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アルテミスのはからいで少女と美人はしあわせな結婚をした
護ってやると簡単に言うけど、世界はそこまでヤワじゃない。
|阿久津《あくつ》姫が証言台に立つと傍聴席がどよめいた。月面法廷は二審とも|此花《このはな》汚染災害の刑事責任を認めた。
しかし、法の定義に照らし合わせてもおおよそ理不尽な判決で、ただちに特別抗告がおこなわれた。
死刑を言い渡された|咲夜《さくや》は下界の年齢に換算してまだ満で16歳。花も恥じらう乙女である。
丸顔で優しい目に涙をいっぱいに浮かべ、無実を懸命に主張する様は彼女の人となりを知る者の切実を代弁している。
「確かに祖先の罪は容認しがたいものがあります。それが過失であったとしても御遺族の無念は計り知れません」
そう断ったうえで阿久津は弁明した。
「だからと言って被告が責任を相続する義務はありません」
どよめきが失望と失笑の渦にかわる。ここまでは予定調和だ。そしてこのままでは死刑が確定する。刑罰の無限責任など断じて許すわけにはいかない。だって被告は罪を償うために誕生したと公認するも同然だろう。
「それでは犠牲者が浮かばれない。遺族は泣き寝入りしろと言うのか。それはあまりに無責任だ」、と検察が反論する。
阿久津姫は負けじと弁護する。
「つまり、被告に責任を擦り付けて終了したいのですね。それって彼女じゃなくて誰でもいいって事よね。他人の不幸を抽選するって、アクシデントに見舞われた遺族よりも不憫じゃない。これはもう裁判じゃありませんよね」
「何だと!」
原告側から怒号が飛んだ。
「静粛に!静粛に!」
裁判長も騒乱を抑制ぜきず、休廷となった。
咲夜は糸が切れた凧のようにふらふらと阿久津姫の胸に飛び込んだ。
「もう大丈夫よ。あたしに任せて」
きゅうっと少女を抱きしめる。
「だって、あなた」
「心配しないで。あたしが護ってあげる」
「うそ」
「うそじゃない」
「目が泳いでる」
「え、だ、だいじょうぶだから」
図星を指された阿久津姫は語尾を震わせた。しかし彼女に勝算がないわけでもなかった。
特別抗告だ。月面法廷の最終審では死刑を含む慎重な判断がなされるため、いくつものフェイルセーフが用意されている。
此花汚染災害は「事故」ではない。作為がある。その関与を解き明かして真犯人を挙げることが咲夜の無実を証明する唯一の方法だ。
「大丈夫なわけないじゃなない!」
「あたしに任せて!」
阿久津姫は月面法廷に公判の延期と新証拠の提出を申請し受理された。証拠の採否が確定したわけではない。
とりあえず3日だ。その間に下界で情報収集せねばならない。
「お伽噺って言われてるらしいじゃない」
息巻く姫に咲夜はますます不安を募らせた。
「物事にはすべて原因がある」、と姫は笑顔を輝かせた。
●提督の決断
「本艦はこれより前人未到、未知の海域に突入する!」
提督の号令、そして打てば響くようにクルーの返事がブリッジを満たす。
「「「オーッ!」」」
高速戦艦サスケハナは同級のネームシップである。黒光りする無骨な巨体はそれだけで荒波を圧する迫力がある。
続いて、僚艦のポーハタン、サラトガ、プリマスが白波を蹴立てる。
青くどこまでも澄み切った空をみるみる黒煙がけがしていく。遥か水平線には敵地の港が見えかくれしている。
カナガーの国、ハーマンは世界有数の貿易港だ。ただ、万人に門戸を開いているわけではない。
隣接するエドワード、ミート、バランギを含む一帯はフーゾという島国の首都圏である。それだけに警戒が厳しい。
とくにバランキとハーマンは奥まった湾の両翼をなす要衝だけに、守りが固い。
「ランドマークタワーが射程内に間もなく入ります」
ボーハタンが指示を仰いできた。ハーマンの象徴そのものでもあるランドマークタワーには最新鋭の眼が備わっている。
「ようし!景気づけに一発ぶちかましてやれ」
提督は戦意高揚もかくやとばかりに命令を飛ばす。
「OTHレーダー波帯域に感あり!」
「カナガー海軍の周波数と合致します」
「やっちまいましょう!」
電子戦術士官がはしゃいでいる。しかし、提督は眉をひそめた。
「待て、簡単すぎる」
百戦錬磨の勇士ガルブレイス・マシュウは鋭い嗅覚の持ち主だ。ランドマークタワーは索敵の心臓部だ。いくらメリケンの最新鋭ブラックステルスフリゲートとはいえ、接近を許すまい。
罠か。しかし、相手の企みを知るためには積極的に撃って出るしかない。
「いや、殺れ!」
ためらいもなく、安全カバーが押し割られ、必殺の先手が放たれた。
●月は命の源
此花汚染災害とは月面と下界を巻き込んだ天災地変をさす。|開闢《はじまり》の時から月は生命に満ち溢れていた。
何もかも焼き尽くし天空すらも焦がす太陽の対偶として月は優しくよりそい、万物の緩衝としてあらゆる対立――陰と陽の二元論に端を発する―から宇宙の調和を保ってきた。
月はいのちのみなもとと言って過言ではない。いな、それそのものなのである。大地は黄金色に照らされ、ウサギからカニまで雑多な動植物を育んできた。これら個体間に生存競争はない。月は君臨するが支配せず母のようにそっと見守っている。
それゆえに食物連鎖は発生せず、きらめきを糧として平和に共栄してきた。
地上では肉を食むケモノももちろん月にはいる。この星は情報量が多過ぎる地球の対偶でもあるからだ。
あちらでは血で血を洗う争いが絶えない。生き物はただやみくもに子孫を遺すためだけに繁殖を繰り返す。そして種族じたいが老いさらばえて後進に取って代られる。まったく無意味で非効率的な死が堆ってていく。
翻って、月に死ぬという概念はない。ただ万物流転のことわりには抗えないため、事情により減った分だけ新たな誕生がある。
欠損を調停する月のつとめだ。
その調和を一人の女が壊したのだ。
かぐや姫。
月面法廷はそう呼んでいる。
●かぐや姫の功罪
「結局、このメンヘラおんな。何がしたかったの?!」
分厚い防弾ガラスの向こうで咲夜が憤っている。かぐや姫――事案管理番号7991は正体不明だが実体を伴った異変、端的にいえば怪人物が地上で猖獗を極めた事件である。
その顛末は周知のとおりだ。何らかの実験生物が月世界から漏洩した。それは原住民に回収され育てられた。ヒト科にはあり得ない速度で第二次性徴を迎えた。
やがて権力の座を狙うエリートがこぞって求婚を申し込み、選抜された五人が姫の無理難題に挑戦して破滅した。最後に時の権力者が結婚を申し込んだが固辞し月へ戻っていった。
地上を離れる際に実力阻止を企む武装勢力を不可解な能力で無効化したという。
別れ際に原住民の養父母と帝に不老不死薬を贈ったとされている。ただ、その置き土産を受託者は焼却処分してしまった。かぐや姫ロスに陥って自暴自棄になった結果だと記録されている。
「あたしも記録を調べまわったんだけど、さっぱり理解不能なのよね」
●敵防空網制圧
敵防空網制圧は超長距離侵攻作戦の花形である。空爆の妨げとなる敵防空システムを電子的に無力化し徹底的な物理的破壊力を加えて壊滅させる。そのためには特定地域の地対空ミサイル、対空火器を射撃統制するシステムと、それが放つ電磁波を探り当てねばならない。しかる後に対レーダーミサイルを命中させて索敵能力を盲目化させ、精密誘導爆弾による掃討を行う。
ブラックステルス艦ボーハタンのレールランチャーに対レーダーミサイル「アダムス」が装填された。火器管制装置にデータバスを通じてランドマークタワーの周波数特性、パターンなど諸元が入力される。ソフトウェアはタワーと周辺に展開する対空ミサイルランチャーのデータを峻別し、目標の優先度を決定した。そしてアダムスが慣性誘導に用いる地形や位置情報を的確に編集した。
