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11 - 心中
「わあ、早かったんだね。遅れてごめんね」
華やぐような声とともに、パタパタと走ってきたのは彼女だった。
遅れてごめん、という言葉に反して、彼女の声はどこかすっきりしていた。
「いや、大丈夫だよ。俺が早く来すぎただけ」
そう言いながら、欄干にもたれていた手を、自分の隣に立った彼女の前髪に持っていく。
触れると、さらさらと指の隙間から流れていった。
彼女が笑ったのが分かった。その笑顔が、その無邪気さが好きだった。
———この髪に触れるのも、今日で最後。
辺りは真っ暗だ。夜なのだから、当然だけれど。
川を見下ろした。墨のように黒く、底は見えない。
街灯に照らされて、水面は |煌煌《きらきら》と 星のように|瞬《またた》き、消えていく。
それはまるで、———これからの自分たちみたいだ。
欄干に触れていた手に、何か細いものが掛けられる。
見ると、彼女が俺の手に糸を掛けていた。街灯の光で、紅色だと分かる。
これ、ミシン糸なんだ、と彼女は笑った。強度が高いと聞いたことがある。
「だからね。———千切れることも、|解《ほど》けることもないよ。」
どれだけの時間、そこにいたのだろう。
上弦の月は、とっくに沈んでいた。
ねえ、———もう、いかなくちゃ。
彼女がそう言った。どこまでも澄んだその瞳を見つめて、俺はうなずく。
「ああ。ずっと、一緒にいような」
これまでも。今も。これからも。前世でも、現世でも、来世でも。
紅い糸をつけたまま。
紅い糸を繋いだ手を、握り合う。お互いの温もりが、通じ合う。
欄干に乗り、飛び込んだ。彼女の肩を抱える。
欄干から川まで、それほど距離はない。ドブン、と音がして、視界に水面が映った。
黒いのに、街灯に照らされて チカチカと光っている。
流れる川の音が聞こえる。小さな魚が、さわさわと泳ぐ音が聞こえる。
———自分たちの鼓動を、消し去る音。
彼女が微笑んだ。
川の流れで離れないよう、抱きしめる。彼女の腕も回されたのが、背中の感覚で分かった。
彼女の髪が、流されて俺の頬をくすぐる。
彼女の頬に、そっと|接吻《キス》をした。
目の前がチカチカと紅く点滅してきた。あの糸のように、紅く。
もう、肺の中に空気はないみたいだ。
抱きしめていた彼女の鼓動を感じる。できない息遣いを感じる。
彼女が薄く目を開けた。
「愛しているよ」