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2-5 『魔神』
「ノル! 隠すな、力を使え。死ぬぞ」
直後、玉が完全に崩壊した。
モンスターが視界いっぱいに広がる。
何も見えない。今俺に向かってきているのは、モンスターの何だ? 分からなければ防ぎようもない。
「隠すなって言ったって」
使わないんじゃなくて、使えないというのに。
今使える手札を整理しよう。体術と魔法。そして、俺はそれらに熟達しているのを知られたくない。
この状況をひっくり返す一手。迂闊に触れてダメージを負いたくないから、魔法一択。
モンスターの攻撃を逸らす……いや、止める……!
空気中のものを凍らせろ。水じゃ足りない。もっと、全てのものを。もっと、低く。
「――は」
吐いた息が凍てつき、空気に白い筋を作った。変化はそれだけに留まらず、空気すらも状態変化して、液体になる。
急激な温度変化に驚いたのか、モンスターが一気に後ろに下がった。
凍りついた世界を、フィンレーの剣が斬り裂く。
フィンレーと競り合えたモンスターはおらず、全てが一撃で地を舐めさせられた。
明らかに剣の間合いではない相手も地面に倒れ、モンスターの死骸の山ができていく。
フィンレーの攻撃範囲外に、モンスターが逃げてきた。しかしそれができるのも極少数で、大抵は逃げようと背中を向けた瞬間に殺されていた。
俺は念の為持ってきていた剣を抜き、モンスターと切り合う。フィンレーのように一撃必殺ともいかないし、敵の攻撃を一つも受けないというのは無理だ。だが、自分の消耗を抑えながら敵を消耗させることはできる。
邪術を使えればもっと楽なのにな。
まあ、今は邪術の代わりに魔法がある。邪術より消耗が少なく、世界への影響も残りづらい力が。
モンスターの爪を避け、剣で前脚を軽く切り裂く。薄く血が流れたが、モンスターはそれをものともせず噛みついてきた。
――凍れ。
狙うはモンスターの足元。
軸足が滑り、モンスターが体勢を崩す。
そこをすかさず叩き、モンスターの命を絶った。
「危ねぇな」
いつの間にか背後にいたモンスターを仕留めてくれたらしい、フィンレーの呟きが耳に残った。
目の前だけでも対処しなければならない相手が多すぎる。それに背後からの相手も加わるとなれば、一つ一つへの対処がおざなりになってしまう。
背後の対処はフィンレーを当てにしていたが、どうやらうまく働いたようだ。
無駄に力を見せずに済む。
「――上っ」
視界に影が落ちる。大きく踏み込んで周りのモンスターを|薙《な》ぎ払った後、頭上を見た。
鋭い牙と爪を持った、体の半分ほどが骨の不格好なモンスター。四枚ある鳥の羽を動かし、空中で俺を睨みつけている。
ここからでは、俺の剣は届かない。使えるとすれば魔法か。
横目でフィンレーを見遣る。
危なげなく立ち回り、モンスターの攻撃を食らう様子もない。しかし、襲いかかるモンスターの数が異常だ。
四方八方、時には上からもモンスターが襲いかかってきている。
俺も援護に行きたいが、今はこの鳥もどきを落とすのが先だ。
――魔法を発動。
モンスターにかかる重力を操作する。
通常の百倍。
操作を確定した瞬間、モンスターの体が落下を始めた。翼を動かして姿勢制御を試みているようだが、状況は一向に改善しない。
そのまま――フィンレーが剣を振るう、真上に落下した。
他の雑魚と同じように斬撃に巻き込まれ、肉片の一つとなる。
「おわっ」
足元の何かを踏みつけて、体勢を崩しかけた。生ぬるい。
下を見ないように目を上に向けながら、モンスターが密集する地点へ行く。きっと、足元にはこの世のものとは思えない光景が広がっているだろうから。
心なしか、モンスターの勢いが弱まってきているように感じた。そろそろ打ち止めだろうか。
