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二度目の人生は怠けません〜聖女の妹に嵌められた公爵令嬢、チートな魔力と剣技を磨いて未来を斬り拓く〜
雪城渚
冷たい石畳の感触と、首筋を撫でる冬の風。
ミリシャルノ・フランティカの人生は、そこで終わるはずでした。
「……見苦しいですよ、お姉様。最後までそんな顔をなさるなんて」
断頭台の上、隣に立つ妹アルシュミナ――アルミナが、扇の陰で口角を吊り上げました。
愛らしい桃色の髪を揺らし、聖女と崇められる彼女が囁いたのは、観衆には届かない呪いの言葉。
「お父様もお母様も、あの騎士様も……みんな私を選んだの。怠け者の悪役令嬢は、一人で寂しく死んでくださいね?」
鈍い音と共に視界が回転し、ミリシャの意識は暗転しました。
自分の「怠惰」が招いた、あまりにも惨めで愚かな幕引き。
(……もし、やり直せるなら。次は、絶対に奪わせない)
その強い渇望が、奇跡を呼び起こします。
「お嬢様、お嬢様!……まあ、まだお眠りですか?」
柔らかな陽光と、聞き慣れたメイドの声。
飛び起きて鏡に駆け込むと、そこには白銀の髪を乱した、6歳の自分がいました。
宝石のような金色の瞳は、まだ憎悪を知らずに輝いています。
「……戻ったんだわ。私が、すべてを失う前の時間に」
ミリシャは震える小さな拳を握りしめました。
今の自分はまだ、魔法も剣も磨いていない、ただの美しいだけの少女。
けれど、その内側には前世で後悔と共に焼き付けた「経験」と「知識」がある。
(まずは身体を鍛えなきゃ。公爵家の令嬢として振る舞いながら、裏では誰にも負けない力をつける。……そうだ、冒険者になろう)
この国で冒険者になれるのは12歳から。あと6年。
その間に、妹の甘い毒に蝕まれることのない、圧倒的な武力を手に入れる。
「お姉様ぁ、起きていらっしゃるの? 一緒にお庭で遊びましょう!」
部屋の外から聞こえる、幼いアルミナの可愛らしい声。
ミリシャは口元に完璧な笑みを浮かべ、鏡の中の自分に誓いました。
「ええ、今行きますわ、アルミナ。……今世は、あなたの思い通りにはさせませんことよ」
白銀の星と謳われた令嬢の、苛烈なる「やり直し」が幕を開けました。
メイドに整えられた白銀の髪を揺らし、ミリシャは重厚な食堂の扉をくぐりました。
「お父様、お母様。おはようございます」
カーテシーは完璧。前世では「面倒だわ」と投げ出していた礼儀作法も、今の彼女にとっては自分を守るための鎧に過ぎません。食卓には、かつて自分が処刑台へ送られるのを黙認した両親、そして——。
「お姉様、おはようございます! 今日もとっても綺麗だわ」
桃色の髪をふわふわと弾ませ、アルミナが天使のような笑顔で駆け寄ってきます。その瞳は濁りなく、純粋な憧れを湛えているように見えました。
(……ええ、そうだったわね。あなたはその顔で、私の婚約者も、名声も、すべてを奪っていった)
ミリシャは一瞬、吐き気を覚えるほどの嫌悪感を押し殺し、淑女の微笑みを貼り付けました。
「おはよう、アルミナ。あなたも、朝露の薔薇のように愛らしいわ」
「まあ、お姉様に褒められちゃった!」
アルミナが嬉しそうに席に着く。給仕されたのは、温かなスープと焼きたてのパン。前世の最期、監獄で啜った泥のような食事とは比べものにならない贅沢な香りが鼻をくすぐります。
しかし、ミリシャは気づいていました。
アルミナが、自分の皿にある「嫌いな野菜」を、さも当然のようにミリシャの皿へ移そうとしたことに。
「お姉様、これ食べてくださる? 私、どうしても苦手なの」
前世の自分なら「いいわよ」と笑って引き受けていたでしょう。そうやって、妹のわがままを「優しさ」という名目で肩代わりし、結果として自分を「甘やかされた無能な長女」に、妹を「可憐で守るべき次女」に仕立て上げさせてしまったのです。
「あら、アルミナ。聖女ともあろう方が、神の恵みを残すなんて、お父様が悲しまれますわよ?」
「えっ……?」
ミリシャは丁寧な口調のまま、逃げ道を塞ぐように告げました。金色の瞳が、冷徹な光を帯びて妹を射抜きます。
「わたくし、今日から心を入れ替えることにしたの。あなたを立派な淑女に育てるのも、姉であるわたくしの役目ですもの。……さあ、全部召し上がれ?」
「……。……ええ、わかりましたわ、お姉様」
アルミナの頬が、一瞬だけピクリと引きつりました。
桃色の瞳の奥に、戸惑いと、ほんの小さな「毒」が混じるのをミリシャは見逃しません。
(まずはこの小さな一歩から。食事、作法、そして魔法と剣……。あなたが私の隙を伺う暇もないほど、私は高く、遠い場所へ行ってみせる)
ミリシャは優雅にスープを口に運びながら、心の中でカウントダウンを始めました。
冒険者登録が可能になるまで、あと6年。
それまでに、公爵家の誰もがひれ伏すほどの圧倒的な「力」を、この小さな身体に刻み込むために。
放課後の柔らかな陽光が差し込む書庫の隅で、ミリシャは分厚い革装丁の本を広げました。
それは、一般の貴族令嬢なら一生触れることのない、高度な理論が記された魔導書です。
(前世の私は、自分の才能を「面倒なもの」として持て余していた。……なんて愚かだったのかしら)
白銀の髪がさらりと肩からこぼれ落ち、金色の瞳が高速で行間を追います。
彼女が探しているのは、初歩的な火や水の魔法ではありません。「魔力の効率的な圧縮」と、「無詠唱による発動」。戦いの最中に隙を作らないための、実戦的な技術です。
