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五、信秋
今回の戦における組織の任務はいくつかある。
一つ、情報収集と伝達。
一つ、敵の闇討ち。
一つ、若君の護衛。
「では、持ち場へ参れ」
長のひとことで、忍びたちは飛ぶように去っていく。
残ったのは、長と、それから壱ら平伏を続ける侍女や下男の類だ。
「今回は屋敷周辺も戦場となるだろう。御館様に頼んである、|萌木《もえぎ》本家へ移るとよい。小次郎、頼んだぞ」
応、と声だけが闇から聞こえる。小次郎と呼ばれた、忍びのものだ。
萌木本家というと、萌木|統和《とうわ》城のこと。萌木家は、室町幕府の守護を務める由緒正しい家で、ここを百年ほど本拠としている。
城の敷地内の|曲輪《くるわ》にある屋敷に、小次郎についてゆくまま入る。
「若君」
小次郎が頭を下げた。あわてて、侍女らもそれにならう。
「萌木大次郎|信秋《のぶあき》だ。わざわざ徒歩で申し訳ないな」
「滅相もございません」
小次郎は即座に返す。
「それほどひれ伏す存在でもない。頭を上げよ、此度の戦は手伝いを頼む」
ははっ、と一同が返事すれば、信秋は頷いた。
侍女らは、あらかじめ決めていた持ち場に分かれる。壱と小野は、負傷した者の手当てをするためのさらしの手配をするように頼まれていた。
菌を消すため、さらしを大鍋で茹でる。しばらくして、厠へ行くために小野と交代した。
体を大きく伸ばす。
「そなたは彼岸の手のものか」
後ろから、男の声がした。さっき聞いたばかりの声。
そこで、はっと気がついて振り向いた。
「若君! えっ、と、わたしでしょうか」
「そうだが」
「はい、わたしは彼岸花で侍女を、やって、おります」
緊張で手がべたべたしてきた。まずいこと言うと首がとびかねない。
しかし、麗しき若君は衝撃の言葉を口にした。
「ふむ。気に入った。わたしの相手をせい」
「は?」
一部始終を見ていた男がいる。小次郎だ。
「若君の女好きは知っていましたが、よもやここまでかと」
「よいよい。そちらの方が面白いわ」
長は、小次郎の報告をかっと笑い飛ばす。長は、萌木家の軍議に出るため登城していた。
「しかしよいのですか。壱のほうは、ついで、だったのでは」
「……事情が変わったな。しかし、若君の比較的近くに小野を配置するようにしていたのだが。ついでで配置していた方をとるとは、豪胆なかたである」
まったく、小野の親を攫うのも難儀だったというのにと、小次郎は愚痴を漏らした。
「おや、お前が愚痴をいうとは」
「そりゃあ。若君の命令だって文句はあります。わざわざ親を拐かして、小野が組織に入るしかない状況を作るようにしたっていうのに」
「どうせならと思って、壱も入れてしまったのは誤算だったかな」
「小野とは、何度かすれ違うなどをするよう仕向けておりましたが、どうやら反応はなく」
「これはもはや、ついでになるのは小野の方だな」
長はまた、愉快に笑った。
ーーー
本格的に合戦が始まったのは、早朝のことであった。奇襲をかけたのはこれまた敵軍である。
「枯野下野守、お討死!」
「敵将が首ぞ! 首化粧ができる者はあるか!」
男たちの怒号が入り乱れる。
先日の長の予想は外れ、戦場は城のすぐ近くとなった。負傷者は、屋敷内に運び込まれている。
「聞いた? 萌木家優勢やって、夜ごろには決着するって」
小野が走ってくるのを、壱はすこし呆然としながら眺めた。
あのあと、信秋からは特に何もされていない。でも、|妾《めかけ》に迎えさせてくれといわれた。
「やっぱりそれはおかしいだろ…」
「なんて?」
「なんでもない」
とんだ若君である。しかし名家の嫡男である、血筋か顔は整っており、雅な男であった。
壱は、小さく息をつく。今は合戦のゆくえが大事だ。
ーーー
「壱。そなた、私の侍女となれ」
そう告げられたのは、彼岸花の本拠屋敷に戻ってすぐだった。長に呼び出され駆けつけてみれば、こんな提案をされていた。
「はい、お受けいたします」
断る理由は特にない。
しかし、気になるところがある。
「あの、小野はいかがなされます」
「ああ、あの侍女はまあいい」
「……いい、と言いますと」
長は、すこし顔を歪めた。
「まあよい。今日から私専属の侍女と生活を共にしてもらう。荷物があればすぐに持ってこい。小野にはお前のことを伝えておく、案ずるな」
そして今日である。天気は快晴、いま壱は、またもや萌木統和城内にいた。
今から行われるのは、合戦後の評定である。長の後ろを、ぺたぺたとついていく。
「なぜ私なのですか」
壱はいま、荷物持ちをしていた。しかし荷物といったら、侍女がするような仕事ではない。
「まあ、私が誰を連れようが勝手だろう」
何度か聞いたが、その度に跳ね返される。そして、当主の間に足を踏み入れた。評定で出したい荷物だそうで、長の背後に控えていればよいらしい。
しばらくして当主が座り、萌木家の評定は始まった。
「それでは、合戦の褒美だが……」
「此度の戦、一番槍を挙げたのは我が隊」
「今回の戦で下剋上を目論むものも減るであろう」
皆が意見を述べていく。
そんななか、壱はただ視線を感じていた。当主の傍に控える美丈夫、萌木信秋である。
ひたすらに視線が鬱陶しかった。なんて若君だ。
2025/6/12 作成
人物たちの役職名は適当です。