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Requiem for His Spirit.
後半が赤文字の使い方覚えた人の調子乗った祭典みたいなことになってるのおもろい
「キャーッ‼」
「|日花《ひばな》ちゃ~ん‼カッコいいよ~っ‼」
バスケ部の試合で、本来呼ばれるはずのない彼女の名が響き渡る。
コートを快走するショートカットの彼女は|葵《あおい》 |日花《ひばな》。助っ人である彼女は、他の部員を引っ張りつつ、誰よりも点を決めていた。
試合の結果は20点突き離す圧勝。
日花は陸上部と剣道部を兼部し、また水泳部の助っ人にも頻繁に足を向ける。それらを、1年生にしてエース並みの実力で勝利に導くのだ。彼女はその激務の中、少ない学習時間でも地頭の良さで勉強を余裕で乗り切る。成績優秀者の1人なのだ。
しかも彼女は、美しい容姿の持ち主である。そして、なによりも人当たりの良さで彼女に勝る者は校内にはいない。
そう。彼女は、老若男女問わず非常にモテる、完璧イケメン少女なのだ。
「葵先輩!」
そう声をかけたのは、中学の後輩だ。助っ人の噂を聞きつけて来たのだろう。
「あぁ、山田くん。久しぶり」
「あの、えっと、今日、先輩かっこよかったです!あの……先輩!付き合ってください!」
日花は、今まで幾度となくこのような告白を受けてきた。
しかし彼女の返答はいつも変わらなかった。
「ごめんね。君とは付き合えない」
「……ですよね」
巷では、日花に彼氏がいると噂されている。だが彼女は恋人いない歴=年齢である。
見事にフラれた日花リアコ勢の一員は、とぼとぼと友人に励まされて帰っていった。
「日花ちゃん」
そしてやっと、彼女の待ち望んだ声が後ろから聞こえた。
「|逢坂《あいさか》先輩……!」
「お疲れ様。頑張ったね」
「そ、そんなこと……!」
「いいんだよ、謙遜しないで。これ、あげるよ」
そう言って、彼女の初恋を奪った男・|逢坂《あいさか》 |夜空《よぞら》はドリンクを差し出した。
彼もまた、容姿の優れた心優しい人である。しかし少々頭は弱い。
「いいんですか……⁉」
「うん、箱買いしたけど好きなのと間違えてたみたいで」
夜空は今年受験生の3年だ。
日花は自分の恋が彼の受験の邪魔になることを、僅かながら恐れていた。
だから、告白は受験が終わるまでしないと心に誓っていた。
「ありがとうございますっ!」
「いいよ、大丈夫」
そして、彼と別れ、短いミーティングを終え、皆とバスに乗る。
あとちょっとで寮に帰れる。
そこには、彼女の“至福”があった。
「マジでメダー様最高!顔面国宝~っ‼」
布団の中で、今朝配信された漫画をスマホで読む日花。
「レミたんその笑顔は反則ですっっっ‼」
そう、彼女には“裏の顔”がある。
ロリとイケメンが大好きな、マンガヲタク。それが本当の彼女である。
しかし彼女の至福の時間は完全に阻止される。
「……え」
誰だって最推しの死は精神に来るだろう。
「 **レミたぁぁぁぁんっ‼**」
これで、彼女のモチベーションは皆無に等しくなった。
逆に試合前に読まなくてよかったのだが、どちらにしろレミたんの死は作者が書いた時点で決まっていたので、もう変えられない事実だ。
皮肉にもそのパーティはつい先日の話でヒーラーと魔法使いが脱落していた。彼女の蘇生はほぼ不可能。さて、剣士だけでどうするのか……。
「お願いだから……メダー様だけは……っ」
主人公が死んだら成り立たないのだけど、とツッコミたいところではある。
しかし彼女の方は瀕死である。黙っておこう。
そっと、ページをめくってみる。
『くそ…ッ、俺1人でこのデカブツ片づけなきゃいけねーのかよ――』
『あんた1人?誰がそんなこと言ってんのかしら』
「あ……あなたはライバルパーティの……⁉」
『アーヴィン⁉お前――⁉』
『言っておくけどあたしはあんたを利用するだけよ。勘違いしないで』
「共闘キターーっ‼アツい展開だぁぁっ‼」
布団の温度が20℃近く上がった辺りで、部屋が静まった。
推しの尊さでの発熱も相まって、疲労が限界に達したのだ。
日花は推しの共闘シーンと共に爆睡してしまった。
廊下からした物音で、日花は目を覚ました。
(なんの音……?)
時計を見ると、深夜の2時半。
土日の境、だとしても起きてていい時間ではない。
こっそり扉を開けると、階段の方に人影。
目を凝らすと、それは夜空だった。
(先輩……?なんでこんな時間に?)
そう思うや否や、夜空のポケットから何かが落ちた。
夜空はそれに気づかず、ゆっくりぼんやりと歩いていく。
日花も部屋をこんな時間に出ていることがバレてはいけないので、そ~っと歩いた。
そこに行くと、落としてあったのはハンカチだった。
(追いかけて、届けた方がいいよね……?)
