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第十二話 雨夜、リアライズ
生徒は無断の立ち入り禁止、と書かれた看板を無視し、屋上へ登っていく。身軽な雨夜は遊撃手としての役割も持っているため、一番前で歩を進めた。
テラスに続く扉は、鉄の錠前で閉ざされていた。さっきから雨夜たちを支配する沈黙のせいだろうか、雨夜にはそれがなにやら破ってはならない分水嶺のように感じられて、思わずこくりと唾を飲み込む。身体が一瞬、ぴくりと止まる。
すると、隣に立つ亞間宮が鎖をなんのためらいもなく断ち切り、分厚い扉を開け放った。少し湿っぽい室内に、さわやかな風が吹き抜ける。
一目見て、要塞だ、と思った。
白い壁だ。やたらと分厚く、日光を薄く鈍く反射している。おそらくあれが、狙撃を防いだ代物だろう。
それが、身体の随所で本体と癒着し、脚だけが唯一、壁と離れている。顔もなかば一体化していて、視界が塞がるのを防ぐためか、目は草食動物のごとく顔の横についていた。
その広い視野を擁する眼球が、こちらを捉えた。雨夜と、目が合った。ーーその瞬間、総毛立った。これがエネミー? 冗談だろう? これと比べたら、今までのエネミーなんて十分ヒトの範疇に入っていた。
こいつは違う。人間という種族から逸脱して、進化している。正真正銘の人外だ。
「僕らが引き付けるよ。その隙に後ろから攻撃させる」
雨夜が気圧されていると、亞間宮がぽそりと呟いた。その声で現実に引き戻される。
ーー引き付ける。雨夜たちが陽動をして、無防備な背中を攻撃させるということか。
雨夜は亞間宮に目配せをして、それから、後ろを見る。偶然目の合った春冷が一度首を縦に振った。どうやら作戦はしっかり伝わっているらしい。
「行くよ。いち、にの、」
さん、でコンクリートを蹴った。
こちらの攻撃を察知した強化版のエネミーは、巨体に似つかわしくない俊敏さで、分厚い盾のついた身体の全面をこちらに向けた。
上等だ、どれだけ固くても砕いてやる。それくらいの心持ちで、雨夜は走る勢いと全体重をナイフに乗せ、突き刺した。
ひどく耳障りな音が響く。右手が痺れてナイフを取り落としそうになったが、ぎりぎり耐えた。
それだけの代償を払いながら、盾についた傷は小指の爪ほどにも満たない。悔しさと怒りで頭が満たされる。
叫びそうになるが、白い壁ばかりの視界の片隅に映った、斧を振りかぶる逢沢の姿で我に返った。今の雨夜の役割は、この盾を壊すことではない。囮になることだ。
思い直し、痺れる手に鞭打ってナイフを抜き、負担を軽減するために両手でナイフを持ち、もう一度振り上げた。
ーー左半身に、衝撃。
それを認識したときには、雨夜は空中にいた。何が起こったのかまるで分からない。
「わっ!」
誰かにぶつかった。呆然とする中、受け身をとることも忘れてそいつに身体を預ける。ひょい、とそいつが雨夜の顔を覗き込む。
「雨夜ちゃん、大丈夫?」
春冷だった。さっきの狂気に溢れた姿が脳裏に甦る。ぎょっとして反射的に身を引こうとするが、そこで激痛が走った。思わず呻く。
「あ、怪我してる? 見せてごらん」
春冷が、雨夜の身体の各所を軽く押していく。指先が雨夜の左腕に触れると、鋭い痛みを感じた。身をよじる雨夜を見て、春冷はひとつ頷く。
「ここか……ちょっとだけ我慢してね」
春冷は壊れ物を扱うようにそっと雨夜の左腕を持った。春冷はしげしげと患部を眺めたあと、ほっと息をつく。
「うん、これなら平気。すぐ治すからね!」
春冷の手のひらから、白い何かが溢れてくる。得体の知れないものに抵抗する間もなく、それが雨夜の左腕に惜しみ無く塗りたくられた。
「これで良し、と。骨は折れてなかったから、そのうち治るよ。痛みが引くまでは、休んでて」
春冷はぱっと立ち上がり、脇に落ちている短機関銃を拾った。それから、くるりと雨夜を振り返る。
「じゃあ、私はあのうるさいやつを片付けてくるから!」
春冷は再び狂ったような笑みを見せていた。
「やってくれますね、雨夜ちゃんを傷つけるなんて! うるさい! 黙って殺されてください!」
雨夜は、呆気にとられてその後ろ姿をただ眺めていた。つくづく、変なやつばかりだ。
続けて、左腕を見つめた。恐る恐る触れてみると、僅かにしっとりとしている。さっき塗られた白いやつは浸透中らしい。
あれは多分、日向坂が言っていた医療機器とやらだ。アンノウンで上がった治癒力を、さらに上げる代物。
雨夜たちが用いることのできるアンノウン武器はメインとサブのふたつがある。医療機器は、攻撃に使うメインではなく、サポートに使うサブのひとつだ。メインとサブ、それぞれ六種類。ひとりにつきそれぞれ一つずつ。なぜそうなっているかは判然としていない。たぶん、血液型みたいなものだろう。
