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19 サクラノキノシタカゲノシタ
「いやー、感心するねー。『|授業《ゲーム》』が終わって一段落。せっかく俺のご厚意で、合間に小休憩を挟んでるってのに、徒競走並みの走りを見せちゃってさ。ありんこの自主的な避難訓練の最中って感じかな。しなくていい努力だよ、まったく。ねぇ?」
零が新しい拠点へ急いでいると、不快な声が不快なノイズとともに流れてきた。一方的に苦言を呈してくる。
「でもさぁ、その避難訓練。校長先生の視座から言わせると、それじゃあだめだよ。ダメダメ。まるで赤点。腑抜けてる。
全然本番想定じゃない。現にやる気の格差が生じてるじゃないか。こういう時、マジメなやつってのは損でしかないね。マジメに避難訓練するやつはすぐに出てきて、不真面目なやつが避難経路から逸れて|寄り道《余計なこと》をする。で、現実、不真面目なやつほど生き残るんだよ。人間っていうのは皮肉でできてるよねぇ。
もっと頑張って逃げてよ。じゃないと、校長先生は怒っちゃうでしょ?
『今回はなんと30分もかかりました。連帯責任です。全校生徒全員ゴミ。生きてる価値なし、死になさい』って」
飽きるような長台詞。見下しの目を想起させる雰囲気。もう数少ない全校生徒に大っぴらに高言するような口調。
これはもはや初めてでない。二度目。正確に数えれば三度目のアナウンス……
「なあ、暇だろう? 鳴り物入りで入ってきた一人の不真面目な者のせいで。暇で暇で、暇で暇でたまらないという顔をしているね。こんなとき、優等生はイラついていると相場は決まってるもんだよ」
さらなる煽りを加えた神のアナウンスは、やはり人数の多い方に語り掛ける。
既に新しい拠点に移動済みの、者たち。
「――そうだ、こんな話をしてやろう。校長先生的には散々話したレパートリーの一つだが、今回は怠惰な新入りがいるからね。暇つぶしには持って来いだ。
これから何を話すと思う? ねえ「マジメな女子生徒」さん?」
ひと呼吸あって、大げさな呆れ声が響いた。
「……残念。それはまたの機会として取っておくとして。
今回紹介するのは『ネグローシアの世界樹』さ」
★ 一分解説「サクラのキのシタ」
「桜の木の下には|屍体《したい》が埋まっている」
この衝撃的な一文で物語が始まる梶井基次郎の短編小説『桜の木の下には』ですが、一説には桜は獰猛な植物で、動物の死体すら養分にしてしまうことから着想を得ていると言われています。
基本的に植物は、有機物から栄養を摂ることはできません。降雨により土壌から溶け出した|窒素《N》、|リン酸《P》、|カリウム《K》などの無機物成分を基にしています。それはごく単純で、ありふれていて水に溶けやすく、根から吸収しやすいためです。二重らせん結合の|有機物《でんぷん》では、水に溶けにくく、さらには粒が大きすぎるため毛細血管のような根では吸収できないのです。
しかし、唯一吸収ができるものがあります。赤く染められた人間の血の色は、ヘム鉄とよばれる無機物の発色によるものです。それを降雨とともに根は吸い込んだが結果、桜の花びらは血色よく赤く染まり、人間の一生のごとく短い時間のみに咲き誇ろうとするのです。
しかし、これには疑問が残ります。
『何の屍体』が埋まっていたのか。
所詮小説なのだから、すべて空想に決まっている。そう断言するのは「とてもつまらない人間」だと相場は決まっています。
結論せずに想像しましょう。
断言せずに想起しましょう。
現実を追わず|空相《・・》しましょう。
桜の木の下には屍体が埋まっている……
陳腐なものは動物の死体、もっともありきたりなのは人間の死体です。しかし、人間とは限らないじゃあ、ありませんか。
血を吸い、毒々しい赤い花を咲かせるのなら、赤い血を持つ生物であればなんだっていい!
例えば〝女神の死体〟が埋まっていたとか、どうでしょう?
