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🗝️🌙第二話 夜の足音
橘ロッジの夕餉は、質素ながら温かみのある料理が並んでいた。シチューの香りが柔らかく立ち込め、蝋燭の火が食卓をほのかに照らしている。
大きなテーブルに、宿泊客全員が顔を揃えていた。
「やっぱり、こういう場所で食べるシチューって最高だよね。」
蘭がスプーンを手に、嬉しそうに微笑む。
「おう、うまいぞこれは。肉も野菜も柔らかく煮えてるし、味もいい。」
小五郎も満足げにグラスを傾けている。彼の前にはワインボトルと、空になったグラスが既に三つ。
「うふふ、ありがとうございます。野菜は地元の農家から取り寄せているんです。」
悠がにっこりと笑い、テーブル越しに蘭へと身を乗り出す。
「蘭さん、お料理得意なんですって?お母様が優秀な弁護士さんだって聞いて…信じられないくらい自然体ですね。」
「あ、そんな…私なんてまだまだです。」
「いえいえ、羨ましいです。ねえ、お姉ちゃん?」
悠の言葉に、姉の冬子はかすかに眉を動かしただけで、静かに口をつけた。
「そうね。お料理の得意な娘さんは…きっと素敵なお嫁さんになれるわ。」
無機質なほどに冷静な声だった。
(…この姉妹、何かあるな)
コナンは、口元を拭いながら二人の視線の交錯を観察する。
悠はあえて明るく振る舞っているように見えたし、冬子の静けさは感情を封じるための鎧のようだった。
「悠さんは、お姉さんのこと尊敬してるんですか?」
ふと蘭が何気なく問う。
「うーん…尊敬っていうか、昔から"出来すぎる姉"でしたから。成績も家事も完璧。何でも自分でこなして、"悠、あなたは黙ってなさい"が口癖で。」
「悠。」
冬子が鋭く言った。その一言で、食卓の空気が一瞬にして冷えた。
けれど悠は笑顔を崩さなかった。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。でもさ、これくらい昔話でしょ?ね、和哉さんも、そう思うよね?」
視線を向けられた矢島は、少し間をおいてから答える。
「ああ…昔話、だな。俺も、冬子さんの厳しい面は知ってる。だが、それだけ真面目ってことさ。」
どこか遠ざかるような返事だった。
(婚約者なのに、どこか距離を感じるな…)
コナンはふと、矢島の指先を見つめる。グラスを持つ手に、ほんの少し震えがある。
(何かを…恐れてる?)
食事が終わると、みな思い思いの場所へと散っていった。
ロビーでは薪ストーブの炎がパチパチと音を立て、ソファに座った小五郎はすっかり酔いもまわって眠っている。
「コナンくん、眠くないの?」
蘭が膝掛けを差し出しながら、微笑んだ。
「ん、もうちょっとだけ…ストーブの前、気持ちいいから。」
「じゃあ私、お風呂入ってくるね。何かあったら呼んで。」
蘭がスリッパの音を立てて廊下に消える。
ロビーに一人残ったコナンは、時計の音に耳を澄ました。
――カチ、カチ、カチ。
秒針が壁に反響するほど、周囲は静かだった。
…と、上の階から「ギシッ…」と何かが軋むような音がした。
(…今の音…?)
コナンは立ち上がり、階段を静かにのぼった。
二階の廊下。客室の扉がいくつか並ぶ中、"202号室"のドアの前で、誰かが立っていた。
「…!」
声をかけるより先に、その人影は振り向いた。
悠だった。
「…コナンくん?びっくりした…どうしたの?」
「上の階で音がしたから…。」
「ああ…ごめんね。私が、ちょっと姉の部屋に話があって…でも、ドアをノックしても返事がなくて…変ね。」
どこか落ち着かない様子の彼女が、ドアノブに手をかけようとして、思い直したように引っ込めた。
「…ごめんね、こんな夜中に。さ、もう遅いから、寝なきゃね。」
そう言って廊下を戻る彼女の背を、コナンはしばらくじっと見つめていた。
(冬子さんの部屋…返事がなかった?)
だが、灯りは消えている。ドアの下から漏れる光もない。
(まあ…今は何も起きてない。ただ、少しずつ"変化"が起こりつつある)
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翌朝。ロッジの外は、さらに深く雪に閉ざされていた。
カーテンを開けた蘭が、声を上げる。
「わっ、真っ白…!」
寝起きのコナンも窓に駆け寄る。
「昨日の倍は積もってるな…下手したら今日一日は外に出られないかも。」
そのとき。
階下から――
「た、助けて…だれか…っ!」
悲鳴が響いた。
二人は顔を見合せ、急いで階段を駆け下りる。
ロビーでは、冬子が顔を蒼白にしながら立ち尽くしていた。その視線の先――
"203号室"の扉が、開かれている。
部屋の中、ベッドに横たわるのは、矢島和哉。
どこか安らかな表情のまま、彼は――息をしていなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。少し久しぶりの投稿です。
初めてのミステリなので、矛盾などあるかもしれませんがご了承ください。
次回もお楽しみに。