公開中
最終決戦──襲撃
今思えば、あれが現れたのは、クライシスに集結した戦力を一掃するためだったのかもしれない。
クライシスが七番たちに襲われてから一ヶ月後――。
傭兵組合の周辺は復興が進み、|瓦礫《がれき》が取り除かれて仮設の建物が建てられていた。現在、モルズはその中の一つに拠点を移している。
大きな変化はもう一つ。スミスの研究が認められ、スミスは一躍大人気になった。スミスの技術はクライシス中の鍛冶師に広まったが、未だにスミスがこの分野の最先端を走り続けている。
モルズも、己の全財産と引き換えに刀を得た。
そうしてクライシスの人々が前に進み始めた、その時。
轟音を立て、街の外壁部に何かが現れた。
『すまないが、死んでもらう』
およそ人とは思えない、異形の怪物。全身を縁が鋭く尖った鱗が覆い、腕の先からは鋭い爪が生えている。
人類に対して敵対的なその存在は、ようやく戻ったモルズたちの日常を壊し始めた。
瓦礫の中から使えるものを探しなんとか再建された建物は、再び瓦礫に戻った。
巻き込まれかけた人を、組合長が助け出す。
『見つけた』
一番が淡々とした声を弾ませ、組合長に駆け寄った。
モルズは怪物を睨む。怪物もモルズをまっすぐ見つめた。
見つめ合う二人を、他の傭兵が取り囲む。助太刀云々よりも、野次馬としての面の方が強いらしい。なにやら騒ぎ立てながら、二人の動向を見守っている。
『同胞を殺した罪は重いぞ』
同胞。魔獣のことだろうか。まるで魔王軍の幹部のような口ぶりだ。
『魔王様、戦ってきていい?』
一番が組合長と向き合い、怪物に尋ねた。ほとんど事後承諾のような形だ。
『ああ』
二人の会話を聞き、野次馬の中に動揺が広がった。
魔獣の王――魔王。世界がめちゃくちゃになって、人類が滅びかけた元凶。リーンを殺させた存在。
目の前の怪物は、その『魔王』だ。
そう考えてみれば、それにふさわしい威圧感があるようにも感じられてくる。
周りの野次馬の会話の中に「まずいぞ」「逃げろ」といった言葉が交ざり始めた。じりじりと後ずさりを始め、示し合わせたように一斉に駆け出す。
邪魔な野次馬がいなくなり、静かな街。互いの呼吸の音すら聞こえそうな静寂の中、二人はほぼ同時に動いた。
抜刀――から攻撃に繋げる。俗に抜刀術と言われるものだ。攻撃のキレを落とす代わりに、初撃を早く繰り出すことができる。
刀と爪が交わり、響き渡る硬質な音がその存在を主張する。互いに力を正面からぶつけ合う真っ向勝負。空気がびりびりと震え、腕が|痺《しび》れる。
このまま力をぶつけ合っても、疲弊するだけで有効打にはならない。モルズは体を後ろに引きながら、強引に爪を逸らした。
――本当に、これが魔王なのか?
今、魔王と刃を交えたモルズの感想だ。
王が最強である必要はないが、それでも他の強者に比べると劣る。
戦う以外の能力を持たず、その戦闘能力も特筆すべきところがない。そんな存在に、血気盛んな魔獣が付いてくるだろうか?
確実に、何か裏がある。それが具体的に何なのかは分からないが、警戒すべきだ。
と、モルズが警戒を高めた瞬間。モルズと魔王だけの世界に、魔獣が侵入した。
即座に攻撃対象を魔王から魔獣に変更。魔獣の排除を最優先とする。
戦闘に集中しても、相手に集中しない。
魔王だけでなく、周囲にも気を配っていた。そのため、急な魔獣の侵入にも気づくことができたのだ。
乱入してきた魔獣を一刀のもとに斬り伏せ、魔王に向き直る。
魔王は、奇妙な行動を取った。自身の鱗を|剥《は》いで空中にばらまき、そこに手をかざしたのだ。
モルズは止められない。下手に近づけば、爪の一撃を食らって即死だ。
なんとか止めようと隙を|窺《うかが》ったが、それより前に魔王の行動が完了した。
鱗を中心に空間が歪み、鱗の形が徐々に変化する。
鱗に大きな塊と、五本の突起ができた。鱗は、形を変えながら大きくなっていく。
――変化が完了した。
見覚えのあるもの――血狼の姿となって、モルズに牙を剥く。
今回生まれたのは三体の血狼。片手間での対処はできない相手だ。
それに加え、魔王本人。明らかにモルズの許容量を超えている。それでも、一人で戦えば。
「はっ……はっ……っ……」
――当然、こうなる。
乱れた息、折れた骨、刃こぼれの酷い刀。体中に数え切れないほどの切り傷ができ、未だに血を流しているものもある。
辺りに転がるのは、血だらけの血狼の死体。そして、余裕を見せる魔王。
戦闘を継続すれば、間違いなくモルズは死ぬだろう。だが、何もしなくても魔王に殺される。
故に、刀を握るしか道はないのだ。
足元がふらつく。腕に力が入らない。
疲労を主張する体に鞭打って、刀を持ち上げる。魔王の爪を弾いた。
緩慢な動きの体に反して、思考はいつにも増して冴えわたっていた。
この危機的状況下で、一体どうすれば良い?
あらゆる手段を検討し、全てを却下する。
熟考しながらも、魔王の動きを見失いはしない。それどころか、いつもより世界が鮮明に見える。
雲が落とす影、遠くの戦闘音、微細な予備動作。世界の全てが見えているような錯覚に陥る。
魔王の動きがスローモーションに見えた。自身の動きも遅くなる中、ぎりぎりを見極め紙一重で避ける。
正しい体の動かし方がようやく分かった。
いける。渡り合える。
魔王の攻撃をくぐり抜ける度に、自分の成長を感じる。
集中力が研ぎ澄まされていく。
疲労に反比例するように、動きの熟練度が上がっていく。
魔王との距離を詰めた。反撃に移る。
魔王の動きを、見切ったと思ったから。
どんな動きをすれば、魔王は対応し切れないか。限界付近で稼働する脳が、複数のパターンを弾き出す。
――これだ。
今繰り出されようとしている魔王の攻撃を避け、自分の一撃を叩き込む動き。その中で、最も体への負担が小さいもの。
モルズは、この戦いに夢中になっていた。
――だから、意識外からの一撃が致命的なものになる。
魔王が、握り込んだ鱗をばらまいた。
モルズには見えていない。これまでのどの攻撃にも、こんなパターンはなかったから。
油断しているモルズに、血狼の牙が食い込む。
モルズの目が見開かれた。
反射的に腕を引っ込める。
結果として――モルズの左肩に深々と牙が刺さり、モルズの攻撃は空振りに終わった。
「ぐッ……!」
痛みに声が漏れる。全身に痛みが駆け巡り、高い集中状態が解けた。
頭が痛い。それに、どうしようもない眠気がする。
油断した罰と、超集中の代償。
先送りにした死が、モルズの喉元に迫る。
――ふわり、と風が通り抜けた。
モルズがそう認識した瞬間、血狼の首筋から血が噴き出し始める。
「大丈夫ですか?」
数ヶ月ぶりに会う相手からの問い。
「……ああ」
その問いに、モルズはうなずくことしかできなかった。