けど、走ったら即バレるので、抜き足差し足をしながら行くしかなかった。
夜空を追いかけていくと、校庭まで来てしまった。
そして日花は気づく。
(いや、私、めっちゃストーカーっぽくない⁉)
ここまで来て彼の前に出るのを躊躇っていると、突然、爆破のような音が響き渡った。
日花は、目を疑った。
「せんぱい……?」
夜空の右半身が、奇怪な化け物に変わっていたのだ。
腐ったように黒くて紫のものが人の形に造形されたような、命があるとは思えない塊。そこに、目や口が開いて、まわりを見まわしたり、何か奇怪なことばを発している。
ぐちゃぐちゃと不快な音を立てるそのすぐ隣で、死んだように虚ろな左目をした夜空から、目を離せなかった。
「先輩!先輩‼」
日花は叫んでいた。
その途端、“それ”が日花をぎょろりと見た。数多の目玉で、日花を凝視した。
背中を冷たいなにかが這うような感覚を覚える。
日花は叫んだことを後悔した。
強い殺気を感じた。
(殺される。確実に)
1歩、1歩と後ずさりする。
静かな風の音、騒ぎに気付いて避難し始める生徒たちの声。
皆が日花とは反対方向に走る。誰も彼女の存在に気づいてはくれなさそうだ。
気を抜いてしまっていた。
気づいたときには、その気色悪い大きな右手がすぐ目の前まで来ていた。
日花は宙吊りになりながら、頭を化け物の大きい手で、文字通り握りつぶされそうになっていた。
ぎゅ、ぎゅ、と、少しずつ圧力が増す。
彼奴が情さえあれば、日花はその程度の拷問だけで放してもらえただろう。
だが、怪物に情などあるはずもなく、死を覚悟しなければならないと本能が日花に語りかけた。
(……最期に)
日花は痛みの中、願った。
(最期には先輩の顔を見て死にたい)
……そんな願いが届いたのか、僅かに化け物は掴み方を変えた。
指の隙間から見えた夜空の左側の顔は――哀しみだった。
虚ろなのには変わらないが、一応日花の側を向いている瞳から、涙が零れおちた。
たすけて
僅かな唇の動きは、確かにそう言っていた。
(……いや、まだ死ねないな、私)
日花の瞳は、さっきまでの死を覚悟するという一種の諦めと打って変わって、強い意志を宿していた。
(だって、大好きな先輩に殺しなんてさせられないもん――‼)
その瞬間。
「|魔霊術《まれいじゅつ》 |藍炎《あいえん》っ‼」
青い炎が日花の目の前を覆った。
「何……⁉」
化け物は『ヴェッ』みたいな声を発して、日花から手を離した。
「ふぅ、危機一髪だったミコ!」
そう言ったのは、青いロングヘアの和装の少女。青い火が2つ、頭から獣耳のように上がっている。10歳くらいといったところだろうか。
「あなた、誰?」
「ミコは|御狛《ミコマ》!日花の背後霊だミコ!」
「……は、背後霊?」
「聞いたことないミコ?ニンゲンの中では有名な話だと思ってたミコのに……」
「いや、聞いたことはあるし、知ってるけど……」
「なら話は早いミコ。早くあの子を救うミコ!」
非常に速い展開も、物わかりのいい彼女にとっては苦ではなかった。
「じゃ、じゃあ御狛、あの化け物をぶっ飛ばして!」
「アバウトすぎて無理ミコ‼」
しかし日花は突然バフッとしたことを言い出す。
「え~?面倒だなぁ……」
「面倒とか言ってられないミコよ!早く!」
「う~んと……じゃあ、さっきの藍炎?をもっかい‼」
「了解ミコ!」
御狛は化け物の方に飛ぶように走り、お札を取り出した。
「魔霊術 藍炎‼」
青い炎が、その右半身を炙った。
その瞬間。
『pyk4』
化け物が、聞いているだけで心をむしり取られそうな不快な何かを発した。
(何かの……呪文?)
―
「早く!あの子が焼け死んじゃうミコ!」
御狛のその声で、日花は我に返った。
そして見ると、夜空が《《自分の手で》》炎に触れていた。
「先輩⁉何して――」
「あの悪霊、多分、宿主を洗脳できるんだミコ。ああいうタイプほど“|呪壊《じゅかい》”になりやすいミコ」
「そっか……だからこんな時間に」
「だから、早く片付けないと被害が広がっちゃうんだミコ!」
「じゃ……じゃあ、洗脳解除できるのとかないの⁉」
「ミコはたったの9歳ミコ!できるわけないミコ‼」
「なら先輩のとこだけ消火できる技とかは⁉」
「……今までできたことないけど、やるしかないミコね‼」
そして、御狛は雪のように白いお札を出して、半分に破り、左側だけ構えた。
「魔霊術 |冷焼華《れいしょうか》!」
ジャッ、というような音や冷気とともに、左側だけに花が咲くように白い炎が上がった。
それはうまく夜空の側にだけ当たった。
「ふぅ……、あとは藍炎で呪壊が燃え尽きてくれればなんとかなるミコ……」
「ホントになんとかなる?」
「順調に行けばなんとかなるミコ。戦闘態勢は崩さないほうがいいミコ」
それから1分弱。
炎が消えた。
「燃え尽きたミコね……!あの子はじきに目を覚ますミコ!」
御狛が残りの使わなかったお札をしまいながら言った。
まだ焦げ臭い風が吹いている。
「先輩は無事かな……」
「見に行けばいいミコ!多少の火傷はあると思うけど、大きな怪我は負ってないはずだミコ!」
「先輩!大丈夫ですか⁉」
日花の声に返事はない。
「息してるから大丈夫ミコよ!人間って、そう簡単に死なないミコ!」
__「……すぐ死ぬよ、人間は」__
夜空がぼそりと言った。
「先輩――⁉」
「――あれ、元に戻ってる」
「……さっきのは寝言ミコ?」
「え、日花さん……と、誰?」
「ミコは御狛!ついさっきキミの悪霊を祓った、日花の背後霊ミコ!」
「背後霊……?」
日花とほぼ同じリアクションをしてくれた夜空。
「そういえばキミの名前聞いてなかったミコね!」
「あ、逢坂 夜空です」
「夜空!いい名前ミコね!よろしくミコ!」
御狛は一呼吸おいて、言った。
「で、本題ミコ。ミコは9歳ながら一応“祓い霊”をしてるミコ。“祓い霊”は悪霊を祓ったり、悪霊が暴れて“呪壊”になるのを防ぐ役目があるミコ」
「え、すごっ」
「御狛ちゃん、9歳なのにすごいね……!」
「えっへん!……で、夜空!夜空はまだ悪霊に狙われてるんだミコ!1度“呪壊”が発生すると、背後霊用の席みたいなのが汚れて、悪霊が過ごしやすかったりパワーが発揮されて“呪壊”が簡単に再発しちゃうんだミコ!」
「……はぁ」
情報量が多くて、当の本人である夜空の頭は情報を受け付けなくなりかけている。
「だから!早急に『|清祓神社《せいふつじんじゃ》』でお清めを受けなければいけないミコ‼」
