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23話 夜明けの太陽
ケイトに気づいたフロイドが、ケイトを見やる。無表情で、瞳孔はずいぶんと開いている。
「……あ? ハナダイくんじゃん。なんでこんなとこにいんの?」
「それは……」
ケイトの脳内を占めているのは、フロイドの問いかけにどう答えるかよりも、イデアとオルトの安否だった。
改めて二人の容態を遠目で確認する。
気を失っているのだろう。イデアはオルトに覆いかぶさった姿勢のまま、動かない。オルトもまったく動かずにいる。スリープモードに入っているだけだと思いたい。
顔を伏せているイデアもオルトも、二人の周囲の地面も濡れていない。水魔法を浴びていないようだ。代わりにそこ以外の一帯はびしょ濡れで、水の匂いに酔いそうだった。
やっとケイトは自身にかけていた嗅覚上昇の魔法を思い出す。ペンを握り、魔法を解いて、濃い匂いから脱出した。
何も答えないどころか、勝手に魔法を解除しだしたケイトを、フロイドは気に食わなかったようだ。
イデアとオルトに向けていた体をケイトに向けて、フロイドは低い声で問いつめる。
「なあ、何してんの? オレのこと、無視してる?」
「してない……」
「じゃあ答えろ。なんで、ここに、いんの?」
考えるひまはなかった。ケイトは思うままに言う。
「イデアくんとオルトちゃんを助けに来た」
「……ふーん」
適当な返事なのに、フロイドは青筋を立てた真顔のままだ。
イデアとオルトから離れていくフロイド。とりあえず二人がすぐ害される恐れはなくなったらしい。
代わりに近づかれたのはケイトだった。フロイドのターゲットが変わったのだ。
「助けに来たってことはさあ……オレの邪魔をするってことだよなあ……?」
フロイドはペンを構える。ふくれた魔力が、生み出した水に込められていく。圧縮された水は、人間の鼻でも感じとれるほどの匂いを放っている。強力な水圧で、ケイトを攻撃するつもりだ。
──まずいな。
ケイトもとりあえずペンを構えたが、スマートな対処法が思いつかない。
水魔法がケイトに向かって放たれた。
まずは防壁をはろうと、詠唱を始めた瞬間だった。
イデアがハッと顔を上げた。
強い怒りが込められたフロイドの魔力を感じ取って、目を覚ましたのだろう。
水魔法がケイトに迫る中。起きたばかりのイデアの目と、ケイトの目が合う。
スローモーションのように、イデアの口が開かれる。
「ケイト!!」
タブレット越しではない、生身の声。
攻撃を受けたらそのまま怪我をしてしまう、生身の姿。
もしここで自分がやられたら、この攻撃が、今度はイデアに向けられてしまう。
その思考に至ったケイトは。
なりふり構っていられなかった。
防御魔法から、瞬時に攻撃魔法に切り替える。
フロイドを攻撃するためではない。
圧倒的な実力差を見せつけるためだ。
ケイトたちを中心に囲うように、爆炎が巻き起こった。
膨大な熱に触れただけで、フロイドの水魔法はすべて一瞬で蒸発した。残された水蒸気も、熱を帯びた突風に巻き込まれていった。
イデアたちを吹き飛ばさないように、彼らがいる中央部の風は抑えたが、爆炎の外周はきっと悲惨なことになっている。ケイトには関係ない。
そう。ケイトは周囲の状況など、まったく気にしていなかった。
すべてはイデアを害させないため。
恋しい者しか考えていない、利己主義な暴君。
風で髪が激しくなびいているケイトの背後を彩る爆炎は、スマートさのかけらもない、苛烈なもの。
女王の怒りが苛烈ならば。
前女王の怒りも苛烈なのだ。
そしてイデアとフロイドは見た。
澄んだオレンジ色の──まるで夜明けの太陽のような色の光が、あたりを支配している様を。
たったいま、この一帯の夜が明けた。
「夜明けの太陽光を確認。再起動します」
オルトの声がした。
イデアにかばわれていたオルトが、ふわりと浮く。目を閉じたままイデアから離れて、空に向かって両手を広げた。
手のひらの関節部の隙間から蒼い光が漏れて、空に昇っていく。もやのような光は収束を始め、ビー玉サイズの光球になり、バシュン、と高速で放たれた。
光球が目指した先は、イグニハイド寮。寮の外壁をすり抜けて、寮内に残していたメインシステムにぶつかった。
光球を受けて、駆動を再開するメインシステム。電気が、ネットワークが、復旧していく。
夜間モードにしていなかったフロイドのスマホが、通知を受けて震える。
フロイドは「あ」とだけ言って、スマホを取り出す。画面を見て、つぶやく。
「つながった」