あの小さな玉から、これ以上の数が出てきたら俺は世界を疑う。
目の前にいたモンスターの首をへし折る。
遠くから飛びかかってこようとしていたモンスターに、頭を投げつけた。
後ろから襲いかかってきたモンスターの首を落とす。
一撃加えるごとに、モンスターの数が減っているのが実感できた。終わりが近い。
「終わったな」
フィンレーがそう呟いた瞬間だった。
背中に悪寒が走る。この上ない死の予感。
反射的に剣を抜きかけ、しかしこの後の光景を見てやめた。
空間を縦横無尽に走る剣閃。密度も範囲も、先ほどまでの比ではない。
――あれで、まだ、抑えていたというのか。
剣という近接武器を使いながらも、到底届かないような遠距離に攻撃を届かせる。それすらも、本気ではない。
空を飛ぶモンスターも、遠くへ逃げ出すモンスターも、フィンレーの剣の前に等しく切り伏せられ、肉片と化す。
血の雨を何やら不思議な力で吹き飛ばし、フィンレーはこちらを振り返った。
「今、お前の前には二つの選択肢がある」
フィンレーが指を一本立てる。
「一つ、ここから帰ること。たぶんこの先もこれぐらいの密度の攻撃が続く。俺は余裕だが、ノルはどうなんだ? と心配してる」
俺が口を開く前に、フィンレーは指をもう一本立てた。
「二つ、このまま先に進むこと。命の危険がねぇとは言い切れねぇ。が、俺が全力で守る」
正直に言うと、このレベルの襲撃が続くのなら、俺は厳しい。邪術が使えないからだ。魔法と体術だけでモンスターの群れに勝てるとは思えない。
「俺がノルを連れてきたのは、見せたいものがあるからだ。まあ、俺が転移で呼べば良い話だがな」
どうする? とフィンレーが目で問いかけてきた。
「このまま一緒に行くさ」
邪術は使えないが、権能は使える。分解と生成、情報の閲覧くらいしかできないが、ものは使いよう。仮に戦闘になって魔法ではどうにもならなくなっても、なんとかしてみせる。
「俺だって、戦えないわけじゃない」
時間さえ稼げば、最悪の場合邪術を使うことだってできる。
「本当にやばくなったら俺が転移させる」
「なら、心配いらないな」
フィンレーには俺が知らない力がある。俺がどうにもできなくなっても、フィンレーならどうにかできる状況がある。
それに、転移だけなら邪術でできる。時間稼ぎが必要だが。
「行くぜ?」
「ああ」
俺は、フィンレーと共に転移した。
転移先は、真っ暗な場所だった。足元から伝わる感触からして、地面は硬いようだ。
「水?」
足元に薄く水が張っている。
「――⁉」
魔法が発動する。書き換えられていくのは、水の温度と量。
このまま温度が上がると、水が気体になる。
一気にその変化が起きれば、俺たちがダメージを負うことは必至。
「うお、マジか」
フィンレーにも予想がつかなかったのか、驚きの声と共に一瞬だけ動きが止まった。しかしすぐに再起動を果たし、魔法の発動阻止に動く。
書き換えられていくのはどこも完全に同時。
普通、遠隔発動や遅延発動には、発動の起点となる場所が必要なのだが。
書き換えられていく速度はそこまで速くなく、どちらかといえば遅い。
故に、止めるのは簡単だ。
そう思って、罠の可能性を見落としていたらしい。
――外部からの干渉を確認。対抗機構を起動。
「またか」
水を跳ねさせて現れたのは、モンスター。先ほどと同じような個体が多い。
つまらない。もっと他の攻め方も考えてほしいものだ。
「さっきのとほとんど同じか」
フィンレーも同じことを思ったらしい。
「さっきはノルに相手してもらったが、今はノルにやってもらう理由もねぇしなあ」
フィンレーは剣も抜かず、素手で構える。
「|悪《わり》ぃが、さっさと終わらせるぞ」
そう言い切った瞬間。俺たちに敵意を向けていたモンスターが、一歩後ずさった。
