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3 御白敬人氏とサラの場合
今日は木曜日。
なにやら兄が走り去っていくのが窓から見えたが、いつものことなので、サラは気にしなかった。そうこうしている内に、昼休みは終わりを告げ、午後は総合学習の時間を使って、今度行われる校外学習の話し合いをすることに決まっていた。
自由な校風なので、行き先の決定から始まる。
だが、誰もしきらない。先生は不在だ。
サラは退屈に思いながら、窓の外を流れる雲を見ていた。
「静粛に!」
すると。
それまであわあわしていた学級委員長の隣に、一人の男子生徒が立った。
クラスメイトの御白敬人だ。
「これじゃあなにも決まらないじゃないか。委員長、あとはボクに任せて座っているといい」
「あ、ありがとう御白くん……!」
助かったというような顔をして、学級委員長は席に着いた。学級委員長は、このクラスではくじ引きで選ばれた。サラはこれまで絡みのなかった敬人をじっと見る。茶色い髪を七三に分けている。その髪質が艶があるからなのか、それとも顔立ちと雰囲気からなのか、とても華やいだ印象を与えるのが、敬人だった。
「まずは、行き先の決定。校外学習として――」
そこから手際よく敬人が仕切り、行き先・校外学習のテーマ・班などが決定していった。それまで退屈だった総合学習の時間だが、皆も楽しそうにやる気を出し、クラスの空気が一変した。こうして、放課後になるまでの間、話し合いは行われ、時間通りに、この日決めるべき事は全て決まって終了した。
その頃には、すっかりサラは敬人に惚れていた。
「ねぇ、敬人くん」
帰り際。
生徒玄関を出ようとした敬人に、サラは追いかけていき声をかけた。
「ん? なんだ?」
「私、敬人が好きになっちゃったの! 私と付き合って!」
「――ハッ、オマエも御白財閥の金目当てなのか?」
呆れたように、吐き捨てるように敬人が言う。するとサラが大きく首を振った。
「ううん。さっきの総合学習の時、凄かったなって思ったの。リーダーシップ、最高。あんなの敬人くんにしか出来ないもの。かっこよかったの!」
「っ、ボクは将来系列企業を束ねる御白財閥の当主になるんだ。だからこれくらいのことなど、お茶の子さいさいじゃないと」
ツンっとして、ぷいっと顔を背けた敬人であるが、褒められて嬉しくないわけではなかった。ただ、根が真面目な敬人としては、何故最初から皆が真面目にやらないのかという苛立ちがないわけでもなかった。
「そうなのね。一緒に帰ってくれる?」
「ボクには送迎の車があるし、運転手も待っている。それより、付き合うというのは本気なのか?」
「ええ、勿論!」
「……別に構わないぞ。ボクにはいけ好かない婚約者がいるんだけどな、彼女との将来は見えない。だから、お試しであれば、婚約者がいるのを前提にしてなら付き合ってもいい」
敬人の言葉に、パァァっとサラの顔が明るくなった。頬に朱を差している。
「これから宜しくお願いします!」
「それで、付き合うとは何をするんだ? ボクが考えていいのか? 一応サラくんの希望を聞こう」
「えっと……あ! お家デートがしたな。今日お兄ちゃんが早く帰ってるはずだから、おやつも用意して貰える日だし」
「ふん。いいだろう」
と、こうして二人は、加納家へと、敬人の家の車で向かった。
中へと入ると、ひょいと歩夢が顔を出した。
「いらっしゃい。ええと――……お友達? 彼氏?」
「敬人くんは、私の彼氏なのよ!」
「……彼氏よりの友達です」
敬人がボソっと言った。歩夢は敬人の言葉の方が正しいような気がしたが、妹の言葉を否定することもせず、リビングに二人を案内した。そしてシフォンケーキに生クリームを添えて、二人に差し出した。紅茶も淹れる。
「美味いな」
「でしょう? お兄ちゃん、本当に上手なの」
「ボクの許婚もこういうのが好きなんだ」
「ふぅん。作ってもらうの?」
