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【曲パロ】アプリコット
幸せになってほしい……
※いよわ様の楽曲、アプリコットの二次創作です。
ゆりかごから墓場まで。私は幸せに生きられると思っていた。
例え辛いことがあっても、こっそり行きと帰りのリムジンでうたた寝すればいい。
夕暮れ、雨が降り撒き散らされる、キラキラとした素敵なかけらを眺めればいい。そんな気持ちで私は、新品の切符を握りしめていた。
いつか、汚れることも知らずに。
私は俗に言う良家の出だった。娘の私から見ても美男美女、そしてお金持ちな両親のもとに生まれた。
だから、学校もお手伝いさんに送ってもらってたし、大学までそのまま通える私立の小学校に入れた。友達もたくさんいた。ある日は告白された。
「僕、ずっと|杏《あんず》ちゃんのことが好きだったんだり付き合って、ほしい。」
クラスでも足が速くて、人気の子だった。小学校では足の速さと、性格の明るさでヒエラルキーが決定されるから。静かな理科室に、その子の声が響く。
……どうやら盗み聞きされていたようだ。男の子はさっと理科室から飛び出た。代わりに友達が入ってくる。
「杏ちゃん、今告白された!?されたよね!?」
あはは、と笑いながら、私少し得意気な気持ちで答える。
「うん、されちゃった」
ざわめき立つたくさんの友達。私を取り巻く波。
「いいな、かっこいいなあ」
「羨ましいなあ」
体感温度が少し上がった廊下に、あんずの柔らかな香りがふわり、と流れてくる。校庭に植えられているのだ。だから、私は初等部の校舎が好きだった。家にいるみたいで、心地よかった。
「でもね、お母様もお父様も、まだこどものうちは付き合っちゃダメだって言うから。断るしかないの。」
「そっか。残念だね。」
こればかりはしょうがないのだ。
お母様もお父様も、「私のため」を思って言ってくれてる。だから従わないと。
そもそも、私はそういうことをしようと考えたことも、なかった。こどもは大人に従うものだから、仕方のないことなのだろう。
それでも、大人になったら。
大人になったら、私は好きな人と自由に付き合えるし、もっとたくさんのことが自由になる。じゆう。素敵な響きだ。今のままでも幸せだと思うけれど、何か足りない気がしてならない、今日この頃。
「早く大人になりたいなぁ。」
指先から頭まで。
大人になりたいという甘酸っぱくてときめく気持ちが巡っていく。はやる気持ちをゆっくりあたためて、やがて来たる日を待ち望む。
あの頃のかわいいかわいい思い出は、今も大切に宝箱の中にしまっている。引き出しで飼っている。
もう一度あたためることは、もう出来ないけれど。
私は数日後、告白されたことをお母様に伝えた。あなたの娘は可愛いのよ、と自慢したい気持ちだった。
「ねぇお母様、私今日告白されたの。あの子よ、クラスでも足が速くて……」
お母様はこちらを少しも見つめないでこう言った。目の前の鏡でお化粧することのほうが大切みたい。
「そうなの。でも、あなたはまだ子供だから。誰とも付き合っちゃダメよ?」
「分かっています。」
お母様がこちらを見る。鏡の破片のように冷たく鋭くて、背筋がぞくりとした。自然と姿勢が伸びた。
「それより、この前のテストの結果は?」
ふうっと息を吐いて、吸って、話す。
指が震える。90点の紙を取り出す。難しいのよ、うちは私立だから、みんなできると思って先生方が……。そう言い出せたら、なんと幸せなことだろう。
「ダメじゃないの。伝統あるこのお家の娘として、学問もしっかりと修めないと。それなら尚更、恋愛なんてくだらないものにうつつを抜かしていられないわね。」
興味を失ったかのようにふいと視線を逸らしたお母様は、ドアを開けて向こうに歩いていく。今日はお茶会だ。
本当は私も分かっているのよ。
お母様もお父様も私を見ていない。確かに、良い点をとった時とか、このお家に見合う行動をした時は褒めてくれるけれど。全部全部、都合のいい言葉や態度を使って、私を動かそうとしているだけなのだろう。
「大人」とは都合のいいものなのか。憧れていたはずなのになぜだろう。風船が急速に萎んでいくようで。疑惑は、栄養をたっぷり得て、肥えていくばかりだ。
私のできものが、からだが、育っていくように。
もう無垢ではいられないのよ。
目を閉じては、いられないのよ。
お気に入りの手鏡に映る私は、少し輪郭が変わっているの。
もっと、綺麗になれるからね。
系列の中学校に進学した。
背も伸びた。学力も上がった。運動神経も上がった。努力をしたのだから、そうでなければ困る。要領の良さに感謝した。
私はより、「大人」に近づいた。
だからだろうか。
私は嘘をつくようになった。今日もこうしてこっそりと公園にいる。お母様たちには「放課後の自習」と偽った。遊具を触る。冷たくて、剥がれかけたペンキが私の皮膚を削るようだ。
「昔、遊んだっけ。なつかしいね。」
珍しく公園で遊ばせてくれるお手伝いさんだった。普通は茶道や生け花のお稽古や、勉強をされられるのに。良くて本だった。確かに庭に連れ出されたことはあるが、「男の子のように遊んではならない」と厳しく言いつけられてきた。
今はバレて解雇されてしまったから、どこで何をしているのかわからない。二度と交わることは、ない。随分と遊具が小さくなった気がする。こんなにちゃちだっただろうか。
「違う、ね。」
私が、大きくなったんだ。背が伸びた。第二次性徴が訪れた。肌が荒れた。体重が一気に増えた。急に、胸が詰まった気がした。胸焼けのような何か。
夕焼けに照らされた公園の遊具の影が、笑っているような気がした。魔物が住んでいるような、恐ろしい感じ。逢魔時だ。逃げなければ。でも、いったい何から?
