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24 舞 (本当のエピローグ)
『今は昔、~』の24話。
本当のエピローグです。
この話をあなたが読んでいるということは、暦の季節は春になっているということを意味すると思う。
あの後どうなったかって?
そうだな。とりあえず……、ぼくは無事だということは伝えたい。
あの雨が降り始めたとき、一時はどうなるかと思った。一気に降水の水深は増していき、数か月前の洪水を彷彿とさせる避難喚起のサイレンも鳴り始めた。
何もできなかった。『彼女』がなぜ怒っているのか、ぼくには見当もつかなかった。ぼくにあったのは……着物を着た人形という姿だけ。
前回の場合はそこでぼくが祈って、止んでくれたのだが、今回ばかりは祈りでは済まなそうな感じがしていた。
まだ止まなかった。降り続いている。水位は増していき、石の土台から鳥居のほうへ上がった。鳥居の、|額《がく》のついている部分にまで達し、すべてを覆いつくそうとしていた。
どうすればいいんだろう……ぼくは途方に暮れていた。
ふとぼくの手元を見た。持っているのはこの泥にまみれた木の棒のみ。こんなのでどう太刀打ちすればいいのやら。というか、なんで今まで肌身離さず持っていたのだろう。こんなの捨ててやる!
ぼくはその棒を手放そうとした。そのとき。
……あ。
そこでぼくはリンクした。とある場面が不死鳥のごとく現れる。警告文が頭のなかで流れ続ける。違和感のあるノイズが耳元で囁かれる。
現実から暗転して、モノクロの映像がちらつく。篝火のクローズアップ。影で動く人々の喧騒。燃え盛る社殿。炎。幼い男の子。その子に面を預け、一人歩くうら若き女性。
そして、モノクロであっても鮮明に動く『彼女』の踊り……
木の棒を目前まで迫る湖に差し入れる。雨に打たれる湖面。雨音で形作られた空気で、おぼろげな会話が蘇る。
――だめでしょ。物を粗末に扱っちゃ。
大量の雨。僕には見えないけれど、春の兆しを多分に含んでいる。手を水の中へ。バシャバシャと棒を水洗いした。
冷たくない。あたたかい……攻撃的でない。
ぼくはこの雨と向き合わなかった。どうしてだろうと思った。それは、よく分からない。霞のように、霧のように。輪郭のない自身の忘れられた記憶のなかにあるようだった。
夢のように、そのときいった、魔法の言葉。
でも、洗えばまた使えるもん。って。
湖のなかで変化があった。今まで硬かった茶色いだけの棒の表面。木の皮が刃物で削られるように、中身が露わになっていく。白いと思った。同時にぐにゃりと柔らかくなった。長く水に浸かったからだろう。横へ、横へと広がっていく。
蛇腹の折り目が見えてきた。別の色が見えてきた。黄色。辺りに散らばる美しき文様。
慎重に開いていた手つきに加速度が加わる。完全に本来の柔軟性を取り戻し、最後は一気に開いた。トビウオのように水中から飛び出す。水滴をまき散らし、ぱさり、と開いた。〝扇〟になった。
広げた横幅なんて二センチも満たない。それが細密な模様を描き出している。黄色い鳥が凛として、咲く花の如く中に留まっていた。
扇を天に掲げると、雨はすぐに止んだ。どこからか光が直線上に差し込んだ。扇に当たり、一気に乾かした。黄色がますます光って、神々しくなり、それが戻って天へ。
雨雲は流れず、その場で、空で、瓦解していく。消失していく。空は明るさを取り戻した。
『彼女』が|慶《よろこ》んだ。その事実にぼくは達成感とともに、ふーっと尻もちをついた。
★
雨が止んだのは良かった。でも、ぼくのなかで不可解なのはこのすぐ後のことだった。
雨が止んだことで、空は明るさを取り戻したが地面はというとひどい有り様になっていた。
湖。
湖を滝壺に見立て、出現した期間限定の滝たち。水の束が上から下へと滴っている。いくつもの滝が生まれている。
ビル群の屋上にも、ここと同じ規模の〝湖〟があるのだ。その湖を水源に、ちょろちょろと水が流れ出ている。この場所をいっそう幻想的な庭とさせている。
その不可解な出来事は、ぼくがせっかく祠の残骸たちを土台から落としてきれいにしたというのに、水かさが増したことで元の場所にまで上がってきたことにモヤモヤっとした気持ちを抱えていたとき。
なんだよ、せっかくきれいにしたのに、戻ってこないでよと先ほどまでの苦労が水の泡だと思っていたところ、後ろの方でどぼん、という大げさな音を聞いた。
正体は木組みの祠である。
祠が、上から落ちてきたのである。したたる滝に従って。
いや、そんなことある?
そしてどんぶらこ、どんぶらこ、と元々祠があった石の土台に進んでいく。
鳥居に引っ掛かった。このまま水が引けば、これが『新たな祠』になるだろう位置に留まった。
……いやいや、そんなことある?
どこから来たんだ、この祠。
鳥居から新たな祠に飛び移る。戸を開けて中の様子を見てみた。何もない……な。内装も普通だ。
鳥居に戻り、座って考えてみた。どうせ、多分、十中八九『彼』の仕業だろう。こういうサプライズを企てるの、好きそうだし。
今度『彼』が来たら、この祠について聞いてみよう。どこから盗んできたんだこれ、と。
それまでこの悶々とした気分と同居するのはちょっとあれだけど。
そういえばいつ来るんだろう。次は何日後に来ると、告げていたのだが。まあ、そのうち来るだろう。
でも……やっぱり。納得がいかないので空をにらんだ。
「これ……もしかして〝ノアの箱舟〟とかけてんの?」
★
少し水位が下がって、鳥居の土台と祠の載った石の台のつなぎ目が見えるまでになった。そういうわけで『新たな祠』は無事代替わりし、地に足を付けて立派な姿を取り戻している。いいね、木材も腐ってなさそうだし。新居って感じがする。いいね!
