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愛憎ドーナッツレズじゃない
ミクル🪽
「楽して好かれる方法」「嫌われない10のポイント」「男は“中身のかわいい女を選ぶ”」
こういうサイトを私が片っ端から読んでいる頃、あの子はずっとTikTokを流し見ていた。
「どっかの国で未成年のTikTok制限するみたいな話出てたよね。あれどうなったんだろ」
「え無理無理、TikTok制限されたら生きてけない」
あたしはやたらとうすピンクのサイトページをにらみ、蟻みたいな字を目でなぞりながら答えた。「中身のかわいい女の子はこういうところが好かれます」前書きはいいから早く中身かわいくする方法教えろよ。
楽だった。あの子の前では笑顔を作らなくていいし、あの子も笑顔を作ろうとしなかった。
弟が8人いる子だった。あの子、弟弟弟弟弟弟弟弟、両親。10人家族で女が2人。何だか恐ろしい。すごく煩そう。うちにも1人妹って名の猿がいて、1人だけでも煩いのに。
あの子はそんな超長女(自分で言ってた)だからか、流石に面倒見良かった。てきぱきしてて謎に飾ったりしなくて(あたしはもうゴテゴテに飾ってたけど)程よく雑なところが良かった。特定のグループに属することもなく、いつもそれなりの人数の中で笑ってる。偶に、本当にごく稀に、そういう恵まれた奴はいる。
嫉妬がなかった筈はない。でもあの子に嫉妬しても暖簾に腕押しで、だってあの子は他人に全く興味がなかったから。嫉妬は相手の気分を害してはじめて成立する。そうじゃなきゃただの醜い心の埃だ。
あの子はシンプルそのものだった。毎日ご飯を食べて制服を着て学校に通って、帰って制服を脱いでご飯を食べて眠って、黙々とその生活を楽しんでいた。そこに家族や友達といった煩い障害物が絡んでも、あの子はそこに大した価値を見出さなかった。
あの子にはそういう、「誰も傷つけないタイプの強靭なメンタル」という授かり物があった。
神様が気紛れに落とす宝石。メンタルは私たちのすべてだから、私はそれが羨ましくてしょうがなかった。
あの子との関係は緩くてぬるくて楽だった。偶々同じドーナツ屋でよく会うということから、女子に特有の「同類」みたいなものを感じとったんだと思う(男子もあるのかもしれないけど)。それは単に好みの話だけじゃなくて、ドーナツを見つめるあの子の虚無っていうか、特に嬉しそうでもなんでもない顔が、モテ指南書を読み終わったときの私の顔に似ていた、みたいな、そういう「同類感」だった。
あの子は来るもの拒まず去るもの追わずだから、私のことも季節風のように受け入れた。来るべきだったから私の元に来て、去るべきときに去るのよね、みたいな雰囲気があの子にはいつもあった。
「あー眠。TikTokってなんか虚無。ドーナツ食べ行かない?」
本当は何をしていたって虚無のくせに、心は動かないくせに、あの子はそう言った。口元には冷めた白湯みたいな笑みが浮かんでいた。
「え、行かないよぉ。一昨日も行ったじゃん」
「それは一昨日の話でしょ?私たちは今生きてるんだよ。そして私は今ドーナツが食べたいの」
「そうだけどぉ」
あの子は刹那主義的なところと、快楽主義的なところがあった。彼女にとっては今、今が大切で、過去のことは自分とは関係ないように振る舞った。それに過去も今も、あの子は取り立てて凄いことや変わったことは何もしていないのだった。
「あーでもやっぱやめとこ、明香と映画行く約束してるから貯金しなきゃ」
あの子がそうやって白湯の笑みの温度をちょっとだけ上げるとき、私の心はちりっと七輪で焼かれた。丸々焦げることはなく、いつまでも生焼けのまま、毎回ちりっとされ続ける。私は生臭い。
そんなに目の前の時間が大切なら、目の前の人を大切にしたって矛盾はないのに。そう思って、でもあの子は他人に興味を持たないのだと思い出す。虚しくなる。
繋がりも愛情も求めなくて済むから楽な関係だった筈なのに、私は確かに繋がりを求めていた。愛情を求めていた。私にもそのぬるま湯を飲ませて、と無意識のうちにねだっていた。
冷めた白湯は嫌だ、あなたのぬるま湯が飲みたいの。
「あーでも、ドーナツ食べたいなぁ」
あの子の唇が濡れている。もうその皮膚色にオールドファッションを触れさせたくて仕方ないらしい。
「うん、あたしも食べたい」
君のぬるま湯を。愛情を。私も唇を濡らしていた。