ちなみに雨夜のサブは小盾である。読んで字のごとく、小さい盾を展開するサブ。さっきの攻撃は、あれを使えば擦り傷くらいで済んだのかもしれない。そう思うと悔しくてならないーー。
『雨夜くん!』
誰かの声で意識が思考の世界から引き戻された。ばっと顔を上げる。
「はぁ!?」
誰かが、雨夜の眼前ですっ飛んでいった。
日向だ。このままだと、落ちる。屋上から人が落ちたら、当然、死ぬ。
『受け止めて!』
ぐずぐずしている暇はなかった。コンクリートを蹴る。右腕を伸ばす。肩が外れそうになるくらいの心持ちで、飛ぶ日向に手を伸ばす。
腕に、ぶつかった。
それを確認した瞬間に、雨夜の身体を覆っていた、神がかったものが消え去った。
急に重力を感じて、雨夜は腕に抱えた日向もろとも倒れ込む。受け身をとる余裕なんてものはなく、無様にもつれあった。
「おい、平気か?」
雨夜は日向の体を確認する。日向の左腕は、半ばからあり得ない方向に曲がってぷらんとしていた。
日向は突然飛び起きた。
そして、よろけながら、盾エネミーへとまた走り出した。
雨夜はとっさに日向の右腕をつかんだ。日向の身体がつんのめる。
「なにするの。離して、離してよ!」
「馬鹿、そんな腕で行っても死ぬだけだろ!」
「ぶっ殺すんだ。早く。早く。早く……!」
日向の目がぎらぎらとしていた。欲望にまみれた類いのものではない。なにか別の必死さに刈られていた。
「……お前、なんのためにそこまで……」
そこで口が止まった。
日向は冷えきった目をしていた。雨夜を侮蔑していた。
「わからないの」
泣きそうな、目の前の存在が信じられないような、震える声。
やめろ。やめてくれ。「みんな、死んじゃうんだよ、大事な人も、友達も、みんな」
「……なに、言ってるんだ。訓練受けてんだから、そう簡単には」
「それ以外は?」
雨夜は予想外のことばに瞬いた。日向は、震える声で続ける。
「訓練、受けてない人は?」
雨夜は大きく目を見開いた。
そんなやつらの存在、考えてすらいなかった。所詮、戦いから逃げたやつら。前線で戦う者から守られた、脆弱なやつら。
「忘れたの、雨夜ちゃん。……みんな、親が殺されたんだよ。昔から知ってる人も、殺されたんだよ」
ことばが出なかった。長い間生身の人間と関わらなさすぎて、忘れていた。親のことなんて、気にしていなかった。昔から知っている人なんて、もういなかった。日向の言っていることが、分からなかった。
でも、同時になにか納得するような気持ちもあった。
ああ、これが普通の人間の感覚なのだと。
肉体的には人間辞めていても、自分はまだヒトなのだという自負があった。でも、決定的に違うのだ。雨夜と、目の前の人間は。
他人のことを思いやれる人間とは、造りからして違うのだ。
それは、雨夜が、自分がおかしいのではないかという感覚を抱いた、はじめての瞬間だった。
座り込んだままの雨夜を残して、日向はエネミーに向かっていった。
置いていかないでくれ、という願望がよぎったが、口にすることなんてできるはずもなかった。
広がっていく距離を、ただ呆然と見つめていた。
やがて、日向は果敢に盾エネミーに斬りかかっていく。歯がたたなくても、必死に後ろに回り込もうとする。
やがて、その瞬間は訪れた。逢沢にエネミーが突進した刹那の隙を見逃さず、日向は、気合い一閃、刀を突き刺す。
次の瞬間が、運命の分かれ目だった。
一矢報いてやった、という安堵から、日向の身体から緊張が、一瞬、抜けた。
雨夜の脳が、けたたましい警鐘を発した。
駄目だ。
そう叫んだ。
だが、現実は無情。時既に遅し。たかが一瞬の隙が、戦場では命取り。
エネミーが、下手人たる日向に盾を向けるべく、身体を反転させた。日向は勢いに耐えきれず、刀から手を離す。
あ、と呟く暇もなく、エネミーの反転とともに迫る盾が、丸腰の日向に直撃した。
日向が立っていた位置が屋上の縁の近くだったことが、最大の不運だった。日向は屋上のフェンスにぶつかった。一瞬、期待した。フェンスが落下を止めてくれることを。
錆びて脆くなっていたのか、それとも勢いが強すぎたのか。フェンスは、抱いた希望もろとも、あっさりとぶっ壊れた。
空気を裂く音と、なにかの音が、微かに聞こえた。
雨夜は微動だにしなかった。
日向が消えていった方を、ただ呆然と見つめていた。
初めてキャラが死にました。
今後もばんばん殺していくつもりですが、見せ場は作るつもりなのでもしキャラの作者さんがいらっしゃれば安心してください!