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ロボットと人間
ちなみに、これは作者本人の許可を得て作られたものです。(ほぼ現場のお遊びみたいなもんだったけど)
「——おい、大丈夫かい? 気がついた?」
低くて、だけどどこか心地よくて優しい男の声が、鼓膜を微かに揺らした。
ナツキ・スバルが重い瞼を押し上げると、視界に飛び込んできたのは、見慣れない真っ白な天井だった。
体を起こそうとした瞬間、強烈な立ちくらみが襲い、スバルは思わず「う、ぐ……」と額を押さえてベッドに倒れ込む。
「無理に動いちゃダメだ。まだ血の巡りが悪いみたいだからね」
すぐ側から聞こえた声に驚き、スバルが視線を向けると、そこに立っていた人物の姿に、思わず言葉を失った。
……うわ、超絶美人……っ!
白衣を着たその人は、白雪姫のように真っ白な肌をしていた。
ベリーショートの金髪は毛先にかけて鮮やかな赤色のグラデーションになっていて、いくつかの毛束がクセ毛らしく跳ねている。端正すぎる顔立ちは、まるで精巧に作られた人形のようだ。
しかし、スバルが息を呑んだのは、その美貌だけが理由ではなかった。
「……あれ? 待て、美人だと思ったけど、声は明らかに男……だよな? っていうか、背、高っ!」
ベッドに横たわるスバルを見下ろすその人物は、ゆうに180センチは超えているであろう、モデルのような高身長だった。
さらに、男らしい骨張った手足や低い声とは裏腹に、白衣の下の胸元には、世間一般で言う「巨」の部類に入るであろう、確かな柔らかい膨らみが主張している。
脳内の処理が追いつかず、スバルが目を丸くしてフリーズしていると、その美人は困ったように、けれど愛らしくふふっと微笑んだ。
「驚かせてごめんね。私は旧量産型タイプA。気軽にA先生とでも呼んでくれたら嬉しいよ。こう見えても、私は医療用ロボットなんだ。性別も『両性』という形でデザインされているから、その……少し、不思議な体型をしているかもしれないね」
「ろ、ロボットォ!? いやいや、待て待て、ロボットって……こんなに人間くさいロボットがいてたまるか!」
スバルは思わずベッドから飛び起きそうになりながら、自分の状況を整理しようと頭をフル回転させる。
ルグニカ王国でもなければ、自分のいた元の世界でもない。ここは、どこか不気味で、それでいて奇妙な静けさに満ちた「保健室」という空間だった。
「ロボット、ねぇ……。いや、確かにそう言われりゃ、なんか作り物じみた完璧すぎる美人だけどさ」
スバルは頭をガシガシと掻きむしりながら、ベッドの上で小さくため息をついた。
異世界で魔女教だの魔獣だのと渡り合ってきたスバルだが、まさか今度は現代風の保健室で「Eカップの両性ロボット先生」に看病される羽目になるとは夢にも思わなかった。
「あ、そうだ。俺はナツキ・スバル。しがない高校生……だったはずなんだけど、なんでか今は中学生の制服を着せられてるっぽいんだよな。なぁ先生、ここって一体どこなんだ?」
「スバルくん、だね。良い名前だ」
A先生は嬉しそうに目を細め、手元にあるカルテのようなものにペンを走らせようとした。だが、その手が不自然にピタリと止まる。
「……あれ? ごめんね、スバルくん。今、君の名前をどう綴るんだったか、一瞬分からなくなっちゃって。カタカナ、だったかな?」
「おう、カタカナでスバルだ。……って、先生、大丈夫か? ロボットなのに物忘れとかあるのかよ」
「ふふ、恥ずかしいんだけどね。私はちょっと古いタイプだから……最近、忘れっぽくて。多分、ギガが足りてないんだと思う」
お茶目に首を傾げるA先生だったが、その表情にはどこか自嘲気味な影があった。
スバルはその様子に、微かな違和感を覚える。ロボットが「ギガが足りない」と冗談めかして言う。それ自体はコミカルだが、この保健室の、いや、この学校全体の空気がどうにも冷ややかで、どこか狂っているような気がしてならなかった。
窓の外に目をやると、校庭では体育の授業らしきものが行われているが、聞こえてくるのは「ピッ、ピッ」という機械的な電子音と、ひたすらシャトルランを繰り返す生徒たちの足音だけだ。楽しげな話し声は一切聞こえてこない。
「なぁ、A先生。この学校って、なんかおかしくねぇか? 先生たちも、生徒も、なんかこう……」
「——言っちゃダメだ」
「うおっ!?」
次の瞬間、目の前に影が差したかと思うと、スバルの唇に柔らかく、けれど力強い感触が押し当てられた。
