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9 飆(つむじかぜ)
第9話です。
そのよく分からない籠城は、日が没した後も続いた。一定時間たつと、『カメラ』の前に陣取る人が入れ代わり立ち代わりと交代し、深夜にまで至り、そして朝に。始める前に『長期戦になる』と言っていたので、有言実行とばかりに数日間も居座っている。
時折、交代の時に、
「どうだ?」
「まだ変化なしです」
という、定例行事をするようになった。どれも落胆の声で「そうか……」と返す。
当たり前だよ……とぼくは突っ込みたくなる。
ほんと、何をしに来たんだ?
そして、なんでぼくを撮ってるんだ?――というのがぼくの率直な感想だった。というか、弁明したい。
ぼくは人形だ。たしかに汚れてる。
もとは黒くて、とてもきれいな着物を着ていたんだと思う。今はこんなにも汚れているけども。
でも、それだけなんだ。動くこともないし、ひとり言をつぶやいているこの会話も、人間たちには聞こえないはず。声も彼らには聞こえないはずだ。
テレパシー的なもので、彼とはしゃべることはできるけれど、いわゆる物を操れたり、浮かばせたり、勝手に音を鳴らしたりみたいな、怪奇現象みたいなこと。そんなこと、ぼくにはできるはずがない。
でも、でもなー。
おそらくぼくの予想だと、この人たちって〝そういうもの〟目当てで撮りに来たんだろうな、というのが分かってきてしまう。
つまり、何といえばいいのやら。〝呪いの人形〟というものを期待しているとでも言えばいいのやら。
あなたは見るからに〝呪いの人形〟だ。
だってドブにつけたような着物を着ているし、人相も悪いと見える。だから何かやってよ、手品みたいなこと。
悪かったな、顔が悪くてよ。
身体が汚くてよ、不潔でよ。
本当に悪かったと思ってるよ、でもできない。できないんだよ、ぼくにはそういうの。
〝呪いの人形〟のような見た目をしてるから、何かやってよ。そういうこと期待する気持ちわかるけどさぁ。その期待、高すぎてできないって。
ほんとうに何にも持っていないの。そういう奇怪な力も、種も仕掛けのない手品なんて。
だから、ね? 退散してくれないかな?
――と、心の中で説教じみた台詞を吐いて時間をつぶしていると、
カタン。
と、何か倒れる音がした。
「あっ……と」
とカメラ番をしている一人が取り乱した。もう一人が心配した声をかける。「何だ?」
「いや、三脚が」
今は深夜。日が暮れた今宵もまたこの地は闇にとらわれている。人間たちは暗闇のなかで動く音がし、倒れた棒――三脚というらしい――を起こした。
直後、こんな疑問を口にする。
「いや、でもおかしくないですか? 勝手に倒れるなんて」
「いや、風かなんかだろ」
「風なんか吹きましたか、今」
「吹いたんじゃねぇの」
すると、今度はあの隙間が鳴り出した。びょう、と風が鳴る、隙間風が。
「ほら、これだよ」
と一人はその隙間を指さして、模範解答を口にする。解説をきいて納得する若い人。
それを静かに見ているぼく。
……。
そういえば、今夜は『その日』だったか?
そう思うと、ぼくは心の中でうんうんと頷かざるを得ない。君たちのことは何も知らなかったが、ある種戦友に思えてくる。不運なことに、棟梁はいない。だから代わりに労いたくなる。
よかったな、君たち。夜遅くまで待ってて。今夜は『大スクープ』が待っているだろう。
ぼくも待っていたよ、なんせ、ぼく専属の『おそうじ屋〇舗』が来てくれたんだから。
「……なんか、風強くなってきましたね」
「ああ」
そうしていると、すきま風はびょう、と再び唸って、その間隔は狭くなっていく。
数秒続いたものが十秒、十五秒、三十秒、分単位に長くなって、風同士が統合した。
この辺り一帯に、強風が一面に|薫《かお》った。三脚はもはや立っていられなくなり、がしゃがしゃと音を立てて崩れてしまう。風音は身を切り裂かんとするほどに長くなり、とうとう断続的に続くようになる。
そうなると、次の段階は……
「え? 霧が……」
「霧……だと? なんで、今夜は晴れで、気温も」
「なんでもいいですよ! これ、ヤバイです! 早く逃げ――」
うん。若い方の男が言っていることは正しい。でも、それを言うのがあと一分遅かった。せめて霧が立ち籠る前だったら……
こうなるともう遅いんだ。〝彼〟はもうここに来ている。この霧が立ち籠めてきたのがその証拠だ。詳しく言えば、あの|隙間《参道》を通って、こちらに来ている最中なのだ。
だから、今更あの隙間に走っても、
「うわ、なんだこれは」
「もしかして塞がれている?」
「そんなわけが……! 木の板で塞がれているわけじゃないんだぞ!」
「で、でも。見えない壁のように、手が、入れられ……うわっ!」
「うわーーーー!」
開口一番の彼は、おなじみの ≪やあ≫ を言わなかった。のんびりあの狭い参道を歩きながらの、言葉。
≪あー、まったく。今日はなんだか〝風通し〟が悪いなぁ。どうしてこんなに遮蔽物が置いてあるんだい?≫
「ずいぶんと呑気な挨拶だね」
ぼくはとても呆れてしまう。目の前の光景は惨状と言っても差し支えないのに。地面にあったはずの『それ』は全く機能していなかった。
嵐が降臨している。唯一の避難場所はぼくのいるところだけだろう。
三脚、カメラ、電気機器。それら三つの要素が空中に投げ出されてしまって、ぐるぐると、円を描くようにして飛んでいる。小さなゴミたちは、たぶん砂ぼこりだろうか。ちょうど乾きつつあったヘドロが風に浮かされ、弄ばれてしまっている。さすがぼく専属の「おそうじや〇舗」。
そして、『彼ら』も浮かされている。『彼ら』もまた、この地ではヘドロ同様、ゴミとして認識されてしまった。
彼らというのはもちろん、『彼』の方ではない。
≪呑気?≫
ぼくは言った。「ほら、後ろだよ。後ろ」
≪後ろ?≫
彼の本体は透明……『実体』がないので、後ろと言われてしまっても分からないのかもしれない。
でも、ぼくから見れば「後ろ」と言いたくなる。霧で隠されていて見づらいが、三脚とともに風に弄ばれている者たちがいる。
≪あ、ごめん。いたんだ君ら。気づかなくってごめんよ≫
と言っただけで彼は何もしなかった。というより若干風の勢いが強まった?
彼はその者たちを放置して、
≪まあ。とりあえず、やあ≫
「やあ……と言いたいとこなんだけど、君に言いたいことがあるよ」
≪ん? なんだい?≫
「この状況、何なんだろうね」
まるで考え事でもするような静かに鳴り響く風の音の時間をとって、
≪んー、今来たばかりの俺に聞かれてもね。どうせ、君がまいた種でしょ?≫
「なわけ。君のせいでしょ?」
≪んー、覚えがないなー≫
多分霧の中で、顎に手を添えて考えているふりでもしていそうだ。
そんな彼に向けて、ぼくは現況を伝えた。
洪水の後、不気味な光の筋に照らされたこと。
その数日後、彼ががやってきたこと。
ぼくを見て、恐ろしがったこと。
そして〝じゃらくだに〟さま。
≪ふーん、〝じゃらくだに〟さま……ね≫
最後の語句を伝えた途端、にやりと風が笑った気がした。