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冷えた心に君の熱を
#2025年のバレンタイン小説企画(X)、SweetValentine2025(pixiv)参加作品。
パウダーがたっぷりまぶされた生チョコ。美味しいけれど、最近はピックが入っていない。
これが俺にとっては厄介な問題だった。革手袋と義手はどちらもメンテナンスが大変で、できる限り汚したくない。けれど、せっかく真白が買ってくれたものだから、きちんと味わいたい。そう思いながら彼女を見ていると、妙案を思いついた。
「真白、食べさせてくれないか」
「え?」
彼女の手に触れてみる。神経の通っていない義手では、その柔らかさも温度も、ただ想像するしかない。それでも、自分とは違う「生きた手」がずっと気になっていた。白い手に、細い指。そのまま頬に寄せてみたいが、嫌がられるかもしれないと思うと、ためらわれた。
顔を上げて様子を窺うと、彼女の頬が赤く染まっていた。
「汚してしまったら、ごめんなさい……」
「構わないよ。僕が頼んだことだから」
真白は自分の手元とチョコを交互に見つめている。どうやって持ち、どう口に入れればいいのか――そう考えているのだろう。
「先輩、失礼しますね」
粉が落ちないようにそっと手を添え、丁寧に舌の上へと乗せてくれた。熱でチョコがゆっくりと溶けていく。普段はビターしか食べないから、ココアとミルクの甘さが喉にじんわりと広がる。
「もっと食べますか?」
頷くしかなかった。味わいもさることながら、こうして食べさせてもらえることが、ただ嬉しくてたまらない。 彼女の指先が口元に触れるたび、心の奥がじわじわと熱を帯びていく。しかし、指先にはココアの粉がまぶされてしまっていた。
「ペーパー取るよ、食べさせてくれてありがとう」
ああ、この手が恨めしい。こうやって拭いてあげても何も感じられない。
あの日、両腕を失ってから俺の人生はおかしくなったんだ。家族や親戚からは腫れもの扱いされ、上辺だけの優しさが見え透いていたのが苦しかった。口ではそれらしいことを言うけど、目までは誤魔化せてないんだよ。ひそひそ噂話なんてしやがって。
学校では怯えられるか、変に突っかかられるか。動かないと高を括ってわざと物を落としたり、細かい嫌がらせを何度もやられたから、ちょっと黙らせるつもりで軽く叩いた。怖がられてしまったけど、誰も手を出さなくなって快適だった。そう、自分に言い聞かせて。
「先輩?」
彼女にすべてを打ち明けたら、どんな反応をするのだろうか。
大人になってようやく隠せるようになって、普通の人間として振る舞えるようになったのに。
「大丈夫ですか?」
顔を上げれば、彼女が心配そうな顔で俺を見ていた。自分でも感じられるほどに血の気が引いていたから、さぞひどい顔をしていたのだろう。大丈夫だとは言ったが、久々に思い出してしまった。それも、一緒にいる時に。
「あぁ、大丈夫だ」
安心させるつもりで口にしたが、声はかすかに上ずっていた。
何も言わず、彼女はそっと俺の頬に触れる。指先のひんやりとした感触が心地よい。 頬の熱が、彼女の指先をゆっくりと温めていく。
誰かの温もりに触れるのはいつぶりだろう。 気づけば、彼女の背中に腕を回していた。
「泣いていいですよ。私にも見えないのですから」
優しい声が、耳元で囁かれる。
大丈夫、俺は平気だ。慣れているから――ずっとそう思っていた。
なのに、どうしてこんなにも胸が締めつけられるのか。
張り詰めた糸が切れたように、心の奥で何かが崩れていく。抑えられそうにない。
彼女の肩口に顔を埋めると、微かに震えたのがわかった。 けれど、拒まれることはなく、ただ優しく、頭を撫でられる。 今は、何も考えずに甘えてしまおう――そう思った。
*
どれほどの時間が経っただろうか。
顔を上げると、彼女の肩口は俺の涙で濡れていた。
「せんぱい……?」
眠そうな目が何度か瞬きをして、俺を見つめる。
苦しいはずなのに、その瞳は濁ることなく、まっすぐだった。
「先輩にはずっと助けられてばかりでした。だから、今度は私が先輩の支えになりたいんです。変に気を遣われる辛さは、私もわかるので」
「そう、だったな」
「それに、先輩のことをもっと知りたいから」
袖で口元を隠しながらも、彼女は笑っていた。
その仕草が、どこか可愛く思えた。
「ありがとう、真白。そう言ってもらえてすごく嬉しい」
俺から手を伸ばし、彼女に触れる。指先の感触はわからない。
けれど、抱き寄せた彼女の重みが、確かにそこにあった。
「今日はこのまま泊っていくか? まだ買ったチョコも残っているし、合いそうなワインもある」
それらしい理由を並べているが、本当はまだ一緒にいたい。彼女を帰したくない。
「なら、お言葉に甘えて……あ、お買い物に行きませんか? ゆっくり食事をするのも久しぶりだし、先輩と一緒に作りたいです」
「そうだな。車を出そうか」
お互いコートを羽織り、マフラーを巻いてもらった。夕暮れ時に差しかかかった空気は冷たく澄み切っている。助手席を開ければ、彼女は小さく礼を言って座った。エンジンをかけ、温まってきたところで発進させる。
お互いに言葉は交わさないが、居心地はいい。流れる景色や音楽を楽しんでいるのか、彼女の目線はせわしなく動いている。赤信号で止まると同時に、目が合った。
「シチューはどうだろうか。これから雪が降り始めるらしい」
「いいですね!時間もありますし、じっくり煮込んだら美味しそう」
「あぁ、楽しみだな」
信号が青に変わる。アクセルを踏み、ハンドルを切る。
「真白が行きたいところなら、どこへでも連れて行こう」
「先輩と一緒なら、どこでも楽しいですよ!」
その笑顔に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
今日は買い物、何気ない日常の一幕。けれど、このささやかな時間が、確かに心に残っていく。
雪がちらつく夜の空。二人の背中は店の明かりと人混みに消えていく。