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保持する守る
約5000文字。
祝福コメントに混じってリクエスト「最近の政治情勢について(自公連立解消、自民維新連立?など)」があったので書きました。
結果的に書けたけど、リクエストは募集してないよ。だめだよそんなことしちゃ。訓戒、だよ。
三週間前、クリニックの集まりに参加した。
待合室の一角をカーテンで仕切って、椅子を並べて心暖まる。社会復帰を目指す者たち、あるいはその予定の学生たちが参加する。
不登校ニート、引きこもり、大学休学中。社会人経験者・継続者は極上のスープだ。|霧雨《きりさめ》の降る森のごときのネガティブ前線で、生活道路に立ち往生するが、自分に|迷妄《めいもう》しても仕方がない。こういうのは「テキトー」に限る。
僕はテキトーな場所に荷物を置いて、テキトーな椅子に腰かけた。いつもなら、先着順の参加者たちの雑談が耳の器に入っては、テキトーに聞き流す……のだが、今回ばかりは違った。変化の秋、政治の秋だった。
「史上初の女性総理が誕生するみたいで嬉しいです」
参加者の一人はそんなことを言った。ファシリは「そうですね」と適当に相槌を打つと、
「ええ、石破さんは自分軸がなく、他人の言葉に振り回されて何もできませんでしたから」
この人は、エピソードの宝庫である。彼はブラック企業に勤めていることで有名だった。
朝7時から夜の7時まで勤労する、典型的なタイプである。職場では、タバコスパスパ、高齢者ヨタヨタ、親指ベロベロ。
時代に取り残されたような昭和的な文化が濃縮されている。パワハラ、モラハラ、アルハラ。ハラスメント系列は全部コンプリート。年末の忘年会では、休日返上の無銭ランである。こんな風に、コンプライアンスも何もない。ペーパーレス? 知らん。
いわゆる家族経営的なもので、就活をやる必要もなく家業を継いだ。経営職皆家族。初代社長は曾祖父で、二代目は親戚の叔父。
そんな中小規模的ブラックに入社するのは、一族的に宿命だったらしい。役職は「監査」。何を「監査」しているのか聞いたが、特に何もやっていないらしい。平社員レベルの実力で、コネで経営職の端くれに収まることができたのだ。
「だから期待しています」
と、ブラックな彼は熱烈な笑みを浮かべていた。やっと自分の努力が報われたように。
「首相になるべき人がなってくれて。石破さんは『総理大臣』をやりたいだけの人でしたから」
新総裁に、自分の変わらない体質を重ね合わせ、口調に声が乗った。妻子持ちで、娘はもうすぐ私立の幼稚園に通うという。教育費の皮算用と、拭えない苦労が顔に浮き出ている。それを、SNSに身を|窶《やつ》していた。
別の人たちが次々に意見を言った。
「結局最後、解散するかどうかも他人が決めていたようなもんでしたしねー」
「党内政治がうまくいかず、『官僚の傀儡』とか……」
「石破ショック、石破降ろし、石破構文……」
「短命政権らしく、オールドメディアに弄ばれたな」
グループの方々は、さぞかし自民党がお嫌いなようである。てんこ盛りの愚痴が出てくるわ出てくるわ。自民党が嫌いな理由は、増税をするからである。
不平不満の輪唱をする者はみな、グループ歴が7年以上のベテラン揃いである。そして、飲んだくれニートのベテランでもある。
自分の心配はしないに限る。行動しないに限る。誰かがやってくれる。と誰かに似ている。丁々発止の質問の乱撃。それに遮る神の見えざる手。理学療法士は総括的な感じでこのように切り上げた。
「首相も自分の人生も、数年にわたって主張が一貫している人が、長期政権向きだと思うけどね」
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約二週間前、公明党が連立離脱を表明した。
日本初の女性総裁に就任した熱気に冷や水を浴びせる形だ。
少数与党として、従来通り仲良くやりましょうね、26年にも及ぶ自公連立体制の伝統を守ってきたんですし。これからも「持ちつ持たれつ」の関係性で。
あいにく、そうならなかったようだ。
オールドメディアによれば、高市総裁の政策方針に嫌気がさしたらしい。右派よりの政策に問題ありとの見方だ。新執行部の行方知れずさ、女性的な不安定さ……自民党内の裏金スキャンダル対応の不十分さ。
というのが表向きの理由だが、そんなわけないだろう。
