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3 風
『今は昔、~』の第3話です。
いつからこんな関係になったのだろう、霧のなかにいるとされる〝彼〟との会話は突然始まった。
その日はそう……、
……今と同じく雨が降り、しきりに、びょう、という風鳴が絶えない日のこと。
≪やあ≫
突然垂れ込めた霧のなかから、そんな声が聞こえてきた。普段は黙っているのに驚いて、
「……え?」
と素で言ってしまった。
≪「え?」じゃないよ、俺は≪やあ≫と言ってるんだから、そっちも「やあ」で返さないと≫
霧のなかから再びいってくるので、空耳ではなさそうだ。ぼくは訝しめな目をして「や、やあ」と返した。どこからともなく聞こえてきた声で、喜んでいる様子だった。
≪そうそう、それそれ。いいよ。初対面における、言葉のキャッチボールは大事だからね≫
何のつもりなんだろう……。ぼくは目の前にいるらしい霧の塊、そのなかにいるとされる見えない〝彼〟に目を凝らしてみる。
≪ああ、注意深く見ても意味ないよ。俺に実体なんてないからね≫
「……『実体』がない?」
≪そう。俺、透明人間みたいなもんだから。それより、君。いつまでもそこに留まっているつもりなら、暇つぶしに俺としゃべってくれよ≫
「それ、ぼくのことを言ってるの?」
ぼくは聞いた。なんせぼくはただの人形だからだ。満足に動くことができない。表情筋も木目に吸収され固着気味なのでポーカーフェイスだ。
だから、ぼくではないと思った。他にもいる、ネズミやらドブネズミやらゴキ○リなんかに問いかけたんだと思っていた。
けれど違った。霧のごとく読めない彼は呆れ声気味に返す。
≪君以外に誰がいるのやら。ほら、酒ひっかける感じでさ、一つ面白い話でもしてみなって≫
「ぼくはこの通り、ただの人形だよ。面白い話なんて呟けるわけがない」
≪『ただの人形』なら、何も語らないはずだろう。この時点で論破されてるぞ≫
「むぐぐ……。たしかに」
≪ね? だから、君はただの人形じゃない。この時点で〝面白い〟じゃないか。
どこかしら意志があるはずなんだろ? 本当は自分がしゃべれるって。それが本能的にわかってる。
その辺にいる人間たちより君は面白いと断言してあげるよ。「無言フォロー失礼します」っていうくらいの人間より、コミュ障なわけじゃなさそうだしさ≫
「何のことを言ってるか分からないけど、ぼくはそこまでの器じゃないよ」
≪そんなこと言わずに、話そうよ、テーマは何でもいいからさ≫
ずいぶんと性格が飄々としている。風なだけに。
「そっちが話したんだから、そっちが決めてくれないか」
≪うーん。それもそうだな。じゃあ、『君の前世は人間っぽそう』とかどうだい? 興味があるだろう?≫
「……人間?」
突拍子もない発言だった。「どうして?」
そう聞くと、姿が見えないはずなのに、その場であぐらでもかいているような面倒くさそうな声で返答してきた。
≪うーん、どうしてかぁ。そういわれると困っちゃうなぁ≫
「なんとなくってこと?」
≪そう、なんとなく。いち神様の直感ということで許してほしいかな≫
「……カミ? 君は神様なんだ」
≪ざっくりいうとそういうことになるね≫
「へぇ」
≪リアクション薄いな~。まあ、知ってたけど≫
「なんでここに来たの」
≪ほら、神様って暇が取り柄みたいなものだからさ≫
何が「ほら」なんだよ……
そうして紆余曲折しながら夜は過ぎ、なんやかんやで日付が変わる頃には別の話題になり、朝になった。すると、
≪あ、やべ。話過ぎた。雨やみそうじゃん≫
とか言って、そうそうに去っていった。彼が去ると途端に天気はよくなり、なんだか雨が止むまでしゃべっていたかっただけなのでは?――という疑問が生じた。
さっきの、彼との会話を寄せ集めてみた。
寄せ集めれば寄せ集めるほど、脱線ばかりはぐらかされるばかりと本当にくだらない中身だが、それでもまとめるとこうなるだろうか。
彼は神様の一種であり、風を司りし神様。風となって世界一周旅行でもするように吹いていて、早い話が自然の一部なのだそう。
ただ、吹いているだけなので、ふらりとこちらに立ち寄ってきては、祠の付近にあるこのすぼまりにとどまりたくなるのだといった。
これだけだ。ほんとうに内容が薄い……。
最初の顔合わせから三日ほどが経ち、彼は再び来た。やはり彼が来る前は絶対天気は雨になる。雨男ならぬ「雨風」なのだろうか。
風は一方方向にしか吹かないはずだ。世界一周するのが早すぎないか? と言ってみると、
≪俺は北半球担当だし、それも太平洋辺りを吹いてればいいし≫
と、なんだかよく分からないことを言った。俺は俗にいう『支店勤務』だから、とも付け加えられた。分からなさが増えた。
それでも彼は風なのだから、いろんな所を旅している。故にいろんなことを知っているはずだ。
ぼくは『ぼく自身』について聞いてみた。最初ほど脱線せずに、こんな情報をいただけた。
ぼくを形どっている人形は、いわゆる「日本人形」と呼ばれるものだ。ついでにこの地は日本だとも。
日本人形とは、人形でいえばオーソドックスな類のものだ。よくひな祭りなんかでお目にかかる、いろんな色が使われた着物と呼ばれる衣服をまとい、階段状になった台の上で、ショーウィンドウ越しに立ち姿を見せる。
人間たちの反応は様々だ。子供にとっては憧れのまなざしを向けるが、大人たちにはどうだろう? お金がかかるので〝この辺〟にいる人たちには到底買えないような値段だ、とも言ってのけた。
でも、今の自分を見ても、それとは似つかないものだった。たしかに着物は来ているけれど、晴れやかなものは着ておらず、泥沼に落ちたかのように黒っぽくて埃っぽい。
どう見ても真逆をいっている。ショーウィンドウに飾られるなんてとんでもない。だからぼくは棄てられたんだろうとやっぱり考え直す。
ただ、「ひな人形」や「日本」などといった単語を聞いて、どこか聞いたことがある馴染み深い単語だと思った。そういうと、ぼくの前世は人間、それも日本人ではないか、と彼は言った。
そして、ぼくが考え込む姿が面白かったようで、
≪じゃ、一週間後にまた来るから、その時まで考えといてね≫
と立ち去る寸前でそう言い残した。
それから一週間がたち、夕立のようなゲリラ豪雨が来られた。当然彼もこの通り、霧を辺りに撒き散らしながら来たわけだ。