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#7『episode Chris?:奪われたコラール』
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
--- その綻びは、誰にも気づかれず潜んでいた ---
--- 狂い始めた物語は、止まらない ---
--- かつて|讃美歌《コラール》を贈られた彼女は、水底に消えた ---
---
真っ白になった頭で何を考えたのかは知らないが、どうやら私は今から父に会いに行くらしい。
家には頓着など無いと思っていたのに、無意識下では多少は恐れていたのか、と震える手を押さえつける。記憶が甦り、暗く深い水底へと引きずり込まれるような感覚だけに満たされていた。
ここがどこかも分からなくなって、馬車の揺れが己の震えと交わっていく。
かつて封じた記憶。おぞましく歪な、箱庭の中の、兄と、父と、友人と宣う男との、醜悪極まりない、低俗な。胃の不快感で口を咄嗟に抑え、冷や汗で体が冷えてより痛い。
なぜ…気が抜ければそう口ずさんでしまいそうだ。なぜ私なのか、なぜ私でなければならなかったのか。己が不幸を一身に背負っているだなんて驕りはしないが、それでも他人より不幸が多いと、そう願っていたい。
蓋をした幼少の記憶。娘に手を出す狂った父親と、実の妹を弄ぶ兄達と、すぐに癇癪を起こす母。思い出したくない気持ち悪さがいつまでも頭に染み付いていて、見ないふりをした火花は記憶をより際立たせる。
「着きました。どうぞ」
「……ああ」
ふら、と足をついたのに、まるで空を飛んでいるかのように感覚がない。今、自分が地面を歩いているのかどうかすら怪しくなるなんて、と自嘲の笑みが溢れそうになったが、ひきつった口はその弧を描くことはなかった。
恐る恐る顔を上げれば、懐かしく、憎らしく、今も記憶の底にて私を引きずり込まんとする屋敷が___私の実家がある。よく見れば私の手を引くのはかつて私に毒を盛った侍女で、最悪な記憶の回顧をさせられているようだった。
咲き誇る薔薇達は立派に手入れされており、石畳には上品に、かつ主張しすぎず苔が生えている。洗練されたデザインのアーチを潜り抜けた先にある屋敷には、ほどよく蔦が這っておりそれがまた屋敷の造りの良さを際立たせているようだ。
石畳の小気味良い音と小鳥のさえずりが重なり、花々が見守る中屋敷への道を歩く。
「お、家出女が帰ってきた」
「よう家出女。仏頂面は相変わらずか」
入り口に立っていた二人の兄が、ゆるりとこちらを見てせせら笑う。相変わらず醜悪な男共だ。無視しようと間を通れば、去り際に後ろ髪をひっ掴まれた。
「何勝手に入ろうとしてんの、つれないな」
「見ない内に顔だけはより綺麗になったようだな。…また可愛がってやろうか?」
「っ………」
吐き気がこみ上げ、咄嗟にぱしりと手を叩き足を早める。つまらなさそうにこちらを眺める視線に絡まった下卑た欲望が、こちらにも纏わりついてくるようで気持ち悪かった。
兄のようなものではないにしても、この家にはそういう"視線"が多すぎる。敵意や、蔑みや、傲りがないまぜになってそれらはこの屋敷の空気までも淀ませていった。
階段を登り、重い扉を開ければ見慣れた顔が二つある。父と、母。私の思い出の中よりもずっと醜悪な顔をしていた二人が、今は私よりも下の目線で睨み付けてくるような感覚になった。
ソファに座りなさい、そう言われて大人しく座る。何か言いたかったはずなのに、この二人の前では上手く言葉が出てこなくて妙な感じだ。
「……クリス、私の愚かな娘よ。逃げ出したお前のせいで、私がどれほど恥をかいたことか」
「それだけじゃなく、士官学校に入学しようとするなんて。どこまでも気味の悪い子ね」
「お前に魔法の才があろうがなかろうが、女である以上孕み袋としての価値以外は意味がないのだ」
「唆した侍女もいずれ見つけ出すわ。貴方と同じく、折檻する必要がありそうだもの」
「まるで躾のなっていない獣だな」
「愛想も無い」
「気味が悪い」