「……ふむ。魔力の回路を心臓ではなく、指先に固定するイメージ……これなら、詠唱という『無駄な時間』を省けますわね」
ミリシャが小さく指を鳴らすと、指先に豆粒ほどの、しかし直視できないほど高密度に圧縮された光の球が浮かびました。
本来なら、成人した魔導師が数十秒の詠唱を経てようやく生み出すエネルギー量です。
「お姉様? またそんな小難しい本を読んでいらっしゃるの?」
静寂を破ったのは、鈴を転がすような甘い声。アルミナです。
彼女は「お姉様と一緒に遊びたい無邪気な妹」を演じながら、ミリシャの手元を覗き込もうと近づいてきます。
(来たわね。……私の邪魔をして、時間を奪うつもりかしら)
ミリシャは表情一つ変えず、パタンと魔導書を閉じました。
「ええ、アルミナ。公爵家の長女として、少しでも知識を蓄えておかなければと思いまして。……そういえば、あなた、お母様から頂いた刺繍の課題は終わりましたの?」
「えっ……それは、まだ……」
「あら、いけませんわ。お母様はあなたの『聖女』としての清らかな振る舞いを期待していらっしゃるのに。わたくしがついていてあげますから、今すぐお部屋に戻って終わらせましょう?」
「……。……はい、お姉様」
「遊び」を「課題」にすり替えられ、アルミナの顔がわずかに強張ります。
自分を監視しに来たはずの妹を、逆に「教育」という名目で自室に追い返す。
アルミナが渋々書庫を去る背中を見送った後、ミリシャは再び本を開きました。
(さて、邪魔者は消えたわ。次は、魔力を剣に纏わせる『魔剣』の理論を調べなくては……)
ミリシャの指先で、再び金色の魔力が静かに、しかし激しく渦巻きました。
月明かりだけが照らす深夜の訓練場。
白銀の髪を高い位置で束ねたミリシャは、子供用の練習剣ではなく、あえて重い鉄の真剣を手に取っていました。
(前世の私は、この重さを「重荷」だと感じて投げ出した。……けれど今は、この重みこそが信頼できる)
彼女は書庫で学んだ理論を、即座に実行に移します。
「……魔力循環、展開。回路を剣身へ固定(ロック)」
低く呟くと、金色の瞳が夜闇の中で鋭く発光しました。
次の瞬間、ミリシャの身体から溢れ出た膨大な魔力が、呼吸を合わせるように剣へと吸い込まれていきます。
キィィィィン、と鼓膜を震わせるような高周波の音が響き、ただの鉄剣が、神々しいまでの光を帯びる「魔剣」へと変貌しました。
(まずは、一番単純で、一番強力な一撃を)
ミリシャは踏み込みました。6歳の小さな身体からは想像もつかない速度。
前世で見た一流騎士の動きを、チート級の魔力で強引に再現し、さらに最適化(アップデート)させていきます。
「――『閃光斬(フラッシュ・レイド)』」
一閃。
目の前に置かれた巨大な訓練用の魔石(硬度は鉄の数倍)が、音もなく上下に泣き別れ、断面は高熱でガラスのように滑らかに溶けていました。
「……ふう。無詠唱での属性付与は、成功ね」
ミリシャは額の汗を拭い、満足げに微笑みます。
しかし、その直後。
「……あら? お姉様、こんなところで何をしていらっしゃるの?」
背後から、凍りつくような甘い声が響きました。
茂みの影から現れたのは、寝間着姿のアルミナです。その手には、姉を探しに来たのか、小さなランタンが握られていました。
(チッ……気づかれたかしら。……いいえ、まだ慌てる時間じゃないわ)
アルミナの瞳は、真っ二つになった魔石と、ミリシャが持つ真剣を交互に捉えています。その表情には、いつもの愛らしさではなく、明らかな「困惑」と「警戒」が混じっていました。
「お姉様……その剣、どうしたの? それに、この石は……」
ミリシャは瞬時に魔力を霧散させ、いつもの穏やかな「公爵令嬢」の顔に戻ります。
「まあ、アルミナ。夜風に当たりに来たら、偶然ここにあった石が割れていたのよ。驚いてしまいましたわ。……剣は、護身用に置いてあったものを、少し持ってみただけですの。重くて、わたくしには扱いきれそうもありませんわ」
ミリシャは「か弱い姉」を演じ、重そうに剣を地面に落としてみせました。
「そう……ですわよね。お姉様が、そんなすごい魔法を使えるはずありませんものね」
アルミナは安堵したように笑いましたが、その桃色の瞳の奥には、拭いきれない疑念が澱(おり)のように沈んでいました。
(いいわ、今はそれで。……あなたが『おかしい』と確信した時には、もう手遅れになっているでしょうから)
ミリシャは妹の肩を優しく抱き、冷徹な勝利の予感を感じながら、屋敷へと戻るのでした。
妹視点
「お姉様、おはようございます!」
私は今日も、世界で一番可愛い妹として、お姉様に駆け寄る。
白銀の髪、金色の瞳。公爵家の長女として、まるでお伽話のお姫様のように美しいミリシャルノ。
悔しいけれど、その輝きは私の桃色の髪や瞳では逆立ちしても勝てない。
だから、私は決めたわ。
あのお姉様を「中身のない、美しすぎるだけの人形」にしてしまおうと。
(ふふ、今日も私の代わりに、あんなに苦いお野菜を食べてくれるのかしら)
お姉様は昔からお人好しで、怠け者で、私が少し「困った顔」をすれば何でも言うことを聞いてくれました。そうやって私が「健気な妹」を演じ続ける限り、お姉様の評価は下がり、私の価値は上がっていく……はずだったのに。
「……あら、アルミナ。聖女ともあろう方が、神の恵みを残すなんて、お父様が悲しまれますわよ?」
その瞬間、背筋に冷たい氷を押し当てられたような錯覚に陥りました。
向けられた金色の瞳。それは、今までのような「ぼんやりとした宝石」ではなく、獲物の急所を正確に狙う猛禽の目。
(……何、今の? お姉様なの……?)