「え?せいふつ……?」
「○○県××市の|八狐山《はっこやま》の頂上にある神社ミコ!すごく神聖な場所で、日本ではそこでしかお清めを受けれないんだミコ!」
「○○県⁉どんだけ離れてると思ってるの⁉」
「それでも行かなきゃ、夜空がまたあんな目に遭うんだミコ!日花はそれでもいいミコ⁉」
「……そういうわけじゃ」
「じゃあ行くミコ!」
「で、でも、僕たち、学校が」
「あの“呪壊”と同じように『洗脳』の能力持ちの“祓い霊”仲間がいるミコ!だから、学校・家族・その他諸々の記憶は心配しなくていいミコ!」
日花と夜空は、顔を見合わせた。
「先輩、どうしますか」
「……今だったからよかったけど、受験期にまた、その、ジュカイ?になるのはキツいかな。だから、今のうちに行こうと思う」
「そうと決まったら、早速準備を進めるミコ!1時間でなんとかできるミコ?」
「「うん!」」
「じゃあ、4時に校門集合ミコ!解散ミコ~!」
「……面倒なことになっちゃった。まさか“祓い霊”が味方にいるなんて。
`でも、気づかれないうちに✗✗✗だけ侵せれば、それでいいよね――!`」
---
「旅費は大丈夫ミコ?」
「お年玉だいぶ崩した……」
「僕はバイト代の貯金から出した」
朝5時。
2人分の切符で、××市の方に向かう新幹線に乗り込んだ。
ちなみに、背後霊というものは普通、宿主にも見えない。宿主のために力を発動させたものだけが、その宿主に見えるようになる。日花がそれだ。
例外は、夜空のように自らが“呪壊”になった人間だ。目が侵されると、色々な背後霊が見えるようになる。
今、日花は両目で御狛だけが、夜空は右目だけで御狛を含む多種多様な背後霊が見えている。
「今調べたんだけど、僕らの学校からそのなんちゃら神社まで、700kmあるんだって」
「夜空、いい加減覚えるミコ!清祓神社ミコ!」
(私もまだ覚えれてないなんて言えないな……)
そして、日花は無意識のうちに、論理的かつ非論理的な選択をしていた。
グループで乗る場合、席を隣や塊にするのが論理的だ。
そして、
(せ、先輩と隣だ……!)
思春期の乙女(一応)とその好きな人を隣同士にするのは、心臓に悪く非論理的なことである‼
本来のラブコメであればこれは幸なのだろうが、彼女はそうではなかった。
(こっそり鞄に忍ばせて持ってきたメダー様とレミたんのグッズ、さらに先輩……!圧死する……!)
そう、彼女は恋愛中のマンガヲタクであった。
そこに、思いもよらない奇襲が……。
とんっ。
夜空の眠気が、ついに限界に達してしまったらしい。
日花の肩に頭を預けて眠ってしまった。
(はっっっっ⁉先輩⁉せっかく助かった私の命また奪う気ですかっ⁉)
日花の心拍数はとうに180を超えている。でも先輩を起こすわけにはいかない、と、心臓破裂の危機を耐えるしかなかった。
道中のうたた寝がまさか日花の寿命を縮めているとも知らずに、夜空は日花、御狛と新幹線を降りた。
××市はとても自然が豊かで、初夏を過ぎた緑がよく映えていた。
「背後霊って、ほぼみんなについてるんだ」
「それが普通ミコ。でも今、夜空の背後霊枠は空席なんだミコ。変なのに憑かれる前に早く山に登るミコ!」
「まぁ……っ……待って……っ」
先ほどの心拍で呼吸をなんとか堪えていたので、運動するよりずっとバテている日花。
「……御狛ちゃん、休ませたげて」
それが自分のせいとは、彼はつゆとも知らない。そう。|罪な男《鈍感馬鹿》である。
「わかったミコよ、夜空はミコが見張っておくから、早めに戻るミコ」
「ありがと……」
なんとか自販機まで歩き、お茶を買う。
(……え?田舎ってお茶110円なの?安くない⁉)
「先輩の分も買おうかな……あれ、御狛はお茶飲めるのかな?」
日花は自販機の前で考え込んだ。
結局、夜空の分は買って、持って行った。
「お待たせしました!あの、先輩、これ!」
「あれ、お茶?買ってくれたの?いいのに……」
「こ……っ、こないだのお礼で……っ」
「ありがとう。けど――」
夜空はお茶を受け取り、日花の顔を見つめた。
「まだ、顔赤いよ?もう休まなくていいの?」
澄んだ黒の瞳で、じっと見つめられる。
(……あぁ、もうっ、先輩のせいなのに――!)
当分、日花の心拍数は元に戻らなさそうだ。
「あぁっ……‼」
手を滑らせてしまった。
今日は暑いから冷えるようにと、手や首元に水を塗っていたのが悪かったらしい。
とぽとぽ、音を立てて、せっかく奢ってもらえたお茶を開けた瞬間にぶちまけたのは、山の3分目に差し掛かったあたりだった。
夜空は、人間が容姿、性格、知能の3項目なら、容姿と性格は完璧で知能を著しく欠いた人間なのである。
もっと分かりやすく言うと、見た目も中身もイケメンだけど馬鹿で鈍感でドジなのだ。
この出来事には、そのうちの「ドジ」が強く出ている。
「ごめん……せっかく日花ちゃんがくれたのに……」
「大丈夫ですよ、これくらい……」
夜空は半泣きのような表情で謝った。
反して、日花の方は。
(待って半泣きの先輩可愛いんですけどっ‼)
心を射抜かれていた。
それは、山の5分目で起こった。
「ごめん、ちょっと休憩させて」
顔が火照って汗だくになった夜空が疲れを訴えた。
夜空は元から運動が得意でなく、逆に半分まで耐えたのが奇跡である。
日花も、運動部とはいえど、新幹線の中で半分ほど体力を削っていたので、彼の誘いには賛成だった。
「ここは他に人がいないから、結界を張るミコ!安心して休憩していいミコ!」
そう言って、「あ!ちょうちょミコ~!」と、御狛は少し遠くに走って行った。
夜空は日花と座り込んで話をし始めた。
「……ふぅ」
「疲れたね」
「はい……登山なんて初めてで」
「だよね、僕も。それにしても日花ちゃん、優しいよね。お茶なんて」
「妹にも、よくそうしてたんで」
「そっか……。僕も、弟にそうしてたんだよね」
「……」
「病気で死んじゃったけど。……母さんは父さんに殺されて、僕も死にかけた」
「――!」
「もう、1人だからさ、せっかくなら寮で暮らした方がいいかなって」
聞いたこともない、真っ暗な話で、日花は何も喋れなくなった。
「――あ、ごめんね。こんな話」
「あ!いや、そうじゃ……!」
必死に取り繕おうと努める日花の隣で、頭部に手をやる夜空。
「大丈夫……傷は治ってるから」
――見た感じ、身体に怪我はない。
けど……。
(心の傷は――?)