あとは『彼』がサプライズの再来とかいって、ぼくごと空に打ち上げたり、なんかの拍子に人が来て、火を付けられたりしなければの話なのだけど。
今、簡潔に振り返ってもめちゃくちゃだな。こんなことがほんの数日前にあったなんて、今のぼくでも飲み込められない。
でも、身体が動くようになったことは大きな利点だと思える。自由を手に入れたことで行動範囲が広がった。やはり微動だにできないというのは退屈だったなと動きながら思う。
期待感でいっぱいだ。今は洪水となっていて外に出て行くのは無理だろうけど、目の前の湖となったこの場所を散策するのは気分がいい。
目の前は相変わらずの湖と化している。けれど、前の洪水とは違うのは水の色だ。
数か月前のものは真っ黒だった。それに比べて今は透明だ。これなら顔につけてもいいし、泳いでもいい。そう思えるほどに水は澄んでいる。でも、ぼくはそれをしないで済んでいる。水面に浮かぶものがあるからだ。
かつてあった祠の残骸たち。大小あわせて30は浮かんでいるだろう。それらがある種、浮き橋の橋桁の役割をしているため、飛び石の要領でぴょんぴょんと乗り継いでいくことができる。
少し大きな浮島……木片にて足を止めて、湖の底を見た。今だけしか見れない光景が底面にあった。
今までくすんだ石畳は水流で洗われ、白さを取り戻している。苔むした地面もまた、海藻がぼくのステップで揺らめく水の波紋で、やさしく揺らめいているように見える。それらが差し込まれた陽の光にさらされ、湖の中で白い塗料を溶かしているかのようだ。
幻想的な美しさを醸し出している。幻想的な庭にふさわしい、おとぎ話に出てきそうな湖。ここから何かが出てきてもおかしくなかった。
ぼくはそれにつられて、つい前のめりになってしまった。あ、やばい。この浮島、元は腐った祠の木片だったんだ。腐っているということを忘れ、どっしり身体を預けていた。そしてぼくは重い。桐でできた人形……。
それで浮島は真っ二つになってしまい、ぼくは湖に投げ出された。浮くかどうか、一抹の不安が産生されたがちゃんと浮いた。良かった……ぎこちない初めての泳ぎをして別の浮島に登ろうとしたとき、すぐ近くにあるものを見つけた。
これは……。
水の表面に手を伸ばした。
★
昼に見せた幻想的な庭も、夜になるといつもと同じ景色になる。
ここに光は届かない。届くのは微量の月あかりと星あかりのみ。今夜は新月なようで月は見えず、同時に星も見えない。
真っ黒に塗りつぶされたら何も見えない。
だから――誰にも見られない。
見つけたのは、白いお面である。上側に細長い、赤く塗られた耳があり、口元は手前側に出っ張っている。目は吊り上がり、瞳の部分に穴が開いている。
狐のお面である。口元の一部は欠けているものの、大したものではない。なぜならお面の大きさは大体2㎝かそこらだから。
湖の上でこれを見つけたとき、思わず顔に|嵌《は》めてみた。ぼくにぴったりだった。
これは偶然だろうか。いや、違うと思う。だって、と手元の扇を見てみた。これも、あれも、それも。それも、とは、言うまでもない。
夜と呼ばれる暗闇のなか。ぼくは踊った。
あの時見た、霧にむせぶ夜のなかで見た夢はぼくには関係がないのかもしれない。
『彼』が言うように、壮大な物語にしたいだけかもしれない。
あの時見た夢の内容を信じたいから。だから、自分に都合の良いものを形作っては目の前の湖の上に浮かべ、幻想から現実へと具体化をさせたいからかもしれない。
でも、それでもぼくは。『彼』とは違い、前世は人間だったから。ぼくは、踊らなければならない。練習しなければならない。
夜の帳の色は闇一色だった。だからこすれあう着物の音も、小さな扇の開閉音も、慣れないステップを踏むぼくの一人稽古の風景も、すべて飲み込んでくれる。
かたかた……かたかた……。
偽物の箱でスタンバっていたとき、スピーカーから聞き流していた話の一部が思い起こされる。話に出てきた人形は、箱から出て人知れず踊っていたのだという。その人形も、『夢のなかの彼女』も、このように一人で練習していたのだろう。
そのとき、あちらの方角から人工的な光が差し込まれた。灯台が海を照らすように上下左右に揺れて、|踊り《ぼく》を捉える。とっさに扇で顔を隠した
「ひっ!」
という叫び声がビルとビルとの隙間から聞こえた。逃げていく。あの荒々しい足音じゃ多分もう来ないだろう。
ぼくは扇を少し動かして、欠けた面からのぞかせる自分の口元を隠す……どうしたら上手く『舞を魅せる』ことができるのだろう。
そうした思いを胸に抱きながら、暗闇のなか、何も起こっていないように練習を再開することにしたのだった。(了)
これでエピローグは終わりとなります。最後まで見ていただきありがとうございました。
数日後にこの小説の『後日談(設定集的談話)』が予定されています。
また、この小説にてファンレターを募集しています。ぐっと来た場面、台詞などありましたら是非この機会にひと言でも大丈夫ですので送ってください! よろしくお願いします。