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Hortus Rosarum 2
スペインにはイスラム時代の建築様式をキリスト教徒が引き継いだ「ムデハル様式」なるものがあるそうなのであの時の薔薇園のままだったらいいなぁって
時代は飛んでレコンキスタ終焉直後から始まります。
あの時から随分と年月が経ったものだ、とアーサーは一人思いを巡らす。
薔薇園に忍び込んでアンダルスに会った記憶もつい最近まで忘れていて、従者が庭に薔薇を植えてはどうかと提案してきたのをきっかけに思い出したのである。
それからあの時に嗅いだ薔薇の薫りを唐突に思い出し、いてもたってもいられなくなって今に至る。アーサーは再びグラナダを訪ねていた。
しかし、何世紀か訪ねていなかったグラナダの街並みからは、イスラームの面影は消え去っていた。
(なぜこんなにモスクが少なくなったんだ?)
こんなに教会が溢れる街だったかと首を傾げながらあの頃の薔薇園へ急ぐ。
仮にも異国の出なので見つかったら何をされるか分からない。日が沈んで薄暗いグラナダの街を走った。
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最早何年ぶりが覚えていないヘネラリーフェは、相変わらず美しい薔薇で溢れていた。
遠い東方を彷彿とさせる白薔薇と赤薔薇の薫りが園内をつつみ込んでいる。
「あれ、こんなに赤薔薇って少なかったか?」
思わず口から出たひと言。
無理もない、おぼろげではあるが記憶のなかで一面赤白、遠目から見たらピンクのようだった薔薇園は、今や真っ白な白薔薇で覆われていた。
足元を見ると誰かが故意に引きちぎったのか、赤薔薇の花びらが落ちている。所々花ごとバッサリ切られているのもあった。
(酷い荒れようだな、、誰がこんな事を?)
最近庭に薔薇を植えることにしたアーサーの目には、とても無残な光景だった。
ふと顔を上げると、ヘネラリーフェを囲うように立てられている壁に、刻まれているイスラーム紋章にかぶせるようにして大きな十字架が掲げられていることに気がつく。
(あんな所に十字架があったか?、、、、おかしい、確かアンダルスはムスリムだったはず)
積み重なる疑問がアーサーの脳内に増えたその時、背後で物音がした。
振り返って咄嗟に近くの薔薇の壁に身を寄せる。
息を殺して物音がした先を目を凝らして見つめると、誰かが此方に背を向けて薔薇の垣根に手を入れていた。
(あいつか?薔薇園の赤薔薇をズタズタにしているのは)
背を向けられていても、アンダルスではないことがわかった。白いカフタンではなく、黒いベルベットが見える。だが、薄暗い月明かりの下で照らされる褐色肌の腕には見覚えがあった。
腕が垣根から引き抜かれる。
確かに赤薔薇だけを引き抜いて、その人物は自身の足元に叩きつける。
あっと声をあげそうになったアーサーをよそに、音を立てて踏みつける。
何回か踏みつけたあと、再び近くの垣根に手を入れる。異様な光景だった。
「アンダルス?」
垣根から顔を出す。
ゆっくりと此方を振り返った人物は、アンダルスであってアンダルスではなかった。
顔はたしかにアンダルスだった。あの日カフタンから覗いた、陽光を吸い込んだ褐色肌。
ほりの深い顔に、好きな方向へ伸びている茶色の髪の毛。
(目の色が、違う、、?)
だが琥珀の瞳の垂れ目は何処へやら、今は深い緑色のつり気味の目がこちらに向けられていた。アンダルスは明るい月明かりの下で見たから琥珀に見えたのかもしれない。そんな予感が頭をよぎったが、無言でこちらを見つめる薔薇園荒らしに再び焦点を当てる。
「誰や、お前」
棘を含んだ響き。
うっすら聞き覚えのある声。
「お前はムスリムか?」
刺々しい視線に目をそらしそうになるが、相手を睨み返す。
黙って相手を観察する。アンダルスにも近寄りがたいオーラがあったが、こんなにあからさまに敵意を向けてこなかった。
しかし長年眠っていた記憶が間違ったとしていても、彼は確かにムスリムだったはず。こんな物言いで、まるで敵であるかのように言わないはず。
では、この目の前の人物は一体?
黙りこくっているアーサーに痺れを切らしたのか、再び言葉が紡がれる。
「、、、お前の顔、暗うてよう見えへんわ。もうちょっとこっち寄ってくれへん?」
相手を吟味するように細められた緑の目。
確かに自分は月を背後に物陰に立っている。
自分より少し背の高い人物より少し優位な状況にある。
「心配せんでええよ、今は薔薇園やからムスリムでも攻撃せぇへんし。」
追って掛けられた言葉に棘はなかった。
一瞬悩んだが、逃げ足には自信があったので光の方へ一歩踏み出す。
「あれ、お前どっかで見たような」
驚きに彼が目を見開く。そういえば彼には名前を教えていなかった。
「、、、、、アーサーだ」
「ふぅん、アーサー言うんや。なんで此処居るん?」
その間にも、彼は再び手にした赤薔薇を無慈悲に握りつぶしていく。
薔薇の棘にもお構いなしに、彼の手から血が滴り落ちる。
何と答えたらいいかわからず相手の手先を睨みつけていると、
「アンダルスに会いに来たんか?」
おかしい。お前は、確かに名前をアンダルスと名乗ったはずだ。
「、、、お前がアンダルスじゃないのか?」
沈黙。
「覚えとったんやな。まぁ、、、、、そうやっ|た《・》、やな。過去形やで」
「は?」
此方を向いていた顔が背けられる。
「あいつはもう居らん。」
まるでなんでもないことのように言い放たれた一言。