草むらに座り込んだ。
とても、ショックだった。
祖母の、初めて会う人に向けるようなその目。
何回行っても抜けない敬語。警戒しているその声で発せられる、「あなた」。
「なんでっ…なんで私がっ…!」
その時、金木犀みたいな香りがした。
「大丈夫か。」
突然投げかけられたその声。
やっぱり、金木犀だ。
そのふわふわとした匂いに、ますます涙が止まらなくなる。
「俺でよかったら話聞くけど…」
その優しい、低音の甘い声に縋るように、私はぽつぽつと現状を話し始めた。
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「なるほど、それは辛いな…」
「うん…」
お兄さんは、すごく綺麗な顔をしていた。
どこかの学校の制服を着ている。高校生かな?
「昔の、優しかったおばあちゃんに会いたいな…」
無意識のうちに漏れていた声に、意外にもお兄さんは反応した。
「昔の、おばあちゃんに…」
それから彼はサッと姿勢を正し、私に向き直った。
「鈴山美桜さん。それ、桂縁(えん)に任せていだだけませんか?」
「へっ…?」
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お兄さんによれば、桂縁は、お互いに会いたい人を生死関係なく会わせてあげるサービスらしい。
「鈴山さんは、おばあさんに会いたいんですよね。」
「はい。昔の、まだ私のことを覚えていた、優しいおばあちゃんに…
あ、でも、昔のおばあちゃんに会う、なんてことできるんですか?」
「はい、大丈夫ですよ。」
聖人のような微笑みを浮かべたお兄さん。
よっぽど自信があるのだろう。
そして彼は、口を開いた。
「鈴山さん、明日の学校が終わるくらいの時間に、おばあさんの家に来ていただけませんか。」
信じられなかったけれど、おばあちゃんに会いたい私は、とりあえず首を縦に振っていた。
夜。ベットで横になっていた私は、今日のことを考える。
さっきは、あまり気にも留めなかったけれど、なんであの人は私の名前を知っていたのだろう。っていうか、なんで途中から敬語?
疑問符で頭がいっぱいになったが、それも長くは続かず、私はすぐに眠りに落ちた。
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———-トントントン
翌る日の夕方、学校が終わった後で祖母の家に寄っていた私は、バクバクの心臓を抱え、玄関の引き戸を叩いていた。
しばらくして、「はい」と言う声が聞こえる。
昨日の、お兄さんだった。
お兄さんの後に続いて家に入る。
そこには、こちらに背を向けて座っている、祖母の姿があった。
「おばあちゃん…」
私の漏れた声に反応するようにして、祖母はこちらを向き、驚いたような顔をした。
「美桜ちゃん……?」
『美桜ちゃん』。その響きに、聞き覚えがあった。
「え、おばあちゃんなの?」
思わず震えてしまった声。
祖母は笑顔で頷いた。
「美桜ちゃん……!」
1年ぶり、昔のおばあちゃんとの再会だった。
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それから私たちは、空白の時間を埋めるように、たくさん話した。
もう中1になったこと。吹奏楽部に入ったこと。おばあちゃんに忘れられて悲しかったこと。
話しまくって気がつけば、もう空は暗くなっていた。
帰り際、おばあちゃんは私に行った。
「これから先、おばあちゃんは美桜ちゃんのこと忘れちゃうかもしれないけど、それでもおばあちゃん、美桜ちゃんのこと愛してるからね。」
———-おばあちゃん、私のこと愛してくれていたんだ。
ずっと、忘れられて辛かった。嫌われてると思ってた。でも、おばあちゃんは私のことを、ずっと愛してくれていたんだ。
私の頬に、熱いものがこぼれ落ちた。涙だった。
霞む目には、ひらひらと舞い落ちる、桜の花びらが映っていた。
—-fin—-