すでに発射の指令は下っている。ミサイル後部のデュアル・スラスト固体推進剤ロケット・モーターに点火。
8月の蒼空めがけて太陽を射抜くアポロンの矢が燃え上がった。
●面会室
染み一つない清潔なオフホワイト。面会室の壁は無表情だ。かつて罅や汚れの位置を符牒に使った脱獄が謀られたためだ。四方が閉塞された空間で自分は何をしているのだろう。咲夜はとつぜん激しい寂寞に襲われた。どこまでも無意味で、無限に空虚だ。自分ががらんどうの竹で出来ているような錯覚に陥る。そして、節くれだったコンクリートの竪坑をもの凄いスピードで落ちていく。
どこまでも、どこまでも、足元から吸い込まれるような落下。重力はどんどん加速度に弾みがついて、椅子に座っていられなくなる。
ガシャンと金属的な音を立ててルナアルミニウム製のパイプ椅子が倒れる。月面の六分の一重力を無視した1G。地球とほぼ同等の重圧が咲夜を押し潰す。
「どうしたの?」
阿久津姫がパネルに駆け寄ると、咲夜は頭を抱えて床にうずくまっている。すぐに部屋のベルが鳴り、控えの女子刑務官が現れた。
「竹が…竹が!」
半狂乱のまま、がっしりした大柄の女性二人に担がれて咲夜は姿を消した。
「たけ?」
阿久津姫はスカートのポケットから手鏡を取り出すと月世界の総意にアクセスした。ただただ静かに生きとし生けるものを見守る月の女神。
ディアナの意思を定量化した情報体系は月世界住民の集合知であり、意思疎通手段として日常に根付いていた。手鏡は咲夜の狂態を余さず記録している。
その映像に心当たりがないかディアナに問うてみた。少しでも接点を持つアクセス者が他にいないかと淡い期待を抱いたが、やはり空振りに終わった。
●非開示理由
:事案管理番号7991、開示することはできません
:アクセスできません
:月面法廷の許可が必要です
「ロックされた?」
阿久津姫は目を疑った。手鏡にはあんぐりと口をあけた黒髪の女が映っている。歳は20代前半。童顔で富士額。
ふるふるとかぶりをふれば、ゆるふわなウェーブが撫で肩を覆い隠す。
この事件に見え隠れする不穏を暗喩しているようだ。そもそもディアナが弁護人に公判資料を閲覧させないなど論外だ。
ただちに意義と閲覧許可を求めると予想外の回答を得た。
月の女神ディアナの意思と月世界人を仲介する巫女部に不都合が生じてるというのだ。
原因は不明だが、ディアナと彼女らの間にトラブルが生じているという。
「調和を誰よりも愛する神様がいさかいってどういうこと?」
ますます不信感が募る。そもそも此花汚染災害は巫女たちの尽力があってこそ終息できたのではないか。
月世界の行政はディアナによる専制だ。分野別の担当神が置かれているが、月世界人の窓口は巫女が担っている。、
とはいえ、月世界は物質文明にありがちな軍事対立や経済問題はない。人々は月の光に恵まれている。
それでも犯罪は起きるのだ。人は誰だって過ちを犯すから。
咲夜の一族はウカノミタマに仕えていた。彼女は豊穣の神の一柱とされているがどちらかといえばサポート役だ。
イザナギとイザナミが気力の衰えている時に生まれた。英気を養う材料は食である。よって、彼女は欠乏が生じたときに登板するリリーフだ。具体的には月世界を裏側から支える様々なシステムを統括している。
「ディアナの調停を実務するのがウカノミタマ。それが稼働していない?」
阿久津姫はそう判断した。そもそも咲夜が責められている理由もそこにある。
月世界人は基本的に不老不死なのだが、五百年以上前――ちょうど、地上にかぐや姫伝説が生まれるか生まれないかの頃、咲夜の先代が相次いで死亡するアクシデントが起きた。事態を重く見たディアナは咲夜の祖先が担当する部署の改革を断行した。
まず、責任者のすげ替えだ。適任であるウカノミタマを抜擢した。その混乱期に発生したのが事案7991だ。
月世界から不老不死のノウハウが盗み出された。咲夜の先祖は責任を感じて命を絶った。
事態はすったもんだのあげく一定の解決をみたが、そもそも保守を担う者が不老不死というのも緊張感が足りないのではないかという批判が巻き起こった。そして議論の末に世襲制が導入された。
咲夜を名乗る巫女には任期という名の寿命が設定され「死ぬ」ことになる。
7991に対する批判と非難は彼女らの死亡でいったんは沈静化したが、種火はくすぶっていた。当該咲夜の代になって裁かれるべきだという意見が増えた。
「月世界は咲夜を政治利用している。こんな馬鹿な話はないわ」
無罪を是が非でも勝ち取って、咲夜を社会のガス抜き役から解放せねばならない。人の集団は常にストレスを抱えている。それも摂理ではないのか。
●ランドマークタワー
フーゾ帝都圏拠点防衛の要。ランドマークタワー。ハーマン海軍の勇将ルミッツはブラック・ステルス艦隊の来航を手ぐすねを引いて待っていた。東亜の微小国がメリケンに物量で到底かなわない。彼はより優秀な艦船、更に多用途な船舶を保有し量より質の要素で勝負に出た。暗黒防御を見破る新型マーライオンレーダーに各艦船は艦船発射型弾道弾迎撃ミサイル「刮目」を装備。水平線の太陽を背にした際の僅かな「ゆらぎ」を捉える。それは西国のバーチカルにある北斎超電算機に送られ輪郭から全体像を演算する。
「ペルセウス提督のブラックステルスか。たった四隻で太平が揺らぐものか」
ルミッツは刮目の斉射を命じた。
「レーダーに感あり!」
アポロンの矢は刮目に砕かれた。その爆炎をかいくぐって敵影が飛来する。
警戒警報音、接近アラートが合奏する。
それを受け、戦艦サスケハナは高速移動をやめ、大きく右回りに回頭する。
「発射!」
同時に、艦内に鳴り響く砲弾音。
ハーマンの目に、敵の姿が写る。その先、青く澄んだ空には、黒々とした海がある。そして、そこから巨大な何かが姿を出している。
「うわぁ!」
クルーは思わず声をあげる。なんとそれは、巨大な翼をはためかせながら、舞い降りてきたのだ。
船の周囲に、無数の白い翼を羽ばたかせて浮かぶ、巨獣。
「あれは……あの巨巨(オウ)たる白蛇!」
「伝説に名を連ねる龍王ヴァレンシェス!」
ガルブレイスの眼に狂乱の色が浮かぶ。
「龍王ヴァレンシェス!超音速機動ミサイル、超必殺龍を放つ!」
「なんて奴だ、あんな化け物が海をさまようとは!」
「ああ、奴は海の守護者、龍王ヴァレンシェス!」
クルーはどよめいた。
「龍王ヴァレンシェス!? まさか、伝説の英雄!?」
「いや、違う」
提督は否定した。
「あれは、人造超電導アルゴン、『アルスギア』という古代文明、神と呼ばれていた。」
「ああ、なんでも神の息子という設定が長大すぎて、どうしても架空の英雄の生まれ変わりだ。いや、それでも『神』の方がふさわしかったのかも知れないな」
「それで? なにか手で触れる?」
「まあ、触れたところで、神じゃないから、死にはしないだろう」
「やってみようか」
「ちょっと、何を?」
「龍王ヴァレンシェスを俺と戦おうという、なんの意味があるんだ?」
「意味?」
提督が声をあげた。
「いや、なんでもない」
ハーマン提督は、慌てて続きを言う。
「しかし、アルスギアとやらは超速で飛び回る超電導アルゴンを超速でいなすなんて凄い腕だったな。その腕を、なんで、あの俺なんかに?」
「いや、すまんが、俺にはお前の眼を見て聞くことしかできないんだ」
提督はそう言って、その巨岩のような顔に少しばかりの笑みを浮かべる。
「いやあ、アルスギアという超古代文明の生きる伝説は本当に凄いよ。この俺の眼を見たら、誰だってお前の事を信じるだろうな」
そう言って、ハーマン提督は大きく腕を開いて、アルスギアを見つめた。
「そうだ、言い忘れていた」
「なに?」
「お前らは、アルセス辺境伯に預けた!」
