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背後に潜むモノ
時間は少し巻き戻り、ヴィン一行が王都近辺を離れた頃。
「やってやりましたね、ヴィンさん」
先頭を歩くヴィンの真後ろで男がそう言った。
「ああ。だが、これで終わりにしちゃいけない。俺は王国を見捨てたが戦いを放棄したつもりじゃない」
「となると、どこか別の国に?」
ヴィンの話を黙って聞いていた者の中から、質問が出る。
「そうだ。俺はクライシスに行こうと思ってる」
クライシスという名を聞き、ヴィンが引き連れている集団がにわかに騒がしくなる。
「勘違いしてほしくないのは」
ヴィンの言葉で集団が静まり返る。
「勘違いしてほしくないのは、クライシスに行こうと思ってるのは俺だってことだ。どういうことか分かるか?」
最初にヴィンに話を振った男が口を開く。
「俺たちは、ついてこなくても良い?」
「そう。もし俺と同じ考えだってやつがいれば共にクライシスに行けば良いが、もう傭兵業をやめようってやつもいるだろうし、別のところに行きたいやつだっているだろう」
ヴィンは声を張り上げ、
「別の道を歩みたいやつは遠慮なく申し出てくれ!」
そう宣言した。
「私、一度故郷に帰りたいんだけど……」
「ああ、帰りな。物資も少しは分けることができるが、どうする?」
「いいえ、良いわ。そこまでしてもらっちゃ申し訳ないもの」
「俺も、次行きたいところが決まっているんだ」
「好きに行きな。物資は?」
「自分で持っている」
こうして二名の傭兵が離脱し、ヴィン率いる集団の人数は七人となった。
周囲に自分以外の人影がないのを確認し、離脱した傭兵の一人である男が一息つく。
男の輪郭がぐにゃりと歪み、崩れた。
『やっぱり、この姿の方が楽だな』
騎士の思考を能力で誘導し、内部分裂を引き起こすという大仕事を終えた魔獣が、少し弾んだ声で言った。
現在、この魔獣は魔王から『どんな手段を使っても良いから人間の連携をかき乱せ』という命令を受けている。
同様の役目を担う|魔獣《者》は他に百|体《名》ほどいる。
『次の目的地は、カエドの近くの小さな村ぁ?』
世界情勢に大した影響を与えないだろう小さな村が次のターゲットになっていることに魔獣は首を傾げるが、詳細な情報を見たところで納得の笑みを浮かべた。
『モルズの出身地かぁ。なるほど? モルズが自分の命より大切にする存在がそこにいると』
魔王軍の中で、モルズはほぼ年中無休で戦い、しかも強い厄介な傭兵であり、しかも引き際もわきまえているとして単純な強者と同じくらい警戒されていた。
そのモルズを潰せる絶好の機会。
それを逃すわけにはいかず、魔獣は自身が出せる最高の速度で移動した。
◆
『へぇ、ここが』
森の中で村の様子をうかがいながら、魔獣は興味深そうに呟いた。
『どこか侵入できそうなところは、っと』
他の魔獣に擬態して村に押し入る手段も考えたが、村の門を守る自警団の姿を見て考えを改めた。
かなり練度が高い。
モルズしかり、この村には武の達人でもいるのだろうか。
人間の姿ならまだしも、千差万別の性能である魔獣の姿で相手するなぞ考えたくもなかった。
『仕方ない。少し怖いが、これでいくか』
魔獣は記憶にあるモルズの姿を再現した。
もっとも、再現したのは見た目だけで、記憶や戦闘技術までは再現できていなかったが。
あれだけ妹に執着するモルズだ。
妹に村人を邪険に扱う格好悪い姿なんて見せたくないだろう。
村人にもそれなりの態度で接していたはずだ。
「ただいま」
森の中を抜けて歩いてきたのを装い、門番に声をかけた。
「ん……? あっ、モルズさん! おかえりなさい!」
慌てて返事をする門番を尻目に、モルズの姿をした魔獣は歩いて村の中を進んでいく。
モルズの妹の元へ向かっているのだ。
「お兄ちゃん! おかえり!」
