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五
ここは幹部以下の人間は立ち入り禁止となっている、通称幹部棟。幹部棟には指示室や事務室の他に、幹部たちの自室がある。
その部屋のひとつの中で、青年がコーヒーを飲んでいた。
青年の名は葉黒凪ざくろ。深緑の髪に海のような色の目、首に下げた黄色いヘッドホンが特徴的な男である。オーバーサイズのトレーナーは、その名に冠する通り柘榴のような赤だ。
ざくろはコーヒーを飲み終えると立ち上がった。服の裏に潜ませている短剣が、微かな音を立てる。
ざくろは元殺し屋だった。始末した人間の後処理に困っていたところ、工場Uを知り、今は殺し屋は辞めている。幹部にも副業は認められていないのだ。
「さぁてと。暇だし侑あたりに絡みにいこうかなぁ」
小さく呟いてざくろは部屋を出た。さっき指示室に向かう侑を見かけたので、その近くに行けば会えるだろう。
侑は真面目だが、立場や歳の近い相手に対してはフレンドリーなので、ざくろも気に入っている相手だった。
幹部は情報を秘匿されているので、従業員たちの棟に行くことができない。だからざくろたちの人間関係は幹部五人の中で止まっていた。
ざくろはそれが少し不満である。彼は殺しの対象以外には優しく人好きな性格なのだ。
廊下を歩いていくと、やはり侑がいた。スーツに包まれた背に向かって声をかける。
「おーい、侑!」
「…ざくろか。どうした?」
振り向いてざくろの姿を認めた侑はにっこりと微笑んだ。ざくろは侑の肩に手を回し、彼の手元にある書類を覗きこむ。
「何それ。なんの書類?」
「…あまり大きい声では言えないんだが…従業員の失踪だそうだ」
「失踪ぉ?」
ざくろは眉を顰めて呟いた。侑も険しい顔で言う。
「ああ。こんなことは初めてだろ?まだ幹部以下の人間には知らされていないが、それでも失踪した奴の同僚たちはどうしたって気づくから、話が広まるのも時間の問題だ」
「下手に尾鰭のついた噂が流れても困るしなぁ。そいつ、職種は?」
「作業員だ。人間関係や仕事上の問題があったというような報告もないし、至って普通だった。
それにおかしいのが、俺たちにも未だ失踪の理由が不明だという点なんだ。この程度のこと、すぐに調べ上げられるはずなのに。まるでベールがかかっているように、真相にたどり着けない」
有能な侑が言うのだから、事態は深刻なのだろう。そう思うのと同時に、ざくろはこの生真面目な同僚がまた気を張り詰めていることにも気づいていた。戯けたように言ってみる。
「しっかし、人間ってほんと面白いよなぁ。バカバカしくてさぁ。
せっかく高給な会社に勤められてるってのに、自分から逃げ出すなんてよぉ。俺はそんなことしないぜ?ここが好きだからよぉ。積極的に皆と呑みに行くし」
「まだ逃げ出したと決まった訳ではないがな。それよりお前は呑みたいだけだろう」
言いながらも侑の表情は幾分か柔らかくなっていた。ざくろは侑の肩を軽く叩き、
「俺も調べてみる。あんま無理すんなよぉ」
と囁いた。
「ああ、ありがとう」
侑も微笑み、自分を追い越して歩いていくざくろの背中を見送った。