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藤夢 其の漆
「何、で」
「君の考えなんてお見通しさ」
何てったって僕は名探偵だからね! と胸を張る乱歩さん。その輝きとは対照的に、蝶壺の方は希望が潰えたかのような顔をしていた。
「解離性同一性障害を発症する人は……まあ、これは与謝野さんの方が詳しいんじゃない?」
「え、妾かい? あー、発症する主な原因は、大きな精神的ショックなど。それらから身を守るために、異なる人格を生み出す……ああ、もしかして、蝶壺が、アンタが、生み出されたのは──」
「ええ、裏社会で異能目当てに使われていた時です」
与謝野女医を遮るようにして言葉を発した蝶壺。その顔は深く踏み込んではならないような気配があった。だが、蝶壺は乱歩さんに向かって口を開いた。
「……そこの、名探偵様」
「なに?」
「もう貴方は全てわかっているのですね?」
「そうだね」
その肯定の言葉を聞くと、超壺は心を決めたような顔をして語り出した。
「主人格……あの子の名前は、藤式部。又の名を|藤原香子《ふじわらのかおるこ》、といいます──」
「事件の顛末は、名探偵様の言った通り。
二重人格の副人格である吾が、主人格であるあの子の願いを叶えるために事件を起こしました。
“吾”が生まれたのは、暗い屋敷の中でした。
そのきっかけは知りません。けれど、あの子は……藤式部は疲れていた。
吾は時折、あの子の代わりに表へ出ることがありました。
あの子の生活は、人間とは思えなかった。まるで、ただの異能の塊に対して行うような。
だから、吾は自分が表に出ているうちに、屋敷から逃げ出しました。
それからというもの、吾はあの子の唯一の話し相手でした──その中で知ったのです。あの子の夢を。
『人を幸せにしたい』彼女はそう言いました」
蝶壺はそこまでいうと、ふう、と息をついた。
蝶壺の、彼女たちの半生に触れようとしている。その緊張からか、それとも辺りに香る藤の香の所為か。
誰も声を発しなかった。
「そして吾は、蝶壺として、あの子が占い師として活動できる下準備を行った。
占い師として人の話を聞き、悩みを自らの力で癒すことができるように。
吾は癒す方法に、彼女の異能を挙げました」
木々でさえもざわめくことを躊躇うような沈黙が、私たちに流れていた。
何処か謎めいた雰囲気の所為か、彼女が話すにつれて藤の香りが濃くなっていくような気がした。
「あの子は当初は乗り気でした。
……あの子は、本来ならば広き世界を知るべき頃に屋敷に閉じ込められました。あの子は、香子は、幼過ぎた。そして、吾も。
夢だけを見せ続けることが、どんなに残酷で無慈悲なことか解っていなかったのです。
あの子は次第に渋るようになりました。けれども吾は……莫迦なことに、自分の行ったことの結果を認めたくなかった」
蝶壺は自嘲した。
矢張り、誰も口を開かなかった。
ただ、蝶壺に、その話に、魅せられていた。
「吾は、あの子に必死に説きました。『あなたが異能をかけたのは、世界に憤り、涙し、戦って傷を受けた人々。それでも生きたいと相談した人々。異能を解いて、現実に帰しても良いのか』と」
「……」
蝶壺の言い分を正しいという者もいるだろう。
けれど、異能を含めれば話は別だ。
生きて欲しいが故に幸せな夢を見せたのに、死なせているのだから。
「吾は……愚かでした。
愚かなものは、さらに愚行を重ねる。この場も、その一つです──
吾は、自らを消すために、舞台を整えました。其れが──此処です。真逆こんなにお客様がいらっしゃるとは思いませんでしたけれど」
「愚かな」
「ッ!」
蝶壺の首筋に、ぴたりと黒布が添えられていた。