そんなネガティブな感情に巻き込まれそうになって、(あ、いけないいけない)と、必死に話題を探す。
「あ、そうだ。そういえば先輩、喉乾いてませんか?」
「……さひ……」
明らかに不自然な返答に、日花は戸惑った。
「先輩……?」
すると突然、夜空が弱々しい力で、震えながら日花を抱きしめた。
「せ、先輩⁉何――⁉」
「あさひ……あさひ……ごめんねぇ……っ」
夜空は狂ったように、震えた声で「あさひ」と繰り返し始めた。
その時になって、日花はやっと気づいた。
夜空の顔が、異様に熱く赤くなっていたのだ。
体温の上昇、錯乱、震え、異常な汗の量――。
(熱中症――⁉)
日花は焦った。
どうしよう。長いこと水を飲んでいないから、かなり脱水が進行してるはず……。
そういう時に、無性に心の拠り所を求めてしまうのが人間だった。
日花にとって、この状況で近くにある拠り所は、――鞄の中に忍ばせてあった。
(助けてレミたん……天国から私に力を貸して……!)
鞄を、ぎゅっと抱き締め、思いと願いを、その鞄の中にある縫いぐるみに託した。
その時。
ぱこばこぱこっ、と、軽くて薄い音がした。
(……ペットボトル?)
その時、日花に降ってきたのは、非論理的で論理的なアイデアだった。
(……いや、論理とか、こんな状況で言ってられない!)
迷わずに鞄のジッパーを引き、自分が1/3ほど飲んだペットボトルの蓋を開けた。
「先輩!分かりますか⁉」
「ごめん……ごめん……」
「水!飲めますか⁉」
日花が差し出したお茶がどういうものなのか、彼の状況では分からなかった。
錯乱は続いたけれど、夜空はなんとかお茶を自分の手で飲むことはできた。
「……なんで……?」
「え、なんでって――」
「僕は、あさひを見殺しにしたのに……なんで優しくしてくれるの……?」
顔色がよくなっていく夜空と対照に、日花の心は曇りガラスのように濁っていった。
「……先輩、私、あさひじゃなくて日花です」
「……あれ」
そう言うと、夜空はゆっくりと日花を見つめた。
「なんか、弟と勘違いしてた。日花ちゃん、弟に似てるから」
夜空は笑ってそう言うけれど、日花は笑えなかった。
私は、先輩の死んだ弟に似ていた。
そりゃ、弟には優しくしたいよね。
弟に似てる後輩には……どうせ、弟の影を重ねて、あげるはずだった分の愛を注いで優しくしてくれてただけだ。
私――勝手に、両想いだって勘違いしてた。
心が押し潰されそう――。
「 `隙ありっ!`」
突然、少年の声が聞こえた。
その瞬間、
「夜空っ‼」
御狛がこちらに走ってきて、夜空に触れようとした。
けれど――遅かったみたいだ。
今朝と同じ、いや、だいぶ強い爆風。
「……っ⁉」
日花は吹っ飛ばされそうになった。
かろうじて自分の身は守れたものの、レミたんの縫いぐるみや食料などが入った鞄はやすやすと吹っ飛んで、崖の下に落ちた。
夜空は、その場所で死んだように眠っていた。
「魔霊術 |視霊《しれい》‼」
御狛が日花の額にお札を投げた。
その瞬間――夜空の背後に、少年の姿が見えた。
(身体が透けている……?)
「……遅かったね、うすのろ狐さん」
少年は、御狛をあおるように言った。
「なんで……なんで結界を壊さずに入ってこれたミコ?」
御狛は震えながら、少年に訊いた。
「そっかぁ、狐さんはまだ子供だからわかんないか!結界ができた瞬間に、中にいただけだよ!」
「子供って言うなミコ!あとミコは御狛ミコ‼」
「あの爆風――!」
日花は気づいていた。
今朝、夜空が“呪壊”になった時と、よく似た匂い。よく似た空気感。
極めつけに、その背後の少年は、おそらく霊――。
恐らく夜空は、既に“呪壊”になっている。
「御狛!」
「わかってるミコ。でも、“呪壊”部分が出てきてないミコ。これじゃあどうにも……」
「ねぇ、すごいでしょ、俺のコントロール能力。例え“祓い霊”の御狛でもここまではできないないよね~っ?」
まるで嘲笑うような声の調子だ。
「……キミに訊きたいことがあるミコ」
御狛は、少年をまっすぐ見つめて言った。
「キミは、3年前くらいに死んだ人間ミコね。霊になってから日が浅くて、その程度しか霊力を感じないミコ」
「そうだよ?」
「そして、キミはそれに不相応な魔力を、夜空に憑いてから発し始めたミコ」
「へぇ?だから何?」
「キミは、《《夜空と血が繋がっている》》ミコね?」
御狛はそこまで言って、もう1度少年を睨んだ。
少年はそれを睨み返すことなく、先ほどのように嘲笑の目で御狛を見た。
「……ははっ、なんでそんな当てずっぽうなことが言えるの?」
「当てずっぽうじゃないミコ。基本は霊力と魔力は同程度なのに、キミから突然魔力を感じ始めたのは、紛れもない『例外』ミコ」
そして、少年を指差しながら、御狛はひと息で言い切った。
「『背後霊と宿主に血縁関係がある場合、背後霊の魔力は最大限まで発揮される』――!」
真剣な表情の御狛に対し、微笑を浮かべ続ける少年。
「……ふふ、ははははっ。バレちゃったかー」
そう言って、細い腕を胸に当てる少年。
「 `俺は|逢坂《あいさか》 |朝陽《あさひ》。正真正銘の、夜空の弟`」
「弟――!」
日花は、御狛とは違って、“それ”を知っていた。聞いてしまっていた。
だから日花には、朝陽を名乗る少年の“悪意”がやすやすと理解できてしまった。
それでも、朝陽の笑みは純粋に見えてしまったのだ。残酷な程に。