「何を言っているんだ!?」
「いいから、この俺が説明しないと!」
「そうか、分かった。じゃあ、俺は言うだけにしとく」
提督はクルーを見る。
「ああ、アルスギア。アルブス王は、我が娘を手にかけた! お前はこの俺のために、我が娘の命をかけてお守りするよう、誓ったのだよ!!」
「それ、聞いた話が……」
クルーは青くなる。
「まあ、聞いてしまった以上、聞かないほうがいい。とにかく、龍王ヴァレンシェスはその娘を取り返さんと、この俺に挑んできたのだ」
「いや、だからこそ聞かなければと思うが」
「言わずとも分かっているはずだ! 何故、あの娘が俺の娘と戦おうとするのか!」
「……俺が好きな食べ物は、お前の母親に似ているというし、それを俺にくれる約束なのだと言っていたがな」
「ふざけるな! お前の眼で俺の娘に近づいたとでも?」
そう言って、戦艦を飛び出ようと加速するハーマン提督の背中は、しかし次に、この状況で、どこかに繋がる言葉をハーマンはただ聞くことにした。
「……分かっている」
「………」
いつものことだ。ハーマンと同じ考えをいつも抱いている自分がいるとハーマンは決して知らない。だからこそ、今は自分に必要なのだとそう思っている自分はいた。
このまま、自分一人、なにが望めないのか、その言葉を言う事で、自分を生かそうと思ったハーマンだが、その言葉は何も自分一人の望みとは限らないと自分を突き刺す。
ただの願いだが、それを口にした今も、心に響き、そして、自分の目で見た時には、今でもはっきりと思える。
「誰の言葉も、望みもない。それでも、俺は俺の望みは叶えてやるわけにもいかない。ならば、俺たちの望みが叶えられない可能性もあるのだが、俺としては、聞き入れるほどのことでもないしな」
「………そうだな」
そんなことはないよ、と反論できるわけもなく、
「お前は俺の娘を取り戻してこい! いいから早くこの艦を離れろ!」
「………」
「お前は強いから、そう簡単に俺を見捨てるようなやつになったようじゃねえぞ! …それとも、俺も一緒に乗り込まなければ?」
「私にはお前を取り戻すほどの力も残されてはいないし、そもそも、あの娘が乗る艦は俺の国にある艦だ!」
「なんとかならねえの!? 俺の国に近づいている今、俺を置き去りにしただけでお前まで置いていくような事態になるだろうが!」
「俺を放置すれば、お前はどうなる?」
「………」
「俺はあの娘と二人、お前と話そうとした。何かをすると決めたんだろう? それならそれで、お前が何とかしてくれれば万事解決するかもしれない。そういうのが俺の目的なんだよ。俺は、あの娘の為に、何かの役にたちたいんだ。そう思わないか?」
「………」
「だから、何とかしてくれ、って話だ」
「………」
彼は怒りで顔を真っ赤に染めた。
「とにかく! さっさと、お前を渡さん!」
彼の必死な声を聞いたアイザックは、そう言うと踵を返した。
「おい! どこに行く気だ! アルスギア! アルスギア! あいつを連れ戻せ! 戻って来い! いいから早くしろ!」
艦内から聞こえてくる声を聞きながら、彼はただ進むしかなかった。
艦橋に戻ると、すでに、アルスギアの姿はなく、クルー達はただ、呆然としているだけだった。
「艦長……! アルスギアはどこに!?」
クルーの一人が言った時だった。
突然、艦が激しく揺れた。
全員が床に投げ出される中、艦のあちこちで爆発音が鳴り響く。
クルー達が慌てて立ち上がると、窓の外を見たクルーが叫んだ。
「あれは!?」
その瞬間、艦全体が激しく揺り動かされる。
クルーが振り落とされそうになる中で、再びクルーが叫ぶ。「敵襲!! 敵の攻撃を受けています!!」
その叫び声で我に返ったクルーたちが一斉に走り出す。
「戦闘用意!」
クルーたちはそれぞれの持ち場へと走る。
ハーマン提督は、この艦の司令室で指揮を取っていた。
「何があった!?」
「分かりません!」
オペレーターの声が聞こえる中、彼は状況を把握しようとした。
「被害報告を上げろ!」「後部弾薬庫に被弾! 火災発生中です! 現在消火活動を行っています!」
「分かった! とにかく、すぐに鎮火させろ!」
しかし、艦の被害状況は増えるばかりだった。
「右舷カタパルト大破! 使用不能!」
「主砲損傷、出力低下!」
「機関部破損! エンジン停止します!」
次々と上がる被害状況を把握できないまま、ただ、彼は、艦長席に座り続ける。
その時だった。通信機からけたたましいアラームが鳴る。
ハーマンは、マイクを取ると、「どうした!?」と言った。
『こちら、旗艦! 本艦に攻撃が加えられました! 我が艦隊は壊滅状態!』
「なにぃ!?」
ハーマンは思わず立ち上がった。
「どういうことだ!? 敵は一体何処にいるのだ!?」
その言葉に答える者は誰もいない。しかし、その沈黙こそが答えでもあることを理解していた。
ハーマンは、もう一度マイクを握ると、怒鳴るように言った。
「この非常時にふざけている場合かぁあああ!!!」
その怒号に誰もが息を飲む。
そして、次の言葉を待つしかない。
「……全艦隊に告ぐ! 直ちに撤退する! 撤退せよ! これは命令である! 繰り返す! 速やかに撤退し、体勢を立て直せ! これは命令だ!」
しかし、誰一人として動こうとはしない。
そんな彼らに、彼は、ただ、言葉を続ける。
「聞けないのか!?」
「……」
「聞いているのだろう! 俺の命令は絶対だ! お前たちの命は俺が握っている!この艦も、俺の娘もだ! お前たちも知っているはずだ! 俺はこの国の英雄なのだ! 俺の言葉は国の言葉である! お前たちに拒否権はない!」
「……」
「俺の指示に従ってもらう! いいな!?」
「……了解しました」
クルーの一人がそう言うと、他のクルーもそれに続いた。
そして、彼らは動き出した。
何でもかんでもストレスに感じるのは人間に備わっていると思わねば。
自分の身を守るために働いているわけではないのだから。
そのように考えていた。
「しかし君は人が嫌いではなかろうか? 人を食う種族」
「食ってはない。月世界は神の世界だ。月が空から降って来るので月と言えば食べ物だ。
人間の食べるものを見ると、どんなものを食べるのか想像もできない。
それに人は身体能力が高いから、それなりの肉体を求めるのではないか。
そうした欲求が人間にはあるのだ。それを満たすために何を食べるのか、それが君の好悪を決める」
「ふむ… 人の好きなものを食べればいいのだな」
「そういうこと。しかしそれだと、いつも困るのだ。
人間は人を食えるだけ食えば満足する。
人を食い尽くす。それが人間の性だ。今のままだと月が人間を食べ尽くして終わりだろうから」
「確かにそれで困るのだな」
「人間の性の本質に近づく。人の性を食べたらどうなるか。」
「性?」
「神の人間は基本的に神を喰って生きる。人間にも生きる意志がなければ神を食すことはない。
それを神の人間は喰ったことはない。つまり彼女たちは神の人間ではない。
だから月世界の者たちに興味がない」
「それは彼女たちのため?」
「そうとも言えるだろう。私は月世界で過ごす人間には興味がないし、そのように考えてる。
しかしより人間性が知りたい。
人間の性を求めて月世界の人間と接触するのは危険だ」と言われた。
阿久津姫は彼女と接触できないから、彼女の人間性を聞き出す必要があり、それまで阿久津姫は彼女の性が何なのかがわからない。
月世界に訪れれば、人を喰うことを厭わないと知ることになる。
月世界の人間は咲夜のように美食家ではないから、ある程度は月世界のものを食べてもいいし、血を飲んでもいい。
でも私は彼女を月世界で食べたいとは思わない。
彼女が月世界に訪れたところで私にはどうすることもできない。