お姉様に促されるまま、私は震える手で嫌いな野菜を口に運びました。
屈辱でした。お姉様をコントロールしているのは私のはずなのに、まるで見透かされているような。
その違和感は、日を追うごとに大きくなっていきました。
ある夜、私は屋敷の端にある古い訓練場で、見てしまったのです。
月明かりの下、白銀の髪をなびかせて剣を振るう、修羅のような人影を。
一閃。
鉄よりも硬いはずの魔石が、まるでお豆腐のように切り裂かれた光景を。
「お姉様……? その剣、どうしたの?」
私は必死に、いつもの「無知な妹」を装って声をかけました。
お姉様はすぐに剣を落とし、いつもの頼りない微笑みを浮かべて「重くて扱いきれませんわ」なんて言ったけれど。
(嘘。……絶対に嘘よ)
地面に転がった剣は、お姉様が手を離した瞬間に、その重みで深く土を抉っていました。あんなに重いものを、あの方はさっきまで、羽毛のように軽々と振っていた。
お姉様は、何を知っているの?
あの怠け者だったお姉様が、いつの間にあんな「力」を?
(……いいえ、認めないわ。私を出し抜くなんて、絶対に許さない)
お姉様が私より「上」に行くなんて、あってはならないこと。
もし、本当にお姉様が牙を隠しているのだとしたら、その牙を一本残らず抜いて、二度と這い上がれない奈落へ突き落としてあげなくては。
「お姉様……。うふふ、次の夜会、とっても楽しみですわね」
私は屋敷の廊下で、去っていく白銀の背中をじっと見つめました。
桃色の瞳の奥で、どろりとした黒い感情が渦巻きます。
お姉様。あなたが何を企んでいようと、最後には私の足元で泣き叫ぶことになるんですから。
埃の舞う書庫の最奥。ミリシャは金色の瞳に魔力を集中させ、壁の一部に隠された「血統認証」の魔法陣を見つけ出しました。
(前世では、アルミナが偶然ここを見つけ、失われた『光魔法』の適性を得たことになっていたけれど……。今思えば、あれも誰かの筋書きだったのかもしれないわね)
指先を少し切り、滴る血を陣に触れさせると、音もなく石壁がスライドしました。中に鎮座していたのは、鈍く銀色に光る魔導書――『星辰の息吹(アストラル・ブレス)』。
それは現代の魔法体系からは逸脱した、星の魔力を直接肉体に流し込む「古代魔法」の教本でした。
(これよ。アルミナが手にしたのは、この本の『写本』に過ぎなかった。本物の知識は、私のものよ)
ミリシャがその頁をめくると、文字が生き物のように動き出し、彼女の脳内に直接流れ込んできました。
普通の人間なら精神が焼き切れるほどの情報量。しかし、前世の絶望を乗り越えた彼女の精神は、それを力ずくでねじ伏せます。
「……っ、ふう。なるほど……これが、『全属性無効化(アンチ・マジック)』と、『時空干渉』の基礎……!」
手に入れたのは、単なる攻撃魔法ではありません。あらゆる魔法を無に帰し、一瞬だけ時の流れを加速させる、まさにチート級の対人・対魔物魔法。
(これで、アルミナがどんな『聖女の奇跡』を演じようとも、わたくしの前ではただの手品に成り下がるわ)
その時、書庫の外から微かな足音が聞こえてきました。
「……お姉様? こんな夜更けに、どちらにいらっしゃるの?」
アルミナの声です。彼女は「お姉様が何かを隠している」という直感を強め、執拗にミリシャを追い回すようになっていました。
ミリシャは瞬時に隠し扉を閉じ、新たに習得した『認識阻害(クローキング)』の魔法を自分にかけました。目の前をアルミナが通り過ぎますが、彼女はすぐ隣に立つ姉の存在に全く気づきません。
(ふふ、今のあなたは、私の影すら踏めない)
アルミナが焦れたように去っていくのを冷ややかに見送りながら、ミリシャは確信しました。
準備は整った。
公爵邸の大広間には、親族や高位貴族が集まり、中央には魔力を測定するための巨大な水晶柱が鎮座していました。
「まずは次女、アルミナ・フランティカ嬢。前へ」
神官の声に、アルミナが可憐な足取りで進み出ます。桃色の髪を揺らし、緊張したように、けれど計算し尽くされた仕草で水晶に手を触れました。
直後、室内を柔らかな桃色の光が満たします。
「おお……! 魔力値800! 10歳にしてこの数値、まさに聖女の再来だ!」
列席者から感嘆の溜息が漏れます。アルミナは頬を染め、恥ずかしそうにミリシャを振り返りました。
(どう? お姉様。あなたには一生届かない、選ばれた者の光よ)
その瞳には、隠しきれない優越感が渦巻いています。
「続いて、長女、ミリシャルノ・フランティカ嬢」
ミリシャは静かに歩みを進めました。白銀の髪が月光を反射するように輝き、金色の瞳は冷徹なほどに落ち着いています。
彼女は知っていました。前世の自分がここで出した数値は、わずか200。怠惰ゆえに魔力を練る術を知らなかったからです。
(今の私が全力を見せれば、この水晶は粉々に砕け散るわね。……でも、それはまだ早すぎる)
ミリシャは水晶に手を添えると、『古代魔法:星辰の息吹』を応用し、魔力回路を極限まで「圧縮」しました。表面上は穏やかに、しかしその奥底には万軍を滅ぼすほどの熱量を秘めて。
「……測定します」
キィィィィン!
水晶が、アルミナの時とは比較にならないほど鋭く、透き通った金色の輝きを放ちました。
「な……ッ!? 魔力値……測定不能(オーバーフロー)……!? いや、1500……2000を超えただと!?」
静まり返る会場。アルミナの顔から血の気が引き、桃色の瞳が驚愕に大きく見開かれました。
さっきまでの「800」という数字が、まるで子供の火遊びのように霞んでいきます。
「お父様、お母様。わたくし、今日の結果を見て決めましたわ」
ミリシャは完璧な貴族の微笑みを浮かべ、呆然とする両親と、震える妹を見据えました。
「公爵家の名に恥じぬよう、もっと広い世界で経験を積みたいのです。……12歳になったら、わたくしは冒険者としての道も歩もうと思います」
「ぼ、冒険者だと!? 公爵令嬢が何を……」
「あら、お父様。この力、ただ屋敷に閉じ込めておくのは宝の持ち腐れではございませんか?」
丁寧な口調ですが、その言葉には反論を許さない圧倒的な王者の風格がありました。
アルミナは、握りしめた拳が白くなるほど震えています。彼女が必死に手に入れようとした「特別」が、ミリシャの前では単なる「通過点」に過ぎないことを突きつけられたのです。
(さあ、アルミナ。絶望の準備はいいかしら? 12歳になったら、私はあなたの手の届かない『伝説』になるわ)
ミリシャの金色の瞳が、勝利を確信して細められました。
妹視点
(……勝った。ようやく、お姉様に勝ったわ!)