「悪いけど、君たちに俺の計画は邪魔させられないんだ」
朝陽はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。
「魔霊術 |茨檻《しかん》」
「御狛!避けて!」
「ふぁぁっ⁉」
ドドドド、と地鳴りが響き渡ったと思うと、地面から茨が生えてきた。
茨は、中が見えても入れないようになのか、わざとらしく絶妙な空き加減の間隔をとりながら檻に成った。
「――ん、」
丁度、夜空が目を覚ました。
「おはよ、兄ちゃん」
「……朝陽?今度こそ、本物の朝陽?」
「本物も何もないでしょ?」
夜空は、驚いたように朝陽を見上げた。
驚くほど自然な兄弟の会話。自然すぎて、いつの間にか日花と御狛の戦闘態勢は崩れていた。
「――そっか、僕、霊が見えるんだ」
「ねぇ兄ちゃん、俺、いいもの持ってんだ」
そう言うと、どこから出したのか、手に持っていたナイフを、座り込んでいる夜空の前に置いた。
「ナ、ナイフ⁉御狛、止めなきゃ!朝陽くんをなんとかして‼」
「どうにもできないミコ。見るミコ」
茨の隙間をよく見ると、薄いバリアのようなものが貼ってある。
「攻撃が効かないミコ。兄弟は、一番血が近いから、どんな弱い霊でもこんなことができてしまうんだミコ……」
「じゃあ、私たちはこれを黙って見てろって言うの⁉」
御狛は答えなかった。ただ、静かに彼らを見ていた。
「……なんでこんな危ないもの」
「何言ってんのさ。《《危ないから》》出したんだよ?」
そう言うと、朝陽は狂気じみた笑みで、落ち着いたような声色で言った。
「 `それでひと思いに、胸刺しちゃいなよ!`」
「――っ⁉」
「俺が呪い殺すより、ずぅっと楽だと思うんだけどね。それとも何?辛い方で死んで、赦されたいの?」
「『赦されたい』って……何を」
「あ、そっか!忘れちゃったか!兄ちゃん、 `自殺未遂で記憶失っちゃったんだもんねっ!`」
「自殺……未遂?違う、僕は……父さんに殴り殺されかけて――」
「大丈夫だよ、今思い出させてあげるから!そうすれば後悔せずに逝けるよ!」
そう言うと、夜空の頭に手を置いた。
「魔霊術 |花浜匙《かひんし》」
頭の中に、ガシャーンと何かが倒れる音が響き渡ったとき、夜空は目を見開いた。
---
薬が袋から漏れ出して、夜空の足元を濡らした。
夜空は、点滴スタンドに引っ掛けた上着から手を離すこともできなかった。
それが、大切な弟である朝陽の命。
それは知ってた。分かってた。
だから、どうすることもできなかった。
どうしよう。どうしよう。何をすればいい?わかるのに、わからない。
何もできない。
僕のせいで、朝陽が死んでしまう。
僕が、朝陽を殺してしまう。
でも、身体が、動かない。言う事を聞かない。
息もできない。
「に……ちゃ……」
酸素マスクの奥から、苦しそうな朝陽の声が聞こえる。
嫌、
嫌。
死なないで。
お願いだから。
心拍数を知らせる電子音が、だんだんとおかしくなっていく。
狂っていく音。
歪んで聞こえる。
遠い音。
壊れて聞こえる。
――やがて、遠くで、まっすぐに音が伸びた。
末期だった弟の寿命を、さらに縮めてしまった。
享年12歳。
葬式は機械的に進められた。
夜空が唯一鮮明に覚えてるのは、葬式の帰りの車で母親が独り言のように呟いた言葉だった。
「朝陽は夜空と違って優秀だったのに。人殺し……」
それから、家はカサついた空気が充満した、不快な空間になった。
夜空は、弟の死という大きな出来事に、適応できなかった。
人殺し。
それが、ずっと胸につっかえて、取れなかった。
息をするのも億劫な世界だった。
1回忌が終わって数日経った日。
夜空は、母と食卓を囲んだ。
夜空の母は、ここ数日、取り乱していた。
夜空のことを人殺しと言って罵倒するのが、最早、日課になりつつあった日のことだ。
手抜きな惣菜をぐちゃぐちゃに皿に並べた、申し訳程度の夕食に箸をつけて、母は、実の息子に対して、こう言ってしまった。
「朝陽じゃなくて、あんたが死ねばよかったのに」
我に返ると、夜空は手に花瓶を持っていた。
目の前で、母が頭から血を流して倒れていた。
「……え、」
夜空は飲み込めなかった。
「噓……」
途端、夜空に聞こえるはずのない母の声が聞こえた。
`人殺し。`
あぁ、僕は、本物の人殺しになってしまった。庇いようのない、本物になってしまった。
僕は、今度こそ、罪を犯した。
夜空は、血に濡れていない左手で、無意識のうちに父に電話をかけていた。
「父さんどうしよう、母さんのこと、殺しちゃった……」
妙に感情を感じないかすれた声で、父に話した。
なんでこんなことをしたのかは分からない、とも。
『わかった。警察には父さんが話しておくから、落ち着いて待ってなさい』
そこで、電話が切れた。
夜空の心は、もう既に壊れていたようだった。
先程まで持っていた花瓶を手に持った。
そして、自分の頭上に掲げ、思い切り強く、振り下ろした。
『速報です。__県__市の住宅で、妻を殺害し、息子に重症を負わせた逢坂容疑者(45)が今朝、無期懲役を宣告されました。逢坂容疑者は今月20日、「妻を殺した」と警察に通報しました。容疑者を知る方は、「優しくてそんなことする人じゃない」と、彼の人柄を語りました。凶器はいまだに見つかっていませんが、検察の調べによると、容疑者は鈍器で犯行に及んだとみられています』