でも、阿久津姫はなりたいものを思えばできる。
その手段で阿久津姫はまず咲夜に手料理を食べさせる。それから彼女は自分で自分の性に惹かれる。そういうことだ。
そして阿久津姫はその後、彼女の性に惹かれながら夜の月を巡り、その後彼女とその性を観察できる。
そうすれば、彼女の性の秘密を知り、そのことに納得する。
「……」
しかし、それはただ、目の前の恐怖から逃れたいがための動きでしかなかった。
「よし、そのまま、後退しろ!」
「はい!」
「……」
「どうされました?」
「いや、なんでもない。とにかく、急げ!」
「分かりました!」
艦長の言葉を疑う者はいなかった。
ただ、目の前の状況が、彼の言葉を真実だと告げていたからだ。
「どうなっているんだ……」
ハーマンは、その一言を呟くと、自分の額に手を当てた。
「…………ん?」
ハーマンはふと顔を上げた。「今、何か聞こえなかったか?」
彼はそう言って、耳を澄ませた。
しかし、何も聞こえてこない。
気のせいか? 彼はそう思った。
「……とにかく、俺も行かないとな」
そう言うと、彼は、艦橋を出て行った。
艦橋を出た彼は、格納庫へと向かった。
そこには、彼の愛機が置いてある。
彼は、機体に乗り込むと、発進準備を始める。
「おい、何をしている!? 出撃許可はまだ出ていないぞ!」
整備士の一人が彼に駆け寄ってくる。「緊急事態だ。すぐに戻るから心配するな」
「ダメだ! 今は危険すぎる!」
「いいから、どいてくれ!」
彼は強引に押し通ろうとするが、整備員達は道を開けようとはしなかった。
「どけ!」
彼は、整備員達を睨みつける。
しかし、彼らの表情は変わらなかった。
「だめだ! 絶対にここは通さん!」
「なんでだよ!?」
「貴様が、今、どこにいるのか分かっているのか!?」
「だから、何だってんだよ!?」
「……もういい」
整備士が拳を振り上げる。
ハーマンは慌てて防御態勢を取った。
次の瞬間、整備士の拳がハーマンの顔を打ち抜いた。
彼は、吹き飛ばされると、床に倒れ込んだ。
「なっ!?」
ハーマンが驚いていると、整備士の一人が言った。
「さあ、行けよ」
「え……?」
「早く、行けって言っているんだ」
「お、おう……」
彼は立ち上がると、そのまま走り去って行く。
その様子を見た別のクルー達が彼を追いかける。
「待て! 貴様、どういうつもりだ!」
「うるさい! 俺は艦長の命令に従っただけだ!」
「何だと!? 艦長は俺たちに撤退命令を出した! 命令違反は重罪だぞ!」
「だったら、俺に構わずに、そいつを止めろ!」
「お前には艦長に対する反逆の疑いがある! よって拘束させてもらう!」
「やってみろ! 俺に勝てると思っているのか!?」
「当然だ! 我々を舐めるな!」
「ならば、勝負だ!」
「望むところだ!」
こうして、二人のクルーの戦いが始まった。
「……まったく、あいつらは」
呆れたように、一人の男がつぶやく。
「しかし、これでよかったのですか?」
「ああ、問題ない。むしろ好都合だ」
●月面法廷の裏
『……』
クルーたちが黙り込んでいる中、ハーマンは、マイクを手に取ると、怒鳴るように声を発した。
「全艦隊に告ぐ! 直ちに撤退する! 撤退せよ! これは命令である! ただちに撤退し、体勢を立て直せ! これは命令だ! いいな!?」
しかし、誰一人として動こうとはしない。
そんな彼らに、彼は、ただ、言葉を続ける。
「聞けないのか!?」
「聞いています」
オペレーターの一人がそう言うと、他のオペレーターもそれに続く。
「俺の指示に従ってもらう! いいな!?」
「了解しました」
しかし、誰も動かない。
その様子にハーマンは舌打ちをする。
「おい! 本当に分かっているのか!?」
「はい、分かっております。ただ、撤退の指示は出ておりません」
「だから、それは……」
その時だった。通信機からけたたましいアラームが鳴る。
ハーマンは、マイクを取ると、「どうした!?」と言った。
『こちら、旗艦! 本艦に攻撃が加えられました! 我が艦隊は壊滅状態!』
「なにぃ!?」
ハーマンは思わず立ち上がった。
「どういうことだ!? 敵は一体何処にいるのだ!?」
その言葉に答える者は誰もいない。
しかし、その沈黙こそが答えでもあることを理解していた。ハーマンはもう一度マイクを握ると、怒鳴るように言った。
「この非常時にふざけている場合かぁああ!!」
しかしその怒号に誰もが息を飲む。
そして、次の言葉を待つしかない。
「全艦隊に告ぐ! 直ちに撤退する! 撤退せよ! これは命令である!いいな!?」
しかし、誰一人として動こうとはしない。
そんな彼らに、彼は、ただ、言葉を続ける。
「聞けないのか!?」
「聞いています」
オペレーターの一人がそう言うと、他のオペレーターもそれに続く。
「俺の指示に従ってもらう! いいな!?」
「了解しました」
しかし、誰も動かない。
その状況にハーマンは焦っていた。
「おい、誰か、何とか言ってくれよ……」
その言葉に応える者はいない。
そして、次の言葉を待つことしかできない。
「……はい、分かりました」
そう言うと、男は立ち上がり、歩き出した。
「艦長、どちらへ?」
その男の部下と思われる者が問いかけるが、その問いには応えず、そのまま歩みを進める。
そして、扉の前に立つと、ゆっくりとドアノブを回す。
「どこへ行く?」
その質問にも、その人物は応えなかった。
その人物が部屋を出ると、すぐにドアが閉まる。
そして、その部屋には静寂が訪れた。
「……」
しかし、その静寂はすぐに破られる。
「艦長!」
「なんだ?」
「なぜ、あんな奴の言いなりになるのですか?」
「あんな奴?」
「あの、犯罪者です」
「そうか、君はそう思うのか」
「はい」
「ふむ、しかし、そうではないかもしれんぞ」
「どういうことです?」
「君が知らないだけで、世の中にはもっと酷いことが沢山あるということだ」
「それは……」
「まあ、良いではないか。とにかく、今は私に任せてもらいたい。考えがある」
「どういうことですか」
「単刀直入に言おう。これは罠だ」
「いきなり何をおっしゃいます?」
「経験がない君には気付かなかったかもしれないが、百戦錬磨の私にはわかるのだ。つまり、我々は嵌められた」
「それは……」
「どう考えてもおかしいだろう。月世界からの脱出は我々が提案した作戦であり、それを実行に移すのは我々の役目のはずだ。なのに、それを妨害するかのように、月世界からの攻撃が始まるなどありえない」
「……」
「それに、先ほどの艦長の行動は、明らかにおかしかった。本来なら、私を殴ってでも止めるべきだったのに、なぜか、艦長はそれをしなかった。まるで、私の行動が正しいと言わんばかりに」
「それは、艦長は混乱されていたからでは?」
「違う。艦長はいつも冷静沈着だ。その艦長があんな行動をするはずはない」
「じゃあ、どうして?」
「分からない」
「……」
「ただ、一つだけ言えることがある」
「それは?」
「艦長は何かを隠している」
「艦長が?」
「そうだ。でなければ、艦長がこんな無謀なことをするわけがない」
「艦長を信じましょう」
「いや、私は信じない」
「何故?」
「彼は、何か大きな目的のために動いている気がする」
「それが何かは分かりませんが、きっと何か理由があるのでしょう」
●月面南極・永久影
月には氷河がある。これは比喩ではない。実際に真空であるにもかかわらずH2Oが安定して存在している。月の自転軸はほぼ垂直といえる。そのため永久に日の目を見ない場所がある。そこは摂氏零下170度の極寒だ。凍てついた世界は蒸発しようとする力すら冷ましてしまう。
耐物理法則万能防護服《ヴイスーツ》を着た人間がそこを探検するとすれば、