耳を塞ぎたくなる。私が虚勢で積み上げた自己肯定感が崩れ、残っているのは両親からの下らない評価だけ。いくら気を張っていても、幼少からの刷り込みはとっくのとうに消えない痣となっていた。
やがて、幸いなことにひどい耳鳴りが両親の声をかき消してくれる。ずっとぐるぐるとかき混ぜられるような胃の違和感だけが、私のことを冷静にしてくれた。
それでも、私の足は木偶の坊のように動かなくなって、呼吸すらままならない。父親の顔はいつの間にか険しくなり、反対に母の顔は獲物をいたぶる獣のように歪んでいく。
耳鳴りはひどく、私の意識ごとかき消してぐちゃぐちゃにしていくようだ。呼吸の音が響かなくなった頃に、私の視界も暗く消えていく。
`そのまま私は、意識を失った`
---
| :O 《Momo》 { An unexpected error occurred
| XP《Holy》 { A stranger has broken in!
|:0《Dream》 { `Bug` has entered.
| XO《Momo》 { Ah, the system is breaking down...
|:(《Dream》 { Anyway, we need to get rid of it.
| X0《Holy》 { Oh, this is the worst...
---
[予期せぬ問題が発生しました]
[再起動をする必要があります]
[エラー情報の収集]
`縺輔○繧九o縺代′縺ェ縺?□繧阪≧?溽ァ√b逕溘″繧九?縺ォ蠢?ュサ縺ェ繧薙□縲`
[エラー情報の収集に失敗しました]
[世界線保護システムを起動します]
`---・- ・ ・・ ・-・-- - -・ ・・ ・-・ --・-- ・-・・ ・・ -・-・・ -・ ・・ `
[システムの起動に失敗]
[ウイルスの侵入を確認]
[時間操作システムの権限を失いました]
`コこで 終ワラれテは 困るノだ`
[権限の使用を確認]
[時間の巻き戻しまで、あと残り…]
---
…
---
そうして待ち続け、いつしか試験官が《《私の》》合格を知らせた。
「おめでとうございます。こちら今後の予定になりますので、ご帰宅後、よく確認を」
「…はい」
遅れて返事をする。どうやら、少し考え事をしすぎたらしい。少し遅れた私に怪訝な顔をしつつ、試験官が私に向き直る。
「それに加え、少々お時間いただきますが…構いませんね?」
「は「いいえ」
これまでの秩序を破るような唐突さを纏った声が待合室に響いた。その聞き覚えのある声の方を向けば、そこには……
「メアリ、何故ここにいる?」
「クリス様のお迎えに参りました」
「困ります、保護者の方は外でお待ちに…」
「いいえ。お迎えに参ったのですから、クリス様を連れて帰るまでは私も帰りません」
「メアリ…?」
奇妙な言い分で宣う彼女の様子は、いつもと確実に何かが違う。何が違うのかは分からないが、確かな違和感がそこにあった。
試験官も困りつつ、メアリに退室を要求する。が、メアリは頑なに私を連れ帰ることを主張し続け、堂々巡りが繰り広げられていく。 段々と試験官が堂々巡りにうんざりしてきた頃、私はしょうがなく口を開いた。
「簡潔にここで内容を話すのは駄目なのか」
「いえ、それでは……」
「それでも構わぬだろう。なぁ、メアリ?」
「ええ。クリス様の仰る通りです」
「……」
試験官は一気に困った顔になり、悩み始める。私としては、意外な行動しかしないメアリに意図を聞きたいのだが、今それを言うべきでないことくらいは私でも分かっていた。
「さっさとお話ししては?それとも、私に聞かれたら困るようなことをお話しするつもりでしたか?」
「い、いえ……そういうわけでは、なく…」
「それなら早くお話してください。夕飯の買い出しもあるのです」
「………仕方ない、ですね…」
大きくため息を吐き、試験官が押し問答に押し負ける。メアリは満足そうな顔をし、私はその光景の不思議さに首をかしげた。
それはそれとして、試験官はどうしてそこまでして渋ったのだろう。本当に、メアリに聞かれたら困る話でもするつもりだったのだろうか?