夕焼けの中、カラスが飛んでいる。
「あしたも、晴れますように」
思っていたよりずっとずっと小さい声。
低い、声だった。
嫌悪。吐き気。失望。気持ち悪い。気色悪い。似ている。あのひとに。
ああそうか。もう私は、大人になんてなりたくないのだ。空気は爛れている。吸うたびに私に締め付けるような幻肢痛をもたらす。私が成長するたびにもたらす。
幼いままの遊具は清浄な気がしたけど、私が触ったものだけ、白い手垢がついているような気がした。私が汚した。
またあしたもいい天気になりますように。
また公園に来られますように。
また素敵な夢を見られますように。
また□□□□□と遊べますように。
ここはもう思い出せない。私はもう子供ではないから。
綺麗な思い出は綺麗なままで。かわいいかわいい思い出が詰まった宝箱にこれ以上、汚いものをつけたくない。奥底にしまってしまおう。
もう、無垢ではないのよ。
目を閉じてはいられないのよ。
あなたも、立派なレディーにならなきゃね。
前髪が崩れたのでお気に入りの手鏡で直そうとした。そこに映る私は、また輪郭が変わっていた。
どこかで、見た顔だと思った。
また□□に会いたくなった。お屋敷の前、ちょうどあんずのいい匂いが漂ってくる、あの角を曲がる。
高校生になった。数年経った。
クラスメイトから友達へと関係性が変わった子がいた。高校から入ってきた「ふつう」の子もたくさん増えた。
そんな高校でやること全てが、「大人」になるためのもので。就職、進学、そういうものは前に進むためにあるのだ。自分を拡大し、発展させ、成長させるためにあるのだ。停滞は許されない。
私が私で無くなっていくような気がした。自分の部屋に入る。
変わり果てた。残骸のような部屋だ。ち
前は確かにあったはずの、ふわふわのクッションはいつのまにかない。ぬいぐるみは他のお家の子に下げ渡されたようだ。
いつも付けていたお気に入りのリボン。お遊戯会でよく付けていた、黄色くて綺麗なあのリボンは、外すことを余儀なくされた。
子供っぽいそうだ。私はもう子供っぽくいてはいけないのだ。私は「大人らしく」振る舞わないといけないのだ。成人まで、あと何年だろうか。
気づいたら1つにまとめるようになっていた髪を結び直そうとした。あの手鏡をこっそりと取り出した。幼い頃買い与えてもらった、甘い意匠のこれも、見られてはいけない。
見られたその先を考えたくなかった。
ああ、どこかで見た顔ね。
あの頃はまだ違っていたけれどね。
言い逃れはできないわ。
これはね。
この顔はね。
あなたの敬愛するお母様の顔よ。
とてもとても、美しかったし、とてもとても、醜かった。
「気持ち悪い」
決壊した気持ちの行く先などの制御のしようがない、子供の癇癪バリンと乾いた音を立てて、それは思いっきり床に叩きつけられた。
割れた。割った。破片を窓から投げ捨てる。どうせ大人たちが片付けてくれるだろう。
こびりついた汚れはもう取れないね。
目の奥から離れないよ。
お姫様の手鏡は何も映さないね。
地獄に堕ちればいいのに。
お母様も、お父様も、お手伝いさんも、勝手に決められてまだ顔も見たこともない結婚相手も。
その親も。
私も?大人だからね。
そうだね。
自由なんて、どこにもなかったんだよ。
窓を開けて、破片を投げ捨てようとして…。
見えた。風船が見えた。どこかの子供が、手を離してしまったものだ。杏色の風船。
いつかあの、夢の部屋で□□□□□と遊んだ時の風船。
「ごめんね」
お気に入りの絵本に出てきた、白い肌と綺麗な髪と夜の色をした、美しい妖精。
クラスメイトとは少し違った、親友。