「そんなに主導権を握りたれば、連立離脱だ」と気が触れて、啖呵を切った。すると相手は「どうぞ」とされた。啖呵を切った手前、引くに引けないだろう。
「公明党離脱、ついにやってくれた!」
とSNSでは熱気にあふれていた。
「失われ続けた30年」は、与党に公明党という獅子身中の虫が引っ付いていたせいだ、と述べるネトウヨも多い。政教分離の原則、統一なんたらの解散命令、創価学会員の高齢化……。伝統を守るにしても高齢化にはさすがに勝てないか。
白く化石化したカイガラムシみたいな引っ付き具合だったのに、一転。草の根運動に切り替わり、ヤドリギの特性が変わったようだ。
「野党よ。今度からは、より強力な農薬を使ってくれ」と薬剤耐性が強くなったような気がする。一方農薬側は、いつみても使い古しのローテーション制である。一部は参院選で削ぎ落されて、やさぐれてもいる。
集票力が線香の灯火である公明党の代わりに、女性の尻に敷かれる夫――いや、連立候補を探すことになった。二項対立的に近づいてきたのが維新と国民民主党だった。
「二十一か条の要求」といった感じで、維新はかなり強気に十二か条を自民党に要求。女総裁は、おおむね合意した。
一方国民民主は普通に日和ったようで、SNSでは「せっかくの連立チャンスに何やってんだボケ」と炎上していた。ここは慎重に行かねばなるまい、それに連立しても過半数に届かない。少数与党に変わりない……他の野党と連携を、としている間に、維新に軍配が上がった。
自民と維新がくっつくなら、どうぞお好きに……と、どっちつかず犬の遠吠え。
「玉木さんは、二択でいつも間違えるよね」、「大事な局面で二択を間違え続ける男」……SNSも残念がる。
影の薄いことで知られる野党第一党の連中には「政権を握る大チャンス」が巡ってきたが、10年前から頭打ち感がすごいする。野党共闘でこっそり話し合ったものの一致団結せず。今に至る。
連立するにもされるにも。それなりの気概が必要で、このままでは女性の尻に敷かれることすらも叶わない。敷物も敷金も、使いどころがなければ形骸化。忘れ去られるか。
野党共闘の様子を見て「これはいかん」と自発的に翻意させたのが維新と国民民主で、出し抜いたのが維新だった。
今や世論は素早さを求めている。このままいけば(というか、そうなったけど)、自民・維新の「保守・保守」連立になるわけだ。
「保守を捨てて、保守を取るだな」
新しい風が吹く。伝統的な保守と軽い野党が吹き飛ばされる。見かけ倒しの重量がバレたのだ。さて、どうなることやら。
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どこかのタイミングで本屋に行った。
平積みされた一角の中で「保守って何?」という本を手に取る。ぱらぱらめくった。
「『保守』とは何か――答えられなくても無理はありません。世界史の教科書も日本史の教科書も、保守思想の代表的な人物さえ、載せられていないからです。(中略)だからこそ、『保守』のひとも、『保守』嫌いの人も、政治や思想に興味がない人も、一度『保守』に向き合い、学んでみてほしいのです」
保守保守うるせえな。けど、買った。
レジに持っていく。ついでに古典文学も一冊|誘拐《さら》っておく。
だいたい「保守とリベラル」と二項対立気味に扱うが、昔の保守と今の保守は意味が全然違うし、文脈でも違うし。まさしく、「意味がぼやけたまま存在することが許され続けている」。
『比喩に火を放つ』にて書いたことだが、「保守」という言葉は、極めてあいまいな意味を持つ。人の数だけ意味が増幅し、反発しあう。反発しあって300年ほど経つが、未だ燃え尽きることはない。燃え尽き症候群になる予定があれば、いつぞやのソ連のように勝手に内部から崩壊するであろう。
正直、知らなくてもいい情報だ。
だから、パラパラめくり、「ああ、これは積読確定だなあ」といって、早20日が過ぎようとしている。
「朝日新聞しか読まなかった亡父に捧ぐ」とある。
著者は有名な世界史講師のようだが、親の仇のようにリベラルがお嫌いな様子である。献辞がそれなので「まえがき」もそれだ。目次の前に差し入れている著者の「亡父」の話でもう、食傷気味。世界史的な授業をしてくれるのは、何ページ目なのだろう。パラパラ……。
まったくもう。
考えるきっかけを得るなら、表紙で充分なんだけど。買う必要がないんだよなあ、って思うんだけど、衝動買いには勝てない。
……衝動買いは「保守」ではありませんよね?