ペンをしまうフロイドからは、もう敵意が感じられなかった。
ケイトはオルトを見つめたまま、炎魔法を解除する。ペンをしまう。風に巻き上げられた髪は、すっかりボサボサになっていた。
地面に着地したオルトの目が開かれる。イデアを見る。
「おはよう、兄さん! 電気とネットワークはつなげたよ!」
イデアはあたふたと言う。
「あ、ありがと、オルト。でも、えーと」
「兄さん?」
「実はまだ、夜明けじゃなくて……」
ざり、と音がした。
イデアとオルトは音がしたほうを見る。
ケイトだった。
爆炎ですっかり乾いた地面の上を、ケイトは、ざり、ざり、と歩いている。二人に近づいていく。
ケイトの目の前にオルトは移動する。
「おはよう、ケイト・ダイヤモンドさん! 作戦はどうなったの?」
ケイトがオルトを見ながら何かを言う前に、イデアは二人の間に割り込む。
ケイトの目がイデアに向けられる。イデアはケイトと目が合わせられない。目をそらしながら、あわあわと手をあげて、早口で弁明していく。
「ケイト氏。あの、これは、拙者の余計な気づかいと言いますか、ほんとはオルトに内蔵された時計だけでもよかったんだけど、もしかしたら、もしかしたら壊れる可能性もなきにしもあらずで、そしたらタイムリミットが来ても電気もネットも復旧させられないし、いや、部屋に閉じこもってればオルトに遠隔操作してもらわなくてもいいし、そもそも部屋に予備バッテリーがあるんだから、内蔵バッテリー節約のためにオルトをスリープさせなくていいんだけど、やっぱいつかは部屋から脱出しなくちゃで、メインシステムは部屋にがっつり固定してて持ち運びなんてできないし、でも拙者たちはそこから離れなくちゃいけないし、まあ離れるのは想定内ですし、ちゃんと対策もしてましてな、拙者たちが離れてもオルトがいなくちゃメインシステムは動かせないようにしたし、スリープ中のオルトを軽く運べるように反重力物質で浮かせるようにしたし、拙者の体臭もオルトの関節の潤滑オイルも作戦前にあらかじめ変えといて、すでに拙者たちの匂いを知ってる獣人や人魚相手でも匂いで追えないようにしましたし、そのうえ光学迷彩マントで姿も消して寮から脱出なんてお茶の子さいさいでしたわ、まあゴーストみたいに通り抜けられるわけではないんで、鏡をくぐったら波紋で一発でバレるから鏡舎には行けなかったわけでして、それでも霧の中で隠れてやり過ごせば、オルトの内蔵時計だけで再起動はできますし、そう思って安心して待ってたら、なんかヤクザがやってきたし、めちゃくちゃ怒ってたし、もう拙者、オルトを抱えてバリアをはるので精一杯で、こ、怖くて、いつのまにか気絶しちゃってて、でもあのままやり過ごせてたら、けっきょく時計だけでオルトは起きられたんだし……や、やっぱり、余計だったよね。時計が壊れてもいいように、夜明けの強い光を浴びるだけでも、オルトが起きて、電気とネットを復旧させられるように、なんて」
「イデアくん」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい夜明けまでという約束をやぶってごめんなさい」
「イデアくん」
「は……はい……」
とうとう観念したイデアは、おそるおそるケイトと目を合わせる。
ケイトは怒っていなかった。
ただ、イデアを見つめている。
「イデアくん」
「……ケイト氏?」
「イデアくん。イデアくん。イデアくん……!」
ケイトはイデアの話を聞いていなかった。
何も耳に入らず、ただひたすらに、イデアの存在を感じていた。
「作戦……成功したよ……」
「え……」
「エースちゃんに……会えたよ……!」
「……本当に、会えたんだ。エース氏に……」
意識のないエースに会えただけなのに。
花吐き病を治したのはマレウスなのに。
まだ罪の告白はしていないのに。
まだ許されたわけではないのに。
またイデアの声を聞けて。
またイデアに会えて。
「よかった」
こうして、やわらかく笑って、作戦成功をいっしょに喜んでくれただけで。
やっとケイトは、心の底から安心できた。
「うわあああああああああああん!!」
ケイトは大声をあげて、泣いた。
涙とともにあふれる恋しさのままに、イデアに抱きついた。
イデアの肩に顔を埋めて泣き続けるケイト。イデアはどうしたらいいのかわからない。わからないけれど、とにかく泣き止ませたかった。
弁明の際に中途半端にあげていた腕で、おそるおそる、ケイトを抱きしめる。
二つのやわらかい影が重なる。霧はすっかり晴れていた。あらわになった湖面から、オレンジ色の光が覗こうとしている。
現実の夜も明けそうだ。