魔力測定の水晶が放つ桃色の光を見つめながら、私は心の中で快哉を叫んでいました。
数値は「800」10歳の子どもとしては、歴史に名を残すレベルの異例な数字です。
「おお……! まさに聖女の再来だ!」
大人たちの驚嘆の声。お父様とお母様の誇らしげな視線。
これよ。これが欲しかったの。
白銀の髪も、宝石のような金色の瞳も持たない私が、あの「完璧な人形」であるお姉様を引きずり下ろすための唯一の武器。
私はわざとらしく、お姉様の方を振り返りました。
(ねえ、お姉様? 今、どんなお気持ち? 自分がただの「綺麗なだけの置物」だと突きつけられた気分は――)
けれど、お姉様は動じませんでした。
それどころか、あの方は……。
「……測定します」
お姉様が水晶に手を触れた瞬間、世界が金色に塗り潰されました。
「なっ……!? 数値が……2000を、超えただと……!?」
神官の絶叫が、私の鼓膜を突き破るように響きます。
……嘘。
そんなはず、ない。
私の「800」が、まるでおままごとのような、ちっぽけな数字に見えてしまう。
(なんで……? なんでなの!? お姉様は、いつもお部屋でぼんやりしていたじゃない! 努力なんて、一度だって……!)
視界が歪みました。
お姉様が放つ金色の光は、あまりにも高潔で、あまりにも圧倒的で。
私が必死にかき集めた称賛の声を、すべて、一瞬で奪い去っていった。
「わたくし、12歳になったら冒険者としての道も歩もうと思います」
凛としたお姉様の声。
その瞬間、お姉様の瞳が私を射抜きました。
嘲笑っているわけでも、蔑んでいるわけでもない。
ただ、道端の石ころを見るような、徹底的な「無関心」。
(ああ、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!!)
私はドレスの裾を、指が白くなるほど強く握りしめました。
お姉様が「冒険者」なんて卑しいものになる? 冗談じゃないわ。
それは、私たちが届かない場所で、さらに自由に、さらに強くなるっていう宣言じゃない。
「……お姉様……っ」
私は、いつもの「可愛い妹」の顔を保てているのかしら。
顔が引きつり、喉の奥が焼けるように熱い。
お姉様は今、私の目の前で、私の人生を根底から踏みにじったのよ。
(許さない……。お姉様、あなたがどれだけ高い場所へ行こうとしても、私は必ずあなたの足を掴んで、泥の中に沈めてやるわ……!)
沸き上がるどす黒い嫉妬を、私は「聖女」の微笑みの下に必死に隠す。
けれど、震える膝だけはどうしても止めることができない。
王都の喧騒から少し離れた、鉄と酒の匂いが漂う一角。
重厚な木製の扉の上には、交差する剣と盾の紋章――冒険者ギルド「暁の獅子」の看板が掲げられています。
(……ようやく、この日が来たわ)
そこに立つのは、公爵令嬢ミリシャルノではありません。
魔法で髪を地味な灰褐色に変え、瞳の色も魔導具のコンタクトで深い藍色に偽装した、一人の少女。
動きやすい革鎧を纏い、腰にはあえて装飾のない、けれど極限まで研ぎ澄まされた鉄剣を差しています。
「……ふん、ガキが迷い込んだか?」
「お嬢ちゃん、ここはパパとママに隠れて遊びに来る場所じゃねえんだぜ?」
扉を開けた瞬間、荒くれ者たちの視線が突き刺さります。
前世の自分なら、その野卑な言葉に震えて逃げ出していたでしょう。
けれど、今のミリシャは違います。
「――登録をお願いします。受付はどちらかしら」
鈴を転がすような、けれど芯の通った声。
ミリシャは男たちの揶揄を風のように受け流し、迷いのない足取りで受付カウンターへ向かいました。
「……12歳? 本気か? 特例試験に受からない限り、子供は門前払いだが」
受付嬢が訝しげにミリシャを見上げます。
この国では、12歳での登録には「現役Cランク冒険者との模擬戦」という高いハードルが課せられているのです。
「構いません。その試験を受けに来ました」
「ははっ! 聞いたかよ、あのチビ。Cランクの『赤熊のガストン』に勝とうってのか?」
酒場エリアから爆笑が沸き起こります。
奥の席から立ち上がったのは、身長2メートル近い巨漢。返り血を浴びたような赤い大斧を担いだ男、ガストンがニヤリと笑いました。
「いいぜ、嬢ちゃん。怪我しても泣くんじゃねえぞ?」
訓練場へ移動する一同。
アルミナなら「可哀想な女の子」を演じて助けを呼ぶ場面。
しかし、ミリシャは静かに剣を抜き、『星辰の息吹』による魔力循環を開始しました。
「――準備はいいかしら。手加減は、死を招きますわよ」
丁寧な口調に、ガストンの顔から余裕が消えます。
ミリシャの放つプレッシャーが、ただの子供のそれではないことに、本能が気づいたのです。
「……野郎ども、笑うな。こいつは……ヤベえぞ……ッ!」
ガストンが大斧を振り下ろした瞬間、ミリシャの姿が消えました。
『時空干渉:縮地』。
次の瞬間、ガストンの首筋には、冷たく鋭い鉄剣の刃が添えられていました。
「……チェックメイト。わたくしの勝ちでよろしいかしら?」
静まり返る訓練場。
一歩も動けず冷や汗を流すCランク冒険者と、髪を一筋も乱さず微笑む謎の少女。
受付の女性に話しかけて登録しようとする。
「名前は?」
受付嬢が、驚愕で震える手でペンを握り直しました。
模擬戦でCランクの巨漢を一瞬で制圧した少女を前に、ギルド内は静まり返っています。
「……ミリノ。そう呼んでくださる?」
ミリシャ——今は「ミリノ」と名乗った少女は、灰褐色の髪を揺らし、凛とした声で答えました。
彼女が受け取ったのは、最低ランクの鉄(アイアン)プレート。しかし、その輝きはどの新人よりも鋭く、周囲の冒険者たちは道を開けずにはいられません。
「ミリノさん、ですね。……特例合格です。最初の依頼を選んでください」
ミリノが指差したのは、新人には到底無理と言われる「魔の森の変異種(ウルフ・バリアント)の討伐」。
高ランクパーティでも手こずる強敵ですが、彼女にとっては前世の屈辱を晴らすための、ただの準備運動に過ぎません。
一方、その頃。フランティカ公爵邸。
「お姉様……? またお部屋にいらっしゃらないの?」
アルミナは、ミリシャの私室の扉を乱暴に叩きました。
最近、お姉様は「読書に集中したいから」と部屋に引きこもることが増えていました。けれど、アルミナの鋭い嗅覚が、そこに漂う「隠し事の匂い」を嗅ぎ取っています。
(おかしいわ。食事の時以外、ちっとも姿を見せないなんて。……あの忌々しい金色の瞳、私を馬鹿にしているに違いないわ!)
