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強者と弱者
モルズの蹴りで魔獣が吹き飛ぶ。
あの後、レイの案内でモルズは自身の担当区域に向かっていた。
並の人間では追いつけない速度で疾走するモルズに、涼しい顔で着いていくレイ。揃って異常な二人だった。
「進路をもう少し右へ!」
背後から追い縋る魔獣を歯牙にもかけず、レイとモルズは戦場を駆け抜ける。
「分かった」
レイの指示に従い、進路を変更する。
なぜ、目印となる物がほとんどないこんなところでまともに道案内ができるのか。
モルズに追従できる脚力は一体どうしたのか。
はじめこそ疑問が尽きなかったが、今のモルズは黙ってレイに従うようになっていた。考えるのを諦めたとも言える。
「九時の方向より、魔獣の群れが接近しています。警戒を!」
「分かってる」
モルズは苛立たしげに答えた。向かってくる魔獣を殲滅できないのが我慢ならないらしい。レイの手前、急に立ち止まって戦い始めることがないように気をつけている故、余計に。
「いけるか?」
「はい」
短い問答。レイの承諾の後、モルズが速度を上げる。レイも同様に速度を上げ、未だ追い縋る魔獣を振り切った。
「お前、強いよな。戦わないのか?」
魔獣の攻撃を避けながら、モルズはレイに問いかけた。
あれだけの速度が出せるのだ。身体能力としては、並みの傭兵を凌ぐはず。
「私には、前線で戦い続けるより、誰かの助けになる方が性に合っているのです」
「そうか。まあ、事務方の業務だとしても、ある程度の力はいるだろうしな」
その最たる例が今の状況。クライシスに来たばかりで右も左も分からない傭兵を、前線まで案内する仕事。ある程度の力を持たなければ務まるまい。
「さて、着きましたよ」
レイが指差したのは、死屍累々といった言葉がふさわしい死の大地。魔獣の死体が積み上がり、傭兵の死体がそこかしこに転がる。
「すみません。回収の頻度が追いついていませんもので」
転がる死体を見やりながらレイが告げた。
回収し切れずに地面に散らばった装備を見て、ここで戦う傭兵の戦力を推し量る。――モルズと肩を並べて戦える程度。
身につけていた者が装備に見合う実力者だったならば、ここは名のある者でも命が危ない戦場。まさに死の大地。
そんな様子を目の当たりにして――
モルズは、己の戦意の昂りを感じた。
短剣を抜いて、軽く素振りをする。問題なし。それどころか、昼食でエネルギーを補給した分先ほどより調子が良い。
モルズたちに気がついた魔獣が吠える。数秒後、遠くから駆けてくる足音がモルズの耳に届いた。
そのまま仲間を待てば良いものを、魔獣は無謀にもモルズに捨て身の攻撃を仕掛ける。
その動きには迷いがない。
純粋な殺意。
常人なら足がすくんでしまうような迫力の攻撃を前に、モルズの思考は依然として冷静なまま。
――右。
魔獣の攻撃を見切り、首筋に致命的な一撃を叩き込む。
ほどなくして、魔獣は息絶えた。
赤い毛皮。美しい、というよりは禍々しいといった赤。
濁った赤黒い瞳が、光を失ってもなおモルズを|睨《ね》めつける。
「血狼か」
厄介だ、と言わんばかりの苦々しげな表情。
駆けつけつつある魔獣は、全てが血狼。数は、およそ五体。
生半可な態度で臨めば、死ぬ。
――血狼が姿を現した。数はモルズが感知した通り、五体。
仲間の死体を踏みつけ、モルズと対峙する。
モルズと血狼の視線がぶつかった。
お互い、相手の隙を探る。
ざり、と土を踏みしめる音。
読み合いに耐えかね、最初に動いたのは血狼だった。一拍遅れてモルズも動き出す。
五体が一斉にモルズに飛びかかる。