「…ご希望されていた特待生制度についてですが、受験生中一位のため、希望通り適用させていただきます」
「……そうですか。ありがとうございます」
深く頭を下げ、ほんの少しの安堵から小さく息を吐く。突然言われたものだから、心の準備とやらもできていなかったが……まぁ、確信していた通りなのだから構わない。
メアリが小さく「やりましたね」と呟いた音を拾いつつ、試験官の方をしかと見据える。この程度のことであそこまで躊躇するとは思えなかった。
「それで、他には?」
「………いえ、《《これで全部です》》」
「…これだけか?」
「はい」
あまりの呆気なさに、思わず懐疑の目を向けてしまう。横のメアリも存外しょうもない話のみで驚いているようだった。
そうして話は終わり、メアリが性急に私の手を引く。やけにメアリは焦っているようで、それがまたらしくなさを感じさせた。
私とメアリは、そのまま《《試験官ただ一人だけ》》を残して教室を後にする。試験官の男は、何故か不思議そうに自身の座っている椅子を眺めていた。
久しぶりにメアリと手を繋ぎながら帰路に着く。子供じゃないのだから、と言ってみても、メアリはまだ手を引くばかりだ。
正直手を引かれるのはどうでも良いのだが、メアリの様子がいつもと違うことだけが気がかりだった。怒らせたのだろうか、といったことは一切心配していないが、何か悪いものでも食べて体調を崩す等していたら困る。
「Ah,なんだ。…こうやって手を引かれると、あの夜を思い出すな」
「…大きくなりましたよね。特待生制度も、おめでとうございます」
「私が言えたことじゃないが、それは今言うべきことだったのか……?まぁ、メアリの力添えもあってのことだが…」
「頑張ったのはクリス様ですよ」
「だが、お前がいなくては実現しなかった」
「……そうですか」
「…………いい加減、手を離してくれないか」
「何故?」
「必要性を感じない」
「私は繋ぎたいのです」
「……そうか」
---
| X(《Momo》 { Ah... the system is a mess…
| :( 《Dream》 { Will we give up on this world?
|XO《Holy》 { No good, the world has been frozen…
| :0《Dream》 { ...We were completely defeated.