「……なんで、殺しなんかしちゃったんだろ」
ニュース速報を見て、記憶障害を患い冤罪に気づけない夜空は呟いた。
---
「……違……っ」
必死に絞り出したのは、そんな声だった。
「僕は……僕は……っ!」
「違くないよ。これは兄ちゃんが忘れてた兄ちゃんの記憶だから」
「……うぅっ」
夜空は、頭を抱えて呻いた。そして、独り言のようにぶつぶつと早口で、それを否定した。
「……違う、違う違う。僕は殺しなんてしてない。僕は人殺しなんかじゃない。違う――」
「そろそろ自己暗示やめたら?そんなの、ただの現実逃避でしかないよ。自分を騙して、自分に噓ついて、それで楽しいの?楽になれるの?」
「……嘘つきじゃない」
「俺は兄ちゃんの背後霊になったんだよ?兄ちゃんが死ぬまで、ずっとこの“人殺しの証拠”がまとわりつくんだよ?それでも、自己暗示で逃げれると思ってんの?」
そう言うと、もう1度夜空の前に、ナイフをちらつかせた。
「今、自分の手で死のう?それが1番いいよ、兄ちゃんのためにも」
天使のような優しい笑みを浮かべて、実の兄に自殺を唆す朝陽。
夜空は、2時の太陽を反射したナイフを見つめて――それに、手を伸ばした。
ナイフを手に取り、刃先を、そっと自分に向ける。
「さぁ、刺しちゃって!」
夜空の肩に両手を委ね、耳元でそれを急かした。
「……嫌。なんで何もできないの……」
日花は、自分たちが何もできないで、大好きな先輩が自ら死を選ぶ瞬間を見るしかないことに打ちひしがれていた。
そして、御狛の袖を掴んだ。
「止めてよ。諦めるなんて、卑怯だよ。諦めるくらいだったら、1発くらいはあがこうよ……!」
「……諦めてなんか、いないミコ」
御狛は、強い眼差しで、檻の中を見つめていた。
夜空は手の震えを堪えた。
そして1度大きく深呼吸をして、目を瞑った。
朝陽はほくそ笑んだ。
夜空はそっと、何かを伝えるかのように御狛を見た。
その瞬間。
「魔霊術 |氷柱槍《ひょうちゅうしょう》‼」
御狛は棒のように円錐型に丸めたお札を投げた。
その尖った頂点は、パリンという音を立ててバリアを割った。
「御狛……⁉何もできないんじゃ……⁉」
「何するんだよ……‼それに、バリアを張っていたはずじゃ……‼」
「油断は禁物、ミコ。キミは一瞬、もう野望が達成されたと思って気を緩めたミコね?」
御狛はそう言いながら、右腰にかかっているケースから次のお札を取り出した。
「夜空には手を出させないミコ。ミコがキミの相手をするミコ!」
「……ふふ、まだ子供なのにいい度胸してるね!でも、その程度の力で勝てるとでも思ってるの?」
朝陽は崩れた笑みを取り戻し、また御狛を煽った。
「諦めなんかできないミコ。そんなの、“祓い霊”失格ミコ――!」
表情がさらに険しくなる。
「魔霊術 |風炎《ふうえん》‼」
瞬間、青い竜巻が朝陽を襲った。
「……魔霊術 |犬槇檻《けんてんかん》・|電種《でんしゅ》‼」
それを、朝陽も表面に受けるわけもなく、大きな木を地鳴りと共に現し壁にして防いだ。竜巻は爆散し、
「痛っ」
小さな木片が御狛に当たった。
「強すぎるミコ……!」
「どうにか隙を作れないの?」
「……あっちはミコ達を警戒してるミコ。日花が向かうのも無理みたいだから――」
御狛は、夜空のほうを見た。
「死角にいて、朝陽のことを1番知ってる実兄に、託すしかないミコ」
それを聞いた日花は、この状況がどれだけこっちに不利か気づいた。
――なら、相手に察させずに、味方に察せるよう合図すればいい。
「すみませ~ん!」
まずは、馬鹿を演じる。
「君、朝陽くんってんだよね~?いい名前だね~!」
「日花⁉何して――」
「ところでさ~、君、アイスでは何が好き⁉私はガリ〇リ君なんだけど~‼」
「……ふざけてる?お前、《《そんなんで隙が作れるとでも思ってんの》》?」
……もらった‼
日花は夜空に視線を送った。
夜空は、察してくれたようだ。
「……えへへ、バレちゃった?」
「馬鹿かよ――」
瞬間。
夜空がのしかかるように、朝陽を後ろから抱きしめた。
それは言うなればまるで、愛、慈しみ、そして、恐怖と後悔。
夜空は、弟の耳に何か囁いた。
朝陽は大きな目をさらに見開いた。
御狛はその一瞬を見逃さなかった。
夜空も、その一瞬によって放たれた一撃を見逃さなかった。
「魔霊術 |燃雷《ねんらい》っ‼」
その札から放たれた一筋の光が、ビシャッと音を立てて朝陽の左鎖骨辺りを貫いた。
「――っ‼」
朝陽は目を見開き、その辺りを押さえてただ茫然としていた。
そして、数秒が静かに過ぎ、朝陽は顔を伏せしゃがみ込んだ。
「……はは、」
馬鹿だな、と朝日が呟いた。
「なんで俺、自分で死んでもらうことに固執してたんだろ」
そして足元に転がったナイフを右手に取り、また乾いた笑いを零した。もう顔に笑みはなかった。
「はぁ、……どうでもよかったじゃん。 `俺がさっさと殺れば済んだ話なのに`」
「――っ!お札――」
その瞬間、御狛が突然倒れ込んだ。
「御狛――⁉」
「身体が……痺れてるミコ……⁉」
よく見ると、エフェクトのように電気が御狛のまわりを走り回っている。
日花は焦りとともに、夜空を見た。
夜空は動かず、座り込んだまま朝陽を見つめていた。
こうしている間にも、刃は夜空に1mmずつ近づいている。
……嫌。駄目。
けど……一か八か、私にできることがあるとすれば――!
