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十三
もう夜は更けている。窓の外から入り込む月光だけが、この部屋を照らしていた。
魔力を与えると決めてから、数日が経った。自分は魔力を喪い、もう魔術師として働けなくなるので、引き継ぎの準備と代わりの仕事場探しをしなければならなかったのだ。
目の下まで布団で覆い隠して、死んだように眠っているセナの顔を覗き込む。
月明かりしか頼りになるものがない暗い中でもはっきり分かるほど、目元は赤く腫れていた。あのときから、ずっと泣いている。
そっと髪を撫でた。さらさらしている。髪の一筋一筋が、自分の指の間を通り、くすぐった。
「……セナ。」
起きる気配はない。
音もなく立ち上がった。
袖口から持ち出したのは———
———刃物。
---
気が狂いそうになるほどの感覚に、歯を食いしばった。刃物に付いた血がポタリと落ちて、ズボンに付く。
気づかれないように、静かに。浅く呼吸をしながら、セナの顔を覗きこんだ。
———気づいたような様子はない。死んだように眠っている。
目の下まで覆い隠している布団を、そっと剥いだ。くっきりとした鎖骨が見える。
起きる様子はなかった。そのことに少しだけ安堵する。切った腕から血が垂れないように気をつけながら、刃物を構え直した。
手が震える。切った腕は、急速に痛みを失っていく。
魔力を与えると決めたのは自分、でも彼女を傷つける勇気が出なかった。
死んだように眠っている。このまま目覚めてくれなければよいのに、なんて思った。
ポタリ、と腕から血が垂れた。ハッと我に返った。
彼女の鎖骨あたりに、切っ先を当てた。もう後には引けない。
一気に力を込めた。
切った自分の腕が、再び痛み出した。
切った先から、血が噴き出る。服を、布団を濡らしていく。
彼女が一瞬、目を見開く。声も出さぬ間に、俺は切った自分の腕を血が噴き出ている彼女の鎖骨の下に近づけ、押しつけた。
既に溢れんばかりだったそこから、俺の血が急流のように流れ落ちる。彼女の傷口に吸い込まれていく。
『与える』
トプン、とどこからともなく音が聞こえた。血と血が混ざり合うそこが、ゆらりと黄金の光を帯びる。
彼女の鎖骨の下の、出血が止まった。
反対回りでもするかのように、体外に出ていた彼女の血が傷口の中に呑み込まれていく。
引っ張られるように、俺の血も吸い込まれていく。引力に引かれて、さらに出血は激しくなった。
一際まばゆい、黄金色が光った。
それと同時に、彼女の鎖骨の下の傷口がみるみるうちに塞がっていった。何かの意思を持ったかのように、外に残った血を体内に取り込み、扉を閉めるかのように傷口が閉じていく。
|瘡蓋《かさぶた》を作ったかと思えば、何事もなかったかのように彼女の肌だけが残された。
跡一つさえ、残らなかった。