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花火のつぼみ
「ナツ、あんときのこと覚えてるか?」
甘酸っぱいみかんみたいに、しわしわの顔を弾けさせるジュン。
ちいさいちゃぶ台をはじっこに追いやって、大きい体であぐらをかいて、だらしなくケラケラとオレたちは笑っていた。
昔話に花を咲かせて、ふと気がついた。
「んでさ、そこから…」
ちらっと後ろを見た。ゲシがいない。
「…ナツ?どうした?」
湯呑みのなかのアツアツのお茶は、今はもう茶柱も折れて冷め切っていた。
だけど、三つある湯呑みのうち、ひとつの湯呑みだけが、カラカラに乾いている。
「おーい。」
もうひとつの大きい座布団は、オレのすぐ横にぽつんと置かれている。置かれているのに、居間の端っこに積まれて片付けられていない。
そこに、誰かがいたみたいに____。
「…ゲシ。」
ゲシがいなくなってる。
「ジュン、わりぃ、ちょっと外行ってくる!」
「お、おう。」
オレはふすまをゆっくり開けた。
すると、目の前のおばちゃんとばったり会った。
「あら?どうしたの?」
おばあちゃんは優しい声色のまま話しかけてくる。
「あー、友達と、遊ぶ…」
「ゲシくんねー。分かったわ。気をつけてね。」
おばあちゃんの横をゆっくり通って、オレは玄関に着くや否や、ぶっきらぼうにくつをはいて、戸を開けて走り出した。
真っ青な空はいつのまにか西陽が薄くモヤをかけていた。
オレは一度止まって、地面を確かめてみた。
足跡みたいな、だけど凸凹している不思議な跡が一直線にできているものを見つけた。
多分、ゲシのものだ。
変な服だし、男のくせにほそくてよえーし、そのくせ面倒くさがりで、髪もぼーぼーで。
ともかく足跡をたどった。
無我になって、とにかくゲシを探した。
うちに、こんなチラシが届いた。
「8/2、人魚浦で夏祭りと花火大会を開催。開催時間は17〜21時。小学生以下のお子様は、親同伴か、保護者の方に許可をもらって来てください。」
絵に描いたような…いや、まんま絵の花火が所々に描かれていて、それ以外は殆ど白紙で、なんだか質素なチラシだった。
「…誰がこれ作ったんだよ、てかいつの間に準備してたんだよ…」
ぼくがぽつりとつぶやくと、おばさんがチラシを見て楽しそうに言った。
「人魚浦って駄菓子屋さんがあるところよね。あそこで見れるなんてロマンチックね〜。トウヤくんも友だちと行くの?あらーっ、青春だわ〜。」
おばさんはひとりで楽しそうにニコニコ笑っている。
すると必死で宿題をしていたハルにぃが
「ここでも花火とか上がるんだな。」
とつぶやいた。なんて失礼な。
ふと時計を見ると、ぴったり4時を指していた。外が少し暗くなっても、構わず騒がしくするセミに内心腹を立てつつも、オレはちょっぴり楽しみになっていた。
…どうせなら、もう少し早く知りたかったけど。
「来年は姉さんと見れるといいなぁ。」
おばさんがポツリとつぶやく。
おばさんが言う姉さんは、ぼくの母さんだ。
おばさんが妹で、母さんが姉。
だけど、母さんはデパートでいきなり陣痛がひどくなって、キュウキョ入院することになってしまったらしい。
「あーっ、終わんねー!止めてぇー!!」
ハルにぃがいきなりがばっと上を向いたと思えば、そのまま勢いよく倒れて仰向けになっていた。
その時にゴンっと音が鳴って、いててと泣いていた。
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チリリリリ、チリリリリ…
背伸びをすればやっと届く場所にある、うちの黒電話が、珍しく鳴っていた。
かーちゃんがそれに気づいて、皿洗いをしていた手を止めて、タッと駆け寄って行った。
「はい、もしもし。萩ですけれど…」
いつもより高い声でかーちゃんが話している。
「はい、旦那の…はい。どうされました?」
「はい、…はい?、あっ、はい。」
「えっ……はい。…………はい。…大丈夫です。」
だんだんとかーちゃんの声が小さくなって、声もいつもの感じに戻って行っている。
オレは会話が気になって仕方がなかった。
「……えぇ。……………大丈夫、ですよ。」
涙ぐんだような、堪えてるみたいな声だった。
聞いたこともない声に、オレはビクッとした。
いつものかーちゃんじゃない。
オレは怖くて立ち上がれなかった。
「はい、これで……。」
ガチャ。
電話が切れた。
それなのに、かーちゃんは、電話から離れようとしなかった。
「アキ。」
オレは目ん玉が飛び出るぐらいにびっくりして、何も言わないまま、かーちゃんの背中をじっと見つめていた。
見向きもしないで、かーちゃんは冗談みたいに言った。
「父さん、死んだって。」
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足跡を辿れば、麦畑に続いていた。
ほったらかしにされたもんで、麦はあの時よりもボーボーに汚く生え散らかっていて、足跡はそこで消えていた。
「ゲシー!どこだー!」
腹いっぱいの声でゲシに呼びかけた。
でも、ゲシの声は返ってこなかった。
「もーっ、どこ行ったんだ、あいつ。」
オレは麦畑の中を走って探した。
それらしい所を探しても、どこにも見当たらない。
「こんなだだっ広いところで…無理だろ、流石に…」
オレは当たりを見て、歩いては探した。
だけど、なかなか見当たらなかったので、諦めて別の場所を探そうとした。
するとふとゲシを見つけた。
麦の空いてる場所で、小さくなって、ボサボサの紙は余計に汚くなって、ずぅっと下を向いていた。
「…なぁ、ゲシ。」
オレはゲシに呼びかけた。
うんともすんとも言わず、ゲシはただ同じ姿勢をとり続けていた。
なんでゲシがそこにいるのか、なんとなく分かっていた。
オレはゲシに謝らないといけない。
だけど、どうしてか言葉に詰まっていた。
ゲシは余計にギュッとちぢこまって、小刻みに震え出した。
「ごめん。 …なさい。」
それでもゲシは変わらず下を向いたままだった。
「…ごめんって!」
オレはなんかイライラして、ゲシの腕を無理やり引っ張って、強引におぶった。
「オレさ!ほんとゲシにごめんって思ってるからさぁ!だからさぁ!ほんとに!ごめんなさい!」
背中越しにじわじわと生暖かい空気が入って、空気を乱してくる。
ゲシは声を上げて泣いていた。
「泣き止むまで帰らねーから。そのだせー顔とっとと直せ!」
力強く、ゲシはオレの肩を掴んできた。
胸がザクザク痛くて苦しくなった。
オレは涙を堪えるのに必死になっていた。
オレはゲシをおぶったまま、ゲシをあやすようにして、体力がある限り走り続けた。
「花火大会ですって!おじいちゃん!」
8月に入ってすぐ、今日の夜に夏祭りが開催される…というビックニュースがあたしのもとに吹き込まれて来た!
都会にいた時にも夏祭りはあったけど、人が多すぎて、思う存分見れなかったからなぁーっ。
今年はアキくんもいるし?夢の花火デートができるってことよねー…!
「あーんっ、花火大会が待ち遠しいわぁ〜っ」
「えらい嬉しそうじゃな。」
「誰だって嬉しいですよ。」