俺は特に何も感じていない。
「何だ、見る目あるじゃねぇか。まあ、殺すが」
フィンレーが言い終わった時には、立っているモンスターは一匹もいなかった。
頭か、首か、心臓か、腹か。生命の活動維持に必要などこかの部位が潰れている。
「んじゃ、先に進もうぜ」
モンスターの死体は魔力への分解を始め、惨殺の現場の存在感が希薄になっていく。
魔力が濃くなったことで、空気の粘つきというか重さが、一段と増した。
「そういえば、魔力が増えたけど良いのか? 使わなくて」
俺はそのためにルーカスに誘われたはずだが。
「あー、ここは魔界だからな。やらんでも俺たちに影響はない。面倒だろ」
「そうか。俺としても、負担が減るのなら大歓迎だ」
他に影響が出ないように魔法を使って、魔力を消費するのは難しいのだ。しょぼい魔法だと魔力はなかなか減らないし、魔力が大きく減るような魔法には危険なものが多い。
「あ?」
フィンレーが短く声を上げて立ち止まる。
――既定値以上の魔力を確認。魔法を発動。
剣を素早く抜き、何の変哲もない床を斬って、納めた。
「やっぱり、二重三重に罠を張ってやがったか。これ以上付き合うのも面倒だし。ノルの経験も増やしたかったが、さすがにこれはなあ」
言われてようやく気づいた。魔法の遠隔・遅延発動の中心はないと思っていたが、実際は巧妙に隠されていたということに。
ここに満ちる魔力に紛れて、分からなかった。
いや、想像すらしていなかった。邪術は使用した時の影響が大きく、こっそり使うことはできなかったからだ。
「ノルはまだ魔法の経験が|浅《あせ》ぇからな。これからどんどん積んでってもらう」
「……ああ」
|鈍《なま》ったかな。数日間、命を削る戦いからは遠ざかっていたことだし。
いくら邪術が使えず、魔法の使用経験が浅いとはいえ、この体たらく。
帰ったら感覚を戻すために、一人でどこかへ修行に行こう。このままではまずい。
「暗いし、明かりいるよな」
フィンレーが指を立てると、指先に明かりが灯された。
空間の全貌が、俺の目に映る。
薄暗い岩窟だった。
ごつごつした岩場がむき出しになっていて足場は悪いが、天井は高い。
天井から水が滴り落ちて、足元の水と交わる。
フィンレーがしゃがみ込んで、何かを拾う仕草をした。
何事もなかったようにすぐに立ち上がり、砂を払う。
払いながら、手の中の何かを握り潰した。
口が小さく動き、言葉を紡ぎ出す。
「ここまで来て、今さら何言うんだよ」
その時の声は、俺が今まで聞いたことのない、低く冷たい声だった。
「この先だ」
フィンレーは振り返って、俺の目を真っすぐ見る。
「この先に、俺たちの行動原理がある。覚悟は良いか?」
その言葉に、俺はすぐには答えられなかった。
この組織が何のために作られたのか、俺は何も知らない。
モンスターを一掃したい俺と、人間界の平和を守りたいルーカス。個々の思いは様々あれど、根っこの部分は同じなはず。
けれど、俺はその根っこの部分を知らない。
黙り込む俺を見て、フィンレーは、
「はは、いきなり覚悟とか言われても困るよな。今はただ、俺たちの目標を、敵を、知ってくれれば良い」
「……分かった」
じっくり考え込んだからなのか、俺の口は滑らかに言葉を転がしてはくれなかった。
「んじゃ、行こうか」
「ああ」
フィンレーの後ろについて、岩窟の奥へ進む。
「――っ」
なんだ、この異様な気配は。魔力とも邪気とも、|主神《あいつ》とも違う――この世界のものでないとすら思えてくる不気味さは。
進むごとに、その気配は強くなっていく。
不思議と、モンスターには一度も出会わなかった。
フィンレーも口数が少なくなり、口を堅く結んでいる。
俺は唾を飲み込んだ――いつの間にか口の中がからからに乾いていたようで、喉に痛みが走る。
