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5 祠
第5話です。
≪ところでこの祠って、何のために建てられたんだと思う?≫
ぼくは雲のように浮かび上がる霧に呆けていた。彼の質問は沈黙に投げかけられ、当然沈黙として返ってくる。彼は気にしなかった。
≪この祠はね、奈良時代あたりまで遡るのさ。それこそ聖武天皇が奈良に大仏を建て始めた時にまで。
なぜ大仏なんか建て始めたのかっていうと、やっぱり神頼みなわけ。日照りが続いて飢饉が世に広まり始めて栄養失調状態になり、今でいうウィルスがはびこり始めてって。それで善神とやらに頼ろうとしていたのさ。
当時のここも、それはそれは大飢饉に陥ってね。今とは似つかわしくもない田んぼだらけの田舎だったから、雨が降らなくなってあえいでいたのさ。同時に風害っていう奴も。家が倒壊したり、稲が倒れて水に浸かって黴が生えたり……まあ、これは俺が来ちゃったせいっていうのもあるんだけど。
まさにバッドエンドにバッドエンドがサンドイッチしてしまった感じだね。人間たちにとって、俺はまさしく〝悪神〟だったのさ≫
「つまり……この祠は、善神のために建てられた?」
≪そう。いわゆる土地神……この地の守り神を祀った祠だよ≫
その先は本当に昔話のようなものになっていく。
〝悪神〟であるさすらいの彼は、人々を救おうと奮闘する〝善神〟であるこの地の守り神と知り合った。
〝悪神〟と〝善神〟。
彼が寄れば土地は荒れ果て、家は倒壊する。しかし恵みの雨とともにやってくるからか、守り神は彼のことを気に入った。いいよ、好きなだけくつろいでくれ。壊れた家なんて気にしなくたっていい、また立て直せばいいのさと言って、むりやり言いくるめて、祠の前で夜通し語り合ったこともあったのだとか。
しかし――。時は過ぎ、街は発展していって田んぼ道に線路が敷かれ、電車が走るようになるとこの地の人々は都会暮らしを夢見始めた。人の出入りは出る方が優勢で、入る方は劣勢で。次第に過疎化し始め、自然信仰は薄れていき、土地だけが余っていく。すると今度はその余った土地を求めてニュータウン計画とやらが出てきた。人を集めるため、まずは駅周辺でも開拓しよう。そうなると――この古びた祠がとても邪魔だ。
人間たちはこの祠を取り壊そうとした。
≪この祠が建てられたきっかけは、守り神が雨を降らせたからだと言われている。日照りで田んぼの水が無くなって、今か今かという存亡の機だった矢先に、嵐とともに恵みの雨が降ってきた……どうみてもその嵐って俺のことなんだけど、人々はあいつほうに尻尾を向けて喜ぶのさ。手柄をあいつに横取りされた。それがちょっと癪に障ったんで、その後も風害とやらをしにこちらに来るのよ。で、雨が降るのよ。人々は喜んで、またしてもあいつに横取りされる。昔はその繰り返しだった。
まあ、とはいえ。俺が滞在できる時間はほんの一瞬だけだ。それ以外のこと、例えば作物の管理や土壌に関してはあいつの手柄だし。俺が良く来るようになるにつれて風に強い、耐風性の強い作物が生まれだしたのも、あいつのせいだろうな≫
しかし、時がたつと自然信仰に終止符を打たなくてはいけなかったらしい。
≪守り神は〝善神〟、人間側の味方だったからね、祠が取り壊されると知ると、すぐに諦めようとしたのさ。で、俺は〝悪神〟、人間たちの敵だから。祠を壊そうとするだなんて行為、とてもじゃないけど許せなかった。
無理にでも邪魔をしたんだ。人間っていうのは弱っこいからね。で、人間たちを追い払ったら、祠に手を付けず、苦慮した結果、こんな区画になった≫
この祠にたどり着くためには、メインの薄暗い道の途中にある、とても狭い道を通らなければならない。参拝客が来るための幅なんて設けられていないのは、その時点でもう祠としての役目が全く機能していなかったからだろう。
ここに残された空間は、あえて残した。いや、残さざるを得なかった。彼の策略により人間たちは『怨念が取り憑いている祠』として泣く泣く土地を手放し、取り壊されずに済んだ。それは、ぼくにとって感謝したいと思ってしまう。
けど、
「その後、守り神は」
≪しゃべらなくなったね≫
彼は気にしてなさそうに言った。「そう……」
ぼくは人形だというのに、すこし感情が沈んでしまった。
≪――んん? ああ、別に悲しまなくたっていいんだよ。どうせどっかに出かけてるだけだって≫
「出かけてる? 土地神って出かけることなんてあるの」
≪あるでしょ、そりゃ≫
彼はひょうきんに言った。
≪前世の君だって人間だったわけだろ。ション便のためにちょいと席を外すじゃん。それと同じさ。土地神っていう呼び名も人間たちが勝手につけた名だし。
あいつ、昔からちょくちょく出かけるんだよね。言っとくけど、俺が頻繁に来てるのもそれが原因だから。わざわざ来ても、居ないことの方が多いんだよ≫
「なんだ。守り神が消えちゃったわけじゃないんだね」
≪なわけ。それに、神様が消えても人間は特に困らないしな。必要なら〝新たな神〟を信仰すればいいわけだし≫
「それ、君はいいわけなの?」
≪なにが?≫
「ここの、守り神がいなくなっても」
≪……≫
ちょっとした沈黙。
≪もしかしてだけど、心配されてる?
言っとくけど俺、友達多い方だから。『君と違って』≫
★
じゃ、そろそろお|暇《いとま》するね、と霧は徐々に薄くなろうとしていた。
「あっと、ちょっと待ってよ」
騒音並みに成長したびょうっという風音が徐々に小さくなって離れていこうとするから、ぼくは念のため聞いておくことにした。
忘れていそうだから、念のため。
≪何? 俺、この後群馬行かなきゃいけないんだけど……あ、もしかして≫
「行かないよ。それじゃないって。
話す前に、言ったでしょ? 『くだらない話とさらにくだらない話の二本立て』って。もう一つは何なの?」
≪――ああ! そうだったね。君、サプライズされるの好きなタイプ?≫
質問したら逆質問された。きれいな逆質問。
で……、「サプライズ?」
≪そう、女の子ってサプライズが好きなんだろう?≫
「いや、ぼく……中身男だから」
≪あっそ、中身はつまんねーんだな≫
『つまんねーな』は言わなくてもよね。
『中身は』も余計なんだよね。
≪そんな目をするなよ。あー、はいはい。じゃあくだらない話――明日の天気を言ってあげよう。明日の天気は一日中雨になるでしょう。
そして、周辺は洪水になる予報だよー≫
「――は? 何、洪ず」
≪ということで、よろしくー≫
それを言うと風は止む。
翌日、その言葉は現実のものとなった。