そのときに出遭う、人ではないもう一つの生き物である人柱《アーク・フィー》を視ることになる。
月面南極の永久影には凍罠《コールドトラップ》と呼ばれる場所がある。
幾星霜も隕石や彗星が降り積もり時には太陽風と相互作用してさまざま水分子が散逸するエネルギーを得られないまま滞留している。滞蔵ではない。
さっき、凍っているとは言ったが『絶対零度』ではない。量子力学はこの世のあらゆる物質に不確実性を課すので水分子は揺らいでいるのだ。わずかな揺らぎが水分子の交流をうながし人知れず何かがうごめいている。
人柱以外にも知性の営みはある。コールドトラップの天然電子電算機《アジャスター》だ。超電導状態のコールドトラップを電子がかけめぐり意識を自己組織化していた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ヴイスーツをまとったグラマラスボディーが聳え立つ氷柱と対話していた。
「で、月世界はあくまで人柱なんだよね、月人?」
「人柱ですって?」
ヴイスーツが体を傾ける。
「それって確か、人柱族っていう人柱たち、でしょ? つまり……」
「そう、月世界は神、あるいは神に近しい存在が司る世界、ということになるんじゃないか、と」
「でも結局、神なんていないじゃない?」
「でもね、私(わっち)たちは神でもあるんじゃないのよ。神は月に在るのは当たり前で、神はどこかに在るんだから。ただ、この世界の中に在るだけ」
「私も気がついたわ。どうしてそういう発想が生まれるのか」
「だってあなたたちは地球人と一緒じゃない。その世界に居る人間なんだ。神の姿も、神様の姿も、そこには在るの」
「……」
「つまりね、月世界の住人は神や神に近しい存在――というのは当たるんじゃないの」
「その通りだな。この国の話は、君が先にあると読んでいた。今は君は私の隣だろ?」
「ええ。わたしはここで、あなたは先に。神さまの場所を巡って」
「なるほどね」
「でもね、先に言われて信じても仕方ないと思うの。神の正体を隠したままなら、わたしたちは月には来ないんだから」
「そう、なる」
「それに、神である人間の言葉を信じている時点で信じなければならない。その後に彼の口に入れられる内容を想像して、信じている人間の言葉を聞いて、わたしたちはどういう人間なのか確認する……そういうことよ」
「……」
「なに? もしかして、私(わっち)を無視して、月に行くの?」
「ああ、そういう意味ではない。そういう意味ではないんだ」
「そう?」
「……まあいい、これ以上話すつもりもない。これは私たちにとって重要なことだ」
「何よ」
「君は、神が、何という存在なのか教えてくれないか?」
「ええ、わたしが教えられるなんて、珍しいでしょう」
「そうだな……それは、君の言葉には気を付ける」
「なによ、どういうことか、わからない」
「教えない。君のその言葉は、月に近づくにつれ、私たちと違う道へ向かう。――君の言葉は君の意志でしか使えない。その言葉を君が教えれば、我々は君から離れ、君のもとに戻るだけだ――だから」
「わかった。いいえ、わたしたちはこうなるって分かっているから、あなたしか頼めないわ」
「そうか……。いや、そうだったな」
ヴィスーツの女は内省した。
――わたしはいつも、こんな風に話したのかしらね……。
私(わっち)は、いつも通りに返事しただけ。
あなたはいつも、そんなことを言った。
●月面法廷・拘置施設
「月世界は咲夜を政治利用している。こんな馬鹿な話はないわ」
阿久津姫は無罪を勝ち取って、咲夜を解放したい。人は皆ストレスを抱えている。それも摂理ではないのか。しかしだからといって不都合な真実を暴くことの罪を咲夜に問うことを月世界の人々は許さないだろう。
それでも、咲夜は投獄されている。ならば真実は常に一つ。一人の無辜な人間に擦り付けなければいけない罪を月世界は背負っているのだ。人間社会においてしばしば個人の平和より社会の安定・秩序が優先される。時には非の打ち所がない人が裁かれる。
人間はそうやって事あるごとに生贄を捧げてピンチを乗り越えてきた。
「暴かなければ!月世界の闇を。助けなきゃ、咲夜を」
阿久津姫は弁護人としての決意を新たにした。「おいおい、何を言っているんだよ」
突然、扉が開き、咲夜の上司が現れた。
「あなた、確か……」
「ギルバートと名乗っておこう。君たちが言うところの『救世主』だよ」
「それで、何か用?」
「はっは、そう睨むなって。別に俺は何もしないぜ。ただ、ちょっと君に忠告に来ただけさ」
「忠告?」
「ああ、そうだ。君はさっき、咲夜を弁護すると言ったが、それは君たちの論理だ。判事どもは違う。だが俺たちは奴らとは違う」
「どういうこと?」
「奴らの正義は奴らが決めるってことだ。君たちに奴らをどうすることもできない。それは君が証明している」
「……」
「君は、奴らに利用された。奴らの正義に君は負けたんだ。奴らは悪だ。奴らとは関わらないことが賢明だ」
「……」
「まあ、今更、遅いかもしれないが……」
「……」
「じゃあ、俺はこれで失礼する」
「……」
「どうした?」
「……」
「ふむ、どうやら、まだ理解していないようだな」
「……」
「まあ、良い。どうせ、もうすぐ、終わる」
「もう少し、お話を聞かせてくださいませんか?」
阿久津姫はやっと口を開いた。
「そうこなくっちゃな。」
ギルマンは白い歯を見せた。そして単刀直入に述べた。バカげたアイデアだ。
「戦争だ」
「……どうかしてるわ」
●ヴィスーツの女
ヴィスーツの女は一人ごちた。
彼女は月の地を遠く見ている。
その様子に胸が苦しくなる。
本当は彼女に会いたい。
なのに、どこにいるのか、分からないのだ。
月世界と地の間に入ることは難しいと彼女は考えていた。彼女にとっては大した影響力にはならないだろう。
それでも、彼女は一人で待っていた。
彼女は戦うことに拘る。彼に必要なことは知っていた。
「月世界は私が守る。……私はあなたの、私を守るために必要不可欠。あなたが決めたなら私はそれに従う」
月世界の住人という認識と、どうやら今は咲夜の存在を知っている。これからも一緒にいて、彼の隣にいて守れることは強いて言うなら頼りたいことだ。
このまま、彼の隣にいたいと思う。そして、いつも傍にいたいと願う。
「どうする?」
「私が、私たちが行かなきゃ。あなたに言われなくても、あなたは決めてるでしょう」
咲夜は月世界の住人の言葉を聞くと迷う。
月世界は月神が管理していたという事実を聞く。当然そうなっていると咲夜は思っていた。だからこそ彼女は迷う。
「月神、神界の神が私に聞く。何の話を持って来たわけ?」
「ああ。月世界が私に答えるときは彼からだ。月神にとられてはならない情報ってやつが」
月神の思惑通り、二人の目から光がこぼれていた。
月神にとられてはならない。彼は自分が選ぶ道を決めたのだ。
咲夜は月神に信頼関係を感じ始めていた。
「……分かったわ。話はその時。あなたが迷っているあなたのそばにいるディアナが決めて」
「本当にやるのか。なんか変なこうとか」
「別にあなたとあなたの娘さんが何の関係もない時点でどうでもいい。あとで文句を言うつもりはない」
「ま、そうだな」
月神はなにやら考え込んでいるようだった。
彼女は話を聞くに、おそらく何かのことを相談するようだ。
咲夜も月神を見つめた。
「…………」
月神の顔に影が差す。
彼女が言うのはなんでもないことだ。
月神が話さないなら話さないなりに彼との距離を保つ努力をする必要は十分にある。
その結果として、咲夜との距離は近くなる。彼の中では、彼女が気に入っているようなのだ。
月神が何の相談もなしに突然出ていった。
その様子を見て咲夜は立ち上がる。