「ボクも許婚も、パティシエが作って差し出してくれる立場の人間だ。ただ……ボクの許婚は自分でやるのも好きみたいだ。それを逆に使用人に振る舞ったり。彼女は優しすぎる。財閥のトップの妻としては相応しくない!」
語調を強めた敬人に対し、サラが首を傾げる。
「私は、誰かのことを思って作るって、凄いことだと思うわ。私は作れないけど。お兄ちゃんのお菓子も大好きだし」
「うーん。お菓子作りと紅茶は沼だからね。コアな趣味というか。許婚さんが好きなら、そこまで束縛しなくてもいいんじゃないかな?」
歩夢が苦笑している。
しかし敬人は不服そうだ。
「どうせ俺には理解不能なんだ。歳を取ると分かるのか?」
その時ドアの開く音が響き、リュウトが帰ってきた。
「え? 許婚がいて年上なの? お姉さん? 可愛い?」
「う、うるさい。か、かわ……えっと……」
敬人が口ごもる。照れているようだ。
「ちょっとぉ、サラの彼氏なの!」
「え? サラに彼氏? 見る目ないね!」
頬を膨らませたサラと目を丸くしているリュウト。そこからは、四人での会話となった。主に敬人の許婚の話をしていた。
「ボクと彼女は、家同士が許婚という関係を決めたんだ。ボクが五歳で、彼女は少し年上で、ピアノの発表会が一緒で、そこで初めて会ったんだ。でも、五歳の頃の一歳差って、大きいだろう? ボクは……なんというか……人に後れを取るわけにはいかないのに、気圧されたんだ。ただ話してみたら優しかったんだ。ボクはそういうところが……っ、いいや、気のせいだな」
つらつらと敬人が語る。
「ただ、彼女の父親も政略結婚と思っているようだ。これは彼女が少しかわいそうに……いや! ボクは何も言ってないぞ! 別に彼女が家のための駒にされているだなんて言っていない!」
敬人は以外と思ったことが口から出ていくタイプのようだ。あまり興味の無い様子でリュウトはシフォンケーキを食べ、歩夢はみんなに紅茶のおかわりを淹れる。サラだけが、うんうんと耳を傾けている。
「昨日、ボクは早退しただろう? あれは、御白財閥の後継者として、グループの重鎮達に挨拶をするためだったんだ。その直前、昼食は許婚と食べることになっていた。彼女の父にもボクは挨拶をする予定だったから、彼女もついてきていたんだ」
ティーカップを置き、敬人が長い指を組む。
それを額に当てた。
「そうしたら彼女は……昨日ボクに、無理しないでって言ってくれたんだ。こんなことは初めてだよ……い、いや、惚れたとか断じてそういうわけではない! で、でも……あんな……あんな風にボクを慮ってくれて……優しくて……大人で。ボクよりも大人で。結局ピアノの発表会で会った時から、ボクは彼女より子供のままなんだ。でも、それを認めるのは、ボクのプライドが許さない」
敬人の切実な声に、サラが立ち上がる。そして敬人の隣に立つと、バシンっと肩を叩いた。
「『好きだ』の一言でいいわ」
「なに?」
「『好き』ってきちんと、許婚さんに言えばいいの。他のことは、別に今言わなくてもいいの。でも、ちゃんと『好き』だけは、言ってあげて。声でも、文字でも、なんでもいいから。じゃないと、子供のまんまだよ!」
「っ」
「――サラ、サラは……自分から誰かを振ったことがないけど。けど! 今、振ります! さようなら、敬人くん!!」
サラの言葉に、敬人は目を丸くした。それから、自信ありげな表情を取り戻し、芯の強そうな瞳をサラへと向ける。
「そうだな。サラくんと付き合うのは、やっぱり無理だ! 無理無理、やっぱりボクは彼女のことが好きなんだって気づいた! ありがとう、サラくん! これからも良き友人としてよろしく頼む。円満に、別れよう」
明るい声で敬人が言った。
「ええ。これからも友達で――うう……うわぁぁぁああああん。振ったけど失恋が辛あぁぁぁあああい!」
サラがそのままリビングを飛び出した。
エントランスのドアが、続いてバタンと閉まる音がした。
「彼女にもいずれ、長続きする素晴らしい彼氏が見つかると良いな」
敬人のその声は、とても温かく響いた。
そんな木曜日もあった。
なおこれは、リュウトが牛乳をかけられる、前の週である。
迎えの車で、敬人は帰っていったのだった。