アルミナはメイドを下がらせ、合鍵を使って部屋に侵入しました。
ベッドの上には、一見するとお姉様が眠っているような膨らみがあります。しかし、アルミナが毛布を剥ぎ取ると、そこにあったのは魔法で形作られた「身代わりの人形(デコイ)」でした。
「っ……! 騙したわね、お姉様……!!」
アルミナの桃色の瞳が、憎悪でドロリと濁ります。
公爵令嬢が、夜な夜な、あるいは日中に姿を消して何をしているのか。
自分に内緒で「力」を蓄え、自分を置き去りにしようとしているのか。
「いいわ。お父様に言いつけて差し上げてもいいけれど……まずは、その汚い尻尾を掴んであげる」
アルミナは自室に戻ると、闇ギルドと繋がりのある情報屋を呼び出す準備を始めました。
彼女はまだ知りません。
自分が追おうとしている「お姉様」が、今この瞬間、王都最強の魔物を一刀両断にしている伝説の新人冒険者「ミリノ」であることを。
王都の外縁、夕闇に包まれた「魔の森」の入り口。
初仕事を終えたミリノの背後から、音もなく四人の男たちが現れました。彼らはアルミナが裏社会のルートで手配した、公爵家に仇なす者を始末するための非公式な実行部隊です。
「お嬢ちゃん、悪いがここで終わりだ。雇い主からは『足の腱を切って連れてこい』と言われていてね」
リーダー格の男が、毒を塗った短剣を弄びながら嘲笑いました。
彼らの視点では、灰褐色の髪をした細い少女など、造作もない獲物に見えたのでしょう。
「……アルミナ。あの子、本当に気が早いですわね」
ミリノは溜息をつき、ゆっくりと振り返りました。
その瞳は藍色のコンタクト越しでも隠しきれない、黄金の殺意を宿しています。
「おい、何をブツブツ――」
男が踏み込もうとした瞬間、世界が止まりました。
『古代魔法:星辰の息吹・クロノ・アクセル』。
ミリノの体感速度が数千倍に加速し、男たちの動きは静止画同然となります。彼女は優雅に、けれど無駄のない動作で鉄剣を抜き放ちました。
「――無礼な振る舞いには、相応の報いが必要ではなくて?」
一閃。
魔法を纏わせた剣筋が、空気を切り裂く高音を奏でます。
「……え?」
男たちが気づいた時には、全員の武器が粉々に砕け散り、喉元にはミリノの剣先が突きつけられていました。
一歩でも動けば死ぬ。その確信が、手練れの男たちの身体を凍りつかせます。
「な、なんだこの速さは……!? 魔法使いじゃなかったのか……っ!」
「わたくし、どちらも得意なんですの。……さて、お掃除屋さん。雇い主へ伝言をお願いできますかしら?」
ミリノは剣を鞘に収め、冷徹な微笑みを浮かべました。
「『獲物の首を獲り損ねた無能な犬に、次の仕事はありませんわよ』――と。……さあ、失せなさい。命があるうちに」
「ひ、ひぃっ……!」
最強の暗殺者候補たちが、腰を抜かしながら夜の闇へ逃げ帰っていきます。
彼らの心には、一生消えない「金色の瞳の少女」へのトラウマが刻まれました。
一方、その報告を自室で受けたアルミナは、手近な花瓶を床に叩きつけました。
「……失敗した? 全員、手も足も出なかったっていうの!?」
「は、はい……。相手は人間とは思えない速度で動き、一瞬で我々の武器を……」
ガタガタと震える男たちを見て、アルミナの顔が屈辱で歪みます。
(お姉様……。あんなに可愛がってあげたのに、いつの間にそんな毒を隠し持っていたの!?)
アルミナの「聖女」としての名声が高まる裏で、ミリノという「謎の冒険者」の噂が王都を駆け巡り始めます。
暗殺者たちが這いつくばって逃げ帰った翌日。
フランティカ公爵邸のティータイム。
「お姉様、ゆうべはお部屋で何をなさっていたの? 何度もお呼びしたのに、お返事がなくて寂しかったですわ」
桃色の瞳を潤ませ、アルミナが小首を傾げます。その指先は、思い通りにいかない苛立ちで微かに震えていました。
彼女にとって、昨夜の「掃除屋」たちの敗北は計算外。まさか、目の前で優雅に紅茶を啜る「温室の薔薇」のような姉が、屈強な男たちを赤子のように捻り潰した張本人だとは微塵も思っていません。
「あら、ごめんなさいね、アルミナ。わたくし、読書に夢中になると周りの音が聞こえなくなってしまいますの。……そういえば、あなたの方こそ、隈が酷いですわよ? 悪い夢でもご覧になったのかしら」
「……! ええ、本当に。とても目障りな虫が、庭に迷い込む夢を見てしまいましたわ」
ミリシャは、藍色のコンタクトを外し、本来の金色の瞳で妹をじっと見つめました。
その瞳の奥に宿る「ミリノ」としての鋭い光に、アルミナは一瞬、心臓を掴まれたような戦慄を覚えます。
(……気のせいよ。お姉様に、あんな恐ろしい真似ができるはずない。あいつは、どこかの野良犬の冒険者に違いないわ)
アルミナは必死に自分に言い聞かせます。
一方、ギルド「暁の獅子」では、「灰色の死神・ミリノ」の噂でもちきりでした。
「おい、聞いたか? ミリノが昨夜、王都近郊の暗殺ギルドの連中を返り討ちにしたらしいぞ」
「あんな小さな女の子が? 信じられねえ……。だが、あの剣捌きは本物だ。ありゃあ、公爵家の騎士団でも勝てねえぜ」
ギルドの酒場で、ミリノ(ミリシャ)はフードを深く被り、報酬の金貨を受け取っていました。
公爵令嬢としての「おしとやかな仮面」と、冒険者としての「圧倒的な実力」。
二つの顔を使い分けるミリシャの復讐劇は、誰にも悟られることなく、着実にアルミナを追い詰めていきます。
白銀の髪をなびかせ、ミリシャは取り巻きの令嬢たちを引き連れて廊下を歩きます。
隣には、前世で自分を「悪役」に仕立て上げた婚約者の第一王子。そして、その袖を控えめに掴む「聖女」アルミナの姿。
「お姉様、今日の魔法実習……わたくし、上手く制御できるか不安ですわ」
アルミナが潤んだ瞳で王子を見上げ、守護欲を煽ります。前世のミリシャならここで嫉妬し、醜く取り乱していましたが、今の彼女は優雅に微笑むだけ。
「あら、アルミナ。あなたの『聖女の力』なら、きっと皆様を驚かせることができますわ。わたくしは……ええ、適当に後ろで見守っていますから、気にしないでちょうだい?」
ミリシャは「無害な姉」を演じ、放課後になると「体調が優れないので」と早々に馬車へ乗り込みます。……行き先は公爵邸ではなく、王都の路地裏。
放課後:国立魔法学院
路地裏で『認識阻害』の魔法をかけ、灰褐色の髪の「ミリノ」へと姿を変えた彼女は、魔導師のローブを纏って魔法学院の門を潜ります。
ここは身分ではなく「実力」がすべて。12歳にして、彼女は歴代最高得点で飛び級入学を果たした伝説の特待生です。
「おい、見たか? あの『灰色のミリノ』。昨日の講義で、教授すら解けなかった古代文字の術式を一瞬で組み替えたらしいぞ」
「魔法ギルドの長も、彼女をスカウトしようと躍起になってるんだとか……」
学院生たちの羨望の眼差しを、ミリノは藍色の瞳で冷淡に受け流します。
彼女の目的は、学院の禁書庫に眠る「聖女の力の真実」を暴くこと。アルミナの力が本物ではなく、ある「代償」の上に成り立つ偽りであることを、理論的に証明するためです。
ある日、王立学園と魔法学院の「合同対抗戦」が開催されることになります。
王立学園代表として、誇らしげに舞台に立つ「聖女」アルミナ。
そして、魔法学院代表として、フードを深く被り、圧倒的な魔圧を放つ「特待生」ミリノ。
「……あの子、どこかで見たことがあるような……?」
舞台上で対峙した瞬間、アルミナがミリノの「金色の瞳(コンタクトの隙間から漏れた真実の光)」に既視感を覚え、顔を強張らせます。
王立学園の大講堂。今日は両校の精鋭が集う「魔力親善試合」の日です。
観客席には国王陛下やフランティカ公爵夫妻、そして「病弱で欠席」したはずの姉ミリシャの空席がありました。
「次は、王立学園代表、聖女アルミナ・フランティカ嬢! 対するは、国立魔法学院代表、特待生ミリノ!」
アルミナは、桃色の髪を輝かせ、民衆の歓声に応えながら舞台に上がります。その手には、教会から授かった「聖女の杖」。
彼女の対面に立ったのは、深いフードを目深に被り、地味な灰褐色のローブを纏った少女
――ミリノ。
「……ふふ、特待生さん? お手柔らかにお願いしますわね。わたくし、あまり乱暴なのは得意ではありませんの」
アルミナは慈愛に満ちた笑みを浮かべますが、その瞳は「格下の特待生」を完全に見下していました。
ミリノは、藍色のコンタクトの奥で、黄金の双眸を冷酷に細めます。
(……ええ。乱暴なのは、わたくしも嫌いですわ。ですから、一瞬で終わらせて差し上げます)
「試合開始(ビギン)!」
審判の合図と同時に、アルミナが杖を掲げました。
「光よ、我が敵を焼き――」
詠唱の途中。アルミナの視界から、ミリノの姿が消えました。
『古代魔法:星辰の息吹・縮地』。
「――っ!?」
次の瞬間、アルミナの首筋には、ミリノの手によって形成された「高密度に圧縮された魔力の刃」が突きつけられていました。
詠唱どころか、魔力を練る暇さえ与えない神速。
「……遅すぎますわ。聖女様」
ミリノの低く、けれど聞き覚えのある鈴のような声がアルミナの耳元で囁かれます。
「な、なによ……離しなさい! 汚い特待生が、聖女であるわたくしに触れるなんて……!」
焦ったアルミナは、禁じられた「魔力暴走」を引き起こそうと、杖に過剰なエネルギーを流し込みました。会場に不穏な黒い光が混じり始めます。
観客が悲鳴を上げ、教師たちが制止に入ろうとしたその時。
「――『全属性無効化(アンチ・マジック)』」
ミリノが指を鳴らした瞬間、アルミナの放っていた光が、まるで火を消された蝋燭のように霧散しました。
杖はただの木の棒に戻り、アルミナは自らの魔力の反動で無様に地面に這いつくばります。
「う、嘘よ……私の『奇跡』が消えるなんて……! あなた、何をしたの!?」
「奇跡? ……いいえ。あなたが使っていたのは、精霊の力を強引に奪う『禁術』。……違いますか、アルミナ様?」
ミリノの追求に、会場は静まり返りました。
魔法学院の学長や高位魔導師たちが、アルミナの杖に残った黒い残滓に気づき、険しい表情で立ち上がります。
「聖女」としての栄光が、一瞬にして「禁術使い」という疑惑に変わった瞬間。
アルミナは、自分を見下ろす灰色の少女の瞳の中に、「死んだはずの姉」と同じ、冷徹なまでの黄金の輝きを見つけました。
「……あ、あ……あ、あ、ああああ!!」
絶叫する妹を見下ろし、ミリノは感情を排した無機質な微笑みを浮かべます。
(さあ、これが第一歩。あなたが積み上げた偽りの砂の城を、これから一つずつ、丁寧に壊してあげますわ)
大講堂の舞台に這いつくばるアルミナ。彼女が縋り付いていた聖女の杖は、ミリノが放った『全属性無効化(アンチ・マジック)』によって、どす黒い輝きを失い、ただの枯れ木のようにひび割れていました。
「……奇跡、ですか。アルミナ様、それは随分と都合の良い言葉ですわね」
ミリノはフードを深く被ったまま、冷徹な声で告げました。彼女の手元には、空中に浮遊する数式の幾何学模様――「解析魔法」の陣が展開されています。
「皆様、ご覧あそばせ。この杖に仕込まれていたのは、周囲の魔力を強制的に吸い上げ、光に見せかけて放出するだけの『魔力搾取の術式』。……聖女の力など、最初から一滴も存在しませんわ」
「なっ……何をデタラメを!」
アルミナが叫びますが、魔法学院の賢者たちが次々と舞台に上がり、杖を検分し始めます。
「……ミリノ特待生の言う通りだ。これは禁忌とされる古代の吸魔石……。聖女の祈りではなく、周囲の生徒たちの生命力を微かに削って発動していたものだぞ!」
賢者の言葉に、観客席からどよめきと怒号が沸き起こりました。
「俺たちの魔力を盗んでいたのか!?」
「偽物の聖女め! 詐欺師だ!」
さっきまでアルミナを崇めていた掌返しの罵声。前世でミリシャが浴びたあの屈辱の声を、今はアルミナが全身で受け止めています。
「ち、違うわ……! これは教会の司教様が授けてくださったもので……私は、私は選ばれた聖女なのよ!」
アルミナは狂ったように叫び、客席に座る父・フランティカ公爵に助けを求めました。しかし、公爵はあまりの不祥事に顔を青白くさせ、娘から目を逸らしました。
「……お父様? なんで、なんで助けてくれないの!? お姉様! お姉様はどこ!? 誰か、あいつを、この生意気な特待生を捕まえてよ!!」
その惨めな姿を、ミリノは藍色の瞳(偽装)の奥に宿る黄金の殺意で見下ろしました。
「聖女の称号は、本日付で剥奪。……教会への異端審問と、王宮による魔力窃盗罪の調査が行われるでしょう。……さようなら、アルミナ様。あなたの『おままごと』は、ここで終了ですわ」
ミリノが背を向けて歩き出すと、騎士団が舞台になだれ込み、泣き叫ぶアルミナの細い腕を拘束しました。
桃色の髪は乱れ、ドレスは泥に汚れ、かつての「愛らしい妹」の面影はどこにもありません。
(……これで、まずは一つ。あなたの『誇り』を殺したわ。……次は、何を奪って差し上げようかしら?)
人混みに紛れながら、ミリノは指先で魔法を解き、再び「病弱で欠席していたはずの公爵令嬢ミリシャ」へと戻るための準備を始めました。
「……嘘。そんな、はずないわ」
視界が、ぐにゃりと歪みました。
大講堂を埋め尽くす何千もの視線が、さっきまでの「崇拝」から、尖ったナイフのような「軽蔑」へと一瞬で変わったのが分かります。
目の前には、フードを深く被った灰色の少女。
特待生、ミリノ。
彼女が指先を鳴らすたび、私の手元で神々しく輝いていたはずの聖女の杖が、どす黒い煤を吐き出し、ただの醜い枯れ木へと成り下がっていきました。
(なんで……? 教会の司教様は、これは私だけの『奇跡』だって言ったじゃない!)
「……聖女の力など、最初から一滴も存在しませんわ」
ミリノの声が、冷たく脳髄に響きます。
その瞬間、私の頭の中に、前世で(……いいえ、そんな記憶はないはずなのに)あざ笑いながら断頭台へ送った「あの女」の顔がよぎりました。
「ち、違うわ……! 私は選ばれた聖女なのよ! 触らないで、この不潔な特待生が!!」
私は狂ったように叫び、客席のお父様とお母様に手を伸ばしました。
けれど、二人の顔にあるのは慈愛ではありません。公爵家の名誉を汚した泥棒を見るような、底冷えする「拒絶」でした。
「お父様……? なんで、なんで助けてくれないの!?」
周囲からは、かつて私を「聖女様」と呼んだ者たちの罵声が飛んできます。
「詐欺師!」「魔力を返せ!」「フランティカ家の恥さらし!」
……ああ、嫌。嫌だ。
私は、お姉様より愛されるために。
あの白銀の髪と金色の瞳を持つ「完璧な人形」を引きずり下ろすために、死ぬ気で「可愛い妹」を演じてきたのに。
「……さようなら、アルミナ様。あなたの『おままごと』は、ここで終了ですわ」
ミリノが背を向けた瞬間。
フードの隙間から、ちらりと見えたのです。
——黄金の、瞳。
(……あ。……あぁ……っ!?)
心臓が、恐怖で跳ね上がりました。
あの瞳。あの冷徹な、すべてを見透かすような輝き。
部屋に引きこもって本を読んでいるだけの、無能なはずの、あのお姉様。
「お姉様……? お姉様なの!? 待って、行かないで! 嘘よ、こんなの認めないわ!!」
私が叫んでも、返ってくるのは冷たい鉄格子の音だけでした。
騎士たちに引きずられ、泥にまみれた私の視界の隅で、灰色の少女は一度も振り返ることなく、光の中へと消えていきました。
私の「聖女」としての人生は、そこですべてが死に絶えたのです。
地下牢の最奥、湿り気を帯びた暗闇の中で、ミリノ(ミリシャ)は鉄格子の隙間から、もはや聖女の欠片も残っていない妹を見下ろしました。
「……ねえ、アルミナ。あなたが今まで周囲の男たちを誘惑し、利用してきたその『体』、今のあなたには重荷でしかないわね」
ミリシャは指先に、禍々しくも甘い香りを放つ紫色の魔力を灯しました。それは書庫の禁域で見つけた、精神を強制的に昂揚させ、理性を焼き切る古代の「淫紋の術式」。
「お、お姉様……何を……? やめて、来ないで……っ!」
ミリシャは無慈悲に鉄格子の間から手を伸ばし、アルミナの白く震える項(うなじ)にその指を押し当てました。
「——『刻印(エンゲージ)』。……さあ、愛に飢えた獣として、一生をこの檻で過ごしなさい」
ジッと肉が焼けるような音と共に、アルミナの肌にどろりとした紋様が浮かび上がります。
直後、アルミナの瞳が熱に浮かされたように濁り、呼吸が荒くなりました。
「あ、はぁっ……熱い、身体が……っ! お姉様、お姉様ぁ……助けて……っ!」
理性を司る魔力をミリシャの『無効化(アンチ・マジック)』で封じられたアルミナは、襲い来る得体の知れない快楽と渇きに身悶え、自らの爪でドレスを破り捨て、石畳に這いつくばります。
「……ふふ。かつての聖女様が、そんなに浅ましい声を出すなんて。……誰もいないこの地下牢で、自分の指だけを慰めに、果てることのない欲情に溺れ続けなさい。それが、わたくしを処刑台へ送ったあなたへの、最高の『贈り物』よ」
「あ、あああぁっ! 嫌、嫌よ……っ! はぁ、はぁっ……だめ、指が、止まらな……っ!」
かつての可憐な美貌は消え失せ、涎を垂らしながら己の身体を愛撫し続ける、ただの「欲の塊」へと成り下がった妹。
ミリシャはその無様な姿を、まるでゴミを見るような冷徹な黄金の瞳で見守り、一筋の涙すら流すことなく背を向けました。
「……さようなら、アルミナ。その悦びの中で、永遠に狂っていなさい」
背後で響く、獣じみた卑猥な鳴き声と鉄格子の軋む音。
鉄格子の向こう側で、ミリシャの足音が遠ざかっていく。
それが、アルミナにとっての「人間としての最期の音」でした。
「はぁっ、あ、お姉様……待って、行かないで……身体が、変なの……っ!」
首筋に刻まれた紫色の『淫紋』が、どろりと熱を帯びて拍動します。
理性を焼き切るような強制的な渇き。前世で姉を陥れ、男たちの視線を弄んできたその代償を払うかのように、アルミナの指は自分の意思に反して、泥に汚れた肌を這い回ります。
「あ、んっ……だめ、こんなの……っ! 誰か、誰でもいいから……っ!!」
叫んでも、返ってくるのは冷たい壁に反射する自分の卑猥な喘ぎ声だけ。
かつて「聖女」と崇められた桃色の髪は、今や汗と涙でべたつき、床を転げ回るたびに不潔な藁を巻き込んでいきます。
ミリシャが施した『全属性無効化』により、アルミナは自らの魔力でこの熱を鎮めることも、自害することさえ許されません。
ただ、襲い来る欲情に突き動かされ、暗闇の中で自分自身を貪り続ける。
「あ、はぁ、はぁっ……あぁぁっ! 嫌、嫌よぉ……っ!!」
絶頂の瞬間さえ、救いにはなりません。
一度果てれば、さらに深い「渇き」が波のように押し寄せ、彼女を狂気へと引きずり戻します。
食事を運ぶ衛兵すら、ミリシャの『認識阻害』によって彼女の姿を見ることはありません。彼らにとって、この牢獄は「誰もいない、ただ不気味な声が響く空室」でしかないのです。
(……助けて。お父様、お母様……。……お姉様、お願い、殺して……っ!)
思考が霧散し、言葉が獣のような鳴き声に変わっていく。
かつての美貌も、プライドも、すべては熱い泥の中に溶けて消えました。
地下牢の奥底。
「……あ、あぁ……お姉様……? また、来てくれたの……っ」
地下牢の隅で、淫紋の熱に浮かされ自ら指を動かしていたアルミナが、期待と恐怖の入り混じった瞳でミリノを見上げます。
「ええ、アルミナ。指だけでは、物足りないでしょう? あなたが大好きだった『男たちの情熱』を、魔導具で再現して差し上げましたわ」
ミリノは無機質な手つきで、淡く紫に発光する、脈打つような形状の魔導具を取り出しました。それは表面にびっしりと強制発情のルーンが刻まれた、禍々しい「おもちゃ」です。
「な、何それ……嫌、そんなの……っ! 入れないで、お姉様ぁ!!」
「あら、あなたの身体は、こんなに欲しがっていますわよ?」
ミリノは鉄格子の隙間から魔法の手(マニピュレーション)を伸ばし、アルミナの身体を強引に拘束。逃げ惑う彼女の秘部へと、その魔導具を容赦なく、根元まで突き立てました。
「——っ!? あ、あああぁぁぁっ!! ひ、ぎぃっ……熱い、熱すぎる……っ!!」
魔導具が挿入された瞬間、アルミナの全身が激しく仰け反り、白目を剥いて痙攣します。
通常のそれとは違い、魔石から直接神経へと快楽を流し込むその振動は、アルミナの理性を一瞬で粉砕しました。
「あ、はぁ、はぁっ! 意識が、遠のく……っ!」
「これは、あなたが他者の心をないがしろにしてきた報いです。その道具が刻むのは、あなたが決して得ることのできなかった真実の充足ではなく、ただの虚無。……さあ、この静寂の中で、己の過ちと向き合い続けなさい」
ミリノは黄金の瞳に冷徹な決意を浮かべ、もはやかつての面影を失った妹を見下ろしました。
かつての聖女としての尊厳は消え去り、そこにあるのは自らの業に囚われた一人の罪人の姿でした。