彼女は月神と対峙すると、彼女は月神の話を聞く。
このとき、月神の中にはなにもわからず、ただただ彼女の言葉にうなずいていた。
月神は咲夜を見る。
それにつられて彼女も彼を見る。
何を気にすることもなく、まっすぐに向かってくる。
「…………」
月神はその瞬間、咲夜を見ていた。
彼女の顔は月神に見えない。
その瞳があるべきところから、彼に見つめられている。
その瞳にはどんな感情もついてきていない。
ただ、月神の中にある何かが反応したように思えた。
そんな月神をよそに、彼女はまっすぐと彼に向かっていく。
月神と目が合う。
月神の表情はもっとも穏やかだが、その色がなにかを読み取ることは出来ない。
月神はゆっくり言った。
「……俺さ、ここに神がいるということ、さっき知ったばかりだ」
「えっ?」
「俺はただの神じゃない。月神の弟だ」
言葉は淡々だが、その声は熱を帯びている。
月神にはそれがおかしいと思えた。
月神と彼女は姉妹だ。
つまり、彼女から発せられる思いの強さは月神の中にある何かなのだ。それが月神の中でも感じていた。
「今すぐここを離れろ。その代わり」
「え?」
月神の口は止まらない。彼女に告げているのか、自分に言い聞かせているのか、彼自身もわかっていないのだろう。月神は言った。
「咲夜を守る力を授ける」
*
***
月神と月の会話を咲夜は思い出しながら考えた。咲夜は咲夜自身のことを考えていたのだ。月神の言葉を聞いて思ったことではない。それは後でも出来る。まず、すべきことがある。それに気づいた。月神の言葉の意味は分からない。月の光と、自分の意志だけが今必要なこと。
月は、月の光が照らす道だけしか示せない。月が示す道は一本だけだ。その道を外れることを許さないし、月自身がその道から外れてしまうことを望むこともなかった。だからその道を進むこと以外のことをすれば、その者は月から離れていってしまうだろう――。咲夜は月の光の先へ進んでいかなければならない。
●月面法廷・拘置施設 ギルバートが部屋から出て行ったあと、すぐにディアナが部屋に戻ってきた。
「ねえ、さっきの人は誰?」
「……あなた、あの男を信じるつもり?」
「……分からない」
「……」
「ただ、私を騙そうとしているようには見えなくなったわ」
咲夜は月の明かりをじっと見ながら言う。
咲夜は自分が月世界に受け入れられないということを知っていた。だからと言って、どうなるというのだろう?咲夜が月の世界に行くことはできるのだろうか。そもそも月の都に行けるのか。いや月面法廷は咲夜に真実を話すと言っていた。咲夜の無実は晴らされたのだ。それでも月世界の人々は真実を隠したがるのだとしたら。
真実を知るということは時に恐ろしいことだ。しかし真実を知らないまま生きていくことの方が、咲夜にとっては恐ろしかった。それは、今まで自分がいた世界が崩れていくような感覚を覚えるからだ。それは、自分がいない世界のように思えるから。そして何より咲夜は自分にとって都合の良い世界を生きていたいと思っている。それは自分の意思とは反する。なぜなら咲夜は自分の生き方を他人に強制する権利など持たないから。咲夜がそう思うことで救われるのは、他でもない咲夜自身だ。しかし咲夜はそうではないと思っていた。それは咲夜の勝手な押し付けであり、咲夜がそう考えている限りは相手も同じことを考えてくれているという甘えに過ぎないのではなかろうか。
そして、それは相手が自分と対等であるという前提の上で成り立つ考え方だ。しかし、咲夜が相手を同じ人間として考えることができているのかといえばそうではない。なぜなら咲夜が自分勝手にそう思い込んでいるだけにすぎないからだ。そうでなければ、こんなふうに悩んで苦しむこともない。咲夜が相手のことをどう考えようと自由だ。けれど、相手には咲夜と同じ考えを持って欲しいというのは傲慢なことだ。相手は自分で考えることを放棄してしまっている。なぜなら、それは相手の思考を奪うことになるからだ。
咲夜は月を見上げると、そこにあるものを感じることができるようになるかもしれないと考えるようになった。月をただ見るだけではダメだと思ったのだ。そして月を見るために、月の傍にいる必要があった。それはとても簡単そうに見えるが、月に近づくことは咲夜にとってはとても困難なことに思われた。それでも、今、月の傍にいるのだ。この月は咲夜に対して何を言うのだろう。そして、なぜ月が輝いているように見えるのかという理由を教えてくれるかもしれない。
月は答えずに沈黙するのみだ。
「ねぇ、どうするの?」
「私は、月世界へ行く」
「……私も行く」
「いいの?」
「うん」
「ありがとう」
「どうしてお礼をいうの?」
「あなたが私を信じてくれたから」
「私もあなたにお返しがしたいの」
ディアナは咲夜の手を取ると、ディアナは笑った。ディアナの笑顔につられて咲夜も笑う。
ディアナは咲夜が月世界に行くための準備を着々と進めていた。ディアナが用意したものは、咲夜が月世界で暮らして行くために必要なものだった。ディアナは咲夜を月世界に連れて行こうとしていた。ディアナが用意してくれたものを持って、咲夜は月へと昇る。ディアナは咲夜と一緒にいると言った。ディアナが月へ向かう咲夜のために用意したものが、月への旅に必要な物だった。それを手にして二人は歩き出す。そして月の都を目指して、咲夜とディアナは歩み始めた。月への道程は長く、そして険しいものだった。
* ** ○月の浜辺(咲夜と月)
咲夜とディアナは砂浜に座って、夜空に浮かぶ月を眺めていた。
二人の横を、波が押し寄せる音が響いていた。咲夜とディアナはその音を聞くともなく聞いていた。しばらくすると、咲夜が口を開いた。
咲夜はディアナに言う。
ディアナは月を見ながら咲夜の言葉に耳を傾けていた。咲夜は言葉を続ける。
その言葉を聞き終えたとき、ディアナの顔は曇っていた。
彼女は言葉を探しているようだった。
月が二人を見守っていた。
ディアナはゆっくりと言葉を選びつつ口を開く。
彼女の口から言葉が出るたびに、咲夜はうなずいていた。
ディアナは咲夜が月へ行ってしまったあとのことを考えていた。
咲夜がいなくなってしまったあと、ディアナはどうするのか。
咲夜はディアナに問う。
その問いにディアナはすぐに答えることができなかった。
しばらくして、ディアナは言葉を紡ぐ。
彼女はその言葉を口にした。
咲夜は、ディアナの言葉を聞いて、彼女の顔をじっと見つめた。
彼女の顔は青ざめていて、その目はどこか虚ろだった。
彼女は咲夜を見つめて微笑んだ。
彼女は、咲夜に何かを言いかけたようだったが、言葉にはならなかった。
咲夜は彼女の手を握りしめると、彼女は安心したように目を閉じた。
彼女は何かに怯えているように見えた。
咲夜はディアナの肩を抱き寄せると、彼女は咲夜に身を預けた。
咲夜は彼女を支えながら、彼女が口にできなかったことを想像した。
きっと、彼女はこう言おうとしたのだ。
――咲夜、私のことは忘れて欲しいの。
咲夜は彼女の言葉を飲み込んだ。
咲夜は彼女の言葉を忘れることにした。
そして、彼女の言葉にうなずいた。
彼女の言葉は咲夜の中で反響する。
咲夜は彼女の言葉の意味を考える。
その言葉は、彼女の本心なのか、それとも彼女の嘘偽りのない気持ちなのだろうか。咲夜は彼女の表情を思い出す。
それは、今にも消えてしまいそうなほどに、か弱いもので、それは咲夜の心に痛みを与える。
彼女が、そんな表情をするなんて、彼女は一体どんな思いを胸に秘めていたというのだろうか。
彼女のその瞳には、今にも溢れ出しそうな涙が溜まっていた。それは今にもこぼれ落ちそうだ。彼女の頬には、一筋の光が伝う。その光が輝く様を、咲夜はただ見つめることしかできない。
