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2-1 アイス
あの夏から、何度季節が巡ったことだろう。
気づけば私は、二十歳になろうとしていた。
八年という長い間暮らした養護施設を去り、早二年。一人暮らしやバイト、大学生活にもとうに慣れた。
女性恐怖症も、ほぼ回復したと言っても過言ではない。
「紗絢、今日、私の家来ない?」
本屋バイトの同僚、澄田桔梗が言った。
「…なんで?」
暗い性格であまり人と話さない紗絢にも、臆することなく話しかけてくれる桔梗を、紗絢は決して表情にも言葉にも出さないが、少し気に入っている。
「いやぁ、それがさ。田舎の親から大量に野菜もらっちゃって。配ろうにも持って来るの重いし。だったら紗絢に来てもらえば良い!って」
大学生になってから、紗絢は自分の家族について、誰にも話していない。
八年間施設で育ってよく分かった。自分の劣っている部分は、全て親のせいになった。
親が最低だったから、施設で育ったから、生徒だけじゃない。教師にだって同じだ。
その人たちにとって私は、「劣っている生徒」の以前に「親に虐待され施設に入った可哀想な子」なのだ。
「うん、わかった」
今は食べ終わり、桔梗がビニール袋に持って帰る用、と野菜を詰めてくれているところだ。
「いやぁ、ありがとね、来てくれて。おかげで後、2日食べればなくなりそうだよ」
桔梗の家にはいっぱいまで入ったの段ボールが五つもあり、1人では、食べきるのに1週間かかることだろう。
「こちらこそ。夕食代浮いたし」
桔梗は、友達がたくさんいる。それなのに紗絢を誘ったのはきっと、紗絢が貧乏学生ということを知ってなのだろう。
そういう細かな気遣いも、桔梗を気に入っている理由の一つだ。
「あ、アイス食べない?この部屋、クーラーの効き悪いしさ」
桔梗について行き、冷凍庫を覗くと、そこには何時の日か隼人と二人で食べたチューブ型の二本入りアイスがあった。
渡されると、意味もなく蓋を交換し、ソファに座る。
「懐かしい、このアイス」
「だよねー。やっぱ、一緒に食べてくれる人が居ないとハードルが高いしね」
一緒に食べてくれる人、その言葉で隼人を思い出す。
『これからも私とだけアイス食べてくれる?』
答えがなかった問いだとしても、たべたのはどうなのだろう、と少しの罪悪感が襲った。
「うん、だから食べるの十年ぶりとかかも。横に住んでた幼馴染と食べた以来」
「…え?」
ふーん、とでも言いたげだった桔梗は、いきなり声をあげた。
「え?何?」
「いやいや何って。幼馴染と食べた以来10年ぶり!?私と食べてよかったの?絶対再会した幼馴染と食べるやつじゃん!」
まくしたてる桔梗に少し驚く。
「…やっぱそう思う?」
取り敢えず落ち着いて、そう言うようにいつもよりボリュームを下げて問う。
「うん。絶対そうだと思う」
狙い通りボリュームを落として桔梗が言った。
「だよね。私も食べてから気づいた」
そう言い笑うと、「あ"ぁー、良かったぁ"」と、現役女子大生とは思えない、濁音がついた言葉を発する。
「ありがと、心配してくれて」
素直に感情を出してみると、桔梗は少し照れたのか、話をそらした。
「幼馴染の話聞かせてよ。めっちゃ気になるんだけど。同い年?性別は?」
今まで人に隼人の事を話したことはなかったが、桔梗になら良いだろう、と話してみることにした。
「五つ上の男」
「は!?じゃあ、紗絢十歳の時十五!?それで一緒に遊んでくれてたなんて、めっちゃ良い人!幼馴染さん、今の紗絢見てもわかんないかもね」
そう言われ、胸が痛くなる。気づいていないふりをしていたが、十年という年月はあまりにも長い。
隼人が私に気づかなくても、全くおかしくない。その逆も然り。
「…そうだね。気づかないかも」
紗絢の中に少し気まずさが残る。
「…じゃあそろそろ帰るよ。もう遅いし。ありがとう、ご飯も、ご馳走様」
ソファから立ち上がり、端に寄せていたトートバッグを肩にかける。
「こちらこそだよ!また送られてきたときは頼むかも」
「うん、その時は任せとけ」
玄関扉を開くと、桔梗も靴を履いた。
「…なんで?」
思わず理由を聞く。過去に来た時はこんなこと無かった。
「なんでって、お見送りしか無くない?」
夜暗いし危ないじゃん。ボディガード!と笑う。
「…今までそんなことしなかったじゃん」
「いやぁそれがさ、私の彼氏がこの前家まで送ってくれて!超嬉しくてさ!彼氏が居ない紗絢にも下までだけど味わわせてやろうと」
桔梗が言う彼氏、はベンチャー企業の社長で股下が5キロあるらしい。
絶対そんな優良物件いるわけ無い、そう言うが桔梗は話を聞かない。なので、諦めることにした。
「あっそ。私はどんなに夜だろうと一人がいいけど」
「えぇ!?なんで?いっぱい一緒にいれるんだよ?」
「それが嫌なの」
「へぇ、変なの」
「変で結構」
玄関扉を閉めると、紗絢たちがどくのを待っていたらしい社会人の男が居た。
「あ、すみません。邪魔でしたよね」
桔梗が言うと、「いえ」とだけいい、早足で進んでいく。
少し猫背で細身な体型、色白な肌。
私の横を通り過ぎる時、一瞬こちらを見たような気がした。
「…隼人?」