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法廷にてアリアは嘘を愛す。 第二話
あの日の法廷は、異様だった。
誰もが同じ違和感を抱きながら、それを言葉にできずにいた。
完璧だったはずの裁判が、たった一人の女の言葉で崩れ始めた瞬間――
その場にいた全員が、無意識に理解してしまったのだ。
この事件は、まだ終わっていない。
「……以上が、被告人アリアの最終陳述の記録です」
淡々と読み上げる声が、静かな部屋に響く。
東京地方検察庁、特別会議室。
重い扉の向こうで行われているのは、公開されない“再検討”だった。
再検討とは
一度判決の決まった裁判を新たな証拠に基づいて、もう一度やり直すことを
長机を囲む数人の検察官。その中で、一人だけ腕を組んで目を閉じている男がいた。
**久城 玲(くじょう れい)**
まだ三十代前半ながら、“崩れない検察官”と呼ばれている男だ。
彼が担当した事件で、有罪が覆ったことは一度もない。
――今日までは。
「どう思う、久城」
上司の低い声。
玲はゆっくりと目を開けた。
「単純な話です」
短く答える。
「被告人は嘘をついています」
部屋にわずかな安堵が広がる。
誰もがそう結論づけたかった。
だが。
「ただし」
玲は続けた。
「“どの部分が”嘘かは、まだ分からない」
空気が再び張り詰める。
「彼女は『殺していない』と言った。しかし同時に『犯人に見せかけた』とも言っている。つまり――」
「責任能力の回避か、あるいは単なる攪乱だろう」
別の検察官が割って入る。
玲は首を横に振った。
「違います」
その一言に、全員が黙る。
「攪乱なら、もっと雑にやるはずです。あれは……整いすぎている」
「整いすぎている?」
「はい。まるで――」
玲は一瞬だけ言葉を探した。
「“見せたい形”が最初から決まっていたかのようだ」
沈黙。
誰かが小さく舌打ちをした。
「つまり何だ。あの女は、最初からこの展開を狙っていたと?」
「その可能性が高いです」
「動機は?」
「まだ不明です」
「証拠は?」
「ありません」
苛立ちが露骨に広がる。
「話にならん」
上司が机を軽く叩いた。
「我々は証拠で動く。印象や勘じゃない」
「承知しています」
玲は淡々と答えた。
「ですが――あの女は、証拠そのものを“演出している”可能性があります」
その言葉に、初めて全員の表情が変わった。
――証拠を、作る?
「馬鹿な。そんなことが可能なわけ――」
「可能です」
玲は即答した。
「現に、今回の証拠は“出来すぎている”」
凶器、動機、目撃証言。
すべてが一本の線で綺麗につながっていた。
まるで教科書のように。
――だからこそ、不自然だった。
「……久城」
上司が低く言う。
「お前に再調査を任せる」
部屋がざわつく。
「本気ですか? すでに審理は――」
「だからだ」
遮る。
「あの女の発言で、このままでは判決が揺らぐ。ならば潰すしかない、“曖昧さ”を」
玲は静かに頷いた。
「了解しました」
「ただし」
上司は鋭く付け加える。
「あくまで裏だ。公式には動くな」
「ええ」
「そして――」
一瞬の間。
「絶対に見誤るな」
玲はわずかに口元を歪めた。
それは笑みと呼ぶには冷たすぎた。
「見誤りませんよ」
椅子から立ち上がる。
「嘘は、必ずどこかで歪む」
彼はそう言って、部屋を出た。
***
拘置所の面会室。
分厚いガラス越しに、アリアは座っていた。
あの日と同じ、穏やかな笑み。
「はじめまして」
玲が椅子に腰を下ろす。
「検察の久城だ」
アリアは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「あなたが来ると思っていました」
その言葉に、玲の指がわずかに止まる。
「……理由は?」
アリアは楽しそうに笑った。
「だってあなた、“嘘が嫌いでしょう?”」
玲は答えない。
「でも」
アリアは続ける。
「嫌いな人ほど、惹かれるものですよ」
静かな沈黙。
「私は、嘘が好きです」
あの時と同じ言葉。
だが今度は、より近く、より鮮明に響く。
「そしてあなたは――」
アリアはガラス越しに、まっすぐ玲を見た。
「嘘を壊したい人」
玲は、初めてわずかに笑った。
「違うな」
低く、はっきりと。
「嘘を“解く”だけだ」
その瞬間。
アリアの笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「楽しみですね」
――裁判は終わっていない。
ここからが、本当の“審理”だ。