---
時が経ち、小春日和に相応しい空気が満ちる昼。心地よい風に吹かれながら、私は空き教室にて夕日を眺めていた。
無事特待生制度で入学を果たし学生寮へと住むことになった私は、順調に士官学校での日々を過ごせている。友人とまで深い仲にならず、ある程度の浅い交流を続け、成績も一位をキープしていた。
だが、一つ困ったことがある。それは「退屈」なことだ。
課題はあるが難しくなく、特に休日に出掛けるわけでもなく、まぁ今まで通りの刺激の少ない生活をしているわけなのだが。変わらないということは、私に退屈さをもたらすのだ。
いっそのこと友人を作るべきかとも思ったが、今のところ友人になりたいと思えるほど魅力的な人物に会ったことはない。恋人を作る気などさらさら無いし、はてどうしたものか、というのが直近の悩みごとだ。
そんな考えさえ、この柔らかな春の伊吹は柔らかくかき消していくようだった。素直に目を細め風を受けていれば、静かな教室にドアが開く音が響く。
音のした方を振り向けば、知らない___私と同じ学年の男が立っていた。しかし、その顔にはどこか見覚えがある。はて、私はどこで彼を見たのだろうか…
「……ええ、と」
「…《《初めまして》》クリス・ウィルダートだ。名前を聞いても?」
「《《オルカ・オルクス》》だ。…その、初めまして」
「オルカか。よろしく」
不思議な、それでいて良い響きの名前を呼べば、なんとなく口に馴染む。珍しい名前なのにこれなのは、きっと本当に名前の響きが良いからだろう。
当のオルカは、ほんの少し驚いたような顔になりつつもしかとこちらを見据えていた。夕日で照らされた彼の耳は尖っていて、それが何となくしっくりくる。良く見れば、先の方が少し赤いような気がしないでもないが…
「ヨロシク。…ええと、君もこの学校の生徒なのかい?」
「…そりゃあ、ここにいるのだからそうに決まっていると思うが」
「ああいや。その、随分幼く見えたもので」
「まぁ、14歳だしな」
そこはかとなく失礼さの漂う、慣れた評価を受け取りつつ横目で夕日を見る。黄色く地へと堕ちてゆく丸は、ともすれば月と見違えてしまいそうだ。鳥が夕日の前を飛んでいき、その影が満ちた日に穴を空けていく。
「二個下か…ということは、君が噂の特待生なのかい?」
「そうだが…噂になっているのは知らなかったな。別にどうだって良いのだが」
「へぇ…」
絶妙につまらない会話が続き、思わず欠伸が出てしまう。この間延びするような、なんだ?何が足りない。ここまでつまらない会話を、己がしていることがとかくに気に入らなかった。
オルカの方を向けば、ちょうど視線が交わる。この男、私のほうを見すぎじゃないか?別に嫌というわけではないのだが、なんとなく落ち着かない気持ちになった。
と、空き教室に17時を知らせる鐘の音が響く。特に何かの予定があるわけでもなかったが、会話を切り上げる理由としては最適なタイミングだ。
そんなわけで、17時の鐘を理由にオルカとの会話を切り上げ、空き教室を出る。春の空気で満ちた廊下に敢えて足音を響かせながら、私は自室へと歩みを進めた。
---
「そういえば君、なんでこの学校に入ろうと思ったんだ?」
その一言に、課題から目を離してオルカを見上げる。彼はまだ課題から目を離してはおらず、恐らく課題の合間に何か暇潰しでもしようという器用な企みがあることは容易に想像できた。
目が合わないのなら、私もオルカを見る必要はない。そう判断し、私も目線を課題へと戻す。
一年前、空き教室で出会ったオルカ・オルクスとは案外打ち解けた。正直私は彼の綺麗言や傲慢さが好きではなかったが、それでも聡明ではあるため他よりマシと考えている。
改めて彼の方を見上げれば、端正な顔立ちと不思議な色合いの髪が目についた。
前髪のみが白く、他は黒いという色合いは他でも見ない珍しいものだが、本人は大層気に入っているらしい。私としては、前髪を上げたほうが良いだろうと思っているのだが……伝えるタイミングを見失っていた。
「私の祖国を根幹から変えるためだ」
「根幹から?そこまでの世直しを望むとは」
「言っていなかったが、私の祖国は混乱的城市だ」