A先生の手だ。182センチの長身から伸ばされた大きな、けれど骨張った男らしい手が、スバルの口元を完全に塞いでいた。
驚いて目を見開くスバルの至近距離に、A先生の端正な顔がある。毛先が赤い金髪が、スバルの頬にカサリと触れた。
「……校長は、いつ会話を聞いているか分からないから。この学校の教師について、何か変だと感じることがあっても、絶対に口に出してはダメだ……」
その声は、先ほどまでの穏やかなものとは一変し、ひどく切迫していた。
A先生の綺麗な瞳が、ほんの一瞬だけ、警告を告げるかのようにパチバチと赤く発光したのを、スバルは間近で確かに目撃した。
スバルの口を塞ぐA先生の指先は、ロボットの体温調節機能のせいか、人間よりも少しだけ高めの熱を持っていた。
至近距離で見つめ合う中、スバルはトクン、と自分の心臓が跳ねるのを感じる。
しばらくして、A先生は「……驚かせてごめんね」と静かに手を引いた。
「大丈夫かよ、先生。目が赤く光ってたぞ。……それに、校長が聞いてるって、マジなのか?」
スバルが声を潜めて尋ねると、A先生はベッドの脇にある丸椅子に腰掛け、力なく微笑んだ。
「私はただの養護教諭だから、難しいことは分からないんだ。でもね、前にも似たようなことがあった気がする。……昔、この学校で問題を起こして、私は一度『初期化』されたらしいんだ。だから、今の私には半年前からの記憶しかない。それより前のことは、何ひとつ……」
寂しげにまつ毛を伏せるA先生の姿は、182センチの巨躯を感じさせないほどに儚げだった。
美人で、優しくて、誰からも人気がある保健室の先生。だけどその実態は、いつ記憶を消されるか分からない、システムの限界に怯える哀れな人形。
スバルは、胸の奥がキリキリと痛むのを自覚した。
これまで数々の絶望を見てきたスバルだからこそ、目の前の美しいロボットが抱える孤独を、どうしても放っておけなかった。
「半年前、ねぇ……。じゃあさ、先生。もし今度また初期化されたら、お前は俺のことも忘れちまうのか?」
「……おそらくね。カルテのデータは残せても、私のシステムが君を『特別な人』だと認識していた記憶は、すべて消えてしまう」
A先生は、自分の胸元にそっと手を当てた。
「おかしいよね。ロボットの私に、特定の個体に対して胸が苦しくなるようなプログラムは組まれていないはずなのに。……スバルくん、私は君を忘れたくないな」
その言葉は、悲痛な告白のようだった。
記憶の容量が足りない。いつ消えるか分からない。そんな絶望的なエラーを前に、スバルはベッドから床に足を下ろし、A先生の正面に立った。
そして、その大きくて骨張った、だけど温かい両手を、自分の両手でぎゅっと力強く握りしめた。
「だったら、心配すんじゃねぇよ!」
「スバルくん……?」
「お前が忘れたって、俺の記憶の容量は有り余ってんだよ! お前が俺の名前を忘れたら、何度だって俺が『ナツキ・スバルだ!』って教えてやる。お前が自分の名前を忘れたら、俺が『お前は最高に綺麗で優しいA先生だ!』って叫んでやるよ!」
スバルは真っ直ぐに、A先生の綺麗な瞳を見つめ返した。
「ロボットのプログラムがなんだよ。消されたら、また一から上書きすりゃいい。お前のギガが足りないなら、俺がお前の分まで全部覚えておいてやるから、安心しろ!」
泥臭くて、けれど圧倒的に前を向くスバルの言葉。
その瞬間、バチバチッ、と保健室の空気に一際大きな電子音が響いた。A先生の瞳が激しく赤色に明滅する。システムが、想定外のエラー——
すなわち、プログラムにない『愛情』というバグを検出した証拠だった。
けれど、A先生はそのエラーを拒絶しなかった。
赤く光る瞳のまま、A先生の目から、一筋の透明な液体が零れ落ちる。ロボットのはずなのに、それはまるで、人間の涙のようだった。
「あぁ……本当に、君は不思議な子だね、スバルくん……」
A先生は、握られていた手をそっと解くと、そのまま長い腕を伸ばしてスバルの小さな体を強く抱きしめた。
白衣の奥にある、豊かな胸の柔らかさと、ロボットが作り出す確かな温もりがスバルを包み込む。
「私のシステムが壊れても、君のこの温かさだけは、回路の底に焼き付けておくよ」
「あぁ、そうしてくれ。……っていうか先生、抱きしめられると、やっぱりその、お前の胸がめちゃくちゃ当たって……色んな意味で心臓に悪いんだけど!」
「ふふ、照れてるスバルくんも可愛いね」
耳元で囁くA先生の声は、もう怯えてなどいなかった。
不気味で異常な淡本中学校の、その片隅にある小さな保健室で。二人は静かに、けれど絶対に消えない約束を交わすように、お互いの体温を確かめ合うのだった。