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第2話:目覚めの毒と、太陽の眩しさ
##翌朝、午前六時。
アドラ寮の窓から差し込む朝日は、無情にもアネモネ・ロストの睡眠を打ち切った。
「……ふわぁ。……最悪。同じ部屋に、あんな騒がしいのがいるなんて」
アネモネはベッドから身を起こし、隣のベッドで大の字になって爆睡している赤髪の少年――ドット・バレットを冷ややかに見下ろした。
昨夜、彼はマッシュという男から貰ったシュークリームを「お前の分だ!」と無理やり押し付けてきた。……別に、美味しかったけれど。万死に値するわ。
「……起きなさいよ、脳内ガキ。……別に、ずっと寝ててもいいけれど」
返事はない。ドットは「モテ期……」と、およそ魔法学校の生徒とは思えない締まりのない寝言を漏らしている。
アネモネの眉間に、深い皺が寄った。
「……死ねばいいのに」
彼女はそっと指先をドットの額に向けた。
固有魔法『アネモネ・ヴェノム』。
彼女が放ったのは、殺傷能力のない、ごく微量の「腹痛」を引き起こす毒。彼女なりの、極めて攻撃的なモーニングコールだ。
「――っッッ痛エエエエ!! 腹、腹が捻れるぅぅ!!」
跳ね起きたドットが、布団の上でのた打ち回る。
アネモネは無表情に、鏡の前で身だしなみを整え始めた。
「おはよう。六時よ、169センチの私より遅く起きるなんて、いい度胸ね」
「アネモネ……お前……! 挨拶代わりに毒盛るのやめろって……痛っ、あ、あれ? 治った?」
数秒後、ドットの腹痛は嘘のように消え去った。
これが彼女の「制御」だ。嫌がらせ程度の痛みから、四時間の猶予付きの致命毒まで、彼女の意思一つで決まる。
「……別に。あんたが起きないから、細胞を少し刺激しただけ。……感謝しなさい」
「感謝できるかよ! ……でも、まあ、お前の顔見たら痛みも吹っ飛んだわな! 今日も最高にクールだぜ、アネモネ!」
ドットは腹をさすりながら、ケロリとした顔で笑いかける。
アネモネの手が止まった。
普通なら「気味が悪い」「何をするんだ」と拒絶されるはずの魔法。それを、彼は「おはよう」と同じ熱量で受け入れている。
「……脳内お花畑も、ここまで来ると病気ね」
彼女は動揺を隠すように、脱ぎ捨てられていた厚底の靴を履いた。
これで、彼女は再び「169センチ」の虚勢を纏う。
二人が食堂へ向かうと、そこには既にマッシュとフィンが座っていた。
「あ、おはよう。ドットくん、アネモネさん」
「おはよう。……アネモネさん、今日も高いね。プロテイン、何飲んでるの?」
マッシュが真顔でシュークリームを差し出しながら尋ねる。
アネモネは一瞬、言葉に詰まった。
「……別に。……ただの成長期よ」
「ふーん。僕もそれくらい大きくなりたいな。壁を壊すときに便利そうだし」
「マッシュくん、身長で壁を壊すのはおかしいよ……」
フィンのツッコミをBGMに、アネモネはドットの隣に座った。
周囲の視線が刺さる。「あの毒使いのアネモネが、なぜドットと?」という好奇と畏怖の混じった目。
アネモネは俯き、自分のアザを隠すように髪を弄った。
――その時。
ドットが、テーブルをガツンと叩いた。
「おい、そこらへんの連中! 俺様の連れをジロジロ見てんじゃねえぞ! 見惚れるのは勝手だが、アネモネは俺とマッシュのダチなんだわな! 文句あんのか!」
ドットの威嚇。
それは、アネモネが最も恐れていた「特別視」を、強引に「守るべきもの」へと塗り替える咆哮だった。
「……余計なことしないで。万死に値するわ」
「へへっ、いいんだよ。お前は俺の後ろで、ふんぞり返ってりゃいいの!」
ドットはアネモネの皿に勝手にサラダを盛り付ける。
アネモネは、毒を吐くことすら忘れて、その横顔を盗み見た。
(太陽……。本当に、この男は……)
彼女の心に巣食う「孤独」という名の猛毒が、ドット・バレットというあまりにも眩しい光によって、少しずつ、けれど確実に中和されていく。
しかし、そんな二人の様子を、遠くから冷ややかな目で見つめる影があった。
「毒」を「不吉」と断じる、この世界の歪んだ正義が、彼女を放っておくはずもなかった。
🔚