芥川くんの羅生門だ。
「貴様の其れは、完全なる自己満足だ。この場を用意するためだけに、人虎と中也さんを手にかけたのか」
「芥川くん」
「単なる自己満足のためだけに、彼奴は今、悩みを晒されて眠っているのか!?」
「芥川くんッ!」
芥川くんが暴走しかけている。
蝶壺に詰め寄り、今にも黒布で締め上げようとした彼の肩を掴む。
与謝野女医も、医者としての矜持故か蝶壺を守るように側に寄った。
「ッ……ふふ」
「何を笑っている」
「いいえ──何も」
「、!?」
蝶壺がその言葉を発した瞬間、藤の香りが一気に立ち込めた。
笑っていた蝶壺の表情が、苦痛を耐えるような表情に変わっていく。
この表情は、真逆。
「待ちなッ!」
いち早くそれに気づいた与謝野女医が声を上げる。
そうだ、これは──
「アンタが消えても何にもならない!」
人格交代の、人格統一の、前触れなのだ。
蝶壺の額には、汗が浮かんでいる。
限界が近いのだ。
乱歩さんは静かに其れを見ている。
「……吾が消えることは、もう随分前から分かっておりました──ふふ、あの子に全てを背負わせてしまうことが如何にも口惜しいですが……」
辺りに立ち込めていた藤の香りは、薄まっていた。其れと比例するように、蝶壺の表情が苦痛に満ちていく。
立っていることもままならないようで、与謝野女医が駆け寄るが、彼女は其れを拒んだ。
「最後に訊かせて」
私は声を張り上げて尋ねる。
「見ている月は、同じ月?」
私の問いの意図を理解すると、蝶壺は地面に崩れ落ちかけながらも答えた。
「恐らくは、ほどは雲居に、巡り合う、まで」
蝶壺はその言葉を最後に、地面に伏した。
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「ッ! おい!」
倒れて動かなくなった彼女に芥川くんが叫んだ。
「起こすンじゃないよ」
厳しい声を発したのは与謝野女医。
蝶壺──否、藤原香子を仰向けにし、脈を測っている。
彼女が異能を使わないところを見ると、気を失っているだけらしい。
「普通なら、人格の統一は時間をかけて行うものなンだ。けど、彼女はそれを一気にやった。負担が大きい筈だよ」
彼女はそう云い乍ら、不可解な顔をした。其れが気になったのか、乱歩さんが声をかけた。
「与謝野さん?」
「ン? あァ、いや。なんでもないよ」
与謝野さんは軽く笑って見せると、此方を向いた。
乱歩さんも同様だ。
「それで──」
先に口を開いたのは乱歩さんだった。
「答えは見つかったの? 太宰と、黒外套くん」
『|夢浮橋《ゆめのうきはし》』──中也と敦くんの“悩み”への、解決策のことだと、すぐに分かった。
芥川くんも察したらしい。
「ッええ」
「嗚呼」
「ふーん」
「──あァそういえば、敦がいる医務室の窓、開けっ放しにしてしまったかもしれないねェ」
「素敵帽子くんがいるところはマフィアの本拠地だっけ? 大丈夫かなぁ」
まるで二人だけで話しているかのように与謝野さんと乱歩さんが言った。
にやり、と二人が笑う。
其れはまるで、後輩を応援しているかのようで。
(行ってこい)
そう言われたようだった。
「社長の許しはもらってる。多分彼方の首領もじゃないかな」
「、 ──ありがとうございます」
「……感謝する」
私たちはそう云うと、その森から駆け出した。
どうも、眠り姫です!
今回、蝶壺こと、藤原香子/藤式部の独白編でした
ちょっと短かった、かな?
次回はおそらく『藤夢』完結編!
中也、敦が欲していた言葉はなんだったのか?
太宰と芥川の選択は?
どうか最後までご覧ください!
(最後と言っても、迷ヰ犬怪異談は終わりませんが)
最後に! ここまで読んでくれたあなたに心からの祝福を!