「ああ……」
一瞬でオルカは納得したような顔になり、私自身も己の祖国の悪印象に苦笑いを浮かべてしまう。
我が祖国、|混乱的城市《フィンランデ・チャンシィ》は自他ともに認める治安の悪さで有名という___随分と不名誉な知名度を誇っていた。そしてそれは、法が緩すぎるだとか、軍上層部の面子が揃いも揃って無能であるだとか、そもお国柄であるだとか、挙げていけばキリがないほどの原因を抱えている。
祖国愛や誰かのために、という精神を持ち合わせているわけじゃない。私はそういう柄ではなく、どこまで行っても己が一番ではあるから。
ただ必要性のないルールがのさばり、必要な設備や制度が普及されていないことが我慢ならないのだ。それは恐らく完璧主義であるだとか、そういった類いのもので。それもまた己のためになっている。
「そういうお前はどうなんだ」そんな言葉が喉元まで出かかり、すぐに引っ込む。特にそれを聞いたところで大した反応ができるわけでもあるまいし、興味もなかったからだ。
オルカはそれだけ聞いて満足したのか、また課題に視線を戻す。また妙な間が流れた時、ふと手がオルカの前髪をかき上げた。
「っっっっっ?!っなな、ン!?」
「やはり、前髪は上げたほうが良かろう」
「ひょあ」
「眼鏡は外すと良い。顔の幼さを気にしてのことなら尚更だ。目を細め余裕を見せるだけでも…………熱いな」
「そっ、それは君が、急に…!!!」
がた、と音を立てオルカが椅子から立つ。オルカは触ったところを手で押さえながら____私が触ったのは額のため、額を押さえるという微妙に情けない格好になっており、こちらをき、と睨んでいた。
そんなに前髪を触られるのが嫌だったのか、と聞けばそうじゃないが、とやけに歯切れの悪い返事が返ってくる。
オルカは時折、こうして話が通じなくなる時があった。ある時は勉強中、またある時は談笑中、赤くなって固まるのだ。そんなに怒るようなことも、恥じらうことも無いのに、全く奇妙な男だと内心ため息を吐く。
「とにかく、ナメられたくないなら前髪を上げてみるところから始めたらどうだ?そちらの方が似合うと思うぞ」
「……そうか?」
「ああ。私が保証しよう」
「…そうか」
額を押さえたままではあるが、オルカが倒れた椅子を元に戻しそこに座った。うっすらと気まずい空気が流れながらも、また私達は課題へと目線を戻す。
少し問題文を読めば意識はそちらへと沈んでいき、気まずい空気ごときに気を取られることはなくなった。
オルカの方をもう一度だけちらと見上げる。彼は彼でちゃんと集中しているようで、伏し目がちになった瞳に睫が長い影を作っていた。その光景に、どことなく不思議な気持ちになる。心臓が少し縮むような、不思議な感覚だ。
「…"海"が見たいな」
そう口から飛び出たのは、意図的ではなかった。ただ、窓から流れてくる潮風とこの男の出身地がこのメーラサルペであることを繋げ、"海"とやらを見てみたくなっただけであって。
私がそう言えば、オルカは少し怪訝そうにこちらを見上げる。その目線から「何故今?」「何故海?」という疑問が容易に読み取れて、思わず吹き出してしまった。
「んふ……何でもない。ただ、私は海とやらを見たことがないものでな」
「…そ、そうか。混乱的城市だものな」
「ああ。……また赤くなっているぞ」
「ゆっ、夕日のせいだ!!」
そう否定するも、どう見たって己の頬が赤らんでいることくらい分かるだろうに、躍起になって違うの主張するのが面白くてまたくすりと笑う。下らない、中身のない笑いだ。
何の変哲もないけれど、確実に掛け替えのない瞬間であって、そしてこんな瞬間が、私はどうしても……
(…愛おしい、と。思う日が来るとはな)
もう一度、今度は止まらなくなりそうな回顧を区切るように小さく笑い、また課題に視線を戻す。
そのまま私達は、夕日が教室に長い影を落うとし、17時を告げる鐘が鳴るまで勉強を続けた。
---
どんなに下らないことで笑いあえる仲とはいえ、まだ幼稚な私達は口論をすることもしばしばある。それは今もそうで、原因はオルカの難癖からだった。