しかし、それすらも気にならないほどの強烈な存在感。
全く未知のものがこの先にあるという予感をひしひしと感じる。
そんな中、いつもと変わらぬ一歩を刻んだ瞬間だった。
「――――は」
ずっと感じていた気配が深化する。
肌に触れる程度から、内蔵を素手で撫でられるような悍ましさへと。
考えずとも分かる。ここだ。ここに、フィンレーが見せたかったものがある。
「なんだ、これは」
それは、腕だった。心をぐちゃぐちゃに掻き回すような黒に染まり、何かを掴む寸前の。
否、黒ではない。よく見れば、赤や青、黄の色がある。それらが混ざり、お互いの色を|穢《けが》しているのだ。
「それは、俺たちが『魔神』と呼ぶモノの体の一部だ」
フィンレーが魔神の腕に手を伸ばす。
俺は止めようと身を乗り出した。そんなことをして、何の影響も出ないとは限らない。むしろ、絶対に影響が出る。
「大丈夫だ」
フィンレーは確信しているようだった。
一切ためらうことなく、魔神の腕に手を触れる。
その手は、魔神の腕をすり抜けた。
「――ぇ?」
間抜けな声が俺の口から漏れた。
目にも見えるし、気配も感じるのに、触れない。
俺はこんな現象を目にしたことがなかった。
気配はあるのだから、映像の照射という線は薄い。
その場にあるのに、その場にない。言葉遊びのようなことだが、空間をずらせば可能だ。
いや、果たしてその程度でできるのか。
空間をずらしても、ずらした先の空間はこの世界に存在する。存在するなら、触れる。
そんな俺の様子を見たフィンレーが、口を開いた。
「俺は理論的なことはあんま詳しくねぇから、これは詳しいやつの受け売りなんだがな」
その言葉に、俺は驚愕した。そんなことができるのかと思った。
「次元が違うんだと。文字通り」
次元。簡単に言えば、動くことのできる方向の数。
直線上しか動くことのできないのが一次元。
前後左右を動くことができ、その複合で斜めにも動ける――つまり、面の上を動けるのが二次元。
前後左右に加え、上下にも動けるようになり、立体的な動きが可能になった三次元。
魔力や邪気など、世界に干渉するのが四次元。
俺はこれに加え、時間を移動する五次元があると睨んでいる。今は自由自在な時間移動ができないため、五つ目に数えられていないが。
次元が違うと、不思議な現象が起きる。
三次元に存在する箱に、二次元の面を詰めていくとする。
縦と横の長さが十分にあれば、その面は箱の中に入る。ここまでは普通だ。
二次元には上下――厚みがない。
厚みがないのだから、箱がいっぱいになることは永遠にない。
魔神の腕には、これと同じように次元の違いによる現象が起きているらしい。
「……反則だろ、それは」
動き始めるまでは絶対に干渉できず、動き始めればその圧倒的な力で蹂躙される。
世界を弄ぶために生み出されたような存在。
「ああ。だから、俺たちは|魔神《こいつ》をどうにかする方法を探している」
魔神をどうにかする方法なんて、あるのか。
方法は大きく分けて二つ。目覚める前に無力化するか、目覚めてから倒すか。
どちらにせよ困難を極める。次元の隔たりを解消するか、力を力でねじ伏せるか、そのどちらかができなければならない。
不可能という言葉が頭に浮かんだ。
「改めて聞こう。ノル、こいつを滅ぼすために俺たちに協力してくれるか?」
悩む必要はなかった。
俺はモンスターを消したい。しかし、それ以上に果たさなければならない義務がある。
邪神の力を奪ったのなら、邪神の代わりに世界を守るべきだ。
俺の口は、初めから決まっていた答えをなぞる。
「もちろん」
「それじゃあ、改めて。ようこそ、俺たちの組織へ」
フィンレーが差し出した手を握る。
「ああ」
転移が発動し、俺たちは本部へ戻った。