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#17.5:参謀たちの夜明け
花火大会、今年は中継で見ました。
淹れたてのコーヒーを一口すすり、和偉は勢いよく立ち上がった。ブラインドを開ける音だけが、静かな室内にこだまする。
「終わった。ついに、終わった…….!」
カフェイン漬けで強制的に働かせていた脳は、もうここまで来ると眠いとは感じていない。ただし、底なしの疲労が付き纏っているが。
「本当にお疲れ様。特別手当は出るはずだけど、長時間解析に当たってもらっちゃって……」
チョコレート色のドアが、ゆっくりと開いた。
そう言いながら優雅に近づいてくるのは、悪く言えば和偉のブラック労動の元凶……司令官、ミナである。
「しょうがないですよ。|あんなの《・・・・》がいるなんて、知りもしませんでしたし。」
頭に浮かぶは、人を模倣した人外。サポーター部隊を壊滅させ、医療スタッフをも襲い、なんとか撃退した、あの少女のような何か。
「そうよね。本当にお疲れ様。」
「あなただって寝てないでしょう。」
「わたしは別に、寝なくても活動できるからいいのよ。」
「そういう問題じゃありませんから。」
和偉は眼鏡を軽く持ち上げると、椅子に座り直した。コンピューターの画面に映し出されているのは、和偉とサポーター解析班が弾き出した、あの月の情報である。
「取れましたよ。大きな大きな、ギルト結晶が。これでようやく、採算が取れるようになりますね。」
「本当によかったわ。結晶がないと、何にも計画が進められないもの。」
頬に手を当てて、ミナは安堵のため息を吐き出す。【A計画】。それは、彼女にとっての悲願だった。彼女が司令官として動く、意味であった。
「そうですね。ですが、計画に大きく関係するものは見つかりましたから、近づいてはいるんじゃないですかね?」
次に画面に映し出されたのは、先ほど話に上がっていた、少女に擬態するものの写真だ。
「こんなに精巧な擬態は見たことがないわ。探知にも引っかからなかったわよね。この子はいったい、いつから……。」
彼女が目にしてきたものは、対ギルティの歴史全てと言える。彼女が最初のリバースであり、設立者であり、ずっと最前線を走る研究者でもあるからだ。
「知能はギルティのそれを逸脱しています。少なくとも、人間と同じくらいには。」
サポーターと会話が通じるのだ。それは本来、叶わなかったはずのことであるのに。
「この子をどうにかしないと、A計画は実現しない。それだけは確かなの。【プラント】が造らないものね。」
「設立したとて、非常に面倒なことになりますからね。」
しばらくの間、2人を沈黙が包んだ。彼女を取り除く方法は検討もつかない。彼女に傷をつけられたわけでもないから、身体成分の解析も不可能だ。つまり、今すぐに対策することはできない。
「名前。あの子に名前をつけましょう。」
ぽん、と手を叩き、ミナがそう呟いた。
「もう付いているみたいですよ。というか、アレが自分で付けたみたいです。」
「そうなの?」
「はい。」
和偉はキーボードで、情報ファイルのタイトルを変える。
「ルーナ。相対したサポーターが、そう伝えてくれましたよ。」
ほうっ、と息を吐いてから、ミナは窓を眺めた。明け方の月は淡く輝き、地平線の彼方へと消えてゆく。
「ルーナ。綺麗な名前ね。」
ゆっくりと目を伏せて、ミナは怪物へと思いを馳せる。
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少女は座り込んで、海の向こうを眺めている。特に昨日と変わりのない、工場も港も美しい夜景を作り出していた。
夜風が少女の髪を撫でて、そのまま空高く吸い込まれるように流れる。そんな、深夜にふさわしいひとときのことだった。
音もなく、港の方から何かが昇った。金色の尾ひれが、同じく金色の球体に付き添っていた。
少女は相も変わらず、腰掛けたままだ。数少ない通行人も、彼女の姿には気づかない。ぽつんと放置された建物、その屋根の上にちょこんと乗っている少女は、食い入るように浮かび上がる様を眺めている。
ある瞬間、それが弾けた。何も知らない人間が見れば花火のようだったが、少女は花火ではないことを知っていた。なぜなら、少女が企てたものなのだから。
「綺麗な姿ですわね。」
ぽつりと呟き、少女は天に吸い込まれていく金の煙を目に焼き付ける。
それは、少女にとって狼煙だった。
それは、少女にとって始まりの終わりに過ぎなかった。
少女は音もなく翼を生やす。少女の背中の皮膚がうねうねと波打って、形を大きく、精巧にしていく。やはり少女に気づくものはどこにもいない。
飛び立つ少女は、跡を濁さなかった。
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「ただいま戻ったッス!」
「戻ったのじゃ!」
その声を聞いて、ミナは伏せていた瞳を開いた。穏やかな声色で2人に話しかける。
「あら2人とも、お疲れ様。それから、おかえりなさい。」
「ようやくひと段落、ってところッスね。あー、疲れた……。」
「お茶にしましょうか。新しいお茶菓子も入ったところよ。」
女性陣から、わあっと歓声が上がる。先ほどまでの疲れた様子が嘘のように、きびきびと準備を始めた。
「4人でお茶会できるのは久しぶりね。」
「わっちが用意するのじゃー!」
「いや、おれはコーヒーが残っているので……」
と、和偉が口を開く。和偉は紅茶よりコーヒーの方が好きだった。カフェインは何もかもを忘れさせてくれるから、だった。
「和偉」
そう言って、ミナは困ったように微笑んだ。ブラックホールのような双眸に吸い寄せられる。業務外での彼女が何が言いたいのか、今日も和偉には分からない。だから、和偉は今日も彼女には逆らえないのだった。
ソーサーとティーカップを持って来たシノが、和偉をじっとりと眺める。
「ミナっちのお誘いじゃ。」
「……今日は紅茶の気分になりましたね。」
目の前の椅子に深く座り、和偉は呟いた。
満足げにシノも笑みを浮かべた。ティーセットがかちゃりとテーブルに置かれる音が聞こえる。きっとすぐに、上品な香を漂わせて、飴色の紅茶が注がれることだろう。
「お茶菓子、持って来ます。」
その道中にまだ開いていない窓を思い切り開ければ、差し込む朝日が汚れひとつないティーカップを照らした。
喋り方が前回の.5話からガラッと変わった(というより、5.5での私の認識ガバガバすぎた)ので、近いうちに修正予定です。気づいたら全く知らない話に変わってる、かも。