「だから、何故君はそう無神経な物言いをするんだ。もっと相手への遠慮というものをだな……」
「遠慮の末、意志疎通が滞るようでは話にならないな。そもそも君は相手の顔色を見すぎなんじゃないのか?もっと言いたいことを言えば良いだろう」
今までこうして全力で言い合える相手というのはいなかったからか、この口論の時間でさえとてつもない不快さばかりではない。
こうしてオルカは私の気に入らない発言に対し、重箱の隅をつっつくように、ねちっこく噛みついてくるのだ。別に食らいついてくるのは成績だけで十分なのだが、それでも己の発言に対し同等かそれ以上の熱量が返ってくるのは気持ちがよかった。
「ああそうかい。それなら言わせて貰うが、君は見目が愛らしいのだからもっとそれを活かすように立ち回るなり何なりすればどうなんだ?」
「っ、」
「どんなに魔法の才が優れていたとて、力で言えば私にはゆうに叶わないのだろう。なのに何故そう上から目線なんだ。今、ここで、私に襲われても君は抵抗なんてできやしないクセに!!!」
気持ちが良い、と言ったが。それはあくまで論理的な口論ができている時だけだ。襲うであったり、愛らしいであったり、そう言った低俗で下らない話をされるのは不快だった。
「へぇ…やはりお前も言いたいことを隠して溜め込んでいたんじゃないか。ほら、言いたいことを存分に言えるのは気持ちが良いだろう?」
「っ…!!君という奴は…!!!」
「ハハ、そう怒るなよ。`偽善者サマ`」
き、と睨む姿に図星だったのか、と内心驚く。そういえば、ここまでオルカを怒らせたのは初めてだったか。良く見れば瞳孔は開ききり、いつもよりかは迫力も増していた。だからと言ってどうと言うこともないが。
次のレスポンスを待っていたとき、不意にオルカの手がするりと肩に伸びてきた。まさか先ほど言っていたことを現実にするわけではあるまいな、と警戒をし、私は後ろへと少し体を傾ける。
と、想定よりも強い衝撃が体を襲った。足が空を切り、重心が移り変わるのがやけに遅く感じる。ちらと見えた窓の外には、やけに青く広い空が広がっていた。
声を出すことも、表情を変える暇すらなく、私は壁へと頭を打ち付
ぱしゃん
『`…クリス・ウィルダートの溺死を確認しました。肉体消滅プログラムを起動します`』
--- 【`error`】 ---
『`…肉体消滅プログラムの起動に失敗。精神交換プログラムを開始します`』
『`クリス・ウィルダートの体内に"bug"が入り込むまで、あと残り 3 2 1 `』
『`0`』
---
水の中から起き上がれば、やけに頭部が重く感じる。どうやら、髪が濡れて水分を含んでいるようだった。物は、水分を含むと重くなるのか。
この場からも起き上がり、辺りを見回す。辺りには一面水と砂しか無く、先ほどまで見ていた景色とは一変して何もない場所だった。確かここは___海、だったか。
「Ah,アー、あー…あぁ、あ、ン…」
声を出してみれば、前に"寄生"していた女よりも随分と高い声だった。これは、この体が少女であることが要因なのだろう。
思い出すように、これまでの記憶をゆっくり振り返っていく。私の名は「クリス・ウィルダート」女、15歳、士官学校の特待生。
そうだ、士官学校。生徒が居なくなったと知れれば騒ぎになるだろうかと思い、戻ろうと思う。が、結局私はそこへ行くのを断念した。他の名も知らない者だらけであったとしても、この体を殺した「オルカ・オルクス」とやらに騒がれては面倒だ。
水を吸った制服は重みよりも不快さが目立つ。それであっても服を着なければならないのだから、人間と言うのはつくづく不便なものだ。水に足を取られながら、なんとか進んでいく。
この少女___否、私の頭はよく回り、さらに知識量も申し分ない。彼女の行動原理を頭にインプットしながら、私は向かいに見え始めた木々へと足を進めた。
---
『人の欲を食べる生き物がいる。それは人の体の内から成り代わり、あたかも寄生主であるかのように振る舞う』
『仲間はいない。繁殖も行えない。《《生物のバグ》》のような、失敗作の個体だった』
『世界のどこかで勝手に生まれ、勝手に消えていく。そんな、取るに足らない存在だ』