「御狛っ!」
御狛を後ろから支えて、震える札と右手を掴む。
それを、伸ばせるだけ高く、空に掲げた。
「……まっ、魔霊術 |火槍《かそう》……っ‼」
悲鳴に近い御狛の声が響く。途端、青い炎が槍のように線を成し、ナイフに音を立てて当たった。
パキン。
ひびの入る音が、小高い丘に響き渡った。
「割れ――⁉」
啞然。
戸惑い。
いうなれば、そんな感情か。
朝陽は、そこに浮いていた。
浮いていた。
ついさっき囁かれた言葉、それをただ反芻しながら、命拾いした兄の恐怖の目を見つめていた。
「――攻撃手段、断たれちゃったか」
俺、魔霊術でまともな攻撃できないしさ。
諦めのような声が、その口のあるべき場所から漏れた。
その瞬間、
「ひゃっ」
御狛の身体に纏わりついていた電気が、ふっと消えた。
日花はその身体を手で支えてあげながら、「大丈夫⁉」と声をかけた。
「いくら霊でも、魔力のこもった電気なんだから食らわないわけないミコ!」
言ってることこそ怒りを感じるが、声にはまったく苛立ちが感じられなかった。
朝日の眼光が、やや優しくなったように感じた。
戦意喪失。
「……魔霊術 |勿忘呪《ぶつぼうじゅ》」
静かに、本当に静かに呪った。
それは、悪い記憶や気持ち、嫌な思いを1度たりとも忘れない、一生もので最も恐ろしい呪いだった――はずだ。
「“《《朝陽は、生前で既に僕の心を殺してるんだよ》》”……ね」
反芻したことばを、元々それを発した元である夜空に返した。
「そうだよ……もっとわかりやすく言い直すなら、」
夜空が、口を開いた。
「 `朝陽は、存在自体が人殺しだったんだよ`」
「――は?」
日花は背中に何か変に冷たいものが流れる感覚をおぼえた。
これは、悪いことをしたときとか、そういうので感じるやつ。
私は、今、覗いてはいけない世界を見ている。
「ねぇ、ひとりっ子、楽しんでた?」
「さっきから一体何を――」
「母さんのなかに息子は1人、朝陽しかいないんだよ。僕は|弟の付属品《いらない子》だった、って、本当に知らなかったの?」
夜空は笑っていた。目の奥に笑顔はなかった。
もうすでに、救いようもなく壊れている。
山の空気が綺麗すぎるからなのか、はたまた空気が詰まってるからなのか、それが嫌でもわかった。
「夜空っ!」
御狛が止めた……にも拘わらず、夜空は朝陽の両肩を掴んだ。
「朝陽さえいなければ、僕は母さんの子でいられたのに。朝陽、お前が僕のこと殺したんだよ」
声は、震えていた。
まっすぐその両の目を見ながら。
「夜空!やりすぎミコ‼それ以上は――‼」
そして、発してはいけない言葉が、夜空の喉を通って、そこにいる者すべてに届いた。
「 `この人殺し……!`」
途端、バチンと大きな音が鳴り響いた。
爆風にさらされた野花のように朝陽が倒れたのは、そのあとだった。
山に音がこだました。
「なんで止めなかったミコ⁉」
御狛が夜空のほうに向かった。
日花はそこでただ呆然としていた。
目の前で起きていたシリアスな事柄を、頭がどうしてもノンフィクションだと解ってくれない。
大切な、大好きな先輩とその弟のやり取りが、まるで台本通りの人形劇みたいで。
頭が拒んでいた。“それ”を知りすぎることを。
それでも。
__「せんぱい……っ」__
私は護りたい。
自らに拒絶されようと、ちゃんと知って、助けたい。
けれど、日花が立ち上がった瞬間……夜空も倒れこんだ。
「先輩……?」
歩けば十数歩、なのに遠く遠く感じる。
「日花‼早く来るミコ‼」
ついさっき決意したことなのに、それでも動けない。
目を瞑った。
私ってこうだ。いっつも――。
『日花ちゃん!』
最初、それが何の声なのか分からなかった。
けど……。
「レミたん……」
『わたしは日花ちゃんの味方だよ!』
そこに現れたのは……いや、日花の脳内に、まるで命を持ったように浮かび上がったのは、日花の最推し・レミたんだった。
そう言いながら、日花に手を差し出した。
『あとちょっとだよ。一緒に頑張ろう!』
日花は、そこにいる自分の推しの目を見つめた。
ラベンダー色の、宝石みたいに透き通った、純粋な2つの瞳。
こんな綺麗な目に、この世界を見せたくない……。
『心配しないで、日花ちゃん』
日花の思ったことを見透かしたように、レミたんが言った。
『大切な人を助けに行こう!』
まっすぐ、日花の目を見た。
日花は、恐る恐る、彼女の手を掴んだ。
「――うん!」
そしてその手に引かれ立ち上がると、そこにレミたんの姿はなかった。
あの、ついさっき何かが壊れてしまった世界に、戻っていた。
温かくて小さな手の感覚がまだ残っていた。
助ける。絶対。
私には仲間がいる。
レミたんだけじゃない。
「御狛っ‼」
「日花――!」
夜空は静かに眠っているようだった。
けれど、明らかに顔色がよくない。息も荒れている。
「人間とその背後霊が互いの心を破壊し合う、“|魂の相殺《オフセット》”……。これだけの威力だと、夜空は最悪……死ぬミコ。でも、ミコだけじゃ、どうにも……」
御狛の言葉は、だんだんと遠く離れ、途切れ、苦しそうな声になる。
……死。
考えたくない言葉だった、それは、1番。
「何かできないの……?」
日花は絶望をこらえた。
「……1つだけ、あるにはあるミコ」
「なら、助けようよ!早く‼」
「……じゃあ、聞くミコ。日花は、《《自分の心と記憶を犠牲にしてでも》》、夜空を救いたいミコ?」
「ど……どういう、こと」
「日花がそれを失う可能性があるってことミコ。これは、人間へのリスクがあまりにも高すぎる方法なんだミコ」
記憶を、心を失う。
それは日花にとって、恐ろしいことだった。
友達と話して、笑ったりできない。
大会で勝って、達成感を感じれない。
推しを愛でて、幸せになれない。
先輩に、恋ができない。
記憶がなくなったら、私はどうなる?