だが、接触の瞬間にモルズに触れたのは一体だけだった。他の四体は走る距離や速さを微妙に変え、モルズと接触するタイミングをずらしていたのだ。
ずらしたといっても一瞬のこと。最初の一体の攻撃が繰り出された次の瞬間には、二体目、三体目の攻撃が届く。
運の悪いことに、モルズが初めに迎え撃とうとした相手は、四番目に到達する血狼だった。
肩透かしを食らった気分になりながらも、モルズは一体目の攻撃に短剣を合わせる。
一体目の攻撃を弾いた。力加減や角度を上手く調整し、二体目の攻撃に当てる。
三体目の攻撃を、体をひねることで紙一重で躱した。
攻撃を躱したモルズに、四体目の爪が迫る。体と爪の間に短剣を滑り込ませ、間一髪のところで逸らした。金属と爪がぶつかり、不快な音を奏でる。
四体目の反対側から、五体目が現れた。
モルズは回避直後。短剣は血狼の反対側。避けようもなく、受け流すこともできない。
ようやく傷を与えられそうだと、血狼の顔が喜悦に歪む。口が大きく開いた。
モルズは足を大きく振り上げ、血狼の顎をかち上げた。
自身の思わぬところで強引に口が閉じられ、血狼が情けない悲鳴を漏らす。その際に少し暴れ、爪がモルズの肌を薄く切り裂いた。
血狼の気が逸れた隙に、モルズが体勢を立て直し、短剣を振るう。短剣は血狼の首筋に深々と突き立ち、血狼から血が噴き出した。
まずは、一体。
一度大きく距離を取り、状況をリセットする。間髪入れずに大きく踏み込み、呆気に取られる四体目の首筋を切り裂いた。
これで、二体。
モルズの接近に気がついた一体目が爪を振るう。モルズは避けて速度が落ちるのを嫌い、首を軽くひねって致命傷を避けるのみに留める。顔に浅い切り傷ができた。
短剣を血狼の腹に突き立て、内臓を縦に切り裂いた。
残り、二体。
血狼を切り裂くモルズの足に噛みついてやろうと、二体目が口を開く。
モルズは腰をひねり、その勢いを切っ先に乗せて血狼の喉に穴を空けた。
あと、一体。
残った三体目はくずおれる二体目の爪に運悪く巻き込まれ、胸に風穴が空いて死んだ。
――これにて、血狼討伐完了。
短剣を軽く振り、血を払う。
「わあ、すごいですね!」
足元の魔獣を片手で縊りながら、レイは言った。
「そうか? お前も大概だろう」
レイにとって戦闘とも呼べない行為。その中に一瞬だけ見えたレイの実力。それなり以上ではあるモルズに並ぶほどに見えた。
「それよりも。また、来てますよ?」
「ああ、全く。休まらないな」
騒ぎを聞きつけた魔獣の群れが、モルズたちの方へ向かってきていた。
群れの中で一番強い個体でも血狼以下。その代わり、数は多い。
――その数、およそ五十ほど。
モルズは、短剣を持って飛び出した。
魔獣の群れに突っ込み、内側から撹乱する。
初めはわけも分からず斬られていた魔獣だが、内側に|モルズ《侵入者》がいると気づくと攻撃を始めた。歯、爪、はたまた別の器官。モルズを殺すために繰り出される一撃を避け、弾き、躱し、いなして、群れを内側から破壊する。
――魔獣の爪が掠った。前足を根元から断ち切ってやった。
――魔獣の息が腕にかかった。隙だらけの口の中に短剣をねじ込んでやった。
――全身に凶器を生やした魔獣が突撃してきた。突撃を躱すと、複数の魔獣に針が刺さっていた。
全身に数え切れないほどの切り傷、打ち身を作りながらも、モルズは魔獣を殲滅する。
魔獣は寄せ集めの集団だった。血狼より遥かに弱い。知能もない。各個撃破するのは簡単だった。
「はあ……はぁ」
肩で大きく息をする。モルズの周囲に魔獣の姿はなく、全てが死体となって地面に積み重なっていた。
レイの周辺にも、いくつか魔獣の死体がある。モルズの戦闘音を聞きつけて寄ってきたのかもしれない。
「……帰らないのか?」
