公開中
第6話:黄金色の午後と、砂の足音
「パパ、見て! お花、咲いてる!」
小さな小さな、湊(みなと)にそっくりな目元をした男の子――私たちが『|蓮香《れんか》』と名付けた息子が、庭を駆け回っている。
「本当だ、蓮。すごいな、よく見つけたね」
湊は芝生に腰を下ろし、駆け寄ってきた蓮をひょいと抱き上げた。落ち着いた、けれど慈しみに満ちたパパの顔。
「遥、こっちおいでよ。日向ぼっこ、気持ちいいよ」
私は湊の隣に座り、彼の肩に頭を預ける。
夢の中の時間は、さらに加速していた。
ついさっき生まれたばかりだと思っていた蓮は、もう五歳。
私たちは庭付きの小さな家を買い、湊は少し責任のある役職に就き、私は相変わらず、彼にとことん甘やかされる毎日を過ごしている。
「……ねえ、湊。たまに怖くなるの」
「何が?」
「幸せすぎて。もしこれが、全部一瞬の夢だったらどうしようって」
私の言葉に、湊は少しだけ目を見開いた。それから、蓮を芝生に降ろすと、私の手を大きな手のひらで包み込む。
「夢じゃないよ。俺がここにいるし、蓮もいる。遥が頑張って生きてきた証拠でしょ?」
湊の指先が、私の手の甲を優しくなぞる。
その確かな感触に安心しかけた時――ふと、視界の端で異変が起きた。
庭の隅に植えたはずの|槐《えんじゅ》の木。
その木の根元から、大量の蟻が這い出し、列をなして家の中へ向かっていくのが見えた。
「……蟻?」
「どうしたの?」
「あそこに、蟻が……」
指を差そうとした瞬間、湊の顔がふっと霞んだ。
「……か、……るか……」
彼の声が、遠くで鳴るテレビのノイズのように途切れる。
「湊? 湊、待って!」
慌てて彼にしがみつこうとしたけれど、私の指は空を切った。
黄金色に輝いていた午後の光が、急激に色褪せていく。
蓮の笑い声も、風の音も、まるで古いレコードの回転を止めた時のように、低く、重く、歪んで消えていく。
気づけば、私の手の中には、いつの間にか一通の『診断書』が握られていた。
🔚