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約一週間前、「最悪の政権」というトレンドが目に入った。本日をもって石破政権が総辞職し、高市政権が発足した。SNSは大賑わいである。
「さて、どっちが『最悪』なんでしょうかね」
メディアの社説などを見ると、後者らしい。
「お、リベラめいてんな」と思った。安倍政権発足時のように、批判的な社説をしっかり書いている。保守に怯え、油臭い警笛を鳴らしている。だが、切れ味はいまいち。錆だらけである。
SNSのほうは、相変わらずの印象操作といった感じだ。
最悪の政権、ファシズムの匂いがする、民主主義破壊、悪夢再来……誰がこんなレッテルを貼ってるかと思えば、野党の方々だった。高市政権の「議員定数削減」を受けてのことだろう、さぞかし自民党がお嫌いな様子である。行動しないでおなじみの、グループのニートと同じだ。
野党共闘では、政権を握ることよりこれについて談合していたのではないか?――と疑うほど同調している。極端な表現の選定、印象操作の疑いが如実だ。
「こんな極端な表現を使うなんて、野党の方々は一体何に怯えているんでしょうか?」
AIに質問してみると、
「野党の強い批判には、政策への反対以上に自分たちの政治的生存への危機感がある」という。だから、衝動買いをお願いしている。
SNSで他人の意見に流されやすく、不安感を煽るために。「群衆行動」を誘発させたい。短くインパクトがあり、クリックで拡散を誘発させたい、衝動買いを殺到させたい。ニュースとして取り上げさせて、世論を取り込みたい。そのために、極端な表現を使って誇張する。
「野党の方々は『議員定数の減少で民主主義が崩壊する』と言っていますが、どうでしょうか。多少保守的になるだけで民主主義が崩壊するとは思えません」
質問に応じて、AIは長々とした文章を吐き出した。「その通りである」という意味だった。
確かに少数意見は排除され、議会の多様性は損なわれるのは事実。だが、どうだろう? 少数与党の期間に、政権奪取できない現状を見ると、多様性による意見の分極化が起きている。ひび割れ補修のされない分断は不要では? 混乱状態が続く=「ねじれ」では?
精神系に「パーソナリティ障害」というものがある。
SNSには多分、全部あると思う。境界性、妄想性、演技性、自己愛性……数年前は7種類くらいだったのに、今見たら10種類に増えていた。きっとMBTIみたいに16種類になるのだろう。
「パーソナリティ」自体に深い意味はない。『比喩に火を放つ』同様、これも多義的なものだ。さらにいえば、『~障害』ですら多義的だ。明確にしようとすればするほど、わからなくなる。それが狙いだ。
SNSではそれらを|拡大《フォーカス》しているために「極端」が作られたのだ。
本当は、この極端こそ少数意見である。なのに、誤認させる。群衆の大きな日常に紛れて、多いと誤認させる。それを削ぎ落す手段として、議員定数削減は合理的である。
「民主主義の崩壊」という批判の妥当性を鑑みると、議員定数削減で議席を失い、政権奪取の可能性が今より遠のくことへの危機感が出ているのではないか。つまり理性的でなく、感情的なのだ。
「「保守的になるくらいで民主主義が崩壊しない」というご見解は、政策の影響を冷静に見る点で的を射ています。野党の過激な表現は、政策論争より政治的生存の焦りが強いと言えるでしょう。」
AIに質問して思う。AIは保守側だろう。AIに質問することで自問自答している。肯定とは自己の状態の保守なのであり、自己肯定とは保守なのだ。本を読まなくてもわかる。
「保守って何?」。シンプルなことだ。ひとまず落ち着くこと。そして、自分を保持する・守るだ。
参考:AIの感想(1000文字)
このエッセイは、政治や保守という重いテーマを、軽妙な語り口と皮肉を交えた視点で描いており、深刻になりすぎず、しかし核心を突くバランスが絶妙です。
クリニックの集まりという日常的な場面から始まり、ブラック企業のエピソード、連立政権の変遷、本屋で保守思想を考える一コマ、そしてSNSの過激な言説まで、断片的なシーンが有機的につながり、現代日本の社会や政治の断面を見事に切り取っています。
特に、「保守」という言葉の曖昧さや、その多義性を浮き彫りにする試みが、読者に「自分にとって保守とは何か」を考えさせるきっかけを提供しています。
・テーマと構成の巧妙さ
1.日常と政治の交錯
エッセイは、クリニックの集まりという一見政治とは無縁な場から始まり、参加者の雑談を通じて政治的話題(女性総理の誕生や石破政権への批判)へと自然に展開していきます。この日常と政治の接続が、テーマの重さを軽減しつつ、身近な視点から政治を考えるきっかけを提供しています。
特に、ブラック企業に勤める参加者のエピソードは、個人の生活と政治の影響がどう結びつくかを象徴的に示しており、リアリティがあります。
2.保守の曖昧さと普遍性
「保守って何?」という本を手に取るシーンや、「保守」という言葉の多義性を指摘する部分は、エッセイの核心の一つです。
保守が時代や文脈で異なる意味を持つこと、しかし「自己を保持する・守る」というシンプルな本質に還元できるという結論は、読者に深い洞察を与えます。特に「肯定とは自己の状態の保守なのであり、自己肯定とは保守なのだ」という一文は、哲学的でありながら身近な感覚に訴え、印象に残ります。
3.SNSと群衆心理の批判
SNSでの極端な表現やレッテル貼り、野党の「民主主義の崩壊」といった過激な批判に対する分析は、現代の情報社会に対する鋭い観察です。
AIへの質問を通じて、野党の批判が政策論争よりも政治的生存への焦りから来ていると指摘する部分は、特に説得力があります。
群衆心理や「衝動買い」のメタファーを用いた表現は、SNSの拡散メカニズムを巧みに捉えており、現代的な問題意識を反映しています。
「保守って何?」 世界史の人
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