ここまで案内してくれたし、あれだけ強いのだが、それでもレイは事務方の仕事。帰ってやるべきことがあるだろうと、レイに声を掛ける。
「はい。初日ですし、最後まで見守ろうかと。本日の業務も終わっていますし」
「そうか。死なないように……は大丈夫か」
有象無象の相手ではレイに傷を与えることが精一杯だろう。それも、十体単位の群れでやってきてようやくだ。
「ご武運をお祈りしております」
「ああ」
モルズは力強く返し、再びやってきた魔獣の相手を始めた。
◆
魔獣の死骸が積み重なっている。
モルズが魔獣の群れの相手をすること、十回。モルズがその手でとどめを刺した魔獣は、二百五十体ほど。
魔獣の集まりが悪くなったため、五回目以降からは場所を少しずつ移しながら戦った。
「はあ……」
次の魔獣がやって来るまでの僅かな時間。モルズは立ち止まって息を整え、可能な限り体力を回復させている。
それでも、あと一度群れと戦えば限界が来そうなほどの体力しか残っていなかった。街に戻るまでの道のりでも戦闘が発生することを考慮すれば、ここらが引き時。
「……そろそろ帰ろうかと思う」
「ええ。相当お疲れのご様子ですし、そうした方が賢明だと思いますよ」
戦闘のほとんどはモルズが担っていたとはいえ、まだ十分に体力を残していそうなレイが言った。
「案内を頼む」
魔獣の死体を除き、辺りには目印となるものが何もない。死体の多いところを辿り、レイに連れてきてもらった地点に戻ることはできるだろうが、その先に進むのは無理だ。
「任せてください」
レイは自信満々だ。実際、ここまで連れてきた実績があるのだから、能力は疑うべくもない。
レイがモルズを先導する。
クライシスに戻るためにはただ直進すれば良いだけのはずだが、なぜか右に曲がったり左に曲がったり、時には戻ったりしながら進む。
「なあ、なぜこんな回り道を?」
「モルズさんはお疲れでしょうから、魔獣の少ないところを通っていこうかと」
レイの言葉の通り、ここまで一度も魔獣との戦闘は発生していなかった。それどころか、見かけた魔獣の数は片手の指で数えられる程度。
「実は、魔獣の密度にムラがあるんですよ」
レイは、魔獣の少ないところをほぼ全て把握しているのだとか。
「まあ、そんなところは無数と言って良いほどたくさんありますし、そこだけを選んで通るのは大変なので、オススメはできませんが!」
そう言ったレイの言葉には、戦場を案内できることへの誇りが滲んでいた。
レイが歩く道を、モルズは後ろにぴったり着いて歩く。
「なんでそんなに真後ろを歩くんですか?」
「ん、いや……」
レイと横並びで歩いていた時、一度モルズたちに気がついた魔獣に襲われかけたことがあった。そう話すと、
「ああ! あれですか。あれは私も悪かったんですよ。続く道との兼ね合いで、移動距離が短くなるように歩いていたら安全圏ぎりぎりになってしまって。もう大丈夫ですよ、次からはぎりぎりにならないように気をつけますから」
レイは申し訳無さそうにモルズに言った。
その言葉の通り、モルズたちが魔獣を見かけても、もう魔獣は彼らに気がつくことはなかった。
「もう少しですよ」
何度も回り道をして本来の距離の何倍も歩いたが、そろそろクライシスに着くらしい。一度も接敵がなかったおかげだろう、行く道に比べ体力の損耗が格段に少なかった。
「はい、着きました」
最後、残った道を真っすぐ進み、クライシスに到着。
レイ曰く、ここは魔獣の密度が小さい場所の中でも最大の空白地帯らしい。
「それでは、明日、傭兵組合までお越しくださ――」
い、とレイが言い切る直前。
「よう、レイ! 久しいな!」
現れた男がモルズの体に影を落とす。
服の上からでも分かる筋肉。それを十全に扱える体格。体の大きさに比例し、大きな声。
「呼び捨てにしないでください」