パジャマ姿だから、それにちなんだ名前だ。
「ごめんね。子供のまま立ち止まってごめんね。あなたと一緒に歩いていけなくてごめんね。」
「時間かせぎしかできなくて、ごめんね」
足場がなくなったように、崩れ落ちた。
「パジャ、ミィ……?」
そうか。あれはまだ夜が怖かったときのことだ。頼りになる大好きだった大人が誰もそばにいなくて。瞼の裏が怖くて寂しかったあのとき。
突然出会った。パジャミィと。
「こんばんは、はじめまして!私、パジャマの妖精だよ。あんずちゃんのお友達。」
「あの、絵本のパジャマちゃん!?」
「うん、あの絵本の、だよ?パジャマちゃんだと可愛くないから…もっと素敵な名前をつけてほしいな?」
「えーっと、じゃあ、ぱじゃみぃ!」
思いつきだった。
それでもパジャミィはにっこり笑って、本当に嬉しそうにした。
お母様ともお父様とも違う、真の笑顔。
あの子は、どこから来たのだろう。あんなに無垢な子。
「パジャミィ?パジャミィね!ふふふ、素敵。私、気に入っちゃった!ねぇ、遊びましょう?私はつみきがしたいな!どうかな?じゃあ遊びましょう!」
「パジャミィはどうして私を知ってるの?ふしぎ!」
「何でお名前を知っているかって?それは秘密だよ。細かいことは気にしなくていいじゃない!」
くすりと笑った彼女は、私よりもずっとずっと、素敵な女の子だった。
明るくて、優しくて、チャーミングで。本当に絵本の世界から飛び出してきたような、そんな女の子。大好きな、ともだち。私のともだち。
なぜ忘れていたんだろうか。いや、私は忘れようとしていたのかもしれない。私はいつの日か、あの子とお別れになってしまった。
いつも通り、という顔をしていたけれど、本当は分かっていた。私たちがお別れなことを、あの日気づいていた。
私はパジャミィと会えなくなったことに、大人にならなくてはいけないことに、絶望して、そうして、あの子を封印した。自衛の反応だ。当たり前だ。今ならわかる。成長とともに、「そういう存在」は消えゆくものだ。
私の勝手な気持ちで、パジャミィとの記憶を無かったことにした。パジャミィは、私に寄り添ってくれていた。
「本当の気持ちは誰にも言えない」って。馬鹿なことを考えて、パジャミィを苦しめた。
「もう言わないで。ごめんねってもう言わないで」
頭の中であたたかい思い出が映し出される。痛みが引いていく。
私の心の中にはゴミがたくさん入ってしまった。もう私は私を大好きとは言えない。変わりようはないと思う。でもまだ濁りきってはいないはずだ。残された綺麗な部分。パジャミィにまつわる私。パジャミィとの、秘密基地での記憶。
パジャミィは、私の心が大人になる前に、忘れ物を届けてくれた。
鏡のかけらを拾った。もう一度手鏡にはめ込んだ。中学生時代の接着剤を引っ張り出して、指先に血を滲ませながら修復する。
そして、机の上に飾った。棚の奥には、隠さなかった。
変わってしまった私が映っている。母の前にいるように、姿勢を正す。
やがて私は完全に大人になってしまうかもしれない。その日まで、私は子供でいられる。パジャミィのように、子供に寄り添えるように。
大人になってしまうその日から逃げて逃げて、いつか大人を愛せるように。成長を愛せるように。子供を真に慈しめるような、そんな人に。なれるだろうか。そんな親に育てられていないから、お手本がよくわからない。
今すぐ変えられることは、ないけど。
私ははにかんでみた。子供と大人の中間点で、微笑んだ。
いつか夕暮れの雨をまた綺麗と思えるようになる。ちょっとしたうたた寝を楽しみにできる。
ふわりと漂う杏の香りを胸いっぱいに吸い込んで、私は部屋を出た。