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灯-第三章-〜知らなかった顔〜
第3章:知らなかった顔
朝の光がカーテンの隙間から差し込む。
陽菜は、久しぶりに自分からそれを見ようとした。
部屋の中にはまだ静寂があったが、昨日とは少し違っていた。
心のどこかに、確かな“ぬくもり”が残っていた。
彰人の声。言葉。まなざし。
それらが、陽菜の内側で小さな炎のように灯っていた。
「……外に出てみよう。」
陽菜はマフラーを巻き、少し厚手のコートを着て玄関を開けた。
冷たい空気が頬を打つ。だけど、それは悪い感触ではなかった。
小さな駅前の商店街。
変わらない景色のはずなのに、どこか新しく見えた。
歩いていると、古びた喫茶店の前で、ふと足が止まった。
「ここ……彰人と最初に来た場所……。」
その店は、何年も前から変わらない佇まいでそこにあった。
ガラス越しに中を覗くと、先客が一人。
どこか見覚えのある横顔だった。
中に入ると、カラン、と小さなベルが鳴った。
「いらっしゃいませ……あれ?」
声の主が顔を上げ、目が合った。
少し驚いた表情。陽菜もまた、声を失った。
「……陽菜さん? えっ、本当に?」
「……あなた、もしかして……」
「はい、彰人の大学時代の友人です。
中野悠(なかの ゆう)って言います。」
その名前に、遠い記憶が蘇った。
彰人が何度か口にしていた親友の一人だ。
「ここで会うなんて偶然ですね……。よかったら、少しだけ話しませんか?」
■喫茶店の片隅で
陽菜はコーヒーを頼み、悠と向かい合った。
彼はどこか気遣うように、優しい目をしていた。
「彰人が亡くなってから、ずっと連絡できずにいました。
……どう言葉をかければいいのか、分からなくて。」
陽菜は小さく首を振った。
「私も、誰とも会えなかったんです。
でも、最近になって、ようやく……少しずつですけど、歩けそうな気がして。」
「それを聞いて、嬉しいです。」
少しの沈黙のあと、悠が切り出した。
「実は……僕、彰人から手紙を預かってたんです。」
陽菜の手が止まった。
「彼が亡くなる少し前、突然連絡があって。
『もし俺に何かあったら、これを陽菜に渡してくれ』って。」
悠は、鞄から封筒を一通取り出した。
それは、黄ばんだクリーム色の封筒だった。裏には、彰人の筆跡があった。
『陽菜へ −灯が消えそうなときに読んで』
陽菜は指でそっとなぞった。
鼓動が速くなった。手が震えるのを抑えながら、封を切った。
■彰人からの手紙
陽菜へ
この手紙が届く頃、俺はもうこの世にはいないんだろうな。
まずは、ごめんな。こんな形でしか想いを残せなかったこと。
陽菜は、強いようで、繊細だ。
自分より他人のことを優先して、痛みを溜め込んでしまう。
そんなお前の人生に、少しでも光を灯せたなら、俺は幸せだった。
けれど、お前にはこの先、俺の知らない未来がある。
新しい出会いもあるだろう。新しい感情も。
俺は、そのすべてを祝福したい。
どうか、自分を責めないで。
お前の幸せは、俺の願いだった。
忘れないで。
お前は、ちゃんと、生きていい。
——彰人
陽菜は、テーブルに手紙を置いたまま、そっと目を閉じた。
涙が、静かに頬を伝った。
けれど、その涙は「喪失」の涙ではなかった。
それは、誰かの言葉が心に届いた瞬間の、再生の涙だった。
悠は黙って、陽菜の前にハンカチを差し出した。
「……ありがとう。来てくれて。」
「僕も、あいつに背中を押されたのかもしれません。」
陽菜は、手紙を胸に抱きしめながら、思った。
まだ知らない彰人が、世界には残っている。
そして、知らなかった“自分自身”にも、きっと出会える。