★
アナウンスが終わったと同時にくらいに零は新しい拠点に着いた。ドアプレートは「避難所23」と書かれている。地下に散らばる放置された拠点数は、数字よりかなりあることが見て取れた。
ドアを叩く。こちらも前と同様の鉄扉だ。ひと呼吸おいてからドアは開けられた。中に入れられる。
「遅かったですね。敵に襲われましたか?」トアだった。
「そんなところだ」
零は新しい拠点に目をやった。
先ほどとは打って変わってかなり広い空間が広がっている。
大教室といった趣である。近くには上下移動のできる大きな黒板があって、扇形に広がるように長机といすが設置されている。奥には空間が広がっていて、所々にちょっとした段差で高さをあげている。ただし、きれいな状況ではなく、通路をふさぐバリケードとうずたかく積んだ瓦礫のようなものが点在している。
避難してきた者たちの大半は、入り口の近くにたむろしている。
黒板の前の空間、壇上ともいうべきところにあぐらをかきながら座っている。一人は立って指示を与えている。
「――特に何もしなければ大丈夫だろう」
零の耳に会話の破片が飛んできた。
彼は的確に指示を与えるラビッドに近づいた。彼女は気配に気づき、腕を組む。
「遅いぞ。何やっていた」
「道に迷っていた」
「そうか」
ラビッドは聞き流すように要件を伝える。
「先ほどのアナウンスは聞いていただろう」
「『世界樹』とやらか?」
彼女は頷いた。「次の『|授業《ゲーム》』は始まっている。十中八九『サクラノキノシタカゲノシタ』だ」
|NightCrawler《ナイトクローラー》が得意げに話したものはこのようなものである。
実際は神らしく冗長で、かなり持って回った言い方だったが、要約すればこのようなものだろう。
……むかしむかし、今とは比べ物にならない位むかし、他の世界と同様、世界樹がありました。
『ネグローシアの世界樹』。枝葉は世界を覆い隠すほどに巨大で、それは海を削った小島のようでした。
その世界樹は女神が植えました。大きくなあれ、大きくなあれ……そう声をかけていたのかは知りませんが、女神はその世界樹に対し愛情を注いだのでしょう。ですが、ある日を境に、女神はこの世界に絶望しました。そして、世界を見捨てたのです。
その際、女神は急いでいたのでしょうか。特大の忘れ物をしたのです。それが――そう、小島に浮かぶ世界樹です。
女神が絶望して逃げた後も世界樹は待ち続けました。しかし長年にわたり待ち続けたことで生命力であるマナがなくなり、海は枯れ、終末の迫る空気を読んでしまった。この世界の趨勢はとても暗い。
暗い。暗い。暗い。
そうして、世界樹は信仰を失った人々を喰らうようになってしまったのです……
「その、なれの果てが地上にてうろついていると?」
「と、|NightCrawler《ナイトクローラー》は言いたいらしい」
「どういった魔物だ」
「トア」
ラビッドは名前を言った。入口付近で立っていた彼女は、リーダーの呼びかけに応じ、駆け寄ってくる。
「話してやってくれ。私は忙しい」
「分かりました」
ラビッドは去り、集団の中心に戻っていく。トアが話を引き継ぐ。
「レイさん、あちらで話しませんか。話し声が多くて落ち着きませんし」
教室の後方に手を差し向けた。応じ、二人は移動する。
段差を昇りながら、
「この場所は避難所の中で最も規模が大きいものです。過去の出来事……私たちが来るよりも前の話では、ここで籠城戦があったのだといいます」
段差を上がるたびに、トアの青い髪色は段差をのぼるごとに滝のように乱れ落ちている。
「五回に一回はここだと決めています。広くて、ゆったりとできる。簡易的なものですが、居住スペースもあります。この通り、瓦礫を積み上げただけの、小屋みたいな見た目ですけど。それでも一人になりたいときはあるでしょう。その時の心の拠り所となる……」
「そんなことは聞いていない」零は痛酷に遮った。ひと拍おいて、
「ごめんなさい。昔話を聞かせるつもりはなかったんですけど、ここに来ると気持ちが高ぶってしまって。今回の『|授業《ゲーム》』について、ですよね?」
零が何も言わないことを見越してトアは話し出す。
「『サクラノキノシタカゲノシタ』……。あの話のように、今回の『|授業《ゲーム》』の司令官は『この世界の世界樹だったもの』です。私たちは『グドラ』と呼んでいます」
「グドラ……?」
「ユ|グドラ《・・・》シルから取りました。単純でしょう? まあ、伝承のように小島ほど大きくはなく、それから腐敗樹だそうです」
「だそうです……見たことがないのか」
「はい。実を言うと、私たちは見たことがないんです。ラビッドさんと、その……ノースさんくらいで」
もうすでに死んでしまった者の名前は言いづらい様子だ。「『モズ』には遭遇したことはあるのですが」
零は尋ねた。「『モズ』はラビッドが討伐したようだな」
「ええ。あの時は今よりも拠点には多くの人がいたんです。三倍も四倍も。一時期は一〇〇人の大台に乗っかるほど拠点にはいたものでした。多くの魔法使い、攻撃魔法や補助魔法、回復魔法を扱える者もいましたね。あとは『自称勇者候補』という者もいましたっけ。そんな方々が『モズ』に立ち向かっていきました。でも、何度か|退《しりぞ》けはしましたけど、討伐することは誰もいませんでした……リーダーを除いて」
ある時まで、ラビッドは不参加を決め込んでいたらしい。
今と同じように戦闘には参加せず、物陰に潜むような戦術を好んだという。隠密行動をしながら、戦闘のできるものが先立って動き、討伐することを期待せず、集団を率いていた。あわよくば、彼らを「囮」として利用した時もあったのだろう。
「ですが、蓋を開けてみれば一番強いのはラビッドさんです。『モズ』は彼女の銃弾の餌食に遭い、喉を壊すほどの絶命音をあげ、討伐に成功したのです。該当する『|授業《ゲーム》』が再び始まれば、また蘇りますがその都度退けていて……。乱射をせず一発で仕留めます。ほかのボスも同様です。百発百中の具体例が彼女なのだと思います。それはレイさんも感じていると思います」
零は聞きながら、少し前のことを思い出していた。
先ほどの『モズ』の討伐も、彼女は軽くやってのけていた。
最初は零がすべてを終わらせるつもりでいた。誰にも頼らず敵を抹殺する。それが彼の生き方のようなものだ。仲間はいないのだから、一人ですべて片づけなければならない。そういったことを旅が始まったときからそうしている。たまに物好きに会って共闘するときもあるが、旅には連れて行かない。出会いと別れの繰り返しだ。
仮に転移スキルが思うように使えていれば、『モズ』は軽く勝てていた相手だ。『不死の病』ゆえの不死の身体だ。攻撃自体はそうでもない。が、『モズ』が時を停められることは予想外だった。
だから、一発の銃声が聞こえたときは内心、驚きがあった。
「逃げているときの又聞きなのですが、最終的に『モズ』を倒したのはラビッドさんなのですよね」
零は非を認めるようにいった。「否定はしない」
「なら、分かってくれると思うんですけど」
トアは少し言いづらそうにしている。「なんだ?」と先を急かした。
「『|授業《ゲーム》』が終わるまで、独りで行動しないでほしいんです」