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夜風の葬送
夜は優しいから。優しい月光は、星明りは、私達の夢を見てるから。
三〇四号室と書かれた扉を前に、若い夫婦が立ち竦んでいた。二人は病室に入るわけでもなく、ただそこに呆然と居るだけである。
「……………ねぇ、あなた」
「………わかってるさ………わかってはいたが………」
小さく呟くように、二人は会話をする。時に涙を流しながら。時に、唇を噛み締めながら。
一時間程前、二人は医師に呼び出された。現在癌を患い入院している娘のことについてと言われ、夫婦は、医師から『娘の寿命が残り一月であること』を明かされた。娘は身体が弱く、大規模な手術は身体に負担がかかるためしてこなかった。だからこそ、抗癌剤による長期治療くらいしか、娘を生かす術はなかった。
「先生………娘は………」
母親が重い沈黙を破り、医師に娘の状況を尋ねる。医師は首を静かに左右に振ると、二人を見つめ返した。
「………………申し訳ありません。もう、娘さんの癌は、肺に留まらず、大腸、膵臓にも転移しており、進行もこれ以上食い止められません……」
夫婦は、そのどうしようもない現実を嘆いた。自分たちの娘が、何故、産まれてたったの数年で死を迎えなければならないのか、と。
「………………娘さんの寿命が、残り一月であることを踏まえたうえで、問います………抗癌剤治療を娘さんに続けますか?」
二人は、答えられなかった。
「……どうすればいいんだろうな」
突然、父親がそう溜息混じりに呟いた。扉の向こうに聞こえぬような、小さな声で。
正直、彼自身も、決断せねばいけない時が来ることは、薄々感じていた。それが遅かれ早かれ、同じ決断をせねばならないことを。
神様が私達に与えたシナリオはあまりに残酷で、願ってもいないエンドロールは時期尚早で。けれど、日に日に窶れていく娘を見て、入院した初日の、『絶対に生き延びる』という確固たる意志の薄れていく眼を見て、本当にこれでいいのか分からなくなってきていた。私達の願いが、逆に娘を苦しめているような気がして、何処かお互いにすれ違っている気がして。
「本当に……どうすればいいんでしょうね……」
母親も、ただそう呟く。けれど、その一言に、どれだけの複雑な思いを込めたのかは、自分にもわかった。
だからこそ、何も言えなかった。
次第に暗くなる空は、輝く数多の星を散りばめ始めた。昼間の、余りに眩しい陽光と違い、月の弱々しい光が優しく感じられた。
さらりと吹き付ける夜風が、少し心地よい夜でした。
今作は、『夜明けの唄』と並行して書いているので、よければそちらも読んでいただけるといいかなと思ったり思わないと見せかけて思ったりします。ここからが本番で、これをシリーズ化していきたいと思っております。この二作はあくまで序章で、ここから登場人物やシナリオを増やして、更に深堀りしたストーリー展開を作りたいと思っておりますので、どしどし書いていこうと思う所存です。ここまで読んでいただき、有難うございました。