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〖絡み絡まる糸を這わせるように〗
ややクリーム色の髪を弄りながら、パソコンと睨めっこをする男性を見続けていた。
コップに入った紅茶は飲まれることがないまま、退屈そうな俺の顔を映していた。
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みてゆみびょえうあ
しきやなよう
ぬあすあ
きあぞえうすょけ、へき
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パソコンのデスクトップにはその四文だけが映し出されている。
五十音順かと思い、少し考えてみるが特に思いつかない。
とっくに冷めてしまったコーヒーを喉に流し込んで携帯を弄った。
急上昇に載っている赤い髪の男性を一度見て、猫の動画に目をやった。
「みて...ゆみ......まつ、やま......」
前で絞り出すような小さな声で呟く日村の声に猫がぐるぐると回る動画を目にしながら声に意識を集中させた。
「びょうい、ん......さかもと...和戸くん」
ほら、探偵様はすぐに解いた__すぐに顔を向けて言葉を返す。
「解けたんですか?」
「ああ、わりとよく使われる手法だな。
簡単に言えば、これは`シーザー暗号`だ。“み”が“ま”。“て”が“つ”...このように文字をアルファベット順に応じて文字をシフトするんだが、今回の場合、五十音の一個だけみたいだな」
「シーザー暗号ですか?それで、本文はどのように?」
返した言葉に応えるようにパソコンのデスクトップをこちらへ向けた。
そこに、解読した文字が映っていた。
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まつやまびょういん
さかもとゆい
にんしん
かんぞういしょく、ふか
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その文字を頭の中で漢字に変換する。
松山病院、坂本結衣、妊娠、肝臓移植、不可。
関連性のあるワードにも関わらず動かない頭を抑えて、はたと横の探偵に視線を動かす。
こちらを見ているのに気づいたのか口を開くのは早かった。
「分からないか?」
「分かるというのが、むしろ難しいような気がします」
「...確かに」
納得の意に呑まれて日村が検索エンジンに“松山病院”と打ち込む。
簡単にトップページに松山病院と名前のホームページが出てくる。それをクリックして目次を開き、オンライン診察などの下にある“ドナー志願”という名目に目がついた。
「...ああ、臓器ドナーのできるところなんですね」
「まぁ...正確には、公式的なところから申し込んで、近くの病院で臓器提供のできる...その近くの病院ってだけだが...この病院、どこでその臓器を保管していると思う?」
「病院じゃないんですか?」
「...君は...以前、話した銀行の話を覚えてないのか...?
なぁ、目や種子を保管、保存する銀行があるのは知ってるか?」
「え?あー......アイバンクですか?精子バンクとか...」
「そうだな。そういうので間違いない。余談だが、種子バンクはシードバンクと言ってね、遺伝的多様性とやらを維持するために様々な植物の種子を保存する施設のことだ。
それで、そんな多種多様な銀行の中にも臓器を保管する銀行がある。もう、分かるだろう?」
そう言われて数日前の会話の中でそんな話題をしたことがあるのを思い出す。
関連性があるのは、爆破されたという貸金庫の銀行だろうか。
「...前に、暴力団主催?...のパーティで話した貸金庫ですか?」
「ああ、それだ。その貸金庫が臓器提供されたものを保管するものだったらしい」
「そんなところを爆破したところで、臓器売買でもするんですかね?」
俺がそう言った直後に目を丸くした日村が唐突に笑い出した。
とても軽快な明るい声だった。
「...まさか!そんな遠回りな商品の卸しをするくらいなら、適当な人を拐ってかっ捌いた方が賢明だろ」
なんとなく感じる納得に少し寒気がした。
「そう...かも、しれません。じゃあ、その貸金庫を爆破した人は何の為に、臓器を回収したんですか?」
「臓器?...ああ、言ってなかったな、盗まれたのは臓器じゃない。臓器提供ドナーの個人情報だよ。
無数にいる提供者の個人情報が入った松山病院のUSBを盗まれたそうだ」
「個人情報のUSB...?...それって_」
「今、パソコンに入ってる《《これ》》だよ」
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がやがやと賑わう商店街の中で聞き慣れた足音を耳がしっかりと聞き分けた。
「_暴力団への突入の件は、お疲れ様でした」
隣へ座る気配は感じとって、瞼を開く。
同じく非番の同僚...いや、好敵手である|田中《たなか》|虹冨《にじとみ》。紺に近い青髪の男性だった。
「どうも。桐山も業務が板についたようで、とても役に立っていますよ」
「それは、何よりです。鴻ノ池さん、例の...《《ホームズ》》の様子はどうですか?」
「いつもお元気ですよ...助手の方も」
「...そうですか。して、あの奇妙な赤毛団体は?」
「ああ...単なる、人身売買と麻薬販売の集団でした。付近の資料に載っていた赤毛の方を商品として売りに出していたようですね。暴力団のビジネスなら、だいぶ古典的ですね」
「へぇ、赤毛だけですか。不思議ですねぇ」
そうニヒルに笑って誤魔化すようにリップの塗られた唇からすぐに世間話が飛び出す。
嘘を吐くな、本当は全て分かっているくせに何故知らないふりをする?
この男は狐のように狡猾でおこがましい。以前に担当した事件では自分で掴んだ証拠ですら、上へ横流し...いや、縦流しとでも言うのか。己の手柄にせずに上をあげるような感覚で媚びを得る。
それを元々の端正な顔や、いかにも良さそうな家柄で、性格も折り入ってか表面的には人に気に入られている。つまり、悪い側面もカバーする程、計算高い男だ。
なんとなく、女々しいと感じざるを得ない。
「ところで...桐山さんはどちらに?」
「別の方とタッグを組んでいます。貴方のもう一人の方です」
「ああ、|榊《さかき》さんですか」
|榊《さかき》|直樹《なおき》...この男のパートナーとして動く同僚の一人。
彼はこの男と違い、非常に素直で活発な印象のある男性だった。
その榊と田中を見比べて、田中がやはり異常だと考える。
ふと、見た田中の黒い瞳が更に深く黒い闇を帯びたような気がした。