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眠れない夜は珈琲を飲もう
ごろん。ベッドの上で寝返りを打つ。豆球がついた仄暗い部屋の中で壁時計を確認する。午前1時2分。毛布に入ってからかれこれ2時間は経った。
限界だ、とベッドを下りる。すると、どうやら僕のぬくもりが消えたことに気づいたらしい。一緒に寝ていた黒猫が目を開けた。ゴロゴロ…と僕を呼ぶように鳴いている。
「ごめん、また戻ってくるから」
笑いながら頭を撫でてやると、満足したように毛布に潜り込んだ。
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リビングに下りて、電気をつける。台所に入って、戸棚からコーヒーサーバーとドリッパーを取り出した。
眠れない夜に最近始めたのが珈琲を淹れること。僕は普段からガンガン珈琲を飲むので耐性がつき、眠れなくなるなんてことはない。珈琲を淹れる。その響きが何となく大人っぽくお洒落で、やってみたら意外と楽しかった。勿論初心者なのでいきなりプロのような難しいことはしない。しかし、おいしく淹れる方法なども調べて試行錯誤している。
ペーパーフィルターを一枚取り、互い違いに折る。ドリッパーにセット。それから計量スプーンできっかり3杯分の粉を入れる。そしてドリッパーの側部を軽くたたき、粉の表面を平らにした。このひと手間で珈琲がぐんと美味しくなる。と勝手に思っている。
沸騰が収まったお湯を粉が湿る程度に注ぐ。そして数十秒蒸らし、粉の中心めがけてお湯を注いだ。ドリッパーを外し、カップに珈琲を注ぐ。洗い物は水に浸けておいて明日の朝に洗うのだ。
良い香りが立ち上る珈琲を、リビングのテーブルに運ぶ。ソファに座って、読みかけの文庫本を開いた。本を読みながら自分で淹れた珈琲を飲む。至福のひと時だ。
「|透馬《とうま》、また眠れないの」
「平気だよ、心配しないで」
リビングのドアから顔を覗かせたのは、同棲中の恋人だ。僕が夜中、こうやって珈琲を淹れていると、どうしてか気づいて下りてくるのだ。
不安げな顔をしていた七奈だったが、僕の手元を見てぱっと表情を変えた。
「え、その本って」
「あぁ、気づいた?七奈が欲しがってた本。きちんと七奈のぶんは別にあるから安心して」
「え、え、|榛名宜《はるなぎ》レフ先生の新作………!!」
七奈は読書家だ。有名な文豪の小説はもちろん、気になった作家はとりあえず一冊読むことにしているらしい。その中でも七奈のお気に入りの作家さんは榛名宜レフ。恋愛から推理系まで何でも書ける器用な作家さんらしい。
「ねぇ、隣で読んでいい?」
「もちろん、そういわれると思って珈琲も淹れておきました」
僕は立ち上がって台所へ向かう。七奈の分のカップを手に取り、リビングへ運ぶ。どーぞ、と七奈の前に珈琲を置くと七奈は陽だまりのような笑みを浮かべた。
「おいしそう!珈琲を飲みながら本を読めるなんて幸せ…!」
「分かる。この時間が過ごせるなら別に不眠症でもいいかなって思うわ」
「それは透馬の体調が心配だから駄目」
七奈が心地の良い笑い声を立てる。それはとても優しくて、可愛らしい笑い声だった。
君は珈琲を飲みながら本を読む時間が幸せだといった。
でも、僕が最高に幸せだと思っているのは珈琲を飲みながら本を読む時間ではない。
君と一緒にいられる時間だ。
この声が聞けるなら、別に不眠症でもいいかなって。
そう思ってるのは、内緒。