またみんなと友達になれるだろうか。
またスポーツを楽しめるだろうか。
また推しを推せるだろうか。
また――。
やだな。
全部、心を失ったらできないことだ。
……けど、
「やる。私、絶対にやってみせる」
「本当にいいミコ⁉ゆっくり考えてみて――」
「いいよ。私にはこんなに味方がいるんだから、大丈夫。それに、」
日花は、だんだん顔色が悪くなっていく夜空の方を向いた。
「今の私が、先輩を助けたいから……!」
志。
「……わかったミコ。じゃあ日花、まず夜空との思い出をたくさん思い出すミコ」
わかった、そう言って、日花はまた目を瞑った。
思い出……か。
いっぱいあるようで、意外とないんだよな。
だって、高校に入った2か月前のあの日に一目ぼれして、話しかけたら意外と仲良くなれちゃって。
でも学校でお話するくらいしかないから、思い出らしい思い出って全然ない。
けど……幸せだった。とにかく幸せだった。
たった2か月の恋だけどさ、楽しかった。
そんな他愛ないことばかりが頭を駆け巡る。
「魔霊術 |鳴藍華《めいらんか》……‼」
御狛の声が、耳に届いた。
強い風が吹いて、甘い花の匂いがした。
青い薔薇の花言葉は、「奇跡」。
かつて、西洋にこんな物語があった。
ある男性が、好きな女性の心を射止めるために赤い薔薇を欲しがった。
けれど彼の庭に赤い薔薇は生えていなかった。
その夜、ナイチンゲールと呼ばれる鳥が、男性のために赤い薔薇を造った。
彼の庭の白い薔薇の棘に自らの心臓を突き刺し、鮮血で薔薇を赤く染めあげるという、恐ろしい方法で。
この話は結局バッドエンドを迎えるのだが、ナイチンゲールは自らの命を代償に、男性のための赤い薔薇を造った。
奇跡を“起こす”には、少なからず代償が必要なのだった。
しかし、奇跡が“起きる”のには、代償はいらない。
夕暮れの空の下で目を覚ました日花は、違和感を覚えた。
私は確かにさっき、鳴藍華を聞いた。
けど、なぜ、それを覚えてるのか。
……あぁ、失敗したのか。
先輩は、死んでしまったのか。
「……日花。日花!」
「ん……」
「わかるミコ?」
「うん……」
薄々気づいていたけれど、気づいてないふりをして聞いた。
「先輩は……?」
「無事ミコ!」
「ぶじ……」
無事。
「……え?」
「奇跡が起こったんだミコっ‼」
奇跡。
奇跡が、起こった。
先輩は、生きているんだ。
「先輩っ‼」
日花は跳ね起きた。
そこには、あたたかい顔色の夜空が、ゆっくり息をしながら眠っていた。
「もう危険な状態は過ぎたミコ。数分もすれば目を覚ますはずなんだミコ!」
その、大切な人の顔を見ていると、とめどなく流れるものがあった。
「よかった……!」
涙が止まらない。
止まらない。
奇跡って、本当にあるんだ。
日花は、夜空の手を掴んだ。
あったかい。
命がある。
「先輩……!」
涙がひとつぶ零れ、夜空の頬に落ちて流れた。
「……日花、ちゃん……?」
瞼が、ゆっくり開いたのは、そのすぐあとだった。
「せんぱいぃ……っ‼」
顔がぐちゃぐちゃになってて、恥ずかしくて、でもごまかせなくて。
手をぎゅうって握った。
細い指が、かすかに日花の手を握り返した。
「ごめんね、僕のせいで……」
「いやっ、そうじゃなくてぇ……っ!」
そこから言葉が出なかった。
ただ、嗚咽が日花の口から洩れ続けるだけだった。
「日花ちゃん……僕、何してたの……?」
夜空は、口を開くとそう言った。
「あの……割れたあたりから、記憶がなくて」
「あぁ、それは――いろいろ」
話を濁した。
けれど、記憶が霞んでいる以上、今の状況は夜空にとって複雑で違和感を感じるものだった。
「朝陽は……?朝陽はどこに行ったの……?」
「……え」
夜空は、今この状況で朝陽を探している。
彼の記憶の中では、ついさっきまで自分を殺そうとしていたのに。
「……朝陽は、奇跡の犠牲になったミコ」
御狛が重くそう言った。
「奇跡の、犠牲……?」
「奇跡は――起きたミコ。“奇跡の代償が変わる”という奇跡が」
「御狛ちゃん……けっきょく朝陽は」
「……魂が破壊されたミコ。成仏でも浄化でもなく、壊れたままで……」
「魂の破壊……?」
うそ……なんで。
夜空は絶望をあらわにした。
「……先輩は、なんでそんなに心配できるんですか?」
日花が訊いた。
「……なんでだろうね。嫌な思い出ばっかりなのに」
夜空は目を瞑った。そして、手を合わせた。
「それでも、大切な弟だってことに変わりはないんだよね」
桜が咲き始めた。
満開は卒業式に間に合わなそうだけど、それくらいでいいんだと夜空は言っていた。
日花はまだ、自分の気持ちを伝えないでいた。
大学受験が終わっても、合格を知っても、それでも勇気は出なかった。
……卒業式の前日、漫画の最終回が公開された。
ラスボスが主人公であるメダー様と仲間の弓使いによって討伐され、世界に平和が訪れる、というありきたりなハッピーエンド。
結局、作中でレミたんが息を吹き返すことはなかった。
最後のコマを画面に映し、そしてスクロールした。
幸せそうなパーティの5人の1枚絵が、「7年間ありがとうございました!」の手書き文字を添えて描かれていた。
あぁ、これは幸せだったころなんだな――と思った直後、3人の死後に負ったメダー様の顔の傷で、そうではないことに気づいた。
これは実は主人公死んでた系の考察要素?
それともただ単に幸せな締めのイラスト?
ちょっと考えるけど、編んだ花冠をメダー様に掲げるレミたんの笑顔のせいで、涙が溢れてきた。
3年前に見つけてからずっと推してきたレミたん。
健気に頑張り続ける姿が好きだった。
どんな時でもメンバーを励まして、いつも明るかった。
日花自身も、“あの日”、助けてもらった。
……レミたん。
私のこともう1度、明日も助けてくれない?
そう、心で呟きながら、スマホをメールアプリに切り替える。
『先輩、
明日の卒業式の後、会えますか?』
すみません滑り込みでジャスト20000字エントリーしちゃいました。
作中にオスカー・ワイルド「ナイチンゲールとばら」を使用させて頂きました!
戦闘書くの難しいアイデアも少ないし……書きながら苦手なジャンルだと気づいた。