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3-2 力の名は
結界の内部全体に魔力を走らせる。
これまでは不可能だった、大規模で繊細な魔法。効果の設定を少しでも間違えたら、とたんに効果を失ってしまう。
あの小屋の中の資料は、俺を一段階上に引き上げてくれた。
今まで感覚で使っていた魔法を、理論に落とし込む。
現れるは紅蓮の炎。形はあるが、姿はない。
燃やすのは物ではなく、世界に干渉する力そのもの。
その性質上、炎が消えるまでは魔法を使うことができない。その代わり、ルーカスも罠を張ることはできないし、罠を張っていたとしても燃え尽きる。
結界は――駄目か。固定が強すぎる。
ルーカスの足が止まりかけ、しかしすぐにまた強く踏み込む。
速い。もう炎の性質を理解したか。
炎の幕の向こうから、ルーカスが迫ってくる。
世界への干渉ができなくなることとハッタリを効かせること以外に、この炎にはもう一つ効果がある。
――見えない。が、どこにいるかは分かる。音と空気、そして気配。それは相手も同じだが、詳細な動きは分からない。
ルーカスは右手で剣を引き抜き、両手で握った。握る時の角度はこう。剣は振りかぶらず、最小限の動きで俺を制圧できるように動くはず。
――俺ならどうする? と自分に問いかけた。俺が相手なら真っ先に狙うところ。
相手は俺を殺したいとは思っていない、なら致命的な部位は除外できる。
思考が加速する。炎のゆらめきがゆっくりになって見える。
相手の無力化……動きを封じる……移動できなく――――ああ、分かった。
俺はルーカスの動きを予想し、手を置いた。
「――っ⁉」
ルーカスの体が一瞬傾く。しかしすぐに態勢を立て直し、ルーカスは俺から距離を取った。
素手かつ魔法なしでルーカスに傷を負わせるのは厳しい。邪神に完全勝利しろと言う方がまだ簡単だ。
「なるほど。やっぱり君は、まだ力を隠していたみたいだ」
炎が消え、視界が晴れる。ルーカスは土汚れ一つなく、綺麗なまま。俺も似たようなものだが、形勢の不利を悟った。
今ここで邪術を見せれば、ルーカスとの関係は完全に破綻する。俺は、一番の攻撃手段を縛ったまま戦わなければならない。
ルーカスが消えた。スピードを上げてきたか。
俺は魔力で自分の体に干渉する。
出力上限――解放。
反応速度――最適化。
ルーカスの剣をすんでのところで避け、大きく距離を取る。
足を大きく踏み鳴らし、土を跳ね上げた。
土塊が宙を舞う。視界を塞ぐ――ことだけが目的ではない。
――土だけではすぐに壊れるか。
権限――間髪入れずに二回使うことを意識する。
剣に使われているものと同じ金属――出現。
魔力を走らせ、今できる最高速度で軽く形を作る。太さは剣と同じぐらいで、長さは両手を広げた長さより少し長い。
余った材料を、抹消。
土は――大丈夫、まだ視界を塞いでいる。
手に握った棒の長さを整え、密度が均一になるようにした。
最後に土から作り出したふうに装い、完成。
ルーカスは視界が悪いことなど気にしない。
俺の位置が正確に分かっているように、剣を迷いなく突き出してくる。――「分かっているように」ではない。分かっているのだ。
世界の情報を見ているな。
視界を切り替える。世界の情報を読んで、相手の次の動きを予測する。
ああ、世界が鮮明に見える。
相手の一挙手一投足、意識を集中している場所に至るまで、手に取るように分かる。
揺らぎ。ルーカスが世界に干渉しようとしている。
何の気なしに、揺らぎに魔力をぶつけてみた。
「……へぇ」
揺らぎが消える。
ルーカスが俺を見た。気づかれたな。
だが問題ない。俺が取り得る行動――選択肢をルーカスに認識させ、行動に迷いを生じさせることができればそれで良い。
見せる手札と伏せる手札。さらに存在しない札が手元にあると見せかける。
駆け引きとはそういうものだ。
「……悪い癖だ。少し、遊びすぎてしまった」
ルーカスの声が耳に届いた瞬間、
――空気の圧力が、一段階深みを増した。
「――はっ?」
叩きつけられる選択肢。
剣。情報の改竄。足元の崩壊。拘束。
一つ一つの対処は容易でも、全てを同時に済ませるのは無理だ。魔力で打ち消されるのを警戒しているのか、今回は力をかなり使っている。
干渉力。研究――新しい力。魔力を圧縮して、一つ上の力に昇華する。
「あははっ!」
笑い声が漏れる。
ああ、そういうことか。知識が深化し、理解へ進化する。
俺が今まで使っていたのは、この力の劣化にすぎない。
世界の揺らぎ――全てに補填。安定な状態に戻す。
剣はどうとでもなる。適当に流した。
結界の解除――いや、良い。強度は十分。力の制御はするつもりだが、俺自身ですらも全貌が見えない力、制御を誤ることは十分あり得る。
世界を塗り潰す。再現するは命を殺すための邪術『|滅びろ《アイム》』。
炎の滴が一滴落ちる。狙い撃つはルーカス、ただ一人。
ルーカスは阻止しようと世界に干渉し、競り負けて、驚愕の表情のまま――
――空間が燃えた。
邪気の残量を確認する。残り半分を切っていた。魔力とは比べ物にならないほどの消費速度、燃費の悪さ。
どれだけ力を注いでも一つの抵抗もなく受け入れてくれる。術を発動するという点においては、間違いなく一番の使い勝手。
力を注ぐ先は、何もない空虚な空間。そう錯覚する。
名付けよう。この力の名は――
『虚無』だ。
勉強していました、すみません。
魔力を燃やす炎のアイデアはリクエスト箱からいただきました。随分前のことですが、ありがとうございます。
次回予告。
新たな力に覚醒したノルと、ルーカスの戦いは激化していく。
このままノルが押し切れると思われたが――本気を出していないのは、向こうだって同じだった。
「今度こそ、一撃で削り切る。殺しはしないさ。聞かなきゃならないことがあるからね」
次回、3-3 刹那の攻防