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千年の鬼ごっこ
月の光が、静かに森の隙間を縫う。
冷たい草の上、ノアはリュカの腕の中で息をしていた。いや、正確には、まだ微かに“している”だけだった。
「……ねえ、リュカ」
その声は、かすれた風のようだった。
だけど、言葉はしっかりと彼に届いた。
「今回も、君を見つけたよ」
リュカは目を伏せた。手のひらで伝わる命の残り火が、もうすぐ消えることを知っていた。
「前より少し……長く一緒にいられたね。……うん、今回は、少しは頑張った気がする」
まぶたが重そうに、何度も瞬く。
それを止めようとするかのように、リュカはその手を強く握った。
「今度も、見つけて……くれるよね……?」
「……もちろんだよ、ノア」
その返事に、彼はほんの少しだけ笑って——
まるで、次の命の約束を信じているかのように、静かに目を閉じた。
それは、何度目かの別れだった。
もう数えるのも億劫になってしまったほどに。
それからの世界は、やけに明るく、そしてやけに冷たかった。
リュカは、町を離れた。
新しい名を名乗り、森の奥の村で、ひっそりと暮らすようになった。
人と関わらず、日々を淡々と繰り返す。
けれど──忘れられなかった。
ふとした光景で、ノアの声が蘇る。
金色の麦畑、花の咲く丘、星を見上げる夜。
「リュカー!」と笑いながら走ってきた声が、幻のように耳を掠めていく。
何も残らない。けれど、何も消えない。
“会いたい”とも、“忘れたい”とも言えず、ただ心だけが少しずつ、すり減っていった。
人は人の声から忘れていき、顔、思い出…そしていずれはその人の全てを忘れてしまうらしい。
人間っていうのは実に不便なものだ。
自分は全て覚えている、何百年、千年前の彼だって鮮明に思い出せる。
…でも今は、今だけは少しだけでも忘れさせて欲しかった。
もはや忘れてしまった方が幾分も楽なのだろう。
大切な人を喪う瞬間は、失った何十年は、何度経っても、酷く心に伸し掛かり、ぽっかりと穴を開けてしまう。
再会は、まるで偶然のような顔をして訪れた。
けれど、リュカは直感した。
止まっていた心臓が、また鼓動し始めたように。
「お兄さん、落としたよ。これ」
市場の真ん中で、リンゴを拾い上げて渡してきた少年。
風のような金髪と、海のような青い瞳、少し幼さの残る笑顔。
「……ノア……」
「お兄さん、なんで僕の名前知っているの?」
心が、ぎゅっと音を立てて揺れる。
記憶はない。けれど、魂だけは変わらずそこにいた。
それは何度目かの、はじまりだった。
ノアは、リュカの家を好んだ。
まるで前からそこに住んでいたように、すっと居場所を見つけてくる。
「リュカの部屋、落ち着くんだよね。……不思議だけど。まるで前から住んでるような気がするんだ!」
何も言えなかった。
リュカはただ、そばにいる時間を受け入れた。
朝に目が合うだけで嬉しかった。
一緒にパンをちぎり、手が触れるだけで満たされた。
林檎を買ってきて、それを丸ごと齧る、お茶目で、元気な彼な顔を見るだけで、
彼が、お気に入りの本を持ってきてそれを読み聞かせてくれるその声が聞くだけで、孤独な時間が癒えたように感じた。
だがその穏やかな時間の奥に、リュカはずっと怯えていた。
——また記憶が戻れば、終わってしまう。
その予感は、日ごとに濃くなっていった。
でも、彼とこのままずっと居たいという気持ちはどうしても抑えきれなかった。
随分と、自分も人間のようになってしまったな
それでも、現実は残酷で、御伽話のようには行かなかった。
それは雨の匂いのする午後だった。
ノアは、窓辺に背をもたせかけながら言った。
「……全部、思い出したよ」
声が震えていた。
けれど、それ以上に、目が澄んでいた。
「君のこと。何度も出会って、忘れて、……それでも毎回、君は僕を見つけてくれたんだ」
リュカは、何も言えなかった。
代わりに彼を抱きしめた。
体温が、すでに低くなっていた。
「ごめんね。……でも、君にまた会えて、嬉しかった」
それが、今世での最後の言葉になった。
リュカの腕の中で、ノアは静かにその生を閉じた。
夜。誰もいない部屋。
窓の外で、星がまたたく。
リュカは、ノアの眠る体にそっと毛布をかけた。
その額に、手を添えて、ぽつり、ぽつりと語りかける。
「……ねえ、ノア」
「今日さ、ふと思い出したんだ。あの日のこと」
「君がさ、眠る前に言ってたよね。
“白雪姫って、ちょっと憧れる”って」
「……君が、その物語の主人公になってどうするのさ」
「リンゴを食べて、眠って、目を閉じて、
そして……起きないまま、僕の腕の中で、また」
「目を閉じる役なんて、君には似合わない。
君は、見つける側だったろう?
何度も、僕を見つけてくれたじゃないか……」
沈黙がその場を支配する。
「ねえ、もう……起きてよ」
「『またね』って、言ってよ……」
「このままじゃ、僕はずっと鬼にならないじゃないか…。」
リュカはそっと立ち上がる。夜が静かに流れる
「でも、君なら言うんだろうな」
「“続きは、また次の世界で読もうよ”って」
最後にもう一度、リュカは優しく微笑む。
「……おやすみ、ノア。
僕はまた逃げる準備をしておくよ」
「だから、見つけてみせてよ。
また、君から逃げるから」
その言葉が終わったとき、
外でひとつ、星が流れた。
そして、また長い鬼ごっこが始まるのだった。
オリキャラ君第1号2号です!
不老の人外であるリュカ と 輪廻転生を繰り返す少年ノア 。ずっと考えてた関係性ですね。
こんな感じの小説を自由気ままに書いて更新していきます。もし見てる方がいらっしゃれば感想など教えていただけたら!
ではまた次の作品で。