『取るに足らない存在の、はずだった』
---
夏の暑さが未練がましく残る、秋の始め。柔らかく微かに潮の香りがする風に吹かれながら、私は廊下の窓にて外を眺めていた。外では太陽光が海の光によって乱反射しており、それが時折私の目を刺していく。
生憎と窓の外を見て感傷に浸れるような感性は持ち合わせていなかったが、波が瞬く間に姿を変えて移ろい変わる様子はある程度なら暇潰しにはなる。とは言え、その景色を見る行為に価値は感じなかったが。
場所が場所なためか、この長い廊下のどこにも足音は響いていない。少しなら罵声や説教の音くらい聞こえてきても良さそうだが、それすら聞こえないのだからこの国はつまらないのだろう。
雑音を聞き流しながら、ふと物思いに耽ってみる。確かこういうとき「ここまで来るのに長かったなぁ」などと言うのだったか。
「長かった、か」
自分で言っておきながら、その他人行儀さに笑いが込み上げてくる。実際には長くもなんともなく____3年ほどだったか。その程度の時間で、私はただの無力な少女から一国の総統にまで成り上がることとなった。
無論、あの時から正攻法で成り上がることはとっくのとうに諦めていた。そう、いくら私に魔法の才があるとは言え力は並の小娘より幾分かマシな程度。
ならばどうするか。導き出した答えは至って単純で「言葉で群衆を操る」ということ。この体の頭脳を用いれば、誰がどんな言葉で懐柔されるのかなんていとも容易く把握できた。欲しがっている物を、一番良いタイミングで渡すだけ。金も時間もかからない、単純かつ原始的な懐柔方法だ。
簡単に言ってしまえば、私は混乱的城市で革命を起こした。無論、革命というからには血も流れたし、同胞と呼ばれた者達も失ってはいる。その分私はこうして彼らの理想を実現しているのだから、彼らとて本望だろう。
革命家としての役割を終え、総統に成った後も____むしろ、革命家の時よりも私は理想を追い求め続けた。だって、そうでなければいつ足元を掬われるか分からないのだから。
そも、変化を恐れる無能を蹴り落とし、席に座った途端己が臆病な無能になるなどとんだ笑い者だ。革命を起こして終わり、などと言っているようではお話にもならない。
実際、改革の手応えは感じている。法をある程度厳しくし、治安改善に努め、軍の腑抜けた上層部も全て汚点を洗いざらい裁いた。時間こそかかるものの、その分全てが終われば達成感もひとしおだ。
市民達からの声も随分と良い反応が多く、また学びを得られるものも多かった。完璧かつ順調で、思い出すだけでも笑みが溢れてきそうだ。
そうして過去を回想しながら外をなんとなしに眺めていれば、静かな廊下に足音が響き始める。上等な靴を履いた成人男性のそれに、自然と口角が上がった。
今日は物思いに耽りにここ____メーラサルペ国の軍基地へと来たわけではない。新総統になってからの初外交と言えば聞こえは良いが、要は御披露目式兼牽制の場ということで。格式ばったことは好かないが、今回は別だ。何せ、《《面白いものが見れそうだから》》な。
と、前の方からメーラサルペ国の総統が出てくる。私には気がついていないようで、このまま声をかけなければ歩き続けるだろうと思うと非常に滑稽に見えた。
面白いもの、というのはこの総統のことで。この体にとっては因縁のある_____そして、私自身は恩があると言っても過言ではない人物だ。
嗚呼、もし私が名前を呼んだらどんな反応をするのだろう。忘れているか、若しくはひどく驚くか。錯乱でもして窓から身を投げれば笑い草になるか、そんな想像をしながらも口を開く。
「《《オルカ》》」
勢いよく振り返ったその男の、まるで幽霊でも見たような顔に失笑してしまいそうだ。懐古、困惑、驚愕、恐怖、そしてほんの少しだけ混じる喜び。色んな感情がない交ぜになった瞳は、|私《クリス》の記憶よりもずっとどす黒い赤色になっていた。嗚呼、これは期待以上の傑作だ。
上げられた白い前髪も、よく似合っているサングラスも、何もかもが学生時代と変わっていて、何も変わっちゃいない。そのなんと可笑しく、滑稽なことか!!!
