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お揃いのマフラー
わたしは猫だ。
きっとあれだ。あれに似ている。
“吾輩は猫である。名前はまだない。”
でもわたしの一人称は吾輩ではないし、名前だってある。
「ミケ」だ。
ニンゲンはどうやら猫にこの名前をつけたがるらしい。
そんな適当な名前をつけられたわたしだが、別に適当に育てられてきたわけではない。
愛されてきたと思うし、わたしは幸せだった。
今も幸せだ。
だがわたしは今、ピンチに陥っている。
お腹が空いた。
今までにこんなことがなかったと言う訳ではないが、
猫にしては長い年月を生きてきたわたしが、ここまで放置されたのは初めてだ。
婆さんが帰ってこない。
お出かけにでも行ったのだろうか。
でもドアの音はしなかったし、いってきますも言われなかった。
……別に寂しいわけではない。
ただ、お腹が空いた。
このわたしがこんなにお腹を空かせて待っているというのにあの婆さんは今頃楽しくお買い物か。
むかつく婆さんだな
このまま待っていてご飯が出てくる訳ではない気がしてきた。
お腹が空いては戦はできぬ。と言うだろう。
とにかく食べ物を探すことにした。
別に戦はしないが。
食べ物はいくらでも見つかったが、どれもあまりわたしの食欲を唆る物ではなかった。
婆さんはこの頃、物忘れがひどくて賞味期限切れのものが沢山置いてある。
ほら、ここに一昨日買って楽しみにしていたクッキーが取り残されている。
可哀想に。賞味期限切れだ。
まあ、可哀想とか別に思ってないけど。
そもそもあの婆さんは昨日から姿を見ない。
どこへ行ったのだろうか。
婆さんの夫はもうとっくにあの世へ行ってしまったのだから、婆さんの面倒見てやるのはわたしだけだ。
老人ホームとやらに行けば良いのだが、どうやらそこではわたしと暮らす事はできないらしい。
「あんたとこうやってずっと居れたらええのにねえ。」
婆さんはいつもそう笑って言う。
まああの婆さんがにこにこしていないとこなど見たことないのだが。
目元の皺が濃くて、いつも痛めた右足を引き摺りながら歩く婆さん。
すぐ思い出せるその姿。
いずれはどちらかが死ぬ。
当たり前だ。この世の理だ。
それが覆ることはない。
だから、「ずっと一緒」なんてのは無理だ。
なぜニンゲンは不可能を口にするのか。
猫にしては長い時間生き、婆さんと過ごしてきたが、答えは見つからなかった。
この日は魚を食べてねた。
次の日はチーズ。
その次の日はさつまいも。
その次は煮干し。
その次の日は何も食べなかった。
その次も何も食べなかった。
その次も………その次も。
いくら待っても、あの婆さんが帰ってくることはなかった。
このわたしがずっっっっっと玄関の前で待っていると言うのに。
「ただいま、ミケ。待たせたねえ、さあ、ご飯にしようね。」
その言葉をずっと待っているのに。
まあどうせあのアホ婆さんのことだから笑って帰ってくるんでしょ。
ばかだなあ。
ふと気づくと、独特な匂いが漂っているのを感じた。
腐敗臭。
匂いを辿っていった先に、ソレはあった。
階段の下に婆さんが倒れていた。
右足が腫れている。
と言うか、おかしい。
なんだか臭いし色が変だし泡のようなものが出ている。
ハエが集っている
“コドクシ”か。
婆さんが唯一怖がっていたもの。
1人で死んでしまうことを指すらしい。
「1人で死ぬのは嫌だねえ。まあ、ミケがいるから、1人じゃないけどねえ」
婆さんのばか。
1人でしなないでよ
「ミケ、おいで。ふふ、あったかいねえ。婆さんもあったかいでしょう??」
冷たいよ、婆さん。
冷たいよ………
「ミケ」
わたしには素敵な名前があるんだよ。
もっと呼んでよ。
婆さんはいつも整理整頓と掃除ができないし、めんどくさがりだしなんでも忘れちゃうよね。
もう、部屋汚すぎ。
さっさと片付けてよ婆さん
クッキー楽しみにしてたでしょ、もう賞味期限切れてるよ。
すぐ忘れるんだから。
1人で死ぬのは嫌だって言ってたのも忘れたの??
「にゃあ」
言葉は通じない。でもいつも返事してくれた婆さん。
こっちはお腹すいたって言ってるのに、眠たいんだね、こっちおいでとか言ってぜんっぜん話通じなかったよね。
でもずっと一緒にいたよね。
編み物が好きな婆さん。
2人のお揃いマフラーを編んでお出かけしたよね。
楽しかったなあ、またやろうよ、お出かけ。
マフラーをふたつ、咥えて持ってくる。
一つは婆さんにかけて、もう一つは自分にまいた。
うまくまけなかったけどそれでいい。
お揃いだもんね。
これで2人ともあったかいでしょ。
お揃いのマフラー。
ありがとう、婆さん。
こんなに幸せにしてくれて、ありがとう。
だんだん冷たくなっていく。
婆さんも冷たい。
でも不思議とココロはあったかかった。
マフラーのおかげだね、婆さん!!
ずっと一緒にいようね!!