咲夜は言葉を失った。
彼女は咲夜を真っ直ぐに見据えている。
その瞳は澄んでいる。その奥にある輝きを彼女は隠しきれていない。
彼女の言葉は咲夜を戸惑わせるには十分だ。その言葉の真意が分からなくて、咲夜は困惑していた。彼女の真意を聞こうとすると、彼女は悲しそうに首を横に振って否定するだけだった。咲夜には、彼女に掛ける言葉が見つからない。彼女は、ただ涙を流しながら微笑むだけで何も言わない。
月の光だけが彼女達を照らしていた。
彼女は、何かを恐れているようにも見えた。
それは、何かから逃げているようにも思えた。
* ***
――そして、月の浜辺で、ディアナと咲夜は別れる。
咲夜は月の浜辺から立ち去る。
彼女は振り返ることなく、歩いていく。
月の光が彼女を照らす。
咲夜の後ろ姿を月だけが見ていた……
● 咲夜とディアナの二人が、月の都に辿り着いた頃、咲夜の祖母の桜子は既にこの世を去っていた。咲夜がそのことを知ったのは随分後のことだった。それは、月の浜辺で出会った女性が、咲夜の祖母だということを咲夜が知ったからであった。月の浜辺から帰るときに、ディアナと月の都へ来た目的について話をしている時に、咲夜はそのことを初めて知ったのである。
その時の咲夜はとても驚いた。なぜなら、その女性とディアナとは全くの別人だと思っていたからだ。月の浜辺で出会わなかったら、おそらく咲夜は今もそのことを知らなかっただろう。咲夜が月
「ねぇ」
咲夜はディアナに声をかける。
「何?」
「ディアナは私と同じだね」
「そう?」
「だって、私が知っている人じゃないと思っていた」
「でも」
ディアナは不思議そうに言う。
「私達は似ているところがあると思うわ」
「そうかな」
「そうよ」
「例えば?」
「あなたは、とても優しいわ」
「ディアナも私に優しくしてくれる」
「そうかしら」
ディアナは嬉しそうに言う。
「それに、あなたが教えてくれたから、私はここに来ることができたの」
咲夜は、ディアナが月の世界へ行くための道具を用意してくれていたことを思い出していた。
「私は何もしていないわ」
「そんなことない。私はあなたのお陰で月に来ることができた」
「それは違うわ」
「違わない」
「いいえ」
「いいえ」
「……」
「……」
二人はお互いを見つめ合う。
「あなたがいなかったら、私はここにはいない」
「私もあなたがいたから、今こうしていられるの」
「それは、あなたが私を信じてくれたから」
「それは、あなたが私を助けてくれたから」
ディアナは微笑んで咲夜を見る。
そして言った。
あなたにお願いしたいことがあるの。
私はこの月を護りたいの。
私はもう、こんなことを繰り返したくない。
だから……――
あなたに私の代わりに、この月を護ってほしいの。私は、月の人間じゃないけれど……
でも、月は大切な場所なの。
この場所にずっと居たいと願っている。
それが叶うことは無いけれど。
それでも……
この月を無くしたくはない。
そして、できることなら……
あの人と過ごした時間を消したくはないの。
あの人が残してくれたものを、守りたかった。
この願いが、私の我欲だとわかっていても。
それでも……。
この月が、いつまでも在ってくれれば……と。
私は思う。
どうか、お願い……
私は月を、月に住む人々を、愛しています。この月を、永遠に。
この月を、永遠のものにして下さい。
私では、この月を永遠に保つことができない。
けれど、咲夜ならば……
咲夜、あなたになら……できるはずです。
私と同じように、月を愛しているあなたに……
私よりも、
「あなたの方が、月を好きになってくれると思ったから」
「ディアナ」
「あなたに、私と同じような想いをさせてしまったのかもしれない」
咲夜はディアナの顔をじっと見つめた。
「ディアナは、それでいいの? 本当に、いいの?」
ディアナ
「私は……」
ディアナは言葉を探す。
そして、ディアナは言葉を見つける。
「うん。大丈夫。心配しないで。私は、平気だよ。咲夜。ありがとう。今まで、色々と手伝ってくれて」
ディアナは咲夜に笑顔を向ける。
咲夜は、その様子を見届けると銃を加えて引き金を絞った。
パン。乾いた音と脳漿が散った。
「ごめんなさい。ディアナ。でも、これが一番良い方法だと思うの。許して欲しいとは思っていない。恨まれても仕方がないと思っている。だけど、これしか方法が思いつかなかったの。だから、これは私の自己満足なの。ごめんなさい。ディアナ。私は、これから先、あなたのことを空から支える」
遺書にはそう書いてあった。
***
月は今日も輝いている。月面は、地球と比べても遜色のないものとなっていた。月の浜辺に咲く花が、風に揺れている。月明かりに照らされた浜辺には二人の男女の姿があった。二人は並んで、浜辺に座っている。月の浜辺は二人を静かに見守っている。月の砂は二人の足跡を残しながら、風によって消えていく。それはまるで、二人の出会いと別れを表しているようだ。二人の間には、静寂が訪れていた。波の音だけが響いていた。それは二人を見守っているようだった。
咲夜とディアナが出会って、五年の時が流れていた。咲夜が月の浜辺で見たものは、幻だったのか、それとも本当のことだったのか、咲夜には分からない。だが、今こうして目の前にあるものこそが現実なのだということは分かっていた。
咲夜は、隣に座るディアナの横顔を見た。ディアナは海を眺めている。咲夜はディアナの手を握った。すると、ディアナは驚いたように、咲夜の顔を見る。ディアナは咲夜に笑いかけると、手を握り返した。ディアナと咲夜はお互いの温もりを感じていた。二人はそのまま黙って寄り添っていた。咲夜はディアナの身体の柔らかさと暖かさを感じながら目を閉じた。すると、咲夜の頭の上から優しい声が聞こえてきた。それは心地よい子守唄のように聞こえてくる。
「あなたは幸せになりなさい」
その言葉を聞くと咲夜は自分の気持ちを伝えようと言葉を紡ぐ。
(私も一緒に幸せになりたい)
だが、口から出てきたのは言葉にならない声だけだった。するとディアナが再び話しかけてきた。
「もう時間が無いみたいね」
その言葉を聞いて、咲夜は再び目を開ける。そこには微笑みを浮かべて自分を見つめるディアナがいた。
「そんな悲しい顔をしないで。私は大丈夫だから……それにね。咲夜、覚えていて。月はいつでも傍にいるから。きっとまた会えるわ。それに約束する。月はいつまでも、あなたと一緒にいます。それは変わらない。だって、私たちは月の民なんだから……いつか、必ず巡り合える。だから、悲しまないで。咲夜。さようなら……」
咲夜はディアナの言葉を聞き終えると、ゆっくりとまぶたを閉じていった。そして、咲夜は眠りについた。ディアナはそんな咲夜の寝顔を見ながら、咲夜の頭を撫で続けた……
● 月日は流れ、季節は春になった。桜の木
「ねぇ、知ってる?」
桜子は咲夜に向かって言った。
「何がですか?」
「月の都には、月の神様がいるって話」
「月の神様?」
「そう。月の都にはね、月には月の神様がいらっしゃって、月に住んでいる人達を護って下さっているんだって」
「へぇ」
「だからね、もし困ったことがあったら、その月の神様に頼めば、助けてくれるって言い伝えがあるのよ」
「そうなんですか」
「でも、月の都に行くことは滅多にないからね」
そう言って桜子は笑っていた。
咲夜は月を見て思った。もしかしたら、月の神様はディアナのことなのではないかと。それは、咲夜にとって、ただの憶測に過ぎないのだが、何故か咲夜はその考えが間違っていないという確信めいたものを持っていた。
●咲夜は、月の浜辺に立っていた。辺り一面に月の光に照らされて咲き誇っている桜の花びらが舞っていた。月の浜辺は満開の桜に覆われていた。咲夜は月の浜辺を歩いていく。