「随分と幽霊を見たような顔をするじゃないか。そんなに友との再開は衝撃的か?」
かの日のクリス・ウィルダートのように振る舞えば、彼の冷や汗がたらと流れた。酷く困惑しているのに、彼の視線は私から離れない。
今すぐにでも感謝を伝えたい気分だ。お前のお陰で、私はここでこうして生き、悦を感じている。お前があの日、勘違いでこの体を、クリス・ウィルダートを殺してくれたお陰で!
無論、奴とて気がついているのだろう。もしも生き返ったのだ、などと抜かすようなら今ここで私と対面できてはいない。聡明で、それでいて平和主義を宣う愚かな男。そんな彼に、沢山の|感謝《呪い》を込めてこう囁いた。
--- 「久しぶりだな?オルカ」 ---
初めまして、オルカ・オルクス。せいぜい愚かに、滑稽に踊ってくれたまえ。
---
静かな海沿いを歩けば、波がこちらへと押し寄せて、足に付く前に引いていく。そのギリギリを楽しみながら、私はさざ波に耳を澄ませた。
久しぶりの休暇に、私は敢えて海に来ている。勿論メーラサルペのリブス洋だ。別に桜街のシダ洋が嫌いなわけではないが、ここには特に思い入れがある故、時折訪れていた。
水面を見つめれば、不意に私の顔が映る。もう何年もこの顔で振る舞ってきているからか、段々と違和感がなくなってきた。
死人に寄生するという性質上、私の顔はよく変わる。この体になる前には、彼女の侍女である女に成り代わったのだったか。
夜道を不用心にも一人で歩いていたものだから殺した女。聡明ではあったがこの体程ではなく、結局つまらない人間だったと落胆したのを覚えている。まぁ、そのお陰でこの体に出会えたのだから十分だ。
きっとこれからも、この体が死ぬか飽きるかすれば他の体へと移るだろう。それは私が長く生きるために必要な行為であり、限界まで己の人生を楽しむ術だった。
ふと思い立ち、しゃがみこむ。スカートが濡れるのも気にしないで膝をつき、水面へと手を伸ばして顔の映った部分をぱしゃりと撫でた。
「お前には感謝しているんだよ。クリス・ウィルダート」
ぱしゃぱしゃと顔を撫で、美しく整った顔をぐちゃぐちゃに崩していく。
「本当に、お前に出会えて良かった」
くしゃ、と手を握って彼女の顔ごと握りつぶすようにした。手を開いて上に上げれば、砂が溢れ落ちるように水が下へと流れる。
恐怖も、罪悪感も、微塵もなかった。あるのは悦楽を求める単純な欲求のみ。そのためだけに、ここまで走り続けて来たのだ。
私のためではない|行進曲《マーチ》は、本来の目的である彼女が死んでも潰えず、今も私の背を押している。本当に勇気づけたかった彼女は、とうに死んでいるのに!
滑稽な人間の、滑稽な様子に愛おしさを感じる。下らない笑い話にも、掛け替えのない時間とやらにも興味はない。ただ人間の愚かさのみが私の生きる糧となっていく。
「私が飽くまで、付き合って貰うぞ」
そう微笑んだ私の顔は、あの日水底へ沈んだ少女のものとは似ても似つかなかった。
◇Thanks for reading!
--- 『`重大なエラーが 発生しています`』 ---