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グッバイ、ドクター𝟐
「はい。じゃあこれ。印鑑押せたら直接渡して。」
「はい」
ついに…私はレッドゾーンに踏み入ることになった。同僚には祝福はされなかった。なにをかくそう、私がレッドゾーンに招集されたのもこの同僚が辞めたからだ。やはり人の死と向き合うのは難しいのかもしれない。必死に世話した優しいおじいさん、おばあさんが次の日にはいない…なんてこと日常茶飯事だろう。私はどれも関心を示さなかった。「どうでもいい」この一言で脳のシュレッダーにかけられてしまう。それを「おかしい」と思えない私はやっぱり外れている。でもその外れた概念が誰かを救うのだ。そうであってほしい。
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「皆仕事前に集合。」
いつものちゃらけた院長とは違い緊迫した表情の院長を見てここはそうなのだと確信した。
「今日から新しく担当してもらう岡本美姫さんです。」
「本日付でここで働かせてもらいます。岡本です。この病院に入ってからまだ日も浅いので教えてくれると嬉しいです。よろしくお願いします。」
院長の表情とは裏腹に意外と大きな拍手が鳴り響き私は要らない存在ではないことを悟った。
それでも、ここの仕事を思い出すと、私に向けられた拍手も笑顔も患者さんにやるのと同じ演技だと思えてくる。もう一度私は確信した。ここはそういう場所なのだと。
「じゃあ、誰か勤務中の注意事項を伝えておいてくれないかな。」
誰も手をあげようとしなかった。私をめんどくさいとは思ってないのだろう。自分の仕事で手一杯で新人に使ってあげられる時間はない。大丈夫。こんなことぐらい慣れている。どこの病院だって私に時間を使ってくれない。
「じゃあ…私、やりますよ。下でもやってたんで。」
その場にいた全員がほっとした。私は万智さんに感謝した。
「ありがとうございます。」
「うん大丈夫。じゃあとりあえず事務室行こうか。」
「はい。」
「じゃあ会議はこれで終わり。各々仕事についてね。くれぐれも死は悟らせないように。」
「「「「はい」」」」
ここに来た人が助かるなんて誰も思ってなんかいない。それでもここは病院だ。患者さんは当然治ると思っているのだ。そんな人に「あなたは助からないのですよ。」「あなたはもうすぐ死ぬのですよ。」なんて言ってはいけない。私も仮面を被らなければ。
「美姫さん、よろしくね。」
「いえ…私こそよろしくお願いします。」
「あなたアナスタシア出身だったのね。下にいたとき聞いたかもだけど知らなかったわ。」
「はい…そんなに人には言ってこなかったので鈴木さんにも言ってなかったかもしれないです。」
「私もね、アナスタシア志望だったの。けど、あんな事があって中学の先生から辞めなさいって止められて。それで、アナスタシアよりワンランクどころかもっと格下の聖ケ丘高校に入学した。」
あんな事…鈴木さんが言ってる「あんな事」とはアナスタシアの不正のことだろう。
アナスタシアは医療界では名門、優秀な医師は大体そこを卒業してるということで偏差値が格段に上がった。勉強面だけではなくて実際の病院と連携して実習面で高い評価を得ていた。しかし、東都病院の院長の税金分の収入をアナスタシアが隠していたということで東都病院は廃院。アナスタシアは謝罪会見をして終わった。それを機にアナスタシアの倍率は一気に低くなり一時期は定員割れをした事もあったそう。今はもう昔のように倍率がありえないぐらい高い数字になっているがそれもこれもアナスタシア出身の有名医師が世間に出てったからだろう。私もその恩恵を受けている。きっと鈴木さんはその中学の先生の事を今はそこまで好きではないのだろう。人の反対を押し切ってでもきっとアナスタシアに入学したかっただろう。
「私達は今から実習を行う。相手がその中学の先生なんだよね。」
「え…」
「私、正直恨んでる。親はもちろんアナスタシアの不正は知っていたし将来を加味して私を止めた。
だけど私の人生に起こるすべての事は私が全て責任を取るから行かせてくれって必死に志願してやっと許可を得た。だけどそれをあの人が止めた。私経由じゃなくて三者面談でね。」
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「――次に…進路のことですがやはり教師としてアナスタシアはおすすめしません。」
「やっぱり先生もそう思いますか。」
「はい。万智さんがこのままアナスタシアに入学したらどうせ衰退するだけですよ。なんせ不正を犯した名門高校ですからねぇ。要は落ちこぼれって事ですよ。」
「いやね、家で必死にアナスタシアに行きたいとうるさかったんですよ。どうせそんな頭脳も良くないくせに口だけは達者で。面談してよかったです。」
「…そうでしょうねぇ…」
「先生には関係ないじゃないですか!私がどの高校に行こうと自由で―」「―だまりなさい」
「…ッ」
「先生は一生懸命貴方のこれからの事を考えて提案してくれてるのよ。一人でも行動できない万智がどうやってアナスタシアで生きてけると思ってるの?いいから先生の言う通りにしなさい。」
「そうですね…聖ヶ丘高校なら万智さんの能力にぴったりだと思いますよ。そこには知り合いの先生がいてね悪い噂がないんですよ。親御さんはどうでしょうか。」
「先生がそこの方がいいって言うならそれがいいです。」
「分かりました。じゃあこちらで進路希望調査は書き直しておきますね。」
「はい。ありがとうございました。…万智もお礼言いなさい。」
「………ありがとう…ございました…」
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「それで私の意思関係なく進路希望用紙を書き換えられて終わった。まぁ、聖ヶ丘高校でも学びたいことは学べたしこうして天職にもつけたことだから私の勝手な我儘よね。」
「いや、そんな…」
「でもね。たまに思うの。仕事で少しミスをしてしまったとき、もし私がアナスタシア出身だったらこんなことはなかっただろうなって考えてその度親と先生を恨むの。そんな時先生がここへ入院したって聞いたもんだから最悪な態度とって帰ってもらおうと思ってたの。私には気づいていないみたいだし。
先生の事は別の人が面倒見ててくれたんだけどその人が辞めてしまったから、頑張って先生と向き合ってみようと思うの。アナスタシア出身の子と一緒にね。」
鈴木さんはやっぱり、先生の事を良くは思ってない。進路希望調査を勝手に書き換えるなんて休止として恥ずべき行為だと私は思った。そんな人の手当なんてしなくて良い。私が一人で――と言いかけた時ふと口をつぐんだ。鈴木さんは、先生と関わることでなにか気持ちに区切りをつけようとしている。鈴木さんは嫌がっているけれどこれは先生と鈴木さんが変わるきっかけになるんだと思う。
「分かりました。精一杯手伝いさせていただきたいと思います。」
「…うん。さぁここから修羅場よ。お互い、頑張りましょうね。」
失礼します。そう言って鈴木さんは先生の待つ101号室の扉を開けた。