ふと、咲夜は足を止める。
そして、後ろを振り返る。
そこには誰もいない。
けれど、咲夜は誰かに見られているような気がした。
咲夜は、再び歩き出す。
そして、立ち止まる。
咲夜は何かを呟く。
そして、また歩く。
咲夜は月の
「咲ちゃん!」
咲夜はハッとする。そして、我に返る。自分が何処にいたのか思い出す。
「あ、はい! 何でしょうか!?」
そう言いながらも視線を彷徨わせる。すると、上司らしき男性社員と目が合った。彼は苦笑いをしている
「何をぼんやりしているの?」
「えーっと、ちょっと眠くて……すみません」
「仕事中に居眠りなんて感心しないな」
そう言うと、彼は咲夜の肩をポンッと叩く。そして、「頑張って」と言うと去って行った。咲夜は彼の
「咲ちゃん」
という声で我に返り、自分が何処にいて、誰と話していたのを思い出した。そして、咲夜はパソコンの画面を見ている。咲夜はキーボードを打つ手を止め、時計を見ると既に午後十時を過ぎていた。そして、オフィス内に残っている人はほとんどいなかった。皆
「お先に失礼します」と言って帰っていった。咲夜は椅子から立ち上がると大きく背伸びをする。それから机の上を整理して片付け始めた。一通り、整理が終わると自分の荷物を持ち席を離れる。フロアを出て廊下を歩いている時に窓の外を見た。外はすっかり暗くなっていた。会社
「じゃあ、お疲れ様でした」
咲夜は同僚の女の子に声を掛けるとエレベーターに乗るためにホールに向かう。その途中、スマホでメールを確認したが何件か新着メールがあっただけだった。どうやら友達からのメッセージではなかったようだ。そのことに少しだけホッとすると、ちょうどタイミングよく
「おっ」
と声を出してエレベーターが降りてきた。それに乗って三階へと上がっていった。三階のロビーに着くとすぐに外に出ようとした。すると、一人の青年とぶつかった。咲夜は尻餅をつく。その衝撃で手に持っていた書類が床の上に散らばる。
「痛ててっ」
と声を出しながら上体を起こす。すると、頭上から声が聞こえてきた。
「ごめんなさい。大丈夫?」
咲夜は「いえ、こちらこそ」と謝ると慌てて立ち上がった。すると、青年も立ち上がり「よかった。怪我が無くて」と言った。その言葉で
「あっ」
と思わず声が出てしまった。
「どうしました?」
咲夜の声に反応した青年が尋ねる。
「あの、もしかして、あなたは……」
「ん? どうかしました?」
「あの……」
と言葉に詰まった。
咲夜は目の前の
「はい?」
という言葉に違和感を覚えた。それはまるで他人の言葉のような感覚だったのだ。咲夜はもう一度目の前の青年に話しかける。だが、その言葉はどこか他人行儀だった。
「あの……どちらさまでしたっけ?」
「はぁ? 何言っているの? 僕は君の夫だよ」
その言葉に咲夜は驚く。そして、周りをキョロキョロと見渡した。だが、周囲には自分たち以外の姿はなかった。
咲夜は目の前の青年の顔を見る。
その瞬間、咲夜は頭が真っ白になる。そして、咲夜は目の前の現実を理解することが出来なかった。何故なら、目の前の青年は見知らぬ人物だったからだ。咲夜が知る由もなかったが、それは現実逃避によるものだった。それはあまりにも突然の出来事に咲夜が理解出来なかったことを表している。
目の前の男は怪しげな笑みを浮かべながら、じっと咲夜のことを見つめている。咲夜は、その男の顔を見て恐怖を覚える。咲夜が見た男の表情は、まるで獲物を捕らえて喜んでいる捕食者のように見えた。
そして次の言葉を聞いて咲夜は自分の身に起きていることをようやく把握する。
――君は僕の妻だろ?** 月世界に来て四年目に月日は流れたある日のことだった。
その日の午後、咲夜の職場で同僚たちと昼食をとっていた。食事を終え食後のティータイムでみんなそれぞれおしゃべりに花を咲かせていると一人の同僚の女性社員がこんな話を切り出した。
それは月面都市の恋愛についての話だったのだが咲夜にとってはあまり興味のある内容ではないようだったが他の人は食い入るように聞いているようだ。
そんなみんなの様子を見ていた咲夜だが、この手の話は自分とは無関係なのでそろそろ部屋に帰ろうと立ち上がるとそれに気付いた一人の同僚に声をかけられた。
話しかけたのは月日(つきひ)という少女で咲夜と同年代である
「ねぇねぇ咲ちゃんってさ好きな人いるの?」
咲夜は唐突にそう聞かれた咲夜だが特に何も思い浮かばなかったので首を傾げながら素直にこう言った
「う~ん、いないかな?」と。
咲夜は正直そう思っていた。咲夜には恋人はおろか気になる相手もいないのだから当然そう思うだろう。だがそう答えた後咲夜はある疑問が湧いた
「月ちゃんにはそういうひとはいないの?」
「うん、私は今は仕事のほうが忙しいし、まだそこまで考えたことはないよ。それに今の仕事が好きだし楽しいからこのままでも別にいいかもと思っているからね」と答える彼女であったが彼女の言葉の裏にはある願望があることに彼女は気付かないふりをしているだけであることは咲夜は薄々感づいていた
「ふーん」と言いながら私は月ちゃんの言葉を聞き流すようにして紅茶を飲んだのだがそんな私を見ながら今度は逆に質問された
「でもさぁ、咲ちゃんには彼氏っていなさそうだよね」と 私はそう言われムッとなり言い返すようにこう答えていた。
「そうかもしれないね。今まで好きになったことって無いし」
って言っていた だけど本音を言うのなら月ちゃんにそう言われて本当は少しショックをうけていて泣きそうな顔を隠すためにそう言っただけだよ だってさあ私って昔から可愛いと言われてちやほやされていたけど実際その容姿に惹かれている男の子達って内面ではなく私の外見だけ見てるのが分かってしまったからさ まあしょうがないと言えばそうなのだけれどさ
「咲ちゃんには彼氏ってなさそう」「いないかもね」
そう言った後二人は黙ってしまった 二人の間には沈黙が続く その状況に耐え切れなかったのか先に口を開けたのは咲夜であった。咲夜には一つ悩みがあったのでそれを打ち明けようか迷っていたところ月日に先越されてしまっていたのだ。
だが月日には打ち明られなかった悩み 実はここ数日咲夜は自分の胸がおかしいと思い始めた。
最初は疲れとか生理前のホルモンバランスが崩れているのかと思っていたけれどそれは明らかに違った そう、それは何故か胸が大きくなっていたのだ。
それもかなり大きくなってブラジャーのサイズも合わなくなっていた それだけじゃない服を脱ぐと自分の身体を見て違和感を感じるようになったのだ そして月日の胸を触った時も思ったのだがやはり月日もまた咲夜と同じ症状が起きていたらしくお互いの変化について話し合った そしてその結果わかったことがある それは二人が同時に同じ時期に月の神様にお願いをしたことが原因ではないかということだった 月の神様はきっと私たちのことを祝福してくれたのだと思う そして月の神様はお告げとして月の浜辺でキスをすればもっと素敵な未来が訪れるというお告げをくれたのだと私たちは思った だからこれから二人で一緒に確かめに行くことにした そしてその日の夜に月の浜辺で月の光を浴びて月の浜辺で口づけを交わした その瞬間から私たちはさらに愛を深め合うことが出来たのでした それからというもの私たちは毎晩のように愛の営みを行うようになりました そうすることで
「ああ!もう我慢できない!」
そう言って咲夜は月の浜辺で阿久津姫を押し倒すと激しく求め合い始める
「咲夜様!咲夜様!」
「姫!ヒメ!ヒメ!姫!ヒメ!ヒメー!」
「咲夜!咲夜ーーーーーー!!!」
こうして幸せな家庭を築き上げましたとさ。めでたしめでたし……