二年ぶりのモルズ帰還を聞きつけてか、走って出てきたリーンが抱きついてきた。
「おう、ただいま」
まだ、周りにはたくさんの村人の目がある。
やるなら二人きりの時だ。
「お兄ちゃん、あのねあのね……」
「うん、うん」
優しい兄を装い、リーンの話に適当に相槌を打つ。
「あ、そうだ。今日はお兄ちゃんに会いたいって人たちがいるんだ」
「誰かな?」
「ついてきて!」
リーンに手を引かれ、孤児院に案内される。
そこには――
――村の自警団の青年が全員揃っていた。
自分にとっては良くない流れだ。モルズに扮した魔獣は密かに戦闘態勢をとる。
「モルズさん。あなたは、何者ですか?」
「何者って……俺は俺だよ」
まずい。バレた。
動揺しているのが伝わらないよう、不自然なほどに明るい声で言った。
「嘘はつかなくて良いですよ。あなたは、本物のモルズさんじゃないんですから」
ここまで分かっているのなら、必死に否定するより、あっさり認めて次につなげた方が良い。
「ああ、そうだよ」
「そうですか。何者かは分かりませんが、少なくとも良い輩ではないでしょう」
自警団の青年が全員剣を抜く。
それより前に、魔獣は動き出していた。
滑るように移動し、硬く尖らせた腕で自警団の青年の胸を貫く。
「……か、はっ」
「次」
無駄のない――というより、迷いのない動き。
自警団の間に動揺が走る。
戦いの中で仲間が傷ついても死ぬことはなかったのだろう。
武器の構えが乱れる。
その隙を見逃さず、魔獣は追撃を仕掛ける。
一人一人では対応されてしまう。だが、これは一対一ではなく一対多の戦いだ。
対応されるのならば、攻撃の寸前に狙う対象を変えて、油断している相手に攻撃を叩き込めば良い。
村の自警団が訓練していたのは魔獣との戦いだろう。人型の魔獣は珍しい。人型の、しかも強い敵との戦闘訓練はそこまで積んでいないに違いない。
そう見当をつけ、魔獣にない動きで自警団を翻弄する。
この場にいる非戦闘員のリーンに気を遣ったのか、自警団の面々は少し動きがぎこちない。
それに気がついた魔獣も、敢えてリーンの方に攻撃することで自警団を牽制していた。
しかし、その均衡が保たれることはなく。
リーンに注意を払い戦い続けていたことで、精神が摩耗したのだろう。
攻撃が一瞬乱れ、魔獣の一撃を食らって崩れ落ちた。
そうして一人、また一人と脱落していく。
最後に残ったのは、魔獣のターゲットであるリーンだった。
「抵抗するなよ。死体に余計な傷が増える」
恐らく抵抗するだろうリーンに、前もって言っておいた。
言っても言わなくても「抵抗する」という未来は変わらないだろうが、自分の意見を言わなければ相手が行動してくれることはない。言わないより言う方が確実に良いのだから。
やはりリーンは抵抗したが、モルズに扮した魔獣はリーンの胸を貫いた。
物言わぬ死体となったリーンを尻目に、魔獣は村の住民の|鏖《おう》|殺《さつ》に動く。
ほどなくして、村から音が消えた。
「…………!」
何者かの気配を感じた。
誰かが村に近づいているらしい。
これがただの旅人なら良いが、もし傭兵、さらに言えばモルズだった場合、この魔獣が今の状態で対処するのは少し厳しかった。
隠れて様子をうかがう。
野兎の姿になり、その優れた聴力で村の入口の様子を探った。
「…………ぁ」
村の惨状を目にしたのだろう。
感情の容量を超過したような、感情が言語を侵したかのような上ずった声が聞こえた。
「っ、リーンは」
ここで真っ先にリーンの心配をする。そんな人物は、モルズ以外に存在しない。
取り敢えず、今回の自らの行動はモルズの精神に少なからず影響を与えることができたようだと魔獣は安心する。
笑みの表情を浮かべそうになるのを必死に堪えた。もっとも、兎の表情が詳細に分かる者などこの場にはいないのだが。
野兎の姿